九尾

マキノトシヒメ

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北海道紀行

第六話

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 二人の姉妹が草原の道を歩いている。仲良さげに歌を歌いながら、遠い道のりを歩いていた。学校へ行くのに毎日五キロの道を歩いて往復しているのだった。秋口の今頃はいいが、この先冬になり、雪が積もるとかなり労力がいる。
 ふと近い所で、ガサガサと草が動いた。何事かと姉妹が立ち止まって見ていると、一匹のキツネが道に出てきた。
「お姉ちゃん、あれ」
「まだ小さいね。こっこ(子ども)だ。親とはぐれたのかな」
 その子狐はゆっくりと二人に近づいてきた。
「かわいい」
「逃げないね」
 子狐は毛並みもよく、汚れてもいなかった。
「お姉ちゃん…」
「ダメだよ。お父さんに言われたでしょ。特にキツネは触っちゃいけないって」
「でもあの子、何か言ってるよ」
 そう言われて姉が子狐を見ると、確かに何かを訴えかけるように二人に視線を向けて口を開けては閉じている。鳴き声は出ていなかったが。子狐はちょっと困ったように後ろを振り向いた。
「お姉ちゃん、あそこ」
「白い…なに? キツネ?」
「あの子のお父さんかお母さんかな」
「多分違うよ。今は子別れの時期じゃないから、親ならあんな離れた所でじっとしているはずない。それに白い狐なんて聞いたことがないよ。でも…不思議。あったかい気持ちがする」
「うん。ぜんぜんこわくないよ」
 白い狐は左手を向いた。二人の家の方向だ。
「連れて…?」
 白い狐はゆっくりと頷く。
「でも…」
「さわっちゃダメなんだよね」
 それでも子狐に目を向けながら一歩歩いてみる。子狐はそれに合わせてゆっくり進んで止まった。
「ついてくる」
「うちまで来たら、お父さんが診てくれるかな」
「そしたらうちにいっしょにいられるかな」
「それはわからないけど…」
 二人が歩き出すと、子狐と白狐も距離を保ったまま付いていった。

 二人が家まで到着すると、妹の方が急いで家に入り、父親の元に向かった。父親は獣医で、先ほどこの地区にある牧場で牛を診てきて戻ったばかりであった。
「お父さん、お父さん」
「ああ文子お帰り。あわててどうしたの?」
「あのね、キツネさんがいっしょについてきたの」
「狐が? 触ったりしてないよね」
「大丈夫。文子はちゃんとお父さんとの約束守ってるよ」
「雪子。狐が付いて来たって?」
「うん。まだこっこだよ。でもね」
「しろいキツネさんが連れていってって」
「白い狐? そんな個体は発見された報告はないが」
「本当なのよ。あたしも見た。まるで…こっこを案内して来たみたいに見ていたの」
「うーん、ホッキョクギツネなら冬季は全身白いんだが、そもそもこの辺りにはいないし、今の季節ならかなり黒い毛になってるはずだからなあ」
「ねえ、お父さん、こっこだけでも診てあげて。いいでしょ」
「いるのか」
「外にいるよ」
 父親が外に出ると子狐は、ちょこんと座って待っていた。躾けられた犬が待っているような感じである。父親は皮手袋を付けて子狐を抱き上げた。子狐はまったく警戒している様子はなかった。
「うーん、随分ときれいにしてるな。人慣れもしている。まるで誰かが飼っていたみたいだ」
「飼われてたの?」
 雪子が少し驚いた様子で聞く。
「まさか。野生の狐がエキノコックスに感染している危険があるのは、誰でも知っている。エキノコックスは人間にも感染するんだ。重い肝臓障害を起こして死ぬこともある。うん? これは何だ」
 父親は子狐の首に巻かれていた紐を見つけた。ゆったりと巻かれていた細い紐は毛並みに隠れていた。そして顔の下辺りに小さな布が付けてあり、文字が書いてあった。
「九郎太」
「この子の名前?」
「いやいや、とんでもないことだ。これじゃまるで、子どもの狐を飼っていて、さらに捨てたみたいじゃないか。そうとしか見えないが…」
「でもお父さん、白い狐はi? なんでこの子についていたのかしら」
「近くに見えるかい?」
「あっ、いた。あそこ」
 文子が指差す先、少し離れた場所であったが、間違いなく白い狐がいた。
「ううむ…。ホッキョクギツネなんかじゃない。耳の大きさが違う。身体の形はアカギツネそのままだ。でも、それじゃあまるで…」
 父親は言葉を詰まらせた。獣医としては、ありえない言葉が出かかっていたためである。その言葉は雪子が続けた。
「お話の白狐? 狐の神さまの」
「おいなりさん?」
 三人の会話は白狐…九尾比丘尼には全て聞こえていた。野生の狐に対して行なうべき警戒はしながらも、保護して優しく扱う事を忘れない姿勢は、誠に好ましいものであった。
 が、文子の「おいなりさん」には、ちょっとズッコケそうになった。
(い、いや、稲荷神は神様であらせられるし、神使のものであっても神の眷族なのだから、わたしのような神仙なんかよりずっと位は高いし、お姿は白狐であることが多いのは知ってるけど、そんないなり寿司みたいな言い方しなくても)
 ちなみに、北海道ではいなり寿司のことは、ほとんどはいなり寿司としか言わない。おいなりさんと言えば稲荷神社もしくは祀ってある神様を指す言葉である。ここでは、九尾比丘尼は誇らしく思っていいところなのだが、生まれが関西の方であることもあり、今でも自分の中では、おいなりさんはいなり寿司なのである。
 それでも気を取り直して、再び九郎太を預けた家族を見た。
 獣医は優しくあちこちと九郎太の体を見た。異常や病気らしい点は見つからなかった。
「一応、保護団体の篠田さんにも見てもらおう。人間慣れしすぎている感じがあるから、このまま外には放ってはおけないな」
「うちにいていいの」
 文子がさも嬉しげに、九郎太をなでる。もちろん、手には柔らかな皮の手袋を着けている。九郎太の方も なでられると目を細めて気持ちよさげに顔を擦りつけた。
「文子のことが好きみたいだね」
「うん。クロちゃんうちにいるんだよね」
「クロちゃん?」
「くろうただからクロちゃん」
「いや、それは…」
(いや、それは…)
 獣医と同様、九尾比丘尼もそれにはちょっと同意しかねた。
「文子ったら、最近何でも短くするのよ。わからない時があって困っちゃう」
(あー、それでクロちゃんですか…。まあ九郎太が幸せになるなら、なんでもいいけど)
 白狐…九尾比丘尼はゆっくり振り向いて、彼らの視界から消えた。
「おいなりさん、行っちゃったね」
「本当に神様っているのかな」

 完全にその家族の視界から外れた地点で、九尾比丘尼は立ち上がって、美玲の姿に戻った。
「お疲れ様でした」
 将平が用意していた握り飯を差し出す。
「まあ、あの家族じゃったら九郎太を悪いようにはせんじゃろう。一件落着じゃな」
「何にしても良かったですね。九尾比丘尼様も大活躍とまでは行かなくても、要所を押さえることはできましたね」
「うむ。これで明日は心置きなく残っておった観光を楽しめるな」
「一応確認ですが、明日が帰る日ですよね」
「まあのう。伸ばす事も出来ぬではないが、将平の家庭の事情というものも顧みねばならぬからのう」

(続く)
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