花の香りのその人は〜怪異調査対策室清掃係業務レポート〜

ニノハラ リョウ

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第一章 シシャの行進

シシャの行進 その1

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「……できれば病院の天井がよかった……」

 ふと目を開けた先にあった天井が、病院のものではなく、自分の自宅でもない、何処かの誰かの部屋であろうと気付いてしまった時の、この何とも言えない気まずさよ。

 そして、カチャリと開いた扉から顔を出した人物を見て、更に気まずさが募る。

「お? 目、覚めたか?」

 この距離でもふわりと香る花の匂いは心地いいが、それを発している人物が問題だ。

 さっき暗がりでわたしを壁ドンし、これまた人間離れした形で幼女を呼び出し、その幼女が突如現れた恐ろしい異形を大鎌で切り裂くと言う、わたしの常識を揺るがす展開を招いたこの男。名前はまだ知らない。

「ご迷惑をお掛けしました。このお礼は後日に。
 それでは失礼いたします」

 深入りはヤバいという心の声に従って、寝ていたベッドから、むしろこの部屋から早急に消えようと、そそくさと立ち上がる。

 も、いつの間にか近づいてきた男の手がわたしの肩に添えられた事によって、呆気なく逃亡は失敗した。……ちくせう。

「まぁまぁ、そんな慌てなくても。君、急に意識を失ったからさぁ。心配で俺の部屋に連れ込んじゃった」

 テヘペロ顔が似合うイケメンを無の表情で眺める。

「それはそれは、助けていただきありがとうございますこのお礼は後日にそれでは失礼いたします」

「だからさぁ、そんな慌てんなって。
 とりあえず、名前と? その可愛らしいお鼻が感じてる能力について話してもらおうか?」

 両手をぐっと握られて、ご丁寧に足払いまで掛けられて、わたしの身体はベッドへ逆戻りする。
 壁ドンの次はベッドドンかぁ。……あまり萌えないのは、相手が現実味のないイケメンだからか?
 それとも今この全てに現実味がないからだろうか?

「なぁ、聞いてんの? 名前と、年齢、能力について、とっとと吐けよ」

「さっきより増えてません? そして何故わたしが名乗らにゃならんのです。
 ご迷惑をおかけしたのは重々承知してますが、こちらが気絶して意識がないのを良い事に、自分の部屋に連れ込んで押し倒すとか、事案待ったなしですよ?」

 イケメン無罪は作り話の中だけですよ?

 じとりと睨んでみても、相手のどこか飄々とした空気は崩せない。
 しかも何故かドンドン顔を近づけてくるし……。

 お互いの鼻先が触れて、相手の吐息がわたしの唇を擽って……。

「うわぁっ?!」

 焦ったような悲鳴と共に男の身体がわたしから離れていく。
 
 ちっ、外したか。
 男の急所を狙って振り上げた膝を元に戻しつつ、渾身の腹筋で上体を起こす。

「イケメンだからって何しても許されると思うなよ?」

 次は潰すと睨みつけると、暫く呆然としてた男の肩が小刻みに震え始めた。
 なんだ? 急所を狙われたショックでおかしくなったのか?

「ふはっ! イケメンイケメンてさっきから……その割に扱いひでぇし……おもしれー女」

 ヤバい。現実リアルで『おもしれー女』が聞けるとは思わなかった。イケメンこっわぁ……。

「葵? いつまで遊んでおるのじゃ? 女子おなごが目覚めたんじゃろ?
 はよう、事情を説明して、あのお方達のところに連れて行かんと……どやされるのは葵ぞ?」

 恐怖とは別の意味で慄いてると、別の部屋へと続いているであろうドアがひとりでに開き、ふわりふわりと漂う花の香りと共に、聞き覚えのある幼女特有の高い声が聞こえてきた。
 ……但し姿は見えない。

 ふわりふわりと心地よい香りが近付いてくる。

「いやぁ、俺もね? おねーさんのお名前とか、その興味深い能力について聞こうと思ったのよ?
 そしたらさぁ、容赦なく金的されてさぁ。俺、傷ついちゃうなぁ」

 傷心など全くしてなさそうな雰囲気で宣わる男をじろりと睨みつける。

「ほう。不審者に狙われて金的を出せるとは、なかなか度胸が据わっておるのう。よきよき」

「ちっとも良くないですが?」

 姿は見えないが、強い芳香のする方に向けて、できるかぎり憮然とした顔をして、ついでに腕を組んで仁王立ちして、全身で怒ってるを表現してみる。

「あの変なバケモノから助けていただいて? ついでに気絶したところを助けていただいて? 大変ありがたく思っておりますが……。
 それとこれとは話が別というか? 顔が良いからって誰でもホイホイ言うこと聞くと思うなよ? みたいな?」

「……なんじゃ。なんだかんだと葵の顔は好みなんじゃな」

「……コメントは控えさせていただきます。
 では、助けていただきありがとうございました。
 お礼は後日……」

 三度目の正直と思いつつ、彼(推定)の横を擦り抜けて、さっきひとりでに開いた(まぁ十中八九あの幼女の仕業だろうけど)玄関に続いてそうなドアへと向かう。
 チラッと見た感じ、こう言うマンションの造りだと、リビングを抜けた先が玄関と見た。
 つまりこのドアの向こうがリビングで、更にその先に玄関に続く廊下が!!

「って、ひろっ!!」

 確かにドアを開けるとそこはリビングだった。
 外に面してるであろう部分が全面ガラス張りで、朝のさわやかな光がさんさんと降り注いでいた。
 ……これ、季節が季節なら暑くてかなわんのでは? といらぬお節介を考えつつ、広すぎるリビングを見渡す。
 目の前には黒い革張りのソファーが。しかもカウチもついてるL字型の奴だ。
 もうこれが置いてあると言うだけで部屋の広さが分かるってものだ。
 ……とりあえずしがないカフェ店員が住めるワンルームに置けるサイズではないのは確かだ。

 ソファーの向こうにはお洒落なシェルフが置かれ、真ん中に大画面のテレビが収められている。
 ……あのテレビいくらするんだろ……?

 窓から臨む景色は遮るものもなく広々としていて、この部屋が周囲の建物よりはるかに高い位置にある事を明らかにしていた。
 あぁ……空が青いわぁ……。

 高所恐怖症の身としてはあまり見ていたい光景ではないので、部屋の反対側に視線を転じる。
 そちらは立派なカウンターキッチンがあった。
 カウンターに合わせたスツールが何個か置かれていて、そこだけ見ると小洒落たカフェみたいだ。
 そちらからは馥郁としたコーヒーの匂いが漂ってくる。

 そしてカウンターキッチンの横から延びる奥へと続く廊下。
 間違いない。アレは希望への道。わたしが求める出口へと続いてるに間違いない!

「捕まえたー」

 栄光へ続く道へと一歩を踏み出した瞬間、耳元を擽る吐息と共に、背後から包み込まれるように抱きしめられた。

「いやぁ!! はなせぇ!! 帰るっ! わたしお家に帰るー!!」

 ジタバタとしてみても、そんな強い力で拘束されてる訳じゃないのに何故か抜け出せない。
 まぁまぁとか気の抜けた言葉を返されても、その緩い拘束は緩まない。矛盾している様だけど、まさにそんな感じなのだ。

「まぁまぁ。そう慌てるでない。とっておきの珈琲を用意したゆえ飲んでいくがいいぞ?」

 ふわんと私の頭上を越えて現れたのは……いつぞや見た幼女だった。
 相変わらず幼女と巫女装束という、刺さる人には刺さる格好で目の前をふわんふわんと浮遊している。

「お、おかまいなくぅ……」

「ほぉ。先ほどと異なり視線が合うという事は……やはり葵が触れると霊的な視認が上がるらしいのう。
 ほんにほんによい拾い物をしたのう。視る力が弱い葵には絶好の相手じゃろうて」

「あの……本当におかまいなくぅ……」

 幼女の言葉に明らかに面倒ごとの気配を感じて、何とか振り切ろうと身を捩る。

「まぁまぁ、そう言うなって。すすぎの淹れたコーヒーは美味いぞ?
 おねーさんもあのカフェで働いてるくらいだからコーヒー好きでしょ?」

 いえあのカフェで働いてる理由は、コーヒーの匂いであの不快な臭いをリセットさせてるだけですから!

 そんな言い訳は若干強引な二人の耳には届かず、気づけばキッチンカウンターのスツールに男と並んで座っていた。
 ……幼女? 座らずに浮遊してますが何か?




「改めて、俺は宮ノ下みやのしたあおい。一応国の機関に所属しているから、公務員みたいなもんだな」

「あー! あー! ききたくなーい! きこえなーい!!」

「陰陽寮って知ってるか? 奈良時代に設立され、明治時代に廃されるまであった国の機関で、元々は天文学とか暦の制定とかやってたんだが、それとは別に人々に害を及ぼすと言われる怪異とかそういったものを排除する役割を持っていたんだよ。
 で、近代化の波にさらわれて、明治時代には表向き廃止になったが……。
 それで怪異が消える訳じゃねぇし、人の中に根付いた信仰に近いモノが消えたわけじゃないからな。
 裏で内閣府直轄として生き残ってた訳なんだよ。
 で、俺はそこの『怪異調査対策室』のメンバーってワケ」

「あーあーあーあー!! しらないー! きこえなーい! ききたくないー!!」

 耳を塞いで抵抗を試みても、そっとその手を葵と名乗った男に外された。
 その顔には心底愉快だと思っているのがありありとわかるニヤニヤ笑いが浮かんでいた。
 ……ひっぱたいていいかな?

「まぁまぁそう言うなって。
 まぁ、そんな訳で、俺も巷でいう陰陽師ってやつの端くれな訳なんだが……どうにも視る力が弱くてなぁ」

「持ち得る霊力も、それを行使する才もあるのに、ほんに視るのだけは不得手よのぅ。葵は……」

 ふよふよと浮かんだ幼女が腕を組んで唸っている光景はなかなかシュールだ。

「そ、それは大変な事ではございますが、ワタクシが何かのお役に立てるとは到底思えませんので、これにて失礼いたします」

 ぐびっと一息にカップを干して、ぱっと立ち上がる……のを男の手によって阻まれて、スツールに逆戻りだ。
 何せ、リビングに移ってからずっと男の手はわたしのどこかしらに触れている。
 ……と言うと卑猥な言い方だが、実際は手を繋いだり肩を抱かれたり……ん? ほぼ初対面のクセに距離感えぐいな?

 そのせいで、ふよふよ浮遊する人外幼女が嫌でも視界に入る。

「まぁまぁ、そう言わずに……。
 だって……君今見えてるでしょ? 俺の式の姿が……」

 男がちらりと私から視線を外す。
 その視線に促されるように、顔を向けた先には……。

「ぶふぅ!」

 変顔をキめた幼女がいた。

「ほらー。やっぱ雪が見えてるー」

 もう言い逃れ出来ないね? と楽し気に嘯く男の手を振りほどく。
 その瞬間、幼女の姿はぱっと見えなくなった。

「なななななななななんのことですか?」

 するりするりと触手のように伸ばされる男の手を躱しつつ、精いっぱいの抵抗を試みる。

「……往生際悪いって……言われない?」

 にんまりと笑んだ男の言葉に、ぞくりと背中に冷たいものが走った。
 と、同時にパチンと男が指を鳴らす。

 部屋全体を覆っていた薄い膜のようなモノが音もなくコワれた気配がしたその瞬間。

「……っ?!」

 ぶわりと鼻をつく死の香り。
 それは鼻腔の奥を刺激し、じわりと涙が滲む。

 確かにおかしかったのだ。

 目が覚めてもこの不快な臭いが全くしなかったこと自体が。
 本来、死はすぐ隣にあるもので。
 強弱はあるとは言え、どこにいても誰といても感じるこの臭いが。

 先程まで一片も感じなかったことが異常だったのだ。

 重苦しい臭いにくらりと目が回る。
 そんなわたしを支える二本の腕と、心配そうにこちらを覗き込む幼女の顔が……。

 じわりと涙に歪む。

「かはっ!」

 いつも感じていたはずの臭いなのにダメージが大きい。
 人というものは不快なものがないという事実には意図もたやすく慣れるらしい。

「おっと……」

 パチンと再び指を鳴らす音がして、ふわりと部屋中が見えないナニカに包まれた。
 その瞬間、正常な空気が戻ってきた。いや、わたしにとっては何の臭いもしないこの空気が異常ともいえる。

「はっ……」

 大きく息を吐いて、男を睨みつける。

「ははっ! 随分反抗的だな。 この空間を保ってるのは俺が不浄を立ち入らせない結界を張ってるからだけど?
 感謝されこそすれ、そんな恨みがましい目で見られる覚えはないんだが?」

「……あの臭いがする事がわたしにとって正常なので、この状況は異常でしかないです。
 ……だいたい、この状況を正常だと、清浄だと気づいてしまえば、わたしの日常は全て異常に、非常になってしまう」

 どう責任を取るおつもりで?

 そう言って下からねめつけてみても、男の飄々とした表情は崩せない。

「おぉ! なら責任をとりましょう? お前が俺の目になってくれるなら、俺はお前を死の穢れから、怪異から、守ってやろう」

 傲慢に、尊大に、そう告げる男に……。

 にんまりと笑みを返す。

 私のそんな反応にした男も大きく口角を上げる。

「……ごめんこうむります」

 トンッ。

 男の手を振り払い、身を翻す。

 玄関へと続く廊下に置かれていたカバンも隙なく拾い上げ、外へと飛び出した。

 途端ぶわりとわたしに迫る死の臭い。
 
 だけど……。

 わたしは振り返ることなくその場を後にした。




「……逃げられたのぅ」

「……な。……なんだかフラれた気分だ」

「で? どうする?」

「もちろん……みすみす手放すワケないんだなぁ」

「……こわやこわや」

 そんな会話をしていた事など、高級そうなタワマンの高速エレベーターに挙動不審になりながら、必死に逃げていたわたしには、知る由もなかった。
 

 

 
 
 
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