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水商売
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ホストクラブ《Zodiac》では、今夜、No.1ホスト「夜空(よぞら)」の売上記念イベントが行われていた。
照明の下、シャンパンの泡が弾け、嬌声と笑顔が飛び交う。だが、主役の夜空の表情はどこか冴えなかった。
イベント終了後、夜空はホールを抜け、奥の事務所へと向かった。そこにいたのは、今は裏方を務める伝説の元ホスト──神谷だった。
「……神谷さん、今ちょっといいですか」
夜空の声に、神谷は片眉を上げた。
「なんだよ、No.1様がそんな顔して」
夜空は少しだけ言い淀み、低い声で言った。
「……枕元に女の霊が出るんですよ。最近、ずっとです」
冗談かと思った神谷だったが、夜空の顔があまりにも真剣で、言葉を飲み込んだ。
「……客に恨まれるようなこと、してないか?」
夜空は視線を落とし、ここ最近の接客を思い返していた。
焦っていた。No.1の座が見えてきた頃から、とにかく売上を積まなければという思いが先行し、客の気持ちより数字を優先するようになっていた。
最初は軽く乾杯のカクテル。そこから会話を弾ませて、次第にグラスを空けさせ、タイミングを見計らって高級ボトルへと誘導する──それが夜空のやり方だった。
“最初は安い酒から始めて、段々と高い酒を注文させるのが、この商売のコツだ”
それを自分に言い聞かせるように、幾度も繰り返していた。
だが、その過程で何人もの女性に無理をさせた。真剣な想いを向けてくれた客に曖昧な言葉を使い、期待だけを膨らませて──拒絶した。
そして、ある日を境に、来なくなった客がいた。
(まさか……あの子が)
夜空の顔色を見た神谷は、軽くため息をつき、名刺を一枚差し出す。
「……あまりオススメはしないが。ひとり、紹介してやろうか。霊媒師だ。俺も昔、世話になった」
◆
指定されたマンションの一室。控えめな飾りつけと香の匂いが漂う空間で、夜空は静かに腰を下ろしていた。
「どのような霊ですか?」
机越しに、霊媒師の女が尋ねた。
「……長い黒髪で……枕元に立っています。顔はぼやけて見えません。いつも酒の匂いがして、眠っていると……ひび割れた爪で、顔を撫でてくるんです」
霊媒師は黙って頷き、小さな木箱から青い液体の入った小瓶を取り出した。
「それは、おそらくあなたに強い執着を持った女性の霊でしょう。これはまじないをかけた聖水です。次にその霊が現れたら、これを霊にかけてください。きっと退いてくれるはずです」
「1,500円で結構です」と霊媒師はさらりと言う。
夜空は財布を取り出し、ためらいなく支払った。
──もし本当にこれで霊が消えるなら、安いものだ。
◆
その夜、午前二時。
夜空はふと、胸の上に重みを感じて目を覚ました。部屋に充満する強い酒の匂いが、鼻をつく。
視線を天井から下げると、布団が妙に盛り上がっていた。布団の中に、何かがいる。
布団の隙間から髪が垂れ、その髪の向こうに女の顔が覗く。
血走った目。ひび割れた唇。口がゆっくりと開かれる。
「……ゴボゴボゴボゴボゴボゴボ……」
吐き出されるのは言葉ではなく──大量の酒。
女は呻きながら、酒をあふれさせ続ける。そして、しわがれた声で言った。
「貴方が……飲ませたのよ……」
夜空は絶叫しながら女を突き飛ばし、ベッドから転がり落ちた。机の上にあった聖水の瓶を掴み、蓋を開け、半狂乱で振りまく。
聖水が霊にかかると、女は叫び声を上げてのたうち回った。顔の皮膚が泡立ち、溶けていく。
──だが、目だけは最後まで夜空を睨んでいた。怨念が渦巻くような視線で。
女は手を伸ばしかけたまま、崩れ落ちて溶けて消えた。
◆
翌朝、床には女が倒れていた形のまま、酒の染みが残っていた。
夜空は急いで神谷に連絡する。
『……もう一度、その霊媒師に会って来い』
神谷はそれだけ言って電話を切った。
◆
再び霊媒師の部屋を訪れ、夜空は聖水の効果を伝え、頭を下げた。
「助かりました。本当にありがとうございました」
すると、霊媒師は淡々と返した。
「効果があって何よりです。では、次の聖水はいかがいたしますか?」
「……次って……どういう……」
夜空は固まった。
「もちろん霊は消えましたよ。ですが──その恨みは、消えていない。怨念のまま消された霊は、やがて“もっと強い霊”になって、再び現れます」
「……そんな……」
霊媒師はにっこりと笑った。
「でも、ご安心ください。次に現れる霊に効く、もっと強力な聖水を、ちゃんとご用意しておりますよ。三万円になります」
そして霊媒師は、意味ありげに微笑んだ。
「“最初は安い聖水から始めて、段々と高い聖水を注文させるのが──この商売のコツです”」
照明の下、シャンパンの泡が弾け、嬌声と笑顔が飛び交う。だが、主役の夜空の表情はどこか冴えなかった。
イベント終了後、夜空はホールを抜け、奥の事務所へと向かった。そこにいたのは、今は裏方を務める伝説の元ホスト──神谷だった。
「……神谷さん、今ちょっといいですか」
夜空の声に、神谷は片眉を上げた。
「なんだよ、No.1様がそんな顔して」
夜空は少しだけ言い淀み、低い声で言った。
「……枕元に女の霊が出るんですよ。最近、ずっとです」
冗談かと思った神谷だったが、夜空の顔があまりにも真剣で、言葉を飲み込んだ。
「……客に恨まれるようなこと、してないか?」
夜空は視線を落とし、ここ最近の接客を思い返していた。
焦っていた。No.1の座が見えてきた頃から、とにかく売上を積まなければという思いが先行し、客の気持ちより数字を優先するようになっていた。
最初は軽く乾杯のカクテル。そこから会話を弾ませて、次第にグラスを空けさせ、タイミングを見計らって高級ボトルへと誘導する──それが夜空のやり方だった。
“最初は安い酒から始めて、段々と高い酒を注文させるのが、この商売のコツだ”
それを自分に言い聞かせるように、幾度も繰り返していた。
だが、その過程で何人もの女性に無理をさせた。真剣な想いを向けてくれた客に曖昧な言葉を使い、期待だけを膨らませて──拒絶した。
そして、ある日を境に、来なくなった客がいた。
(まさか……あの子が)
夜空の顔色を見た神谷は、軽くため息をつき、名刺を一枚差し出す。
「……あまりオススメはしないが。ひとり、紹介してやろうか。霊媒師だ。俺も昔、世話になった」
◆
指定されたマンションの一室。控えめな飾りつけと香の匂いが漂う空間で、夜空は静かに腰を下ろしていた。
「どのような霊ですか?」
机越しに、霊媒師の女が尋ねた。
「……長い黒髪で……枕元に立っています。顔はぼやけて見えません。いつも酒の匂いがして、眠っていると……ひび割れた爪で、顔を撫でてくるんです」
霊媒師は黙って頷き、小さな木箱から青い液体の入った小瓶を取り出した。
「それは、おそらくあなたに強い執着を持った女性の霊でしょう。これはまじないをかけた聖水です。次にその霊が現れたら、これを霊にかけてください。きっと退いてくれるはずです」
「1,500円で結構です」と霊媒師はさらりと言う。
夜空は財布を取り出し、ためらいなく支払った。
──もし本当にこれで霊が消えるなら、安いものだ。
◆
その夜、午前二時。
夜空はふと、胸の上に重みを感じて目を覚ました。部屋に充満する強い酒の匂いが、鼻をつく。
視線を天井から下げると、布団が妙に盛り上がっていた。布団の中に、何かがいる。
布団の隙間から髪が垂れ、その髪の向こうに女の顔が覗く。
血走った目。ひび割れた唇。口がゆっくりと開かれる。
「……ゴボゴボゴボゴボゴボゴボ……」
吐き出されるのは言葉ではなく──大量の酒。
女は呻きながら、酒をあふれさせ続ける。そして、しわがれた声で言った。
「貴方が……飲ませたのよ……」
夜空は絶叫しながら女を突き飛ばし、ベッドから転がり落ちた。机の上にあった聖水の瓶を掴み、蓋を開け、半狂乱で振りまく。
聖水が霊にかかると、女は叫び声を上げてのたうち回った。顔の皮膚が泡立ち、溶けていく。
──だが、目だけは最後まで夜空を睨んでいた。怨念が渦巻くような視線で。
女は手を伸ばしかけたまま、崩れ落ちて溶けて消えた。
◆
翌朝、床には女が倒れていた形のまま、酒の染みが残っていた。
夜空は急いで神谷に連絡する。
『……もう一度、その霊媒師に会って来い』
神谷はそれだけ言って電話を切った。
◆
再び霊媒師の部屋を訪れ、夜空は聖水の効果を伝え、頭を下げた。
「助かりました。本当にありがとうございました」
すると、霊媒師は淡々と返した。
「効果があって何よりです。では、次の聖水はいかがいたしますか?」
「……次って……どういう……」
夜空は固まった。
「もちろん霊は消えましたよ。ですが──その恨みは、消えていない。怨念のまま消された霊は、やがて“もっと強い霊”になって、再び現れます」
「……そんな……」
霊媒師はにっこりと笑った。
「でも、ご安心ください。次に現れる霊に効く、もっと強力な聖水を、ちゃんとご用意しておりますよ。三万円になります」
そして霊媒師は、意味ありげに微笑んだ。
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