四大国物語

マキノトシヒメ

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始まり

第二話乃七

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 セイオウ王宮に一人の来客があった。
 漆黒の魔導師服に身を包み、ゆっくりと歩を進めて行くその姿は、夕闇迫る時刻には、ややも異様にも見える。
 魔導師服は特に決められた色というものはないが、全体的には明るい色が好まれる傾向がある。ヤマノ家の魔導師服では、クリームイエロー、スカイブルー、ライムグリーンといった、明るく薄い色が使われている。
 さて、その黒い服の魔導師は王宮の正門に近づいてゆく。その姿に気がついた衛兵は身構えをする。魔導師が懐に手を入れたのを見て、一層警戒心を抱いたのであるが、これには衛兵の思い違いも少しある。なぜなら、魔導師であるのなら懐から武器を取り出すよりも、攻撃系の魔法を使う方がはるかに速いからだ。兵服やSPの服には、魔法防御用繊維を編み込んだものが支給されてはいるが、それとて完璧に防御できるわけではない。あくまで効果が低下するだけであり、高度な魔法には対処し切れない事もある。
 それでも、その警戒心を感じてか、魔導師は敵意のない事を示すため背を向けてゆっくりと懐から手を出す。また正面に向き直し、両手は見えるように、そして取り出したものは右手に持ったままゆっくりと門に近づく。その右手にあるものが何であるか判別できるようになって、衛兵は安堵の気持ちに包まれる。
 魔導師が手にしていたのは、王家の紋章が描かれた白いプレートで、王族より発行された一度だけ有効の、無期限のフルフリーパスであった。
 魔導師はフードはかぶっていない。五十がらみの男性でグレーの髪。やや痩せた感じではあるが目の光は強い。
 魔導師はチェックセンサーにプレートをかざす。一回ブザーが鳴り扉が開く。
「久しぶりに来たもので、警戒させてすまなかったね」
 丁寧な優しい口ぶりで、衛兵に軽くお辞儀をして門をくぐる。
「できれば、訪問予定を連絡された方がスムーズに対応できます。専従長の迎えもあると思いますし」
「ああ、そうだったねえ。それじゃ済まないが、専従長に連絡を取ってもらっても構わないかな。行き先はわかるが、私が単身で行くのも気になるだろう」
「パスがありますから、問題はないですが、連絡をとりましょう」
「ありがとう」
 衛兵は専従長に連絡を取る。五分ほどで専従長が姿を見せた。ところが専従長、魔導師の姿を見ると急に走りだした。
「リン様!」
「おお、パスカル君か。専従長になったのか。いや、私も歳をとるわけだ」
「一体全体、今までどうされて…いえ今日はまたどうして」
「うむ。それは道すがら話そう。マキトシ姫様は今日はおられるかな」
「はい。リン様が来られたのをお知りになられれば、お喜びになるでしょう」
 パスカルはリンを案内し、王宮の在姫エリアの応接室へと導いた。リンは懐かしげに部屋を見渡す。
「おじゃまします」
 しばらくして、リンデンがお茶を持ってくる。専従長からは、おおよその話は聞いていた。先にリンの様子を見る目的もあって来たのだが、先手を打たれてしまう。
「マキトシ姫様の従者の方ですな。私はリン・サイラムと申します。この通り魔導師ですが、術師名は使っていません。以前は魔法の講師をしていて、姫様にも教えていた時期もあります。最近はこちらに顔は出していなかったのですが、どうしてもマキトシ姫様に会わねばならぬ要件がありまして、こうして姿を現した次第です」
 リンデンの知りたかった事のほとんどを言われてしまった。まるで心を見透かされているようであった。
「ご心配なく。心を読めるわではありません。そのような魔法も使えません。ただ、人よりちょっと空気が読めるというだけです」
 ちょっとどころではない。とんでもない人である。
「それでは、どういったご用件で…」
「申し訳ありませんが、それは姫様が来られてからとさせて下さい」
 リンは出されたお茶を一口飲む。
「ああ、このお茶は美味しいですねえ。この味はバーズ卿の所のものですな。温度も淹れ具合も見事だ。このラングドシャも変わらない。懐かしい味だ」
 リンはサクサクと二つばかりクッキーをつまむ。これは専従長から言われて用意したものだ。
「リン先生!」
 マキトシ姫がけたたましく扉を開けて、部屋に飛び込んで来る。
「姫様、はしたないですよ!」
「ネ、ネエさん、おったんですか。せやかて、リン先生が来とるやなんて聞いたら、居てもたっても…」
「言い訳はしない」
「えろうすんまへん」
「姫様、すっかり大きくなられて…なられすぎてますか。噂には聞いていましたが、なるほど凄まじいばかりの呪いですなあ」
「ええねん、ええねん。こんおかげで、ワチベンとえらい仲ようなったんやし、おもろいこともようさんありますねん」
「すっかり大人になられたようですが、変わりませんなあ。私も一安心です」
 リンは懐に手を入れる。魔導師が手を隠すというのは、敵意がない事の表現の一つであるのだが、ほとんど魔導師内の符丁に近く、一般的には、さっきの衛兵のように、やはり警戒される行動であろう。リンデンも表情一つ変えてはいないが静かに姫に近寄り、最悪盾となれる位置に身を置く。マキトシ姫もリンデンがサイラム氏を疑う旨の行動をとった事に気がついてはいたが、咎めることはしない。
 リンが懐からゆっくり手を出す。そこに握られていたのは、白い小さな箱だった。箱そのもののデザインは単純だが、縁取りのところには細かな凹凸による装飾が施されている。その箱そのものが国際的にも有名なデザイナーによる逸品で、派手さは全くないが、王家に対して何かを渡そうとするときに用いるにふさわしい品である。
 リンはそのまま、箱をテーブルの上に置く。マキトシ姫の直前ではなく、かなり横にずれた位置だった。これは、貴賓に対する礼儀であり、この場では、リンデンを介して渡すとの意思表示である。無論、リンデンが中を改めることは礼儀に反しない。
「それでは…」
 リンデンが箱を手に取り、蓋を開く。最初特別な反応を見せなかったリンデンだったが、それが何であるかがわかり、手が震えた。危険な物ではない。その事ははっきりとしていたので、落ち着いてマキトシ姫の前に箱を置く。
 マキトシ姫はそれを目にした時に何であるか、すぐにわかった。魔石である。漆黒の。
「リン先生、こん魔石…」
「姫様は魔法は苦手で、ほとんど使えませんでしたな。しかしただ一つだけ習得されました」
「解放術でおます」
「この魔石を使えば、一つの呪いは抑制することができるでしょう。残念ながら、解放するには私の力ではとても足らない…。三大術師恐るべしです」
「一つは効果を無くせるのですか」
 リンデンが尋ねたが、リンは少し苦い顔になってため息もついた。
「それもせいぜい百時間、四日間程度でしょう。使い方を誤れば時間は短くなってしまうでしょうし。私にできるのはこのくらいしかありませんでした。申し訳ありません」
「先生…」
 マキトシ姫の目に涙が浮かぶ。しかし、マキトシ姫はふと気がつく。
「まさか、先生が隠遁しとったんはこれのためでっか?」
「そんな大げさなものじゃありませんよ。さて、名残惜しいですが、そろそろおいとまさせていただきます」
「そんな。まだ来たばかりやないですか」
「重ね重ねの無礼、ご容赦願います。その魔石は姫様のお役に立てて下さい」
 リンは右腕の袖をまくって、魔法補助印のストッパーを外す。そして目を閉じると、リンの姿はかき消えた。魔導系最高峰の時空系魔法、瞬間移動術である。この魔法を使えるのは三大術師のカーとポー以外(テーは魔導系は一つも習得していない)では、世界でも十人いるかいないかだと言われている。
「八年…」
 マキトシ姫は今までリン・サイラムがいた場所を見つめてつぶやく。
「先生にうたんは八年ぶりや。こんなごっついもん作ってくれはって、礼もう暇ないやないかい。ご容赦せんわあ! 戻ってこんかいアホー!」
 マキトシ姫の叫び声が空く響いた。これが魔法的には縁の薄い師弟の最後の出会いであった。
 ところで、王宮の警備センターは大変な騒ぎになっている。王宮内から瞬間移動の反応があったからだ。瞬間移動は侵入、逃亡に使えば、どんなセキュリティもくぐってしまう。そのため、六年前にこのシステムが導入されたのだが、当然リン・サイラムがその事を知る由もない。マキトシ姫の元への賓客ということがわかるまで、この騒動は続いたのであった。

(第二話 了)
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