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63.  オブリオ島へ 2

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「――ところで、なんでオブリオ島に行くんですか?」

 乗り込んだ船の中で、テイトはようやく落ち着いてシンに質問をした。
 昨日から気になっていたことだが、連続して起こる出来事に訊くタイミングを完全に見失っていたのだ。

「言ってなかったか? 強い魔道士を仲間にしたい」
「それは、なんとなく分かったんですけど」

 テイトに魔道士の情報を確認した時点で、シンの目的が魔道士にあることは理解していた。
 問題は、何故必要であるかだ。

「俺の魔法だけじゃ高が知れてるから、相手に必ず打ち勝つための戦力を確保したい」

 簡単に侵入を許したことが悔しかったのか、シンは表情を歪めながら答えた。

「……情報を渡しといてアレなんですけど、強いかどうかまでは分からないですよ」
「その時は別の魔道士を頼るまでだ」
「僕にはもう当てがありません」
「……最悪アニールか。いや、ちょっと弱いな」

 シンは何かを考えるように目を伏せた。
 彼にしては珍しく焦っている様子であった。

 アニールの魔法も、テイトからしたら凄いものだと思うのだが、それすらも弱いと語るシンのお眼鏡にかなう魔道士が果たして本当に実在するのか。
 正直絶望的だと思った。
 しかし、だからといって選り好みするような余裕がないのもまた事実。
 レンリを助けるための時間的猶予がどれだけ残されているのか分からない以上、焦ってしまうのはテイトも同じだった。

 周囲に目を向けると、ルゴーは勿論のことリゲルまでもが暗い顔をしており、船内は重たい静寂に包まれていた。
 その中でもナナの落ち込みようは特に酷いものであった。
 レンリを目の前で攫われてしまったこと、そしてルゥのことも相当堪えているようである。

 テイトも無論同じ気持ちを抱いてはいるが、悲観に暮れるのは後にしなければいけないことも分かっていた。
 頭の中にいるどこか冷静な自分が、今の自分をどうにか突き動かしてくれていた。

 そう言えば時間がなかったがためにナナにはルゥのことを事務的に伝えるのみになってしまったな、とナナを探すように周囲を見回したが、目に見える範囲に彼女の姿は見つけられなかった。
 不安を覚えて船上をくまなく探すと、展望スペースでぽつんと佇むナナの姿を見つけ、テイトは安堵の息を吐いた。

「ナナ、中に入らないの?」
「……テイト様」

 ナナは一度こちらを振り返り無表情のまま呟いたかと思うと、すぐに景色の方へと視線を戻してしまった。
 テイトはゆっくりと移動してナナの横に寄り添った。

「ルゥのこと、ごめんね」
「っ何故、テイト様が謝るんですの?」
「ナナが正しかった。ルゥは何も悪くなかった」
「……シン様から聞きましたわ、ルゥは操られて魔法を施したがためにその解き方が分からず、そのために自ら死を選んだのだと。それはルゥの選択であって、テイト様にはどうしようもできなかったのでしょう。大丈夫、理解していますわ」

 ナナは唇を噛みながら俯いてしまった。

「……レンリさんも、きっと大丈夫だから」

 ナナを慰めるつもりで、しかし自分にも言い聞かせるようにしてテイトは大丈夫と繰り返した。

 人の命を簡単に奪う《アノニマス》の本拠地にいて、レンリが無事でいられるかは正直テイトには分からない。
 しかし、シンの言ったように、わざわざ攫う選択をしたということは、すぐには殺すつもりがないということだ。
 それだけが、唯一の希望だった。

「でも、研究所は酷いところでしたわ。幼かったのでもうはっきりとは覚えていませんが、それでも、嫌なところだったことは確かですの」

 ナナは青ざめた表情で、まるで自分を守るかのように両手で震える身体を抱き締めていた。

 研究所がどんなことをしていたのか、シンもナナも多くを語ることはなかった。
 ただ、ナナがレンリを同じ目に遭わせたくないと思っていることだけは確かで、そんな彼女の気持ちを考えると、テイトはそれ以上何も言えなくなってしまった。

「……あたし、最初はちょっと打算でレンリ様と仲良くしていましたの」
「え?」
「勘違いはしないでくださる! すぐに本当にレンリ様のことが好きになって、今では姉のように慕っているのですわ」

 思いがけない言葉に唖然とするテイトに気付いたのか、ナナは早口で捲し立てた。

「シン様から、レンリ様があたしと同じ存在かも知れないと言われて、それで最初は仲良くしようと思ったのですわ。刺青もありましたし、同じ痛みを知っているのならば分かり合えると思ったから」

 ナナは川の流れに視線を落としたまま口を開いた。

「だけど、レンリ様が研究所とはなんの関係もないかも知れないと言われた時、心から良かったと思ったのですわ。レンリ様が辛い目に遭っていないのなら、それを喜ばない理由はありませんわ」
「ナナ……」
「だからこそ、レンリ様を研究所の手の者に渡してはいけなかったのに」

 ナナは悔しそうに奥歯を噛み締めた。
 あの時その場にいた所為か、彼女は人一倍責任を感じているようであった。

「それこそ、ナナは悪くないよ。シンさんも言ってたでしょ? これは、相手の考えに気付けなかった僕たちの責だ」

 違和感はあった。
 けれど、気付けなかった。
 いや、気付いたところで結局はどうしようも出来無かった可能性だってある。
 サラファを守るための人手が足りないのは事実であったし、圧倒的な魔法力を前に、自分たちはあの場で退路を確保するのが精一杯だった。
 レンリがあの場にいて、自分たちが彼女を守りきれたとも考えにくい。
 シンが傍にいれば、或いは、というところだろうか。

「後悔は後でもできる。今は、レンリさんを助けることを一番に考えよう」
「……そうですわね」

 ナナは暗い顔のまま頷いた。

 港町マーレに到着するには、もう少し時間がかかりそうであった。


 マーレは潮の香るとても栄えた街であった。
 それもそのはず、ここはマーレ侯爵の直轄領なのだ。
 侯爵の私兵が数多く歩き回る街の中では《アノニマス》の脅威はおろか、犯罪の心配すらなさそうであった。

 カラフルな建物がひしめき合うように並び立ち、青い海とのコントラストが美しいその町並みは、本来ならば歩くだけでもワクワクするような場所であったことは間違いない。
 しかし、今の自分たちにそれを楽しむ余裕はなかった。

 テイト達は脇目も振らずに一直線に港に向かい、オブリオ島への連絡船を探した。
 オブリオ島は島民の少ない小さな島であるため、連絡船はなんと一日に一回の往復しかしないらしく、無情にも今日の運行は終了したのだと告げられてしまった。

 海に目を向ければ、その視界に既にオブリオ島は見えている。
 海を隔てたために近くて遠いその島を憎く思いながら、だからといって為す術もなく、もどかしい心地でマーレに一泊することを決めたのであった。
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