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5、ハグ、好き、キス

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 授業を受けている時も、ファミレスのバイトでメニューを運んでいる時も、お家に帰ってからも、ずっと気分が晴れないままだった。

 いつもならおいしいはずのいっちゃんのハンバーグも、なんだか今日は味がよく分からなかった。

 使ったお皿を全部洗い終わったので、スマホをいじっているいっちゃんから少し距離をあけ、ソファーに座る。いっちゃんはのどかを横目で見て、さりげなく距離を詰めてきた。

 やっぱりいっちゃんが好き。大好き。
 このままハグして、いっぱいキスしたい。

「いっちゃん」

 いっちゃんの服をぎゅっと握り、彼を見上げる。いっちゃんものどかを見つめ、目線だけで返事をした。

「そろそろ言う気になった?」

 いっちゃんと一緒にいるだけで、のどかは幸せだよ。
 
 でもね、やっぱりいっちゃんの気持ちも聞かせてほしいの。一回だけでも言ってもらえたら、きっと安心できると思うんだ。

「何が」

 いっちゃんは視線をさまよわせてから、ポツリと言った。
 
「いっちゃんのバカ。分かってるくせに」

 やっぱり、言ってくれないんだ。
 悲しくなってきちゃったよ、いっちゃん。

「好きって言ってくれないなら、」

 もういっちゃんが言ってくれないなら、知らない。
 それなら、のどかも言っちゃうよ? あの言葉を言っちゃうんだから。

「わ、わか、わかれ……っ」

 絶対言う。そう決めたはずだったのに、言葉が出てこない。胸がぎゅーって苦しくなって、涙がポロポロと溢れ出す。

「……っ。うぅ……っ、やっぱりやだよ~……」

 自分から言い出したくせに、いざ言おうと思ったら言えなかった。想像しただけで苦しくなって、涙が止まらなくなる。

「いっちゃんと別れたくない……っ」

 いっちゃんを困らせてるって分かってるのに。
 どうしても泣き止めなくて、両手で顔を覆う。
 
 声をかけようかどうしようか迷っているのかな。
 いっちゃんからためらうような息遣いが聞こえる。

「のどか」

 しばらくして、のどかの頭にいっちゃんの手がポンと置かれた。

 いっちゃんの大きな手の感触。
 温かい体温にほっとして、とげとげだった心が少しだけゆるまる。

 手を離し、涙でぐちゃぐちゃの顔を上げる。

「スミマセンでした」

 目が合った瞬間、いっちゃんはガバッと頭を下げた。
 
「え……。うそ、いっちゃんが謝ってくれるなんて」

 『好き』も言ってもらえてないけど、いっちゃんから謝ってくれることもほとんどない。ケンカした時も、謝るのはいつものどかだし。
 
 びっくりして、涙も止まっちゃった。

 いっちゃんは罰の悪そうな顔をして、のどかの手にそっと触れる。

「のどかが言ってほしがっとるの分かっとったのに、言ってやらんくて悪かった」
「やっぱり分かってたんだね」

 顔色を窺うようにのどかを見てから、いっちゃんは無言で頷く。いっちゃんはうつむいて、重ねていたのどかの右手をぎゅっと握った。

「口にせんでも、毎日毎秒思っとる。つーか、好きなんて言葉じゃ伝えきれねぇ」

 いっちゃんはのどかの右手を握ったまま、怒っているような恥ずかしそうな顔をして、気持ちを伝えてくれる。
 
 飾り気がなくてストレートな言葉。
 いっちゃんのありのままの気持ちが伝わってきて、胸がいっぱいになる。

「言おうと思っても、その度にむず痒くなって……」
「いっちゃん」
 
 もう十分だよ、いっちゃん。いっちゃんの気持ちは伝わったから。そう言おうと思ったのに、のどかの言葉に被せるようにして『けど』といっちゃんが言った。
 
「のどかがどうしても言ってほしいっつーなら、……がんばる」

 繋いでいない方の左手も引き寄せ、のどかの両手をぎゅっと握って、いっちゃんはすがるように言った。

 いつもかっこよくて、のどかのヒーローで、出来ないことなんて何一つない。いっちゃんのこんな姿、初めて見た気がするよ。

 すごく可愛くて、守ってあげたくて、心臓がきゅっとなる。
 
 あのいっちゃんがここまで言ってくれるなんて。
 『がんばる』って思ってくれただけで、もう十分だよ。『好き』よりも嬉しい気持ちをもらっちゃったから。

「ううん、いいの。分かってるから、大丈夫だよ」

 いっちゃんの黒い瞳を見て、フルフルと首を横に振る。

「ごめんね、いっちゃん。そのままのいっちゃんでいいんだよ」

 気持ちを言葉にしてくれなくても、いっちゃんはとっても優しい人で、誰よりものどかを愛してくれてる。器用なのに不器用で、プライドが高いのに優しい。
 
 のどかは、そんないっちゃんを好きになったんだから。

 全部分かってたはずだったのに、どうして不安になったりしたんだろう。不安になる必要なんて、最初からなかったのに。

「いっちゃん、大好き」

 繋いでいる両手を握り直し、自分から唇を重ねる。
 それから、いつもよりも小さく見えるいっちゃんに抱きつく。

 わずかに間があってから、いっちゃんはおぼつかない手つきで、のどかを抱きしめ返してくれた。

「のどか」
「うん」

 少しこもった低い声で、いっちゃんが名前を呼んでくれるのが好き。

 もう近づけないってくらいにいっちゃんに近づいて、返事をする。
 
「好きだ」

 え。ハッとして、いっちゃんの顔を見ようとした。
 だけど、いっちゃんがのどかをぎゅーっと抑えてきて、彼がどんな顔をしているのか見ることができない。

「いつもニコニコ笑ってるのが可愛い」
「ふぇ?」
「ちょっとしたことでも大げさにほめてくれるのも嬉しい」
「え」
「すぐに甘えてくるところが好き」
「あ、あのっ」

 ひえぇ。どうしちゃったの、いっちゃん。
 
 のどかをきつく抱きしめたまま、いっちゃんがのどかの好きなところ(?)を急にあげ始める。
 
 のどかが負担かけすぎて、いっちゃんがおかしくなっちゃった!?

「のどかの全部が好き」
「いっちゃん……っ」

 聞いていられなくなって、いっちゃんの胸を少し強めに押す。

 伏し目がちないっちゃんの顔が、今まで見たことないぐらいに赤く染まっている。でも、たぶんのどかの顔もいっちゃんに負けないくらい赤くなっちゃってると思う。

 いっちゃん……。今のいっちゃんを見てたら、ますます顔が熱くなってきちゃった。

 いっちゃんがきっとすごくがんばって言ってくれたことが伝わってきて、胸がいっぱいだよ。

 どうしたらいいのか分からなくなって、いっちゃんのトレーナーの裾をつかむ。

「のどかも大好き。いっちゃんが好き」
「オレも好き」

 少し赤みが引いたいっちゃんの顔が近づいてきて、そっと瞳を閉じる。
 
 言ってもらえなくても、いっちゃんの気持ちは分かってるよ。だけど、好きな人に『好き』って言ってもらえるって、こんなにも嬉しいんだね。

 大好きだよ、いっちゃん。
 これからも、たまには『好き』って言ってね。

       ――おしまい。――
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