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第七章 魔法王国の動乱
徴兵
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──アーカムが泣き声の荒野にたどり着く3カ月前
エヴァリーンはアルドレア屋敷にいた。
リビングはすっかり埃被り、床には塵がつもっている。
空気はどこか淀んでいて、壁に空いた大きな穴はいまだ木の板が打ち付けられるばかりで、修復されていない。
ただひとり寂しくリビングの机に腰かけ、一枚の絵を手に眺めていた。
それはかつてクルクマに立ち寄った絵描きに頼んで描いてもらった家族の肖像である。腕のよいもので、その絵には今も鮮やかな過去が宿っているように思えた。
エヴァリーンは懐中時計を取り出し、時間を確認する。
そろそろ出立だと、まとめた荷物を背負い、剣を下げ、屋敷をでた。
アルドレア屋敷の前にはクルクマの村から集められた男たちが集っていた。若い男も、初老の者もいる。その数は70人ばかり。クルクマはちいさなコミュニティなので、そのすべての者たちとエヴァリーンは深い面識がある。
「エヴァリーン様、準備はできておりますぞ」
村男代表の中年がエヴァリーンにつげた。
朝焼けた肌色の畑仕事の男という風貌だ。
彼の名はテドリム・クーレンという。
引退して久しいが、それでも元A級冒険者である。
かつては第一線で活躍した優れた剣術家であることは疑いようもない。
エヴァリーンはテドリムに「ありがとうね」と親しげに礼をつげ、集まった70人の男らの顔を右から左へ睥睨し、申し訳なさそうに眉尻を下げる。
そこにいる誰も命を捨てる覚悟などできていなかった。
否、訳もわからない戦争に動員され、覚悟をしろと言う方が無理である。
エヴァリーンは謝りたかった。
畑仕事が好きな彼らを、戦地へ連れて行かなければいけない己の無力を謝罪したかった。
だが、エヴァリーンは謝りはしない。
彼らには戦場へ行ってもらわなくてはいけない。
クルクマはキンドロ領地の村だ。
その村の男たちが命惜しさに村に引きこもるとあっては、ほかの領地から派兵された民兵、そのほか多くの者らに示しがつかない。
エヴァリーンは騎士貴族だ。剣を持ち敵と戦わなければならない。
多くの民兵を率いて、指揮をとらなければいけない。
そのための教育を子供の頃から、キンドロ卿のもとで施されてきた。
剣の師テニール・レザージャックにも何度も言われたことだ。
『恐れも、謝意も、すべて飲み込みなさい。より大事なのは大局なのだから』
自分が戦場へ行く分には構わない。
もちろん、それでも抵抗はある。
だが、村人たちを強制連行するよりはずっとましだ。
そのことの抵抗感を、声を大にして謝ることはできる。
謝って気持ちよくなって、その場だけ良い人の顔をして、皆を帰してやることはできる。だが、それでは大局を乱してしまう。
だから、エヴァリーンはクルクマの村人たちにとって良い人であり続けることは出来ないのだ。たとえ悪い人と罵られ「どうしてこんな酷い事ができるんですか?」と泣きながら言われたところで、謝りたくなる気持ちを押し殺して、傲慢に「命令だ。逆らえば打ち首だ」と脅すほかないのだ。
だから、エヴァリーンは謝らず、感謝を述べることにした。
それが彼女の最善だった。
「みんな集まってくれてありがとう。一応、武器になりそうなものは持ってきてくれたのね」
畑を耕す道具に、鎌などを村人たちは持ってきていた。
もしかしたら武器の供給が間に合わないかもしれないとの連絡を受けていたので、素手で戦場に赴かせるよりは、何か持たせるべきという程度の心掛けではある。
ただ、それでさえ、村人にとって鉄器は貴重な財産なので、残された家族にはおおきな負担をかけることになるのだが。
エヴァリーンは王族軍の集結地であるドレディヌスの町への日程を改めて皆へ説明した。
村人たちを五人ずつの伍と呼ばれる班に分け、それがこれからの訓練期間と、戦場における意思決定の最小単位であることを告げた。
「逃亡すれば伍の仲間全員が処罰を受けることになるわ。伍単位で逃亡すれば、残されたクルクマの全員が処罰を受けることになる。ここから先、あなたたちに許可なく軍の指揮を離れることは許されないわ」
エヴァリーンは威圧的に力を込めていった。
「アルドレア様、安心してくだせえ、わしらは逃げたりなんかしやしませんとも」
「アルドレア様の心労も愚かながらにも理解をしているつもりです」
「最後までともに頑張りましょう」
クルクマの男たちは悲観的ではあったし、士気が高いわけでもない。
しかし、エヴァリーンへの信頼は確かにあった。
それはこれまで真摯に村人ひとりひとりに向き合って来た統治ゆえのものだった。
「テドリムは副官とします。私がいないときは、指揮権は彼に移ります。問題があった場合も彼に判断をあおぐように」
「必ず生きて帰ろう」
テドリムは言って男たちへうなづいた。
その日の朝のうちにエヴァリーン率いるクルクマの民兵らは、バンザイデス近郊の町ドレディヌスへ出発した。
道中、たびたびモンスターに襲われることはあったが、多少の怪我人が出ただけで、一行は無事に王族軍の集結地ドレディヌスへと到着することができた。
エヴァリーンはアルドレア屋敷にいた。
リビングはすっかり埃被り、床には塵がつもっている。
空気はどこか淀んでいて、壁に空いた大きな穴はいまだ木の板が打ち付けられるばかりで、修復されていない。
ただひとり寂しくリビングの机に腰かけ、一枚の絵を手に眺めていた。
それはかつてクルクマに立ち寄った絵描きに頼んで描いてもらった家族の肖像である。腕のよいもので、その絵には今も鮮やかな過去が宿っているように思えた。
エヴァリーンは懐中時計を取り出し、時間を確認する。
そろそろ出立だと、まとめた荷物を背負い、剣を下げ、屋敷をでた。
アルドレア屋敷の前にはクルクマの村から集められた男たちが集っていた。若い男も、初老の者もいる。その数は70人ばかり。クルクマはちいさなコミュニティなので、そのすべての者たちとエヴァリーンは深い面識がある。
「エヴァリーン様、準備はできておりますぞ」
村男代表の中年がエヴァリーンにつげた。
朝焼けた肌色の畑仕事の男という風貌だ。
彼の名はテドリム・クーレンという。
引退して久しいが、それでも元A級冒険者である。
かつては第一線で活躍した優れた剣術家であることは疑いようもない。
エヴァリーンはテドリムに「ありがとうね」と親しげに礼をつげ、集まった70人の男らの顔を右から左へ睥睨し、申し訳なさそうに眉尻を下げる。
そこにいる誰も命を捨てる覚悟などできていなかった。
否、訳もわからない戦争に動員され、覚悟をしろと言う方が無理である。
エヴァリーンは謝りたかった。
畑仕事が好きな彼らを、戦地へ連れて行かなければいけない己の無力を謝罪したかった。
だが、エヴァリーンは謝りはしない。
彼らには戦場へ行ってもらわなくてはいけない。
クルクマはキンドロ領地の村だ。
その村の男たちが命惜しさに村に引きこもるとあっては、ほかの領地から派兵された民兵、そのほか多くの者らに示しがつかない。
エヴァリーンは騎士貴族だ。剣を持ち敵と戦わなければならない。
多くの民兵を率いて、指揮をとらなければいけない。
そのための教育を子供の頃から、キンドロ卿のもとで施されてきた。
剣の師テニール・レザージャックにも何度も言われたことだ。
『恐れも、謝意も、すべて飲み込みなさい。より大事なのは大局なのだから』
自分が戦場へ行く分には構わない。
もちろん、それでも抵抗はある。
だが、村人たちを強制連行するよりはずっとましだ。
そのことの抵抗感を、声を大にして謝ることはできる。
謝って気持ちよくなって、その場だけ良い人の顔をして、皆を帰してやることはできる。だが、それでは大局を乱してしまう。
だから、エヴァリーンはクルクマの村人たちにとって良い人であり続けることは出来ないのだ。たとえ悪い人と罵られ「どうしてこんな酷い事ができるんですか?」と泣きながら言われたところで、謝りたくなる気持ちを押し殺して、傲慢に「命令だ。逆らえば打ち首だ」と脅すほかないのだ。
だから、エヴァリーンは謝らず、感謝を述べることにした。
それが彼女の最善だった。
「みんな集まってくれてありがとう。一応、武器になりそうなものは持ってきてくれたのね」
畑を耕す道具に、鎌などを村人たちは持ってきていた。
もしかしたら武器の供給が間に合わないかもしれないとの連絡を受けていたので、素手で戦場に赴かせるよりは、何か持たせるべきという程度の心掛けではある。
ただ、それでさえ、村人にとって鉄器は貴重な財産なので、残された家族にはおおきな負担をかけることになるのだが。
エヴァリーンは王族軍の集結地であるドレディヌスの町への日程を改めて皆へ説明した。
村人たちを五人ずつの伍と呼ばれる班に分け、それがこれからの訓練期間と、戦場における意思決定の最小単位であることを告げた。
「逃亡すれば伍の仲間全員が処罰を受けることになるわ。伍単位で逃亡すれば、残されたクルクマの全員が処罰を受けることになる。ここから先、あなたたちに許可なく軍の指揮を離れることは許されないわ」
エヴァリーンは威圧的に力を込めていった。
「アルドレア様、安心してくだせえ、わしらは逃げたりなんかしやしませんとも」
「アルドレア様の心労も愚かながらにも理解をしているつもりです」
「最後までともに頑張りましょう」
クルクマの男たちは悲観的ではあったし、士気が高いわけでもない。
しかし、エヴァリーンへの信頼は確かにあった。
それはこれまで真摯に村人ひとりひとりに向き合って来た統治ゆえのものだった。
「テドリムは副官とします。私がいないときは、指揮権は彼に移ります。問題があった場合も彼に判断をあおぐように」
「必ず生きて帰ろう」
テドリムは言って男たちへうなづいた。
その日の朝のうちにエヴァリーン率いるクルクマの民兵らは、バンザイデス近郊の町ドレディヌスへ出発した。
道中、たびたびモンスターに襲われることはあったが、多少の怪我人が出ただけで、一行は無事に王族軍の集結地ドレディヌスへと到着することができた。
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