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短い髪は風ですぐに乾いた。
昨夜戻ったのは遅かったから、アシュレイ家の構造を碌に見ていない。
部屋を出て、広間からテラスへ歩み出しながら目を見張る。
何て光景。
目の前に息を呑むほど鮮やかな緑が広がっている。
待って待って待って。
混乱して瞬きを繰り返した。
だってまだほんの春先、遅く重々しくやってきた冬がようやく腰を上げて立ち去ろうとするような季節、ベビードールを身に着けたとき、暖房が効いていても一瞬鳥肌が立ったのを覚えている(すぐに暖房を切らなくではならなくなるほど暑くなるかもと震えたのは別として)。
今も薄青い天空から吹き付けてくる空気はひんやりとしていて、気を張っていなければ風邪を引いたかもと思えるぐらいなのに。
そして事実、背後に聳え立つアシュレイ家の建物の向こう側では、凍える風に少ない枯れ葉を吹き飛ばされて、なお寒々しい樹々しか見なかったというのに。
確かめに行こうかという想いは、テラスを辿って階段を降り出したとたん、すっかり消えた。
「なんて……緑」
呟いた声が静まり返った庭園に響く。
白い階段は粒の揃った砂利で作られた遊歩道に続いている。建物から数m離れれば、砂利道は白く乾いた石畳の通路へ、しかも通路は前後左右に果てしなく入り組み広がっている。
その間をこんもりと茂る木々が高く低く視界を遮る。
「……針葉樹だわ」
手近の樹に近づいて驚いた。
「こんなに明るい葉をしてるなんて」
手を差し伸べ、掌に受けてまじまじと眺める。尖った鋭い形は針葉樹そのものなのに、今まで見た針葉樹よりうんと明るい緑、そう考えて気がついた。
「若芽、なのね」
この鮮やかな庭園はまだうんと若い樹々で作られ始めたばかりなのだろう。
「違うよ」
「っ」
ふいにすぐ側から声がして立ち止まる。
「コニファーガーデンと言うんだ。針葉樹で作られている」
見回しても誰もいない。樹々の陰に隠れているのかと思って覗き込んだが、見つからない。
「コニファーにはいろいろな色と種類がある。3000種はあるらしいよ」
「どこにいるの? …クリス」
「……ふうん」
声でわかるの、と続いたことばに、ようやく、右奥の樹の根本に踞るような相手を見つけた。見事なプラチナブロンドはゴムで纏められている。昨日の礼装はどこへやら、洗いざらしたシャツとジーンズ、額に汗を浮かべながら生真面目な顔で樹の根本に溜まった水を覗き込んでいる。
「…何をしてるの」
「新しい樹の植え付け」
そっけなく答えたクリスは、ようやく顔を上げた。
「確かにこの庭はまだ若いけど、君が触れていたゴールドクレストは元々黄緑色なんだ」
軽く樹を揺さぶってから、クリスは立ち上がった。頬に少し土がついているが、気づいてはいないようだ。
「こんな明るい針葉樹なんて知らないわ」
「無知なんだね。サンキストやゴールデングローブは黄金色だよ」
「…その樹々はまだないの?」
「…そうだな、今はまだない」
クリスは腰に手を当て、ゆっくりと周囲を見回した。風にほつれたプラチナブロンドが舞ってきらきら光る。
「けれど、もう少ししたら、あの辺にも広げて植え付けるつもりだ」
指を伸ばして指し示す向こうに、石畳と低いレンガに囲まれた部分が見えた。
「見に行ってもいい?」
「…どうぞ、君の庭でもあるから」
「え」
思わずマリアは立ち止まった。
「え、って?」
「本当?」
「何が」
「本当に、この庭は私のものでもあるの?」
どきどきと音を立て出した心臓がうるさい。
「もちろんだ、君はマリア・アシュレイなんだろう?」
皮肉な響きを残したことばも気にならなかった。
「ひょっとして、好きな時に歩き回っても構わない、とか?」
「無理には勧めないけど」「無理だなんて!」
被せるように叫んでしまった。
「本当に本当にいいのね、好きなだけ居てもいいのね、もう取り消しは効かないわよ」
「おかしな人だな」
くすりとクリスが笑った。
「どうぞ、奥様」
「ありがとう!」
満面の笑顔で応じて、さっきクリスが示した場所を振り向く。柔らかな土の焦茶を囲む甘いレンガ色。ベージュの石畳のラインに見惚れた。無意識に歩き出し、どんどん近づいて、広がってくる色と形の素晴しいバランスを楽しむ。
「クリス…」
「何?」
「あなた、天才ね」
「…へ?」
ひどく間抜けた声が響いて振り向いた。相手は戸惑い眉を寄せ真剣に訝しがっている。
「何を言って」「だって」
マリアはもう一度庭を眺めた。
こんな美しい配置にあの見事な緑が加わるなんて。どうしよう、涙が出そうなほど嬉しいわ。
「ずっと眺めていたいわ。本当に綺麗よ、こんなものを生み出せるなんて、凄いわ、クリス」
「……教会で天井を見上げていたね」
「ええ、あれもとても素晴しかった!」
困った癖だ、どうしようもない性分だ。でも、美しい色と形に頭も心も奪われて身動き取れなくなってしまう。
「……もうすぐ昼だよ」
「あ、ええ、けど、もしよかったら、もうしばらくここに居てもいいかしら、ほら私はあなたの妻だし、それぐらいの我が儘は…」
「よければ、ここで昼を食べよう」
「……え?」
庭に見惚れていて何を言われたのかわからなかった。
「あそこに四阿がある」
「……あの茶色の小さな建物ね?」
「小さいけれど、テーブルとベンチがあって、あそこに昼を運ばせれば、食べながら庭を見ていられるけど」
「是非!」
思わず即答してしまった。
「お願い、クリス!」
くす、とまたクリスは笑った。
「了解、奥様」
昨夜戻ったのは遅かったから、アシュレイ家の構造を碌に見ていない。
部屋を出て、広間からテラスへ歩み出しながら目を見張る。
何て光景。
目の前に息を呑むほど鮮やかな緑が広がっている。
待って待って待って。
混乱して瞬きを繰り返した。
だってまだほんの春先、遅く重々しくやってきた冬がようやく腰を上げて立ち去ろうとするような季節、ベビードールを身に着けたとき、暖房が効いていても一瞬鳥肌が立ったのを覚えている(すぐに暖房を切らなくではならなくなるほど暑くなるかもと震えたのは別として)。
今も薄青い天空から吹き付けてくる空気はひんやりとしていて、気を張っていなければ風邪を引いたかもと思えるぐらいなのに。
そして事実、背後に聳え立つアシュレイ家の建物の向こう側では、凍える風に少ない枯れ葉を吹き飛ばされて、なお寒々しい樹々しか見なかったというのに。
確かめに行こうかという想いは、テラスを辿って階段を降り出したとたん、すっかり消えた。
「なんて……緑」
呟いた声が静まり返った庭園に響く。
白い階段は粒の揃った砂利で作られた遊歩道に続いている。建物から数m離れれば、砂利道は白く乾いた石畳の通路へ、しかも通路は前後左右に果てしなく入り組み広がっている。
その間をこんもりと茂る木々が高く低く視界を遮る。
「……針葉樹だわ」
手近の樹に近づいて驚いた。
「こんなに明るい葉をしてるなんて」
手を差し伸べ、掌に受けてまじまじと眺める。尖った鋭い形は針葉樹そのものなのに、今まで見た針葉樹よりうんと明るい緑、そう考えて気がついた。
「若芽、なのね」
この鮮やかな庭園はまだうんと若い樹々で作られ始めたばかりなのだろう。
「違うよ」
「っ」
ふいにすぐ側から声がして立ち止まる。
「コニファーガーデンと言うんだ。針葉樹で作られている」
見回しても誰もいない。樹々の陰に隠れているのかと思って覗き込んだが、見つからない。
「コニファーにはいろいろな色と種類がある。3000種はあるらしいよ」
「どこにいるの? …クリス」
「……ふうん」
声でわかるの、と続いたことばに、ようやく、右奥の樹の根本に踞るような相手を見つけた。見事なプラチナブロンドはゴムで纏められている。昨日の礼装はどこへやら、洗いざらしたシャツとジーンズ、額に汗を浮かべながら生真面目な顔で樹の根本に溜まった水を覗き込んでいる。
「…何をしてるの」
「新しい樹の植え付け」
そっけなく答えたクリスは、ようやく顔を上げた。
「確かにこの庭はまだ若いけど、君が触れていたゴールドクレストは元々黄緑色なんだ」
軽く樹を揺さぶってから、クリスは立ち上がった。頬に少し土がついているが、気づいてはいないようだ。
「こんな明るい針葉樹なんて知らないわ」
「無知なんだね。サンキストやゴールデングローブは黄金色だよ」
「…その樹々はまだないの?」
「…そうだな、今はまだない」
クリスは腰に手を当て、ゆっくりと周囲を見回した。風にほつれたプラチナブロンドが舞ってきらきら光る。
「けれど、もう少ししたら、あの辺にも広げて植え付けるつもりだ」
指を伸ばして指し示す向こうに、石畳と低いレンガに囲まれた部分が見えた。
「見に行ってもいい?」
「…どうぞ、君の庭でもあるから」
「え」
思わずマリアは立ち止まった。
「え、って?」
「本当?」
「何が」
「本当に、この庭は私のものでもあるの?」
どきどきと音を立て出した心臓がうるさい。
「もちろんだ、君はマリア・アシュレイなんだろう?」
皮肉な響きを残したことばも気にならなかった。
「ひょっとして、好きな時に歩き回っても構わない、とか?」
「無理には勧めないけど」「無理だなんて!」
被せるように叫んでしまった。
「本当に本当にいいのね、好きなだけ居てもいいのね、もう取り消しは効かないわよ」
「おかしな人だな」
くすりとクリスが笑った。
「どうぞ、奥様」
「ありがとう!」
満面の笑顔で応じて、さっきクリスが示した場所を振り向く。柔らかな土の焦茶を囲む甘いレンガ色。ベージュの石畳のラインに見惚れた。無意識に歩き出し、どんどん近づいて、広がってくる色と形の素晴しいバランスを楽しむ。
「クリス…」
「何?」
「あなた、天才ね」
「…へ?」
ひどく間抜けた声が響いて振り向いた。相手は戸惑い眉を寄せ真剣に訝しがっている。
「何を言って」「だって」
マリアはもう一度庭を眺めた。
こんな美しい配置にあの見事な緑が加わるなんて。どうしよう、涙が出そうなほど嬉しいわ。
「ずっと眺めていたいわ。本当に綺麗よ、こんなものを生み出せるなんて、凄いわ、クリス」
「……教会で天井を見上げていたね」
「ええ、あれもとても素晴しかった!」
困った癖だ、どうしようもない性分だ。でも、美しい色と形に頭も心も奪われて身動き取れなくなってしまう。
「……もうすぐ昼だよ」
「あ、ええ、けど、もしよかったら、もうしばらくここに居てもいいかしら、ほら私はあなたの妻だし、それぐらいの我が儘は…」
「よければ、ここで昼を食べよう」
「……え?」
庭に見惚れていて何を言われたのかわからなかった。
「あそこに四阿がある」
「……あの茶色の小さな建物ね?」
「小さいけれど、テーブルとベンチがあって、あそこに昼を運ばせれば、食べながら庭を見ていられるけど」
「是非!」
思わず即答してしまった。
「お願い、クリス!」
くす、とまたクリスは笑った。
「了解、奥様」
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