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婚約破棄ですか、喜んで。
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「な、んだ……」
いきなり眼前になにやらびっしりと文字の書き連ねられた紙を突きつけられたカールは、一瞬、キョトンとした顔になった。
私は左手で扇を、右手で紙を突きつけたままにんまりと笑う。
「ルイーザ・コンチネル男爵令嬢8才。ミラ・ハネル子爵令嬢11才。マラリナ・ナッセル子爵令嬢」
一つ一つ。
いえ、一人一人。
ゆっくりと紙に書かれた令嬢たちの名前を上げていく。そこには名前だけでなく、日にちから時間、場所に何をしたか、事細かに記されている。
「お忘れになった?あなたが悪戯をした下位貴族の令嬢たちですわ」
私はぐい、と扇を喉に押し付けて、チラリとドアの外に目を向けた。
私の意図を察したメイドが、すばやく近づいてきて足下に落ちている紙を拾ってくれる。
私は手に持っていた紙を手放すと、代わりに彼女から新しい紙の束を受け取った。
「我が家の優秀な家人が調べてくれたのですわ。……本当は被害に合う前に助けられれば良かったのですけれど」
本当に、もっと早く気づいていれば。
もっと早く彼の行動に注視していれば。
彼の、カールの性癖に気づいてからというもの、私は彼を避けていたし、彼もまた私に興味をなくしていた。
ロリコン婚約者の動向など知りたくもない。
そう思っていた。
見たくない。知りたくない。
存在を無視したい。
けれどもそんな私の前に、一人の少女が表れた。
私のそばで紙を拾い集めるメイド。
フィリテ、という名の少女が邸に勤めるようになったのは三年前。
男爵家の二女で、我が家には行儀見習いを兼ねて勤めている。
下位貴族の令嬢にはそうして上位貴族の邸に勤める人がわりと多い。
マナーや立ち振る舞いを覚えることもできるし、きちんとお勤めをして主に気に入ってもらえれば良い嫁ぎ先を紹介してもらえたりするからだ。
フィリテは私の3つ年上。
年が近いこともあって私たちはメイドとお嬢様ではあったけれどすぐに仲良くなった。
フィリテの物怖じしないさっぱりとした性格が何故か、懐かしく感じたせいでもある。
私は前世の自分自身のことを、覚えていない。
けれどももしかしたらフィリテのような性格の姉がいたのかも知れないと思ったことが何度もあった。
フィリテは優秀なメイドだ。
普段から失敗はほとんどしない。
なのにそんな彼女が、ある時失態を犯した。
客人の前で、もてなすために用意したお茶の盆を床に落とすという有り得ない失態を。
その時の客人はカール・グローデル。
ずいぶんと久しぶりに邸を訪れた私の婚約者だった。
あの時の、フィリテの姿を私は今も忘れていない。
目を見開いて、恐怖のような、痛みに耐えるような私の見たことのない、彼女の顔。
「……申し訳ございません。この者はまだ新人で。きっと緊張してしまったのだと思います。とはいえ使用人の失礼は主である私の責任。お詫び申し上げます」
フィリテはけして新人ではなかったけれど、と私は彼が叱責に口を開く前にとっさにそう言い繕ってカールに頭を下げた。
「何か……、まあっ!」
騒ぎに気づいたメイド長がやってきて、室内の惨状に小さく悲鳴を上げた。
無理もない。
いまだにフィリテは震えながら立ち尽くしていて、その足下には割れた2つのティーカップと中身をぶちまけたシュガーポット、瀟洒な透かし彫りの薔薇が持ち手に刻まれたティースプーンは少し離れた私の足下にまで転がっている。
傾いて蓋の外れたティーポットからは赤い紅茶が床に溢れて毛足の長い絨毯に染みを作っていたのだから。
「なんてこと!申し訳ございません!わたくしの指導不足にございます。どうか、どうか、お許しを」
メイド長は自身も頭を下げながらフィリテの髪を掴んで彼女にも頭を下げさせる。
乱暴な所作だけれど、それもフィリテを庇うため。
カールの出方次第では、フィリテは最悪解雇せざるを得ない。どころか貴族への無礼を理由に鞭打ちなどの刑を要求されてもおかしくはない。
私たちの怒涛の謝罪攻めに、カールは恐らくは激しく叱責しようと開きかけていた口を閉じた。
また口を開く前にと私は気分転換にとカールを庭に誘う。
床の惨状を避けて部屋の外へ向かいながら、私は蒼白な顔で床にひれ伏すフィリテの様子を視界の端に捉えていた。
いきなり眼前になにやらびっしりと文字の書き連ねられた紙を突きつけられたカールは、一瞬、キョトンとした顔になった。
私は左手で扇を、右手で紙を突きつけたままにんまりと笑う。
「ルイーザ・コンチネル男爵令嬢8才。ミラ・ハネル子爵令嬢11才。マラリナ・ナッセル子爵令嬢」
一つ一つ。
いえ、一人一人。
ゆっくりと紙に書かれた令嬢たちの名前を上げていく。そこには名前だけでなく、日にちから時間、場所に何をしたか、事細かに記されている。
「お忘れになった?あなたが悪戯をした下位貴族の令嬢たちですわ」
私はぐい、と扇を喉に押し付けて、チラリとドアの外に目を向けた。
私の意図を察したメイドが、すばやく近づいてきて足下に落ちている紙を拾ってくれる。
私は手に持っていた紙を手放すと、代わりに彼女から新しい紙の束を受け取った。
「我が家の優秀な家人が調べてくれたのですわ。……本当は被害に合う前に助けられれば良かったのですけれど」
本当に、もっと早く気づいていれば。
もっと早く彼の行動に注視していれば。
彼の、カールの性癖に気づいてからというもの、私は彼を避けていたし、彼もまた私に興味をなくしていた。
ロリコン婚約者の動向など知りたくもない。
そう思っていた。
見たくない。知りたくない。
存在を無視したい。
けれどもそんな私の前に、一人の少女が表れた。
私のそばで紙を拾い集めるメイド。
フィリテ、という名の少女が邸に勤めるようになったのは三年前。
男爵家の二女で、我が家には行儀見習いを兼ねて勤めている。
下位貴族の令嬢にはそうして上位貴族の邸に勤める人がわりと多い。
マナーや立ち振る舞いを覚えることもできるし、きちんとお勤めをして主に気に入ってもらえれば良い嫁ぎ先を紹介してもらえたりするからだ。
フィリテは私の3つ年上。
年が近いこともあって私たちはメイドとお嬢様ではあったけれどすぐに仲良くなった。
フィリテの物怖じしないさっぱりとした性格が何故か、懐かしく感じたせいでもある。
私は前世の自分自身のことを、覚えていない。
けれどももしかしたらフィリテのような性格の姉がいたのかも知れないと思ったことが何度もあった。
フィリテは優秀なメイドだ。
普段から失敗はほとんどしない。
なのにそんな彼女が、ある時失態を犯した。
客人の前で、もてなすために用意したお茶の盆を床に落とすという有り得ない失態を。
その時の客人はカール・グローデル。
ずいぶんと久しぶりに邸を訪れた私の婚約者だった。
あの時の、フィリテの姿を私は今も忘れていない。
目を見開いて、恐怖のような、痛みに耐えるような私の見たことのない、彼女の顔。
「……申し訳ございません。この者はまだ新人で。きっと緊張してしまったのだと思います。とはいえ使用人の失礼は主である私の責任。お詫び申し上げます」
フィリテはけして新人ではなかったけれど、と私は彼が叱責に口を開く前にとっさにそう言い繕ってカールに頭を下げた。
「何か……、まあっ!」
騒ぎに気づいたメイド長がやってきて、室内の惨状に小さく悲鳴を上げた。
無理もない。
いまだにフィリテは震えながら立ち尽くしていて、その足下には割れた2つのティーカップと中身をぶちまけたシュガーポット、瀟洒な透かし彫りの薔薇が持ち手に刻まれたティースプーンは少し離れた私の足下にまで転がっている。
傾いて蓋の外れたティーポットからは赤い紅茶が床に溢れて毛足の長い絨毯に染みを作っていたのだから。
「なんてこと!申し訳ございません!わたくしの指導不足にございます。どうか、どうか、お許しを」
メイド長は自身も頭を下げながらフィリテの髪を掴んで彼女にも頭を下げさせる。
乱暴な所作だけれど、それもフィリテを庇うため。
カールの出方次第では、フィリテは最悪解雇せざるを得ない。どころか貴族への無礼を理由に鞭打ちなどの刑を要求されてもおかしくはない。
私たちの怒涛の謝罪攻めに、カールは恐らくは激しく叱責しようと開きかけていた口を閉じた。
また口を開く前にと私は気分転換にとカールを庭に誘う。
床の惨状を避けて部屋の外へ向かいながら、私は蒼白な顔で床にひれ伏すフィリテの様子を視界の端に捉えていた。
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