21 / 32
第十九章 翠の翅を得た毒蚕
百七十一話 曙光と煙
しおりを挟む
温度も湿度もない、硬い視線を斗羅畏(とらい)さんと突骨無(とごん)さんが交差させる、その場に。
「斗羅畏、まさかお前さん、その娘らを嫁にすると阿突羅(あつら)の霊前に報告に来たんか」
クソみたいな話題を差し込んだのは、生臭坊主の赤目人(せきもくじん)、星荷(せいか)さんだった。
もちろん、我らが斗羅畏さんはそんなくだらない戯れ事に乗っかることはなく。
「大伯父どの、ご無沙汰いたしております。明日の葬送をどうかよろしくお勤めください」
そう言って踵を返し、霊安所を去った。
私たちもそれにぞろぞろと続いて、星荷さんと突骨無さんに一礼し、この場を失礼する。
斗羅畏さん、もっと阿突羅さんとお話をしたかっただろうにな。
なんだよ、なんだよあいつら、少しくらいそっとしておいてくれたっていいじゃないかよう!
ところで斗羅畏さんは、嫁と言うお話を、否定しませんでしたね?
ひょっとして、私にもまだワンチャン、あるんです!?
「……一つ、聞きたいのだが」
戻る途中、誰を相手にしたものか、翔霏(しょうひ)が質問を投げた。
至極真面目な顔なので、嫁どうこうと言うのはまったく気にも留めていないのだろう。
私ばっかり盛り上がってしまい、みっともない。
「おかしな暗殺者や突骨無が阿片に溺れていると仮定して、だ。その阿片はどこから仕入れている? 阿片のもとになるケシの花は北方に咲く植物ではあるまい」
ごもっともな話です。
赤目部(せきもくぶ)の人たちは、阿片を自分で産出しているわけではない。
もっと南に咲くケシの花を原料に、精製品を輸入しているか、原料を輸入して自分たちで精製しているかのどちらかだ。
商売の話なら、俺に任せろ。
と言わんばかりにキラッと目を輝かせた椿珠(ちんじゅ)さんが、翔霏の答えに詳しいことを教えてくれた。
「ケシの産地は昂国(こうこく)よりさらにもっと南だ。以前は南西の尾州(びしゅう)が窓口になり、原料のケシの蜜液を仕入れて加工していたんだが、今の尾州は自分たちでケシを仕入れることを禁じられている」
「どうして?」
私の質問に、椿珠さんが「ちょっと考えればわかるだろ」というイヤミな含み笑いで答えた。
「それが尾州大乱の財源、資金調達手段になっちまったからだ。先帝は尾州の権益を剥いで、他の州に分割した。もちろん環家(かんけ)も分け前にあずかったがな」
「あー、なるへそ」
そうだと思ってたけれど、やっぱ環さんファミリーも阿片事業には参加していたんですね。
薬にもなるものだという建前があるし、なにより完全に禁輸にしちゃうとかえって裏ルートの非合法でばかり出回っちゃうからね。
やんごとなき方々のまつりごとの話は、私のような小娘に分からない細かい事情でいっぱいなのである。
軽螢(けいけい)が半分ほど理解して半分ほどわからない、という顔で訊いた。
「じゃあ環家の商売独占がなくなった今は、連中がどこから阿片を仕入れてるのかわからないってことか?」
「そういうことになるが、しかし誰だって安いところから買いたいはずだ。昂国の麟州(りんしゅう)か、西方の沸教国(ふっきょうこく)から買ってる可能性が高いだろうな。それ以外の経路だと大きく遠回りになる。遠回りになるってことは、輸送費がかかるってことだ」
椿珠さんの話を聞きながら、私は昂国八州の地図を頭に描く。
首都の河旭(かきょく)から見て、西に行けば環家や素乾家(そかんけ)のある毛州(もうしゅう)。
そこからさらに西北に行くと、西方諸国との玄関口、鱗州である。
鱗州のことは遠いので良く知らないけれど、沸の国へ行く経路上にあるから西方沸教の文化風土が濃い、らしい。
うろ覚えの伝聞なので、自信はない。
以上のことを総合的に判断して、導き出される推論を斗羅畏さんが口にする。
「……西から阿片を仕入れて、北方にばら撒いている窓口が赤目の大伯父貴であっても、それほど驚きはない。昔から俺にはよくわからん、怪しい男だった」
私たちにも、よくわかんねーです。
翔霏が私の傍で顔を寄せて、内緒話を持ちかける。
「麗央那が言うなら、事故に見せかけてあの坊主を始末するが」
ぞわわっ、と全身に鳥肌が立った。
翔霏は、本気だ。
今この状況で、最もわけが分からない星荷さんを最大の危険因子とみなして、排除もやむなしと考えたのだ。
いや、前も冗談で翔霏は同じことを言ったことがあるけれどね。
今回の彼女の声色に、遊びは微塵もない。
どう言おうか、私が答えに躊躇っているとき、翔霏を停めたのは。
最も意外な、予想外の、彼だった。
「メェ~……メェェ~……」
白ヤギが翔霏の服の裾を噛んで、必死に首をフリフリしているのだ。
まるで私の代わりに「北方の民のいざこざに、私たちがおかしな形で介入してはいけない」と、翔霏を説得するかのように。
いや、これは私の心だな。
私自身がそう考えているからこそ、ヤギの行動にその意味を重ねてしまっているだけだ。
私は翔霏の手に自分の掌を重ねて、声を殺して言った。
「私たちは突骨無さんへのご挨拶と、斗羅畏さんの護衛。それだけをしっかりこなそう?」
「わかった。実は麗央那ならそう言うだろうと確信があったんだ」
翔霏なりの不思議な信頼を預けられ、私たちは来客者用の包屋(ほうおく)へと戻った。
もうこれ以上。
翔霏に、どうでもいい殺人を犯してほしくないんだよ、私。
青牙部の亡霊どもから受けた殺業の呪いだって、完全に解けてないのに、無茶しようとしてさ。
「誰も、死んだりしませんように。誰も、殺さずに済みますように」
私は祈ることで自分を元気付け安心させ、ゆっくりとその夜を眠って過ごしたのだった。
「あたしたち夢の中で会うのははじめてじゃないかしら」
ふんわり、心地のいい光と温度の、霧に包まれた空間。
私と同じ顔の女の子が、私を見つめて、言った。
「あ、翠(すい)さまでしたか。ってなんで私に変身してるんです? 鏡を見てたのかなと勘違いしちゃいましたよ」
「ただの気分よ。良いじゃないの別にあたしがなにをどうしようと。文句でもあるの?」
「とんでもございません」
私は夢の中で、私に化けた翠さまに会ったのだ。
不安、不審、不穏なことに包まれているこの状況で、夢に翠さまが出て来てくれるというのは縁起が良いと言うか、瑞兆かもしれない。
実際に私のメンタルがモリモリと回復快調へ向かっているのを、強く実感することができている。
私の夢は私自身の心と頭脳をメンテする役目があるので、翠さまの夢を見て気分一新、ってのは非常に効果が高く、理に適っていると言える。
「しっかり務めてここまで来たのね。よくやったわ」
多少の行ったり来たりはあったけれど、翠さまの親書を携えながら各地の有力者たちと挨拶を重ね、無事に白髪部の大都に到着した。
もっと褒めて~、頭とかナデナデして~、とニヤニヤしながら、私は翠さまの前に恭しくかしずく。
「明日が本当の勝負。もうひと踏ん張りよ」
下げられた私の頭を乱暴にわしゃわしゃ撫でながら、翠さまが言った。
突骨無さんとの交渉を、油断なく堂々と務めあげろとおっしゃっているのだな。
「はい、頑張ります。と言っても細かい話は椿珠さんに任せちゃってますけど」
「あんたにはあんたにしかできないことがあるわ。だからあんたを北方に遣わしたのよ」
