あ、婚約破棄ですよね?聞かなくてもわかります。

黒田悠月

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中編

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さて、そんなうんともすんとも返事をしない。ついでにちらりと視線を向けたあとは目も合わさない私の態度に焦れたのか、ハロルドはズカズカと私の目前に歩み寄ると、フンッと鼻息も荒く言う。

「ニナ!貴様はこのビビアンを下級貴族だと散々蔑み虐めていたらしいなっ!なんと下劣ではしたない女だっ!!貴様のような女はこの私に」
「はい、ストップ」

と、私は扇をパチンと閉じてハロルドの喉元に押し当てた。

フフ、と思わず小さく声を出して笑ってしまう。
だって、その台詞の先は聞かなくてもわかるもの。

ーー相応しくない。でしょう?

そしてきっとそのあとはこう続くのですよね

婚約を破棄する、と。

王命をなんだと思ってるんでしょうか。
たかが一人の、しかも下級貴族らしい少女を虐めていただけで王命で結ばれた婚約を破棄する?
しかも国王にお伺いも立てていないですよね?
だってもし事前に国王の耳に入っていたら、このような事態にはなっていないはずですもの。

ほら、視界の隅にようやく突然の暴挙に唖然としていた人たちの一部が慌てふためいて会場の外に出ていきましたわよ?
きっと国王やその側近の方々を呼びに行ったのでしょうね

国王や高位の貴族は遅れて登場するのがお約束。
今頃は豪奢な控室で寛いでいたのでしょうに、可哀想にまた頭皮が寂しくなるのではないかしら?

私は胸中に国王の頭皮に残るわずかな毛髪にさよならを告げて、クスクスと笑う。

「な、何がおかしい!?」

顔を真っ赤にして激高するハロルドを無視した私は、カツカツとヒールを鳴らして会場を歩き出す。
途中で手にしていた扇と皿を適当な給仕に押し付け。

歌姫の舞台の直前まで進み出ると、

パン、パン!

と二度手を打った。

風の魔法で会場内隅々まで響き渡ったその音に、これまで騒ぎに気づいていなかった少数も、我関せずと無視していた少数も、すべての目がこちらを注目する。

私はそれらを先祖返りの証であるルビーレッドの双眸をすがめて見渡し、にっこりと微笑みを浮かべ、すぅ、と肺に息を吸い込んだ。

「お集まりの紳士、淑女の皆様。せっかくの素晴らしきこの場を私事の騒ぎで乱してしまいましたことを私、ニナ・ニルベール心よりお詫び申し上げます」

この一月、皇宮の女官たちと猛特訓した完璧なカーテシーを見せつけると、一部からは「ほぅ」と感心するような、見惚れたような声が。別の一部からは驚きの声が、また別の一部からは困惑と興味のないまぜになった視線と声が私を遠巻きに取り巻く。

感心し驚き、困惑するのも無理はない。
ほんの少し前まで、私にはマナーのマの字もなかったもの。

貴族の皆様からすれば野生動物のようなもの。
脳みそが全部筋肉でできた珍獣。

それが私。

「さて、お詫びの品というわけではございませんが、この場にいらっしゃる高貴なる皆々様にまずは私から贈呈したい物がございますの。どうぞお受け取りになって?」

私が言うと空中にいくつもの泡が浮かび上がる。
会場の貴族全員の目の前にプカプカと浮かんだ薄い半透明の膜の泡。

ちょうど両手の中にすっぽり収まるサイズのその中には男女それぞれ別々の装飾品が入っている。

男性の前には少しゴツ目の銀の指輪。
女性の前には華奢な鎖を絡み合わせたブレスレット。

「きゃあっ!ステキっ!!」

あらあら、まずあなたからなのね?

さすが頭がお花畑なだけあって警戒心というものが皆無なんだわ。

はしゃいだ声を上げて誰よりも先に手を伸ばしたビッチに私は内心で呆れる。
けれど彼女が動いてくれたおかげで他にも何人かの令嬢たちが恐る恐る手を伸ばし始める。
きらびやかなドレスを身に纏った令嬢たちの指が触れると、浮かんでいた泡はパリンとガラスが割れたのに似た音を立てて宙に溶け消えた。

泡が消えた後には一見何も残らなかったように見えた。

ビッチは中のブレスレットはどこに行ったのかとキョロキョロする。と、近くにいた令嬢が「あっ」と声を上げてビッチの左手首を指差す。

その細い手首にはいつの間にか華奢な鎖を絡み合わせたブレスレットが嵌っていた。

周囲の者たちはそれを見て一様に息を飲む。

華奢な鎖の先に一粒の宝石がまばゆく煌めいている。透き通る青。

見ていた誰かが「まさか」と唸るように言った。

「……ブルーダイヤ?しかもあんなに大きな」

その声に反応した皆が泡の中の装飾品を注視する。

そのすべてに青い透き通る宝石があるのを見て、誰かが歓声を上げた。

「ふふ、皆様ご存知ですよね?私が勇者として魔王を討伐したことを。その時ついでにいくつか原石を手に入れたので手土産に加工いたしましたの。この場にいる全員に行き渡るはずですから、焦らずお持ちになって?」

私はそう告げたけれども、すでに誰も聞いていない。

先を争い皆が皆空中に浮かぶ泡に手を伸ばし、パリンパリンと次々に硬質な音が重なって響き合う。
人間の領域にはごくわずかしか存在しない希少な宝石に、その場の誰しもが目の色を変えていた。

私はそれを眺めながら、鷹揚な笑みを浮かべて場が落ち着くのを待つ。

最後の泡が消えたのを確認して、私は声を上げた。

「皆様お喜び頂けたようで何よりですわ!ねえ皆様、もう一つ面白い出し物がございますの。こちらをごらん下さいな」

言って、舞台の上を手で示した。

歌姫が至上の歌を披露する。
その舞台には赤い垂れ幕が垂れていた。

それがほわりと白く一度光ると、鮮明な映像を映し出す。
映るのは金髪碧眼の青年とピンクブロンドの髪の小柄な少女。 

いくつもいくつも移り変わる映像にはどれもハロルドとビッチが愛を囁き合い、むつみ合う姿が映っていた。

「……なっ!」
「きゃあっ!」

当事者の二人が声を上げて、皆の視線を攫う。
私はカツン、とわざと音を立てて一歩前へ出た。 

「そちらのハロルド様は私の婚約者ですが、ごらんのように別の女性に愛を囁き身体の関係まで持っております。そしてこちらが婚約時に交わした誓約書です。こちらには婚約中にこの婚約を持続し得ない重大な問題が起きた際にはこの婚約を破棄できると記載されております。婚約中の明らかな不貞は重大な問題ですわよね?」

言い募る私の視界の隅に慌てふためいて会場に入ってきた国王たちの姿が映った。

私はそれに目をやって、小さく笑う。



「ねぇ、そうですわよね?国王様?」



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