『コニファーガーデン』

segakiyui

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「マーリア?」
「ああもう信じられない!」
 マリアは涙目になりながら、傾いたヘッドドレスを引っ張った。
「どういうこと? 昨日だってちゃんとセットして寝たのに、どうして今日はこの髪の毛が跳ねたままなの?」
「ああ、それはきっと俺にも責任があるよ」
 クリスが澄ました顔で鏡の中から見返してくる。
「シャワーを浴びて眠るつもりだったのよ!」
「そうだね」
「でも、あなたったら!」
「うん、本当にごめん」
「謝ってないでしょ!」
「謝ってるよ、全力で、奥様」
 微笑むクリスの目に反省の色がないのにマリアはむくれた。
「真夜中を過ぎてたのに!」
「だって奥様、君の胸が柔らかくて」
「今日は朝から式なのに!」
「しっとり俺を迎えてくれるし」
「昨日も遅くまでインタビューがあったから!」
「時間が取れなかったんだってね、あれから引っ張りだこだから」
 クリスが視線で指し示し、さすがに一瞬マリアは黙った。
 鏡に映った奥に、壁にかけられた1枚の絵画がある。
 緑豊かな庭と包まれるような小屋を描いた風景画、一瞬写真か映像にも思えるほどの精密度だが、さすがに名だたる審査員達はすぐに違和感に気づいた。
『これは…あらゆる季節が描かれているね』
『光が全てに差し込んでいるな…これだけの森ならあり得ないが』
『ガラスに映り込む人物は何人居るんだ? 私の目には数十人に見えるんだが、なぜだ?』
 マリアの最新作『時の庭』だ。
 受賞時の評はこう語られている。
『この作品には決してあり得ない現実の光景が写し取られている。全ての季節が存在し、描かれた人物の全ての年齢が見えるように感じる。切り取られたはずの時間がここには密度を高めて存在し、見るものに永遠を与える』
「誰もが不思議がっている、現実そのものにしか見えないのに、現実ではあり得ない光景だって」
「…そういうものじゃない? 私達はこうやって現実を見てるけど、見ているのはこの数秒ではなくて、もっとたくさんの過去と未来の時間なんでしょ」
 ベントリの受け売りだが、マリアにはそこまでしかうまく説明できない。
 マリアはヘッドドレスが浮き上がるのを諦めてピンで止めた。
 待ち構えているクリスにシルクの手袋に包まれた指を伸ばす。踵の下のヒールは低め、けれども靴は一番脚を美しく見せてくれるものを選んだ。
「膝上のドレス、小さなブーケ、ねえマリア」
 クリスがちらちらと動く膝に視線を落としながら唇を尖らせる。
「もっと豪華なドレスが一杯あったのに」
「似合わない?」
「似合うから困るんじゃないか」
 クリスは溜め息をついて、屋敷の中をエスコートしていく。
「その可愛らしい膝小僧をどうして俺以外に見せたいのかな」
「このドレスはね」
 クリスの不満そうな顔に微笑む。
「私の母が嫁いだときと同じデザインなの」
 それほど裕福ではなくて、けれどしっかり未来に足を踏み出そうと決意していた。
「本当は、いつか私も同じように自分で踏み出すと決めていたの…とても大事な愛する人と」
 見上げると、2ヶ月前より柔らかくなった笑顔でクリスが見下ろしてくる。
「縫い上がるまで待たせてごめんなさい、クリス」
 でも、今日から私は永遠にあなたのものよ。
「…うん」
 薄く頬を染めたクリスが嬉しそうに頷いて唇を結ぶ。
 教会の扉を開くと、笑顔と歓声が2人を迎えた。待ち切れずに撒かれた花びらの間を、クリスに導かれて歩いていく。前とは違って、教会を埋めるのは、宇宙開発事業に関わる職員や、マリア・ビズゴッドの作品を愛する仲間、少し遠くだが、妹を亡くしてからアシュレイの宇宙開発事業に加わったアルディッドの姿もあった。
「でも、本当は、俺のほうがうんと昔から決めてたんだ」
 クリスが小さく囁く。見上げた視線につられて、一緒に教会のステンドグラスを見つめ、マリアは瞬きした。
「あら、まあ」
 それは一連の物語になっていた。
 青と緑の海辺のような光景はよく見ると子どもが1人佇んでいる。次の場面では子どもと女性がお互いに向かい合っていて、天空から陽射しが差し込んでいる。教会の中央で寄り添う2人、森の中の小さな小屋、そして最後の場面は大きな船のようなものの前で佇む男女の姿。
「宇宙へ行くのね」
 囁き返す。
「君は眠って、俺が船を動かして」
 クリスが呟く。
「慎と梨々香は頑張ってるわ」
 ほんとうに、ほんとうに、つれてってくれるの?
 まっすぐな目を輝かせながら尋ねていた。
 行っていいの、ぼくら、あの空の向こうへ。
「あのねえ、奥様」
 甘えた声でクリスが続けた。
「俺は最近、歳を取ってきたみたい」
「え?」
 祭壇に向かいながら思わずマリアは下腹部を見下ろす。
「嘘」
「ほんと」
 クリスが薄く赤くなる。
「女の子だって気がするんだけど」
「当たってるわ」
 マリアは頷いた。
「しかもあなた似なの」
「? どうして知ってるの?」
 戸惑うクリスにヘッドドレスのレースを上げて、クリスの両頬を包む。
「これから行くわって予告された」
「…さすが俺達の娘」
 クリスもマリアの頬を掬い上げる。
「決めたら引かないのは君譲り」
「都合を聞いてくれないのはあなた譲り」
 誓いのことばを互いの唇に触れながら伝える。
「君を永遠に望み続ける」
「あなたを永遠に愛するわ」
 重なる口に時が封じられる。
 

 アシュレイ家の大階段の正面に、巨大な絵画が飾られている。
 白いタキシードの当主、クリス・アシュレイ。その隣には膝丈のウエディングドレスを着たマリア・アシュレイ。
 マリア・ビズコッドの名で画家としても著名になったマリアの手によると言われ、時価は現在も上がり続けている。
 『ネグラダ・アシュレイ』ー暁を示すアシュレイ。
 本来ならば、男性当主にのみ与えられる称号を受けた女性は、美しい絵画を数多く残し、愛しい夫と40光年離れた惑星へ旅立った。
 最初の通信が、今、緑溢れるアシュレイ家に届く。
 愛を、込めて。


                                おわり
 
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