さすが翠さまです、私たちには見えていない局面もすっかりお見通しなんですね。
明日、私になにが待っているのか、それは分からないけれど。
私を信じて送り出した、その翠さまを信じよう。
きっと、いや絶対に、成せば成るはずなのだ。
翠さまが私にやれと命じたことで、間違いなど今まで一度も、なかったのだから。
むぎゅ、と私の頭を腕と胸に包んで抱えた翠さまが、優しく言う。
「なにがあってもあたしとあんたは一緒だから。あたしがついてるから最後まで頑張るのよ」
「はい、央那(おうな)はそこまで思っていただき、八州一の幸せものです」
心地良い涙が流れ、夢が覚めていく予兆を感じた。
私も翠さまもゆるゆると、光の中に溶けて行く。
いつまでも私の頭を抱く翠さまの、温かい感触だけが残り。
「神さま。央那が死んだりしませんように。央那が傷ついたりしませんように。央那が悲しみに濡れませんように。小さき婢(はしため)が伏して伏して願い奉ります」
祈る翠さまの言葉だけが、何度も何度もリフレインしていた。
「……大丈夫、だよな?」
「メエェ?」
目覚めると、視界を軽螢とヤギの顔が埋めていた。
やだ、私ったら殿方の前でまた寝言ぶっこいちまったのかしら、恥ずかしいわ。
「泣いてるからなにごとかと思ったが、ずいぶんいい夢を見てたらしいな」
「椿珠さん、いちいち言わなくていいんですよ」
いくら包屋の中で雑魚寝してるからって、乙女の寝顔をまじまじと見るなや。
落書きとかされてねえだろうな、ったくよ。
汲んだ井戸水でざっくり顔とかを洗わせてもらい、最低限のお化粧を整え直した私。
「もうすぐ、あの坊さんが念言を詠むらしいぜ」
軽螢が葬送の式次第を他のオジサマたちから聞いたようだ。
私たちはお互いに身だしなみのチェックを行い、阿突羅さんが眠る祭壇前の広場に足を運ぶ。
ご遺体の真横に喪主の突骨無さんが、真ん前に僧侶の星荷さんが立っている。
まるでどんど焼きかキャンプファイヤーのように、木々が組まれた櫓(やぐら)から炎が轟々と燃え盛っている。
私たちがいる場所は風下だから、結構まともに煙を浴びる。
「前は火も煙も苦手だったんだけどね。なんかいつの間にか平気になったなあ」
私がぽつりと放った言葉に、椿珠さんが驚いて目を剥いた。
「いや、どう考えてもお前さん、火付けとか煙幕が大好きだろう」
「周りからはそう見られるんだ」
苦笑せざるを得ない。
不思議と鼻につく変な香りの煙が立ち上る中。
座礼と立礼を繰り返して、星荷さんが唱え始めた。
「北方の雄、一世の快傑たる阿突羅の魂を、これより虚空に送らんとす。人は死して土に還り、土はまた新たな命を育む。されども魂はこの永劫の輪から脱け出し、真なる虚空へ旅するに至る。むべなるかな、むべなるかな、むべなるかな……」
沸の教え。
万物は循環し、形を変えて常に在り続ける。
しかし人の魂は、元々ないのだから、元々存在しない無の世界、概念領域たる虚空へと帰るのみ。
世界をぐるぐる巡るものと、旅立ったきり巡らないもの。
ふわりと風が吹き、流された焚火の煙が人々の居並ぶ中でつむじを巻く。
星荷さんの念言は続く。
「勇者の魂は虚空へ帰る。然れども天地に残るものあり、それは勇者の想いである。敵を倒せ。裏切り者を許すな。貧しきもののために、富めるものから奪い取れ。大地果てるところまで駆け抜け、見渡す限りに勇名を知らしめよ。阻むものは、ことごとく打ち倒すのみ! 屍を超えた先にこそ栄えありと!!」
おい、あの坊さん、なにかおかしいこと言ってるぞ?
どう考えても死者を安らかに送る言葉じゃねえだろこれ!!
「こ、この臭い……?」
椿珠さんが頭を下げて、自分の口を布巾で覆った。
身振り手振りで、私と軽螢にも同じようにしろと促す。
少し離れたところにいる翔霏が、大声で叫んだ。
「阿片を焚いてる! この煙を吸うな!!」
しかしその忠言に耳を貸すものは少なく。
「う、うううううう……」
「な、なんだ、頭が……!?」
弔問客たちのあちこちから響く、唸り声と呻き声。
「敵を……敵を殺せ!」
「裏切り者を生かすな!」
「天下果てるところまで、俺たちが駆け抜け、蹂躙するんだ!!」
怒号と狂った叫び声が、一斉に周囲を包む。
「テメエ、どのツラ下げて俺の前に来やがった!!」
「そっちこそよく恥ずかしげもなく、親方さまの霊前に!!」
あちこちでなじり合いと殴り合いが始まった。
整然と平穏を保っていた葬送の場。
そこが一瞬にして、大勢の憤怒と狂気が渦巻く地獄絵図と化したのだった。
「あンの、クソ坊主!!」
私は、荷物袋から一撃必殺の毒串を取り出す。
混乱と無秩序が支配したこの場を笑って眺め、そして足早に去ろうとしている星荷僧人。
おそらくは、毒の煙と呪言によって、聴衆に悪意の集団催眠を仕掛けた腐れ沸教野郎を。
「殺してやる! ぶっ殺してやるぞ星荷ーーーーーーーーーーーーーーッ!!」
喉も裂けよとばかりに叫んで、私は追いかけ、走り出すのだった。
私の心も、毒煙に侵されているのかもしれない。
「斗羅畏、まさかお前さん、その娘らを嫁にすると阿突羅(あつら)の霊前に報告に来たんか」
クソみたいな話題を差し込んだのは、生臭坊主の赤目人(せきもくじん)、星荷(せいか)さんだった。
もちろん、我らが斗羅畏さんはそんなくだらない戯れ事に乗っかることはなく。
「大伯父どの、ご無沙汰いたしております。明日の葬送をどうかよろしくお勤めください」
そう言って踵を返し、霊安所を去った。
私たちもそれにぞろぞろと続いて、星荷さんと突骨無さんに一礼し、この場を失礼する。
斗羅畏さん、もっと阿突羅さんとお話をしたかっただろうにな。
なんだよ、なんだよあいつら、少しくらいそっとしておいてくれたっていいじゃないかよう!
ところで斗羅畏さんは、嫁と言うお話を、否定しませんでしたね?
ひょっとして、私にもまだワンチャン、あるんです!?
「……一つ、聞きたいのだが」
戻る途中、誰を相手にしたものか、翔霏(しょうひ)が質問を投げた。
至極真面目な顔なので、嫁どうこうと言うのはまったく気にも留めていないのだろう。
私ばっかり盛り上がってしまい、みっともない。
「おかしな暗殺者や突骨無が阿片に溺れていると仮定して、だ。その阿片はどこから仕入れている? 阿片のもとになるケシの花は北方に咲く植物ではあるまい」
ごもっともな話です。
赤目部(せきもくぶ)の人たちは、阿片を自分で産出しているわけではない。
もっと南に咲くケシの花を原料に、精製品を輸入しているか、原料を輸入して自分たちで精製しているかのどちらかだ。
商売の話なら、俺に任せろ。
と言わんばかりにキラッと目を輝かせた椿珠(ちんじゅ)さんが、翔霏の答えに詳しいことを教えてくれた。
「ケシの産地は昂国(こうこく)よりさらにもっと南だ。以前は南西の尾州(びしゅう)が窓口になり、原料のケシの蜜液を仕入れて加工していたんだが、今の尾州は自分たちでケシを仕入れることを禁じられている」
「どうして?」
私の質問に、椿珠さんが「ちょっと考えればわかるだろ」というイヤミな含み笑いで答えた。
「それが尾州大乱の財源、資金調達手段になっちまったからだ。先帝は尾州の権益を剥いで、他の州に分割した。もちろん環家(かんけ)も分け前にあずかったがな」
「あー、なるへそ」
そうだと思ってたけれど、やっぱ環さんファミリーも阿片事業には参加していたんですね。
薬にもなるものだという建前があるし、なにより完全に禁輸にしちゃうとかえって裏ルートの非合法でばかり出回っちゃうからね。
やんごとなき方々のまつりごとの話は、私のような小娘に分からない細かい事情でいっぱいなのである。
軽螢(けいけい)が半分ほど理解して半分ほどわからない、という顔で訊いた。
「じゃあ環家の商売独占がなくなった今は、連中がどこから阿片を仕入れてるのかわからないってことか?」
「そういうことになるが、しかし誰だって安いところから買いたいはずだ。昂国の麟州(りんしゅう)か、西方の沸教国(ふっきょうこく)から買ってる可能性が高いだろうな。それ以外の経路だと大きく遠回りになる。遠回りになるってことは、輸送費がかかるってことだ」
椿珠さんの話を聞きながら、私は昂国八州の地図を頭に描く。
首都の河旭(かきょく)から見て、西に行けば環家や素乾家(そかんけ)のある毛州(もうしゅう)。
そこからさらに西北に行くと、西方諸国との玄関口、鱗州である。
鱗州のことは遠いので良く知らないけれど、沸の国へ行く経路上にあるから西方沸教の文化風土が濃い、らしい。
うろ覚えの伝聞なので、自信はない。
以上のことを総合的に判断して、導き出される推論を斗羅畏さんが口にする。
「……西から阿片を仕入れて、北方にばら撒いている窓口が赤目の大伯父貴であっても、それほど驚きはない。昔から俺にはよくわからん、怪しい男だった」
私たちにも、よくわかんねーです。
翔霏が私の傍で顔を寄せて、内緒話を持ちかける。
「麗央那が言うなら、事故に見せかけてあの坊主を始末するが」
ぞわわっ、と全身に鳥肌が立った。
翔霏は、本気だ。
今この状況で、最もわけが分からない星荷さんを最大の危険因子とみなして、排除もやむなしと考えたのだ。
いや、前も冗談で翔霏は同じことを言ったことがあるけれどね。
今回の彼女の声色に、遊びは微塵もない。
どう言おうか、私が答えに躊躇っているとき、翔霏を停めたのは。
最も意外な、予想外の、彼だった。
「メェ~……メェェ~……」
白ヤギが翔霏の服の裾を噛んで、必死に首をフリフリしているのだ。
まるで私の代わりに「北方の民のいざこざに、私たちがおかしな形で介入してはいけない」と、翔霏を説得するかのように。
いや、これは私の心だな。
私自身がそう考えているからこそ、ヤギの行動にその意味を重ねてしまっているだけだ。
私は翔霏の手に自分の掌を重ねて、声を殺して言った。
「私たちは突骨無さんへのご挨拶と、斗羅畏さんの護衛。それだけをしっかりこなそう?」
「わかった。実は麗央那ならそう言うだろうと確信があったんだ」
翔霏なりの不思議な信頼を預けられ、私たちは来客者用の包屋(ほうおく)へと戻った。
もうこれ以上。
翔霏に、どうでもいい殺人を犯してほしくないんだよ、私。
青牙部の亡霊どもから受けた殺業の呪いだって、完全に解けてないのに、無茶しようとしてさ。
「誰も、死んだりしませんように。誰も、殺さずに済みますように」
私は祈ることで自分を元気付け安心させ、ゆっくりとその夜を眠って過ごしたのだった。
「あたしたち夢の中で会うのははじめてじゃないかしら」
ふんわり、心地のいい光と温度の、霧に包まれた空間。
私と同じ顔の女の子が、私を見つめて、言った。
「あ、翠(すい)さまでしたか。ってなんで私に変身してるんです? 鏡を見てたのかなと勘違いしちゃいましたよ」
「ただの気分よ。良いじゃないの別にあたしがなにをどうしようと。文句でもあるの?」
「とんでもございません」
私は夢の中で、私に化けた翠さまに会ったのだ。
不安、不審、不穏なことに包まれているこの状況で、夢に翠さまが出て来てくれるというのは縁起が良いと言うか、瑞兆かもしれない。
実際に私のメンタルがモリモリと回復快調へ向かっているのを、強く実感することができている。
私の夢は私自身の心と頭脳をメンテする役目があるので、翠さまの夢を見て気分一新、ってのは非常に効果が高く、理に適っていると言える。
「しっかり務めてここまで来たのね。よくやったわ」
多少の行ったり来たりはあったけれど、翠さまの親書を携えながら各地の有力者たちと挨拶を重ね、無事に白髪部の大都に到着した。
もっと褒めて~、頭とかナデナデして~、とニヤニヤしながら、私は翠さまの前に恭しくかしずく。
