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『収斂進化』
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「お前には、観察結果から何かを想像する力がないんだよ」
その一言が、伊東の胸に刺さって離れなかった。
言ったのは、同僚の山岡だった。経験も業績も上の彼が放った何気ない一言だったが、それが伊東には、研究者としての存在を否定されたように感じられた。
だから彼は、無謀だと分かっていながらこの島に来たのだ。
地元では古くから「禁足地」とされ、人が踏み入れることを忌み嫌われている未踏の孤島。噂では「入った者は帰らない」とさえ言われているが、そんな迷信に構ってはいられなかった。
ここで結果を出せなければ、自分の価値を証明できない。そう思った。
そして彼は──見つけた。
「すごい……」
島に棲む生物たちは、驚くほど多様だった。だが、もっと奇妙なのはその“共通点”だった。
昆虫、哺乳類、爬虫類、魚類──分類上まったく異なるそれらの体に、共通して見られる奇妙な模様。黒地に赤い円が二つ、まるで目のように並んでいる。
これはただの偶然ではない。そう直感した。
伊東は手帳を取り出し、こう書き留めた。
「収斂進化の可能性あり」
収斂進化──それは、異なる種が似た形態や機能を持つようになる進化現象。
モグラとオケラがよく似た前脚を持つのも、イルカと魚がよく似た流線型の体を持つのも、環境に適応するために似た姿へと“収束”した結果だ。
けれど、この島の現象はそれよりもはるかに異様だった。
生態系のあらゆる位置にいる生物が、同じ模様を体に持っている。食う者も食われる者も、飛ぶものも泳ぐものも──。
「この島で、いったい何が……」
伊東の好奇心は、抑えきれないほどに高まっていた。
その夜。伊東は興奮のあまり眠れず、夜行性の生物の観察をしようとテントを出た。
月明かりの下、テントに集まる蛾の翅、木の幹を這う甲殻類、岩陰から顔を出す小動物──どれもに、あの模様があった。黒地に赤い円が二つ、じっとこちらを見ているように並んでいた。
それを見た瞬間、伊東の背筋に冷たいものが走った。
気配。何かが──見ている。
暗がりの向こう、森の奥に、何かがいる。視界には映らないが、確かに感じる。息をひそめるほどの静寂のなかで、それだけが濃密に存在していた。
音もなく、しかし確かに、近づいてくる。
「うわああああ!」
伊東は叫び、テントへと駆け戻った。草をかき分ける音が背後から追ってくる。
テントに飛び込み、ジッパーを引きちぎるように閉める。身を丸めて、息を殺す。
──静寂。
張り詰めた時間のなかで、外から何の気配もなくなった。
と、その瞬間──ズバッ!
布が裂けた。15センチはあろうかという鉤爪が、すぐ脇をかすめる。
裂けた隙間から、“それ”が顔をのぞかせた。
黒地に赤い円が二つ。まるで生きた模様のように、闇の中でぬるりと光っていた。
伊東は、すべてを理解した。
この島に暮らすすべての生物が、その模様を持っていた理由。
それは擬態だ。
彼らは、自らを守るために“それ”に似せていたのだ。
この島において、生き物たちが一致して恐れ、模倣する存在──それが今、目の前にいる。
皆が避け、真似たがる“捕食者”。
誰もが、その姿に成りすまさなければ生き残れない存在。
伊東は呆然とした。
それはつまり──誰もが恐れたこの存在を、自分は予測できなかったということだ。
逃げ場のないその状況で、ふと頭の奥から声が聞こえた。
「お前には、観察結果から何かを想像する力がないんだよ」
あの時の山岡の声だ。
悔しくて、耳を塞いでいたはずの言葉。けれど、今ならはっきりわかる。
あの一言こそが、この“夜”を避ける唯一のヒントだったのだ。
その一言が、伊東の胸に刺さって離れなかった。
言ったのは、同僚の山岡だった。経験も業績も上の彼が放った何気ない一言だったが、それが伊東には、研究者としての存在を否定されたように感じられた。
だから彼は、無謀だと分かっていながらこの島に来たのだ。
地元では古くから「禁足地」とされ、人が踏み入れることを忌み嫌われている未踏の孤島。噂では「入った者は帰らない」とさえ言われているが、そんな迷信に構ってはいられなかった。
ここで結果を出せなければ、自分の価値を証明できない。そう思った。
そして彼は──見つけた。
「すごい……」
島に棲む生物たちは、驚くほど多様だった。だが、もっと奇妙なのはその“共通点”だった。
昆虫、哺乳類、爬虫類、魚類──分類上まったく異なるそれらの体に、共通して見られる奇妙な模様。黒地に赤い円が二つ、まるで目のように並んでいる。
これはただの偶然ではない。そう直感した。
伊東は手帳を取り出し、こう書き留めた。
「収斂進化の可能性あり」
収斂進化──それは、異なる種が似た形態や機能を持つようになる進化現象。
モグラとオケラがよく似た前脚を持つのも、イルカと魚がよく似た流線型の体を持つのも、環境に適応するために似た姿へと“収束”した結果だ。
けれど、この島の現象はそれよりもはるかに異様だった。
生態系のあらゆる位置にいる生物が、同じ模様を体に持っている。食う者も食われる者も、飛ぶものも泳ぐものも──。
「この島で、いったい何が……」
伊東の好奇心は、抑えきれないほどに高まっていた。
その夜。伊東は興奮のあまり眠れず、夜行性の生物の観察をしようとテントを出た。
月明かりの下、テントに集まる蛾の翅、木の幹を這う甲殻類、岩陰から顔を出す小動物──どれもに、あの模様があった。黒地に赤い円が二つ、じっとこちらを見ているように並んでいた。
それを見た瞬間、伊東の背筋に冷たいものが走った。
気配。何かが──見ている。
暗がりの向こう、森の奥に、何かがいる。視界には映らないが、確かに感じる。息をひそめるほどの静寂のなかで、それだけが濃密に存在していた。
音もなく、しかし確かに、近づいてくる。
「うわああああ!」
伊東は叫び、テントへと駆け戻った。草をかき分ける音が背後から追ってくる。
テントに飛び込み、ジッパーを引きちぎるように閉める。身を丸めて、息を殺す。
──静寂。
張り詰めた時間のなかで、外から何の気配もなくなった。
と、その瞬間──ズバッ!
布が裂けた。15センチはあろうかという鉤爪が、すぐ脇をかすめる。
裂けた隙間から、“それ”が顔をのぞかせた。
黒地に赤い円が二つ。まるで生きた模様のように、闇の中でぬるりと光っていた。
伊東は、すべてを理解した。
この島に暮らすすべての生物が、その模様を持っていた理由。
それは擬態だ。
彼らは、自らを守るために“それ”に似せていたのだ。
この島において、生き物たちが一致して恐れ、模倣する存在──それが今、目の前にいる。
皆が避け、真似たがる“捕食者”。
誰もが、その姿に成りすまさなければ生き残れない存在。
伊東は呆然とした。
それはつまり──誰もが恐れたこの存在を、自分は予測できなかったということだ。
逃げ場のないその状況で、ふと頭の奥から声が聞こえた。
「お前には、観察結果から何かを想像する力がないんだよ」
あの時の山岡の声だ。
悔しくて、耳を塞いでいたはずの言葉。けれど、今ならはっきりわかる。
あの一言こそが、この“夜”を避ける唯一のヒントだったのだ。
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