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第18話 初めての舞踏会、エスコートは最愛の旦那様と
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重苦しい空気の中、晩餐会は進行した。
進行した、と言っても、それは「食事が運ばれてきて、下げられる」という作業が淡々と行われたに過ぎない。
テーブルに並べられた料理は、アークライト王家の財政破綻を雄弁に物語っていた。
前菜は萎びた野菜のサラダ。ドレッシングは酢が強すぎて味が薄い。
メインディッシュは、筋ばかりでナイフが通らないほど硬い牛肉のロースト。ソースは小麦粉で伸ばされただけの水っぽいもの。
そしてデザートは、砂糖のジャリジャリ感が残る、焼きすぎたクッキーが二枚。
「……これが、王家の歓迎料理か?」
ジルヴェスター様が、フォークに刺さらない肉を見つめて呟いた。
その声は小さかったが、静まり返った広間には十分すぎるほど響き渡った。
「も、申し訳ない、ハイゼンベルク公爵」
国王陛下が脂汗を拭きながら言い訳をする。
「昨今の流通事情が悪く、良い食材が手に入らなくてな……。本来なら、我が国の誇る宮廷料理人が腕を振るうところなのだが、彼も先日、実家の都合で辞めてしまって……」
(実家の都合ではありません。給料未払いで逃げ出したのです)
私は心の中で訂正しつつ、口には出さずに微笑んだ。
かつて私が管理していた頃は、予算を厳しくチェックしつつも、外交の場では決して恥ずかしくない料理を出させていた。
その基盤が崩れた今、この国の「おもてなし」はこの程度のレベルなのだ。
「構いませんわ、陛下。……私たちは来る前に、私の実家からの差し入れである『雪苺』を頂いてきましたから」
私が嫌味たっぷりに言うと、アレク殿下がビクリと反応した。
彼は目の前の貧相な皿と、私の輝くドレスを交互に見比べ、悔しそうに唇を噛んでいる。
「ふん、食事なんて飾りだ。晩餐会のメインはダンスだろう?」
アレク殿下は強がってナプキンを投げ捨てた。
「さあ、楽団! 音楽を奏でろ! 湿っぽい空気はもうたくさんだ!」
殿下の号令で、広間の隅に控えていた楽団が演奏を始めた。
しかし、彼らもまた人員が削減されているのか、音がスカスカで、リズムもどこか頼りない。
それでも、ワルツの調べが流れ始めたことで、会場の空気は少しだけ華やいだものになった。
「リーゼロット」
アレク殿下が立ち上がり、私の方へ歩いてきた。
その顔には、自信過剰な笑みが張り付いている。
彼はまだ、自分がこの場の主役であり、私が彼のパートナーであるという幻想を捨てきれていないのだ。
「ファーストダンスの相手をしてやるよ。元婚約者としての情けだ。この僕がリードして、君のその派手すぎるドレスを少しはマシに見せてやろう」
彼は恭しく――というよりは尊大に、手を差し出した。
周囲の貴族たちが息を呑む。
この状況で、よくもまあそんな台詞が吐けるものだと、呆れを通り越して感心すらしているようだ。
私は扇を閉じ、冷ややかな視線を送った。
かつて、彼とのダンスは苦痛でしかなかった。
彼はリズム感が皆無な上に、自分が間違えて私の足を踏んでも、「君の足の位置が悪い」と人のせいにするような男だった。
私の足はいつも青あざだらけになり、それでも笑顔で「申し訳ありません」と謝らなければならなかった。
でも、もうそんな義務はない。
「お断りします」
「は……?」
私が短く拒絶すると、アレク殿下の手が空中で止まった。
「な、何を言っているんだ? 王太子である僕からの誘いだぞ? 光栄に思って……」
「光栄? 苦行の間違いではありませんか?」
私はため息をついた。
「殿下。貴方様とのダンスは、私にとって『労働災害』と同義でした。足を踏まれ、ドレスを破かれ、挙句の果てに罵倒される。……そんな時間があるなら、私は壁のシミを数えている方が有意義です」
「なっ、なっ……!」
アレク殿下が顔を真っ赤にして反論しようとした時、私の隣からスッと手が伸びた。
ジルヴェスター様だ。
彼はアレク殿下の差し出された手を、汚いものでも払うかのように軽く手刀で弾いた。
「退いてもらおうか、アレク殿下」
ジルヴェスター様は立ち上がり、私の前に立った。
その長身が、アレク殿下を完全に見下ろしている。
「彼女のファーストダンスの権利は、婚約者である私にある。……それに、君のような下手くそなエスコートでは、この国宝級のドレスに傷がつく」
「へ、下手くそだと……!?」
「事実だろう? ……見ていろ。本物のエスコートというものを教えてやる」
ジルヴェスター様は私に向き直ると、先ほどの冷たい表情を一変させ、とろけるような甘い微笑みを浮かべた。
そして、極めて優雅な所作で片膝をつき、私の手を取った。
「踊っていただけますか、マイ・レディ。……貴女を、世界で一番美しく輝かせてみせます」
それは、お伽話の王子様そのものだった。
いいえ、本物の王子(アレク)よりも何倍も気高く、美しい。
私は胸が高鳴るのを感じながら、彼の手のひらに自分の手を重ねた。
「喜んで、閣下。……私を連れて行ってください」
ジルヴェスター様が立ち上がり、私の腰に手を回す。
その手つきは優しく、それでいて力強い。
私たちは会場の中央へと進み出た。
貴族たちが道を開ける。
アレク殿下は、悔しそうに拳を握りしめながら、弾き出されるように端へと追いやられた。
音楽が変わる。
ゆったりとした、優雅なワルツ。
ジルヴェスター様がリードする。
その一歩目が踏み出された瞬間、私は鳥肌が立つほどの感動を覚えた。
(……軽い)
体が、まるで羽になったかのように軽い。
ジルヴェスター様のリードは完璧だった。
私の動きを完全に予測し、呼吸を合わせ、私が次に進みたい方向へと自然に導いてくれる。
無理な力は一切かかっていないのに、魔法のように体が回る。
「どうだ、リーゼロット。私のリードは?」
耳元で、彼が囁く。
「最高です、閣下。……まるで氷の上を滑っているようですわ」
「ふっ、私は『氷の辺境伯』だからな」
彼は悪戯っぽく笑い、ターンの合図を送った。
私が回転すると、纏っていた『スターダスト・シルク』のドレスがふわりと広がる。
その瞬間、ドレスに織り込まれた無数の魔石が、シャンデリアの光を反射して爆発的な輝きを放った。
「おおぉぉ……!」
会場からどよめきが上がる。
私が回るたびに、青い光の粒子が舞い散るように見える。
それはまるで、夜空の星々が地上に降りてきて、私と一緒に踊っているかのようだった。
会場の薄暗い照明が、かえってこのドレスの輝きを際立たせている。
「美しい……」
「なんて幻想的なんだ……」
「あれが、私たちが追放した令嬢なのか?」
貴族たちの視線が、私に釘付けになっている。
そこにあるのは、もはや嘲笑ではない。
純粋な羨望と、後悔。
逃した魚があまりにも大きすぎたことを、彼らは視覚的に理解させられているのだ。
(見ていますか、アレク殿下。これが、貴方が捨てた『地味な女』です)
私は顎を上げ、誇らしげに微笑んだ。
そして、目の前のパートナーを見つめる。
黒い夜会服を着たジルヴェスター様は、私の輝きを受け止め、さらに増幅させる闇夜のようだった。
彼の青い瞳には、私だけが映っている。
「リーゼロット。君は本当に眩しい」
「貴方様こそ。……今までで一番、素敵です」
私たちは見つめ合い、世界に二人しかいないかのような錯覚の中で踊り続けた。
かつてのアレク殿下とのダンスの記憶――足を踏まれる痛み、罵倒される屈辱――が、上書きされていく。
ここにあるのは、信頼と、尊敬と、そして愛おしさだけ。
曲がクライマックスを迎える。
ジルヴェスター様が私の腰を支え、高くリフトした。
私の視界が高くなり、会場全体が見渡せる。
呆然とする国王陛下、ハンカチを噛むアレク殿下、そして涙ぐむガロン卿。
全てが小さく見えた。
着地と同時に、ジルヴェスター様は私を深く抱き寄せ、フィニッシュのポーズを決めた。
ドレスの裾が優雅に舞い、最後のきらめきを残して静止する。
一瞬の静寂。
そして、割れんばかりの拍手が巻き起こった。
「ブラボー!」
「素晴らしい!」
「こんな美しいダンスは初めて見た!」
敵地であるはずのアークライト王国の貴族たちさえも、感動のあまり拍手喝采を送っていた。
芸術的な美しさは、敵味方の垣根を越えるのだ。
私たちは息を弾ませながら、優雅にお辞儀をした。
ジルヴェスター様が私の手を取り、その甲にキスをする。
「ありがとう、最高のダンスだった」
「こちらこそ、最高のエスコートでした」
私たちは腕を組み、拍手のシャワーの中を悠然と歩いて戻った。
その先には、顔面蒼白のアレク殿下が立っていた。
「……くそっ、くそっ……! なんでだ……!」
アレク殿下は震えていた。
「僕と踊っていた時は、あんな顔をしなかったくせに……! あんなに楽しそうに笑わなかったくせに!」
彼は嫉妬で気が狂いそうだったのだろう。
しかし、私は彼に同情などしない。
「殿下。……パートナーが変われば、女は変わるのです」
私は冷たく告げた。
「貴方様が私の足を踏んでいる間に、ジルヴェスター様は私に羽をくださいました。その違いです」
「羽……だと……?」
「ええ。……さあ、ダンスは終わりました。次は現実のお話をしましょうか」
私はジルヴェスター様の手を離し、代わりに懐から分厚い書類の束を取り出した。
先ほど国王陛下に見せた、借金の請求書と、条約の契約書だ。
「陛下。……この素晴らしい夜会の興奮が冷めないうちに、調印式と参りましょう」
私は国王陛下の前に書類を叩きつけた。
陛下はビクリと体を震わせ、周囲を見回した。
貴族たちは皆、今のダンスで完全にハイゼンベルク公爵家の圧倒的な力(財力・魅力・実力)を見せつけられ、戦意を喪失している。
「もう、あの方たちには敵わない」「従うしかない」という空気が充満していた。
「……わ、分かった。サインしよう……」
国王陛下は震える手で羽根ペンを取り、屈辱的な条約書に署名をした。
魔銀山の譲渡、関税撤廃、流通独占。
これでアークライト王国は、名実ともにハイゼンベルク領の経済圏に組み込まれたことになる。
「ありがとうございます。……これで、明日から食料支援を再開いたします」
私が書類を回収すると、ジルヴェスター様が満足そうに頷いた。
「賢明な判断だ、陛下。……これで貴国も、少しはマシな国になるだろう。私の優秀な婚約者が作ったレールの上を走る限りはな」
その言葉は、最大の皮肉であり、同時に真実でもあった。
この国はもう、私なしでは立ち行かない。
しかし私は戻らない。
外側から、管理し、搾取し、生かさず殺さず利用する。
それが、私なりの「復讐」であり「慈悲」だった。
「行きましょう、リーゼロット。……ここは空気が悪い」
「はい、あなた」
ジルヴェスター様が再び私をエスコートし、出口へと向かう。
アレク殿下は床に崩れ落ち、誰からも顧みられることなく泣いていた。
「僕の……僕のリーゼロット……」
その声を背中で聞きながら、私は一度も振り返らなかった。
城門を出ると、夜空には満天の星が輝いていた。
私のドレスと同じ、美しい星空。
「寒くはないか?」
ジルヴェスター様が、すぐに白熊のマントをかけてくれる。
「大丈夫です。……貴方様と踊った熱が、まだ残っていますから」
「……そうか。私もだ」
彼は嬉しそうに目を細め、馬車の中で私を抱き寄せた。
「初めての舞踏会、楽しんでもらえたか?」
「はい。生涯忘れられない夜になりました」
「よかった。……だが、次はもっと楽しい舞踏会にしよう。私たちの結婚式の披露宴とかな」
「気が早いですね」
「準備は万端だ。君が『イエス』と言えば、明日にも挙げられる」
「ふふ、もう少しだけ、『筆頭執務補佐官』としての仕事を楽しませてください。この国から巻き上げた資源で、やりたい改革が山ほどあるのです」
「……君は本当に、仕事熱心な悪女だな」
「貴方様が惚れ込んだ女ですから」
馬車は星空の下、ハイゼンベルク領へと走り出した。
アークライト王国の没落を決定づけた夜。
それは同時に、私とジルヴェスター様の未来が、より強固に結ばれた夜でもあった。
続く
進行した、と言っても、それは「食事が運ばれてきて、下げられる」という作業が淡々と行われたに過ぎない。
テーブルに並べられた料理は、アークライト王家の財政破綻を雄弁に物語っていた。
前菜は萎びた野菜のサラダ。ドレッシングは酢が強すぎて味が薄い。
メインディッシュは、筋ばかりでナイフが通らないほど硬い牛肉のロースト。ソースは小麦粉で伸ばされただけの水っぽいもの。
そしてデザートは、砂糖のジャリジャリ感が残る、焼きすぎたクッキーが二枚。
「……これが、王家の歓迎料理か?」
ジルヴェスター様が、フォークに刺さらない肉を見つめて呟いた。
その声は小さかったが、静まり返った広間には十分すぎるほど響き渡った。
「も、申し訳ない、ハイゼンベルク公爵」
国王陛下が脂汗を拭きながら言い訳をする。
「昨今の流通事情が悪く、良い食材が手に入らなくてな……。本来なら、我が国の誇る宮廷料理人が腕を振るうところなのだが、彼も先日、実家の都合で辞めてしまって……」
(実家の都合ではありません。給料未払いで逃げ出したのです)
私は心の中で訂正しつつ、口には出さずに微笑んだ。
かつて私が管理していた頃は、予算を厳しくチェックしつつも、外交の場では決して恥ずかしくない料理を出させていた。
その基盤が崩れた今、この国の「おもてなし」はこの程度のレベルなのだ。
「構いませんわ、陛下。……私たちは来る前に、私の実家からの差し入れである『雪苺』を頂いてきましたから」
私が嫌味たっぷりに言うと、アレク殿下がビクリと反応した。
彼は目の前の貧相な皿と、私の輝くドレスを交互に見比べ、悔しそうに唇を噛んでいる。
「ふん、食事なんて飾りだ。晩餐会のメインはダンスだろう?」
アレク殿下は強がってナプキンを投げ捨てた。
「さあ、楽団! 音楽を奏でろ! 湿っぽい空気はもうたくさんだ!」
殿下の号令で、広間の隅に控えていた楽団が演奏を始めた。
しかし、彼らもまた人員が削減されているのか、音がスカスカで、リズムもどこか頼りない。
それでも、ワルツの調べが流れ始めたことで、会場の空気は少しだけ華やいだものになった。
「リーゼロット」
アレク殿下が立ち上がり、私の方へ歩いてきた。
その顔には、自信過剰な笑みが張り付いている。
彼はまだ、自分がこの場の主役であり、私が彼のパートナーであるという幻想を捨てきれていないのだ。
「ファーストダンスの相手をしてやるよ。元婚約者としての情けだ。この僕がリードして、君のその派手すぎるドレスを少しはマシに見せてやろう」
彼は恭しく――というよりは尊大に、手を差し出した。
周囲の貴族たちが息を呑む。
この状況で、よくもまあそんな台詞が吐けるものだと、呆れを通り越して感心すらしているようだ。
私は扇を閉じ、冷ややかな視線を送った。
かつて、彼とのダンスは苦痛でしかなかった。
彼はリズム感が皆無な上に、自分が間違えて私の足を踏んでも、「君の足の位置が悪い」と人のせいにするような男だった。
私の足はいつも青あざだらけになり、それでも笑顔で「申し訳ありません」と謝らなければならなかった。
でも、もうそんな義務はない。
「お断りします」
「は……?」
私が短く拒絶すると、アレク殿下の手が空中で止まった。
「な、何を言っているんだ? 王太子である僕からの誘いだぞ? 光栄に思って……」
「光栄? 苦行の間違いではありませんか?」
私はため息をついた。
「殿下。貴方様とのダンスは、私にとって『労働災害』と同義でした。足を踏まれ、ドレスを破かれ、挙句の果てに罵倒される。……そんな時間があるなら、私は壁のシミを数えている方が有意義です」
「なっ、なっ……!」
アレク殿下が顔を真っ赤にして反論しようとした時、私の隣からスッと手が伸びた。
ジルヴェスター様だ。
彼はアレク殿下の差し出された手を、汚いものでも払うかのように軽く手刀で弾いた。
「退いてもらおうか、アレク殿下」
ジルヴェスター様は立ち上がり、私の前に立った。
その長身が、アレク殿下を完全に見下ろしている。
「彼女のファーストダンスの権利は、婚約者である私にある。……それに、君のような下手くそなエスコートでは、この国宝級のドレスに傷がつく」
「へ、下手くそだと……!?」
「事実だろう? ……見ていろ。本物のエスコートというものを教えてやる」
ジルヴェスター様は私に向き直ると、先ほどの冷たい表情を一変させ、とろけるような甘い微笑みを浮かべた。
そして、極めて優雅な所作で片膝をつき、私の手を取った。
「踊っていただけますか、マイ・レディ。……貴女を、世界で一番美しく輝かせてみせます」
それは、お伽話の王子様そのものだった。
いいえ、本物の王子(アレク)よりも何倍も気高く、美しい。
私は胸が高鳴るのを感じながら、彼の手のひらに自分の手を重ねた。
「喜んで、閣下。……私を連れて行ってください」
ジルヴェスター様が立ち上がり、私の腰に手を回す。
その手つきは優しく、それでいて力強い。
私たちは会場の中央へと進み出た。
貴族たちが道を開ける。
アレク殿下は、悔しそうに拳を握りしめながら、弾き出されるように端へと追いやられた。
音楽が変わる。
ゆったりとした、優雅なワルツ。
ジルヴェスター様がリードする。
その一歩目が踏み出された瞬間、私は鳥肌が立つほどの感動を覚えた。
(……軽い)
体が、まるで羽になったかのように軽い。
ジルヴェスター様のリードは完璧だった。
私の動きを完全に予測し、呼吸を合わせ、私が次に進みたい方向へと自然に導いてくれる。
無理な力は一切かかっていないのに、魔法のように体が回る。
「どうだ、リーゼロット。私のリードは?」
耳元で、彼が囁く。
「最高です、閣下。……まるで氷の上を滑っているようですわ」
「ふっ、私は『氷の辺境伯』だからな」
彼は悪戯っぽく笑い、ターンの合図を送った。
私が回転すると、纏っていた『スターダスト・シルク』のドレスがふわりと広がる。
その瞬間、ドレスに織り込まれた無数の魔石が、シャンデリアの光を反射して爆発的な輝きを放った。
「おおぉぉ……!」
会場からどよめきが上がる。
私が回るたびに、青い光の粒子が舞い散るように見える。
それはまるで、夜空の星々が地上に降りてきて、私と一緒に踊っているかのようだった。
会場の薄暗い照明が、かえってこのドレスの輝きを際立たせている。
「美しい……」
「なんて幻想的なんだ……」
「あれが、私たちが追放した令嬢なのか?」
貴族たちの視線が、私に釘付けになっている。
そこにあるのは、もはや嘲笑ではない。
純粋な羨望と、後悔。
逃した魚があまりにも大きすぎたことを、彼らは視覚的に理解させられているのだ。
(見ていますか、アレク殿下。これが、貴方が捨てた『地味な女』です)
私は顎を上げ、誇らしげに微笑んだ。
そして、目の前のパートナーを見つめる。
黒い夜会服を着たジルヴェスター様は、私の輝きを受け止め、さらに増幅させる闇夜のようだった。
彼の青い瞳には、私だけが映っている。
「リーゼロット。君は本当に眩しい」
「貴方様こそ。……今までで一番、素敵です」
私たちは見つめ合い、世界に二人しかいないかのような錯覚の中で踊り続けた。
かつてのアレク殿下とのダンスの記憶――足を踏まれる痛み、罵倒される屈辱――が、上書きされていく。
ここにあるのは、信頼と、尊敬と、そして愛おしさだけ。
曲がクライマックスを迎える。
ジルヴェスター様が私の腰を支え、高くリフトした。
私の視界が高くなり、会場全体が見渡せる。
呆然とする国王陛下、ハンカチを噛むアレク殿下、そして涙ぐむガロン卿。
全てが小さく見えた。
着地と同時に、ジルヴェスター様は私を深く抱き寄せ、フィニッシュのポーズを決めた。
ドレスの裾が優雅に舞い、最後のきらめきを残して静止する。
一瞬の静寂。
そして、割れんばかりの拍手が巻き起こった。
「ブラボー!」
「素晴らしい!」
「こんな美しいダンスは初めて見た!」
敵地であるはずのアークライト王国の貴族たちさえも、感動のあまり拍手喝采を送っていた。
芸術的な美しさは、敵味方の垣根を越えるのだ。
私たちは息を弾ませながら、優雅にお辞儀をした。
ジルヴェスター様が私の手を取り、その甲にキスをする。
「ありがとう、最高のダンスだった」
「こちらこそ、最高のエスコートでした」
私たちは腕を組み、拍手のシャワーの中を悠然と歩いて戻った。
その先には、顔面蒼白のアレク殿下が立っていた。
「……くそっ、くそっ……! なんでだ……!」
アレク殿下は震えていた。
「僕と踊っていた時は、あんな顔をしなかったくせに……! あんなに楽しそうに笑わなかったくせに!」
彼は嫉妬で気が狂いそうだったのだろう。
しかし、私は彼に同情などしない。
「殿下。……パートナーが変われば、女は変わるのです」
私は冷たく告げた。
「貴方様が私の足を踏んでいる間に、ジルヴェスター様は私に羽をくださいました。その違いです」
「羽……だと……?」
「ええ。……さあ、ダンスは終わりました。次は現実のお話をしましょうか」
私はジルヴェスター様の手を離し、代わりに懐から分厚い書類の束を取り出した。
先ほど国王陛下に見せた、借金の請求書と、条約の契約書だ。
「陛下。……この素晴らしい夜会の興奮が冷めないうちに、調印式と参りましょう」
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陛下はビクリと体を震わせ、周囲を見回した。
貴族たちは皆、今のダンスで完全にハイゼンベルク公爵家の圧倒的な力(財力・魅力・実力)を見せつけられ、戦意を喪失している。
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「……わ、分かった。サインしよう……」
国王陛下は震える手で羽根ペンを取り、屈辱的な条約書に署名をした。
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「ありがとうございます。……これで、明日から食料支援を再開いたします」
私が書類を回収すると、ジルヴェスター様が満足そうに頷いた。
「賢明な判断だ、陛下。……これで貴国も、少しはマシな国になるだろう。私の優秀な婚約者が作ったレールの上を走る限りはな」
その言葉は、最大の皮肉であり、同時に真実でもあった。
この国はもう、私なしでは立ち行かない。
しかし私は戻らない。
外側から、管理し、搾取し、生かさず殺さず利用する。
それが、私なりの「復讐」であり「慈悲」だった。
「行きましょう、リーゼロット。……ここは空気が悪い」
「はい、あなた」
ジルヴェスター様が再び私をエスコートし、出口へと向かう。
アレク殿下は床に崩れ落ち、誰からも顧みられることなく泣いていた。
「僕の……僕のリーゼロット……」
その声を背中で聞きながら、私は一度も振り返らなかった。
城門を出ると、夜空には満天の星が輝いていた。
私のドレスと同じ、美しい星空。
「寒くはないか?」
ジルヴェスター様が、すぐに白熊のマントをかけてくれる。
「大丈夫です。……貴方様と踊った熱が、まだ残っていますから」
「……そうか。私もだ」
彼は嬉しそうに目を細め、馬車の中で私を抱き寄せた。
「初めての舞踏会、楽しんでもらえたか?」
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「よかった。……だが、次はもっと楽しい舞踏会にしよう。私たちの結婚式の披露宴とかな」
「気が早いですね」
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「ふふ、もう少しだけ、『筆頭執務補佐官』としての仕事を楽しませてください。この国から巻き上げた資源で、やりたい改革が山ほどあるのです」
「……君は本当に、仕事熱心な悪女だな」
「貴方様が惚れ込んだ女ですから」
馬車は星空の下、ハイゼンベルク領へと走り出した。
アークライト王国の没落を決定づけた夜。
それは同時に、私とジルヴェスター様の未来が、より強固に結ばれた夜でもあった。
続く
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「支払えない? では担保として、王都の魔力供給と水道、食料搬入路の使用を差し止めます。あ、殿下が今履いている靴も我が家の備品ですので、今すぐ脱いでくださいね?」
暗闇に沈む王城で、靴下姿で這いつくばる元婚約者。
下着同然の姿で震える「自称・聖女」。
「ゴミの分別は、淑女の嗜みですわ」
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少し前に書いていたものです。ゆるーく見ていただけると助かります(*‘ω‘ *)
HOT&人気入りありがとうございます!(*ノωノ)<ウオオオオオオ嬉しいいいいい!
色々立て込んでいるため、感想への返信が遅くなっております、申し訳ございません。でも全部ありがたく読ませていただいております!元気でます~!('ω')完結まで頑張るぞーおー!
★おかげさまで完結致しました!そしてたくさんいただいた感想にやっとお返事が出来ました!本当に本当にありがとうございます、元気で最後まで書けたのは皆さまのお陰です!嬉し~~~~~!
これからも恋愛ジャンルもポチポチと書いて行きたいと思います。また趣味趣向に合うものがありましたら、お読みいただけるととっても嬉しいです!わーいわーい!
【完結】をつけて、完結表記にさせてもらいました!やり遂げた~(*‘ω‘ *)
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