「明日が本当の勝負。もうひと踏ん張りよ」
下げられた私の頭を乱暴にわしゃわしゃ撫でながら、翠さまが言った。
突骨無さんとの交渉を、油断なく堂々と務めあげろとおっしゃっているのだな。
「はい、頑張ります。と言っても細かい話は椿珠さんに任せちゃってますけど」
「あんたにはあんたにしかできないことがあるわ。だからあんたを北方に遣わしたのよ」
さすが翠さまです、私たちには見えていない局面もすっかりお見通しなんですね。
明日、私になにが待っているのか、それは分からないけれど。
私を信じて送り出した、その翠さまを信じよう。
きっと、いや絶対に、成せば成るはずなのだ。
翠さまが私にやれと命じたことで、間違いなど今まで一度も、なかったのだから。
むぎゅ、と私の頭を腕と胸に包んで抱えた翠さまが、優しく言う。
「なにがあってもあたしとあんたは一緒だから。あたしがついてるから最後まで頑張るのよ」
「はい、央那(おうな)はそこまで思っていただき、八州一の幸せものです」
心地良い涙が流れ、夢が覚めていく予兆を感じた。
私も翠さまもゆるゆると、光の中に溶けて行く。
いつまでも私の頭を抱く翠さまの、温かい感触だけが残り。
「神さま。央那が死んだりしませんように。央那が傷ついたりしませんように。央那が悲しみに濡れませんように。小さき婢(はしため)が伏して伏して願い奉ります」
祈る翠さまの言葉だけが、何度も何度もリフレインしていた。
「……大丈夫、だよな?」
「メエェ?」
目覚めると、視界を軽螢とヤギの顔が埋めていた。
やだ、私ったら殿方の前でまた寝言ぶっこいちまったのかしら、恥ずかしいわ。
「泣いてるからなにごとかと思ったが、ずいぶんいい夢を見てたらしいな」
「椿珠さん、いちいち言わなくていいんですよ」
いくら包屋の中で雑魚寝してるからって、乙女の寝顔をまじまじと見るなや。
落書きとかされてねえだろうな、ったくよ。
汲んだ井戸水でざっくり顔とかを洗わせてもらい、最低限のお化粧を整え直した私。
「もうすぐ、あの坊さんが念言を詠むらしいぜ」
軽螢が葬送の式次第を他のオジサマたちから聞いたようだ。
私たちはお互いに身だしなみのチェックを行い、阿突羅さんが眠る祭壇前の広場に足を運ぶ。
ご遺体の真横に喪主の突骨無さんが、真ん前に僧侶の星荷さんが立っている。
まるでどんど焼きかキャンプファイヤーのように、木々が組まれた櫓(やぐら)から炎が轟々と燃え盛っている。
私たちがいる場所は風下だから、結構まともに煙を浴びる。
「前は火も煙も苦手だったんだけどね。なんかいつの間にか平気になったなあ」
私がぽつりと放った言葉に、椿珠さんが驚いて目を剥いた。
「いや、どう考えてもお前さん、火付けとか煙幕が大好きだろう」
「周りからはそう見られるんだ」
苦笑せざるを得ない。
不思議と鼻につく変な香りの煙が立ち上る中。
座礼と立礼を繰り返して、星荷さんが唱え始めた。
「北方の雄、一世の快傑たる阿突羅の魂を、これより虚空に送らんとす。人は死して土に還り、土はまた新たな命を育む。されども魂はこの永劫の輪から脱け出し、真なる虚空へ旅するに至る。むべなるかな、むべなるかな、むべなるかな……」
沸の教え。
万物は循環し、形を変えて常に在り続ける。
しかし人の魂は、元々ないのだから、元々存在しない無の世界、概念領域たる虚空へと帰るのみ。
世界をぐるぐる巡るものと、旅立ったきり巡らないもの。
ふわりと風が吹き、流された焚火の煙が人々の居並ぶ中でつむじを巻く。
星荷さんの念言は続く。
「勇者の魂は虚空へ帰る。然れども天地に残るものあり、それは勇者の想いである。敵を倒せ。裏切り者を許すな。貧しきもののために、富めるものから奪い取れ。大地果てるところまで駆け抜け、見渡す限りに勇名を知らしめよ。阻むものは、ことごとく打ち倒すのみ! 屍を超えた先にこそ栄えありと!!」
おい、あの坊さん、なにかおかしいこと言ってるぞ?
どう考えても死者を安らかに送る言葉じゃねえだろこれ!!
「こ、この臭い……?」
椿珠さんが頭を下げて、自分の口を布巾で覆った。
身振り手振りで、私と軽螢にも同じようにしろと促す。
少し離れたところにいる翔霏が、大声で叫んだ。
「阿片を焚いてる! この煙を吸うな!!」
しかしその忠言に耳を貸すものは少なく。
「う、うううううう……」
「な、なんだ、頭が……!?」
弔問客たちのあちこちから響く、唸り声と呻き声。
「敵を……敵を殺せ!」
「裏切り者を生かすな!」
「天下果てるところまで、俺たちが駆け抜け、蹂躙するんだ!!」
怒号と狂った叫び声が、一斉に周囲を包む。
「テメエ、どのツラ下げて俺の前に来やがった!!」
「そっちこそよく恥ずかしげもなく、親方さまの霊前に!!」
あちこちでなじり合いと殴り合いが始まった。
整然と平穏を保っていた葬送の場。
そこが一瞬にして、大勢の憤怒と狂気が渦巻く地獄絵図と化したのだった。
「あンの、クソ坊主!!」
私は、荷物袋から一撃必殺の毒串を取り出す。
混乱と無秩序が支配したこの場を笑って眺め、そして足早に去ろうとしている星荷僧人。
おそらくは、毒の煙と呪言によって、聴衆に悪意の集団催眠を仕掛けた腐れ沸教野郎を。
「殺してやる! ぶっ殺してやるぞ星荷ーーーーーーーーーーーーーーッ!!」
喉も裂けよとばかりに叫んで、私は追いかけ、走り出すのだった。
私の心も、毒煙に侵されているのかもしれない。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
拾われ子のスイ
蒼居 夜燈
ファンタジー
【第18回ファンタジー小説大賞 奨励賞】
記憶にあるのは、自分を見下ろす紅い眼の男と、母親の「出ていきなさい」という怒声。
幼いスイは故郷から遠く離れた西大陸の果てに、ドラゴンと共に墜落した。
老夫婦に拾われたスイは墜落から七年後、二人の逝去をきっかけに養祖父と同じハンターとして生きていく為に旅に出る。
――紅い眼の男は誰なのか、母は自分を本当に捨てたのか。
スイは、故郷を探す事を決める。真実を知る為に。
出会いと別れを繰り返し、命懸けの戦いを繰り返し、喜びと悲しみを繰り返す。
清濁が混在する世界に、スイは何を見て何を思い、何を選ぶのか。
これは、ひとりの少女が世界と己を知りながら成長していく物語。
※週2回(木・日)更新。
※誤字脱字報告に関しては感想とは異なる為、修正が済み次第削除致します。ご容赦ください。
※カクヨム様にて先行公開(登場人物紹介はアルファポリス様でのみ掲載)
※表紙画像、その他キャラクターのイメージ画像はAIイラストアプリで作成したものです。再現不足で色彩の一部が作中描写とは異なります。
※この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。
『異世界庭付き一戸建て』を相続した仲良し兄妹は今までの不幸にサヨナラしてスローライフを満喫できる、はず?
釈 余白(しやく)
ファンタジー
毒親の父が不慮の事故で死亡したことで最後の肉親を失い、残された高校生の小村雷人(こむら らいと)と小学生の真琴(まこと)の兄妹が聞かされたのは、父が家を担保に金を借りていたという絶望の事実だった。慣れ親しんだ自宅から早々の退去が必要となった二人は家の中で金目の物を探す。
その結果見つかったのは、僅かな現金に空の預金通帳といくつかの宝飾品、そして家の権利書と見知らぬ文字で書かれた書類くらいだった。謎の書類には祖父のサインが記されていたが内容は読めず、頼みの綱は挟まれていた弁護士の名刺だけだ。
最後の希望とも言える名刺の電話番号へ連絡した二人は、やってきた弁護士から契約書の内容を聞かされ唖然とする。それは祖父が遺産として残した『異世界トラス』にある土地と建物を孫へ渡すというものだった。もちろん現地へ行かなければ遺産は受け取れないが。兄妹には他に頼れるものがなく、思い切って異世界へと赴き新生活をスタートさせるのだった。
連載時、HOT 1位ありがとうございました!
その他、多数投稿しています。
こちらもよろしくお願いします!
https://www.alphapolis.co.jp/author/detail/398438394
【魔女ローゼマリー伝説】~5歳で存在を忘れられた元王女の私だけど、自称美少女天才魔女として世界を救うために冒険したいと思います!~
ハムえっぐ
ファンタジー
かつて魔族が降臨し、7人の英雄によって平和がもたらされた大陸。その一国、ベルガー王国で物語は始まる。
王国の第一王女ローゼマリーは、5歳の誕生日の夜、幸せな時間のさなかに王宮を襲撃され、目の前で両親である国王夫妻を「漆黒の剣を持つ謎の黒髪の女」に殺害される。母が最後の力で放った転移魔法と「魔女ディルを頼れ」という遺言によりローゼマリーは辛くも死地を脱した。
15歳になったローゼは師ディルと別れ、両親の仇である黒髪の女を探し出すため、そして悪政により荒廃しつつある祖国の現状を確かめるため旅立つ。
国境の街ビオレールで冒険者として活動を始めたローゼは、運命的な出会いを果たす。因縁の仇と同じ黒髪と漆黒の剣を持つ少年傭兵リョウ。自由奔放で可愛いが、何か秘密を抱えていそうなエルフの美少女ベレニス。クセの強い仲間たちと共にローゼの新たな人生が動き出す。
これは王女の身分を失った最強天才魔女ローゼが、復讐の誓いを胸に仲間たちとの絆を育みながら、王国の闇や自らの運命に立ち向かう物語。友情、復讐、恋愛、魔法、剣戟、謀略が織りなす、ダークファンタジー英雄譚が、今、幕を開ける。
幼女はリペア(修復魔法)で無双……しない
しろこねこ
ファンタジー
田舎の小さな村・セデル村に生まれた貧乏貴族のリナ5歳はある日魔法にめざめる。それは貧乏村にとって最強の魔法、リペア、修復の魔法だった。ちょっと説明がつかないでたらめチートな魔法でリナは覇王を目指……さない。だって平凡が1番だもん。騙され上手な父ヘンリーと脳筋な兄カイル、スーパー執事のゴフじいさんと乙女なおかんマール婆さんとの平和で凹凸な日々の話。
人質5歳の生存戦略! ―悪役王子はなんとか死ぬ気で生き延びたい!冤罪処刑はほんとムリぃ!―
ほしみ
ファンタジー
「え! ぼく、死ぬの!?」
前世、15歳で人生を終えたぼく。
目が覚めたら異世界の、5歳の王子様!
けど、人質として大国に送られた危ない身分。
そして、夢で思い出してしまった最悪な事実。
「ぼく、このお話知ってる!!」
生まれ変わった先は、小説の中の悪役王子様!?
このままだと、10年後に無実の罪であっさり処刑されちゃう!!
「むりむりむりむり、ぜったいにムリ!!」
生き延びるには、なんとか好感度を稼ぐしかない。
とにかく周りに気を使いまくって!
王子様たちは全力尊重!
侍女さんたちには迷惑かけない!
ひたすら頑張れ、ぼく!
――猶予は後10年。
原作のお話は知ってる――でも、5歳の頭と体じゃうまくいかない!
お菓子に惑わされて、勘違いで空回りして、毎回ドタバタのアタフタのアワアワ。
それでも、ぼくは諦めない。
だって、絶対の絶対に死にたくないからっ!
原作とはちょっと違う王子様たち、なんかびっくりな王様。
健気に奮闘する(ポンコツ)王子と、見守る人たち。
どうにか生き延びたい5才の、ほのぼのコミカル可愛いふわふわ物語。
(全年齢/ほのぼの/男性キャラ中心/嫌なキャラなし/1エピソード完結型/ほぼ毎日更新中)
家ごと異世界転移〜異世界来ちゃったけど快適に暮らします〜
奥野細道
ファンタジー
都内の2LDKマンションで暮らす30代独身の会社員、田中健太はある夜突然家ごと広大な森と異世界の空が広がるファンタジー世界へと転移してしまう。
パニックに陥りながらも、彼は自身の平凡なマンションが異世界においてとんでもないチート能力を発揮することを発見する。冷蔵庫は地球上のあらゆる食材を無限に生成し、最高の鮮度を保つ「無限の食料庫」となり、リビングのテレビは異世界の情報をリアルタイムで受信・翻訳する「異世界情報端末」として機能。さらに、お風呂の湯はどんな傷も癒す「万能治癒の湯」となり、ベランダは瞬時に植物を成長させる「魔力活性化菜園」に。
健太はこれらの能力を駆使して、食料や情報を確保し、異世界の人たちを助けながら安全な拠点を築いていく。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる