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ぎらぎらと照り返しのきつい道路を横切って、ようやく家の近くの公園まで戻ってきた。夏休みとあって、笑い合う若い親子連れやのんびりと犬を散歩させている老人がいる。
公園の中には入ったものの、それ以上家へ近づく気になれなくて、古びたコンクリートのベンチにぐったりと腰を落とした。
『悪いとは思ったが、金沢君は若いから、仕事はいくらでも見つかるよ』
出勤してすぐに呼び出されたのは、度重なった遅刻のせいだと思っていた。だが、それはとても丁寧で冷ややかなリストラの話、後ろでくすくすと妙な笑い方をするのを振り返ると、慌てて首を竦めた定年間近の池上と目が合った。『逆らうからだ』。
細く聞こえた呟きに俊次は切れた。『てめえ!』。殴り掛かったのは止められた。『何だ、年長者への礼儀はないのか』。ヒステリックに叫ぶ池上を睨みつけたが、何もかも遅かった。
「年長だからって、定年間近だからって、手を抜いてもいいってこた、ねえだろう」
自分の声が弱々しくて不愉快だった。このまま昼前に帰って、それでなくてもパート勤めでいらいらしている洋子に、馘になったと説明するだけでもうんざりだ。『またなの。何度仕事変われば気がすむのよ』。
洋子が怒鳴れば、五歳のかなこと三歳のひとしもぐずり出すに決まっている。ましてや今日は、足腰が弱って最近何かと俊次の家にやってくる両親がいる。帰れる気分ではない。
ぼんやりしていると、公園のどこからやってきたのか、ふいににじむように視界に黒い人影が入ってきてぎょっとした。この暑いのに、黒いコートを着てよれよれになったズボンをはいた男だ。格好のみすぼらしさに不似合いな滑るような動きでベンチに近寄ってくると、俊次の隣にするりと座った。
おかしな奴。他にもベンチは空いてるのに。
薄気味悪さに立ち上がろうとしたとき、
「くやしいだろう」
きしるような声で男が言って、俊次は動きを止めた。
「世の中は理不尽だ。何で俺が。そう思う」
思わず振り返ると、男は俊次を凝視していた。ばさばさと長い髪の下で、黄色く濁った目を笑ませて、男は続けた。
「いいものをやろう。望みがかなえられる」
男はコートの下から茶色の古い鞘に入った長さ十五センチほどの短剣を取り出した。
「見ていろ」
言い捨てると、公園の真ん中に漂うように歩いて行く。
気がつくと辺りはいつの間にか緊張していて、公園の真ん中で、年若い母親と子どもに派手なシャツで人相の悪い男がからんでいた。周囲は心配はしているがどうすることもできないといった顔で遠巻きにしている。
その男に、コートの男は平然と近寄っていく、と見る間に手にした剣を振り上げてためらいも
せずに相手を刺した。
男が呻いて倒れ、若い母親が悲鳴を上げた。周囲がさすがに走り寄ってくる。だが、不思議なことにコートの男には誰一人気づかない。救急車だ、いやもう死んでるそ、といった声の合間に、いったいどうしたんだ、急に倒れたぞ、ということばが響いて、俊次は目を見張った。
コートの男はゆるゆるとこちらへ戻ってくると、うっすらと妙な笑い方をした。
「この剣で刺せば、相手は死ぬが、お前のせいだとはわからない。これでお前の望みを果たすことだ」
差し出された剣を俊次は無意識に受け取った。瞬間、頭の中を池上がよぎった。剣の重みが増したのにどきりとして目を上げると、コートの男はもう遠ざかっていくところだった。蒸し暑い風が吹き抜けて、男のコートを一瞬吹き上げたとき、男の腹の辺りが真紅に染まっていたように見えた。
だが、その姿もやがて、公園の隅へ溶けいるように消えて行った。
公園の中には入ったものの、それ以上家へ近づく気になれなくて、古びたコンクリートのベンチにぐったりと腰を落とした。
『悪いとは思ったが、金沢君は若いから、仕事はいくらでも見つかるよ』
出勤してすぐに呼び出されたのは、度重なった遅刻のせいだと思っていた。だが、それはとても丁寧で冷ややかなリストラの話、後ろでくすくすと妙な笑い方をするのを振り返ると、慌てて首を竦めた定年間近の池上と目が合った。『逆らうからだ』。
細く聞こえた呟きに俊次は切れた。『てめえ!』。殴り掛かったのは止められた。『何だ、年長者への礼儀はないのか』。ヒステリックに叫ぶ池上を睨みつけたが、何もかも遅かった。
「年長だからって、定年間近だからって、手を抜いてもいいってこた、ねえだろう」
自分の声が弱々しくて不愉快だった。このまま昼前に帰って、それでなくてもパート勤めでいらいらしている