2 / 4
中編
しおりを挟む
さて、そんなうんともすんとも返事をしない。ついでにちらりと視線を向けたあとは目も合わさない私の態度に焦れたのか、ハロルドはズカズカと私の目前に歩み寄ると、フンッと鼻息も荒く言う。
「ニナ!貴様はこのビビアンを下級貴族だと散々蔑み虐めていたらしいなっ!なんと下劣ではしたない女だっ!!貴様のような女はこの私に」
「はい、ストップ」
と、私は扇をパチンと閉じてハロルドの喉元に押し当てた。
フフ、と思わず小さく声を出して笑ってしまう。
だって、その台詞の先は聞かなくてもわかるもの。
ーー相応しくない。でしょう?
そしてきっとそのあとはこう続くのですよね
婚約を破棄する、と。
王命をなんだと思ってるんでしょうか。
たかが一人の、しかも下級貴族らしい少女を虐めていただけで王命で結ばれた婚約を破棄する?
しかも国王にお伺いも立てていないですよね?
だってもし事前に国王の耳に入っていたら、このような事態にはなっていないはずですもの。
ほら、視界の隅にようやく突然の暴挙に唖然としていた人たちの一部が慌てふためいて会場の外に出ていきましたわよ?
きっと国王やその側近の方々を呼びに行ったのでしょうね
国王や高位の貴族は遅れて登場するのがお約束。
今頃は豪奢な控室で寛いでいたのでしょうに、可哀想にまた頭皮が寂しくなるのではないかしら?
私は胸中に国王の頭皮に残るわずかな毛髪にさよならを告げて、クスクスと笑う。
「な、何がおかしい!?」
顔を真っ赤にして激高するハロルドを無視した私は、カツカツとヒールを鳴らして会場を歩き出す。
途中で手にしていた扇と皿を適当な給仕に押し付け。
歌姫の舞台の直前まで進み出ると、
パン、パン!
と二度手を打った。
風の魔法で会場内隅々まで響き渡ったその音に、これまで騒ぎに気づいていなかった少数も、我関せずと無視していた少数も、すべての目がこちらを注目する。
私はそれらを先祖返りの証であるルビーレッドの双眸をすがめて見渡し、にっこりと微笑みを浮かべ、すぅ、と肺に息を吸い込んだ。
「お集まりの紳士、淑女の皆様。せっかくの素晴らしきこの場を私事の騒ぎで乱してしまいましたことを私、ニナ・ニルベール心よりお詫び申し上げます」
この一月、皇宮の女官たちと猛特訓した完璧なカーテシーを見せつけると、一部からは「ほぅ」と感心するような、見惚れたような声が。別の一部からは驚きの声が、また別の一部からは困惑と興味のないまぜになった視線と声が私を遠巻きに取り巻く。
感心し驚き、困惑するのも無理はない。
ほんの少し前まで、私にはマナーのマの字もなかったもの。
貴族の皆様からすれば野生動物のようなもの。
脳みそが全部筋肉でできた珍獣。
それが私。
「さて、お詫びの品というわけではございませんが、この場にいらっしゃる高貴なる皆々様にまずは私から贈呈したい物がございますの。どうぞお受け取りになって?」
私が言うと空中にいくつもの泡が浮かび上がる。
会場の貴族全員の目の前にプカプカと浮かんだ薄い半透明の膜の泡。
ちょうど両手の中にすっぽり収まるサイズのその中には男女それぞれ別々の装飾品が入っている。
男性の前には少しゴツ目の銀の指輪。
女性の前には華奢な鎖を絡み合わせたブレスレット。
「きゃあっ!ステキっ!!」
あらあら、まずあなたからなのね?
さすが頭がお花畑なだけあって警戒心というものが皆無なんだわ。
はしゃいだ声を上げて誰よりも先に手を伸ばしたビッチに私は内心で呆れる。
けれど彼女が動いてくれたおかげで他にも何人かの令嬢たちが恐る恐る手を伸ばし始める。
きらびやかなドレスを身に纏った令嬢たちの指が触れると、浮かんでいた泡はパリンとガラスが割れたのに似た音を立てて宙に溶け消えた。
泡が消えた後には一見何も残らなかったように見えた。
ビッチは中のブレスレットはどこに行ったのかとキョロキョロする。と、近くにいた令嬢が「あっ」と声を上げてビッチの左手首を指差す。
その細い手首にはいつの間にか華奢な鎖を絡み合わせたブレスレットが嵌っていた。
周囲の者たちはそれを見て一様に息を飲む。
華奢な鎖の先に一粒の宝石がまばゆく煌めいている。透き通る青。
見ていた誰かが「まさか」と唸るように言った。
「……ブルーダイヤ?しかもあんなに大きな」
その声に反応した皆が泡の中の装飾品を注視する。
そのすべてに青い透き通る宝石があるのを見て、誰かが歓声を上げた。
「ふふ、皆様ご存知ですよね?私が勇者として魔王を討伐したことを。その時ついでにいくつか原石を手に入れたので手土産に加工いたしましたの。この場にいる全員に行き渡るはずですから、焦らずお持ちになって?」
私はそう告げたけれども、すでに誰も聞いていない。
先を争い皆が皆空中に浮かぶ泡に手を伸ばし、パリンパリンと次々に硬質な音が重なって響き合う。
人間の領域にはごくわずかしか存在しない希少な宝石に、その場の誰しもが目の色を変えていた。
私はそれを眺めながら、鷹揚な笑みを浮かべて場が落ち着くのを待つ。
最後の泡が消えたのを確認して、私は声を上げた。
「皆様お喜び頂けたようで何よりですわ!ねえ皆様、もう一つ面白い出し物がございますの。こちらをごらん下さいな」
言って、舞台の上を手で示した。
歌姫が至上の歌を披露する。
その舞台には赤い垂れ幕が垂れていた。
それがほわりと白く一度光ると、鮮明な映像を映し出す。
映るのは金髪碧眼の青年とピンクブロンドの髪の小柄な少女。
いくつもいくつも移り変わる映像にはどれもハロルドとビッチが愛を囁き合い、むつみ合う姿が映っていた。
「……なっ!」
「きゃあっ!」
当事者の二人が声を上げて、皆の視線を攫う。
私はカツン、とわざと音を立てて一歩前へ出た。
「そちらのハロルド様は私の婚約者ですが、ごらんのように別の女性に愛を囁き身体の関係まで持っております。そしてこちらが婚約時に交わした誓約書です。こちらには婚約中にこの婚約を持続し得ない重大な問題が起きた際にはこの婚約を破棄できると記載されております。婚約中の明らかな不貞は重大な問題ですわよね?」
言い募る私の視界の隅に慌てふためいて会場に入ってきた国王たちの姿が映った。
私はそれに目をやって、小さく笑う。
「ねぇ、そうですわよね?国王様?」
「ニナ!貴様はこのビビアンを下級貴族だと散々蔑み虐めていたらしいなっ!なんと下劣ではしたない女だっ!!貴様のような女はこの私に」
「はい、ストップ」
と、私は扇をパチンと閉じてハロルドの喉元に押し当てた。
フフ、と思わず小さく声を出して笑ってしまう。
だって、その台詞の先は聞かなくてもわかるもの。
ーー相応しくない。でしょう?
そしてきっとそのあとはこう続くのですよね
婚約を破棄する、と。
王命をなんだと思ってるんでしょうか。
たかが一人の、しかも下級貴族らしい少女を虐めていただけで王命で結ばれた婚約を破棄する?
しかも国王にお伺いも立てていないですよね?
だってもし事前に国王の耳に入っていたら、このような事態にはなっていないはずですもの。
ほら、視界の隅にようやく突然の暴挙に唖然としていた人たちの一部が慌てふためいて会場の外に出ていきましたわよ?
きっと国王やその側近の方々を呼びに行ったのでしょうね
国王や高位の貴族は遅れて登場するのがお約束。
今頃は豪奢な控室で寛いでいたのでしょうに、可哀想にまた頭皮が寂しくなるのではないかしら?
私は胸中に国王の頭皮に残るわずかな毛髪にさよならを告げて、クスクスと笑う。
「な、何がおかしい!?」
顔を真っ赤にして激高するハロルドを無視した私は、カツカツとヒールを鳴らして会場を歩き出す。
途中で手にしていた扇と皿を適当な給仕に押し付け。
歌姫の舞台の直前まで進み出ると、
パン、パン!
と二度手を打った。
風の魔法で会場内隅々まで響き渡ったその音に、これまで騒ぎに気づいていなかった少数も、我関せずと無視していた少数も、すべての目がこちらを注目する。
私はそれらを先祖返りの証であるルビーレッドの双眸をすがめて見渡し、にっこりと微笑みを浮かべ、すぅ、と肺に息を吸い込んだ。
「お集まりの紳士、淑女の皆様。せっかくの素晴らしきこの場を私事の騒ぎで乱してしまいましたことを私、ニナ・ニルベール心よりお詫び申し上げます」
この一月、皇宮の女官たちと猛特訓した完璧なカーテシーを見せつけると、一部からは「ほぅ」と感心するような、見惚れたような声が。別の一部からは驚きの声が、また別の一部からは困惑と興味のないまぜになった視線と声が私を遠巻きに取り巻く。
感心し驚き、困惑するのも無理はない。
ほんの少し前まで、私にはマナーのマの字もなかったもの。
貴族の皆様からすれば野生動物のようなもの。
脳みそが全部筋肉でできた珍獣。
それが私。
「さて、お詫びの品というわけではございませんが、この場にいらっしゃる高貴なる皆々様にまずは私から贈呈したい物がございますの。どうぞお受け取りになって?」
私が言うと空中にいくつもの泡が浮かび上がる。
会場の貴族全員の目の前にプカプカと浮かんだ薄い半透明の膜の泡。
ちょうど両手の中にすっぽり収まるサイズのその中には男女それぞれ別々の装飾品が入っている。
男性の前には少しゴツ目の銀の指輪。
女性の前には華奢な鎖を絡み合わせたブレスレット。
「きゃあっ!ステキっ!!」
あらあら、まずあなたからなのね?
さすが頭がお花畑なだけあって警戒心というものが皆無なんだわ。
はしゃいだ声を上げて誰よりも先に手を伸ばしたビッチに私は内心で呆れる。
けれど彼女が動いてくれたおかげで他にも何人かの令嬢たちが恐る恐る手を伸ばし始める。
きらびやかなドレスを身に纏った令嬢たちの指が触れると、浮かんでいた泡はパリンとガラスが割れたのに似た音を立てて宙に溶け消えた。
泡が消えた後には一見何も残らなかったように見えた。
ビッチは中のブレスレットはどこに行ったのかとキョロキョロする。と、近くにいた令嬢が「あっ」と声を上げてビッチの左手首を指差す。
その細い手首にはいつの間にか華奢な鎖を絡み合わせたブレスレットが嵌っていた。
周囲の者たちはそれを見て一様に息を飲む。
華奢な鎖の先に一粒の宝石がまばゆく煌めいている。透き通る青。
見ていた誰かが「まさか」と唸るように言った。
「……ブルーダイヤ?しかもあんなに大きな」
その声に反応した皆が泡の中の装飾品を注視する。
そのすべてに青い透き通る宝石があるのを見て、誰かが歓声を上げた。
「ふふ、皆様ご存知ですよね?私が勇者として魔王を討伐したことを。その時ついでにいくつか原石を手に入れたので手土産に加工いたしましたの。この場にいる全員に行き渡るはずですから、焦らずお持ちになって?」
私はそう告げたけれども、すでに誰も聞いていない。
先を争い皆が皆空中に浮かぶ泡に手を伸ばし、パリンパリンと次々に硬質な音が重なって響き合う。
人間の領域にはごくわずかしか存在しない希少な宝石に、その場の誰しもが目の色を変えていた。
私はそれを眺めながら、鷹揚な笑みを浮かべて場が落ち着くのを待つ。
最後の泡が消えたのを確認して、私は声を上げた。
「皆様お喜び頂けたようで何よりですわ!ねえ皆様、もう一つ面白い出し物がございますの。こちらをごらん下さいな」
言って、舞台の上を手で示した。
歌姫が至上の歌を披露する。
その舞台には赤い垂れ幕が垂れていた。
それがほわりと白く一度光ると、鮮明な映像を映し出す。
映るのは金髪碧眼の青年とピンクブロンドの髪の小柄な少女。
いくつもいくつも移り変わる映像にはどれもハロルドとビッチが愛を囁き合い、むつみ合う姿が映っていた。
「……なっ!」
「きゃあっ!」
当事者の二人が声を上げて、皆の視線を攫う。
私はカツン、とわざと音を立てて一歩前へ出た。
「そちらのハロルド様は私の婚約者ですが、ごらんのように別の女性に愛を囁き身体の関係まで持っております。そしてこちらが婚約時に交わした誓約書です。こちらには婚約中にこの婚約を持続し得ない重大な問題が起きた際にはこの婚約を破棄できると記載されております。婚約中の明らかな不貞は重大な問題ですわよね?」
言い募る私の視界の隅に慌てふためいて会場に入ってきた国王たちの姿が映った。
私はそれに目をやって、小さく笑う。
「ねぇ、そうですわよね?国王様?」
94
あなたにおすすめの小説
病弱な幼馴染を守る彼との婚約を解消、十年の恋を捨てて結婚します
佐藤 美奈
恋愛
セフィーナ・グラディウスという貴族の娘が、婚約者であるアルディン・オルステリア伯爵令息との関係に苦悩し、彼の優しさが他の女性に向けられることに心を痛める。
セフィーナは、アルディンが幼馴染のリーシャ・ランスロット男爵令嬢に特別な優しさを注ぐ姿を見て、自らの立場に苦しみながらも、理想的な婚約者を演じ続ける日々を送っていた。
婚約して十年間、心の中で自分を演じ続けてきたが、それももう耐えられなくなっていた。
婚約破棄は嘘だった、ですか…?
基本二度寝
恋愛
「君とは婚約破棄をする!」
婚約者ははっきり宣言しました。
「…かしこまりました」
爵位の高い相手から望まれた婚約で、此方には拒否することはできませんでした。
そして、婚約の破棄も拒否はできませんでした。
※エイプリルフール過ぎてあげるヤツ
※少しだけ続けました
君は僕の番じゃないから
椎名さえら
恋愛
男女に番がいる、番同士は否応なしに惹かれ合う世界。
「君は僕の番じゃないから」
エリーゼは隣人のアーヴィンが子供の頃から好きだったが
エリーゼは彼の番ではなかったため、フラれてしまった。
すると
「君こそ俺の番だ!」と突然接近してくる
イケメンが登場してーーー!?
___________________________
動機。
暗い話を書くと反動で明るい話が書きたくなります
なので明るい話になります←
深く考えて読む話ではありません
※マーク編:3話+エピローグ
※超絶短編です
※さくっと読めるはず
※番の設定はゆるゆるです
※世界観としては割と近代チック
※ルーカス編思ったより明るくなかったごめんなさい
※マーク編は明るいです
婚約破棄を伝えられて居るのは帝国の皇女様ですが…国は大丈夫でしょうか【完結】
繭
恋愛
卒業式の最中、王子が隣国皇帝陛下の娘で有る皇女に婚約破棄を突き付けると言う、前代未聞の所業が行われ阿鼻叫喚の事態に陥り、卒業式どころでは無くなる事から物語は始まる。
果たして王子の国は無事に国を維持できるのか?
【完結済み】婚約破棄したのはあなたでしょう
水垣するめ
恋愛
公爵令嬢のマリア・クレイヤは第一王子のマティス・ジェレミーと婚約していた。
しかしある日マティスは「真実の愛に目覚めた」と一方的にマリアとの婚約を破棄した。
マティスの新しい婚約者は庶民の娘のアンリエットだった。
マティスは最初こそ上機嫌だったが、段々とアンリエットは顔こそ良いが、頭は悪くなんの取り柄もないことに気づいていく。
そしてアンリエットに辟易したマティスはマリアとの婚約を結び直そうとする。
しかしマリアは第二王子のロマン・ジェレミーと新しく婚約を結び直していた。
怒り狂ったマティスはマリアに罵詈雑言を投げかける。
そんなマティスに怒ったロマンは国王からの書状を叩きつける。
そこに書かれていた内容にマティスは顔を青ざめさせ……
冤罪で婚約破棄したくせに……今さらもう遅いです。
水垣するめ
恋愛
主人公サラ・ゴーマン公爵令嬢は第一王子のマイケル・フェネルと婚約していた。
しかしある日突然、サラはマイケルから婚約破棄される。
マイケルの隣には男爵家のララがくっついていて、「サラに脅された!」とマイケルに訴えていた。
当然冤罪だった。
以前ララに対して「あまり婚約しているマイケルに近づくのはやめたほうがいい」と忠告したのを、ララは「脅された!」と改変していた。
証拠は無い。
しかしマイケルはララの言葉を信じた。
マイケルは学園でサラを罪人として晒しあげる。
そしてサラの言い分を聞かずに一方的に婚約破棄を宣言した。
もちろん、ララの言い分は全て嘘だったため、後に冤罪が発覚することになりマイケルは周囲から非難される……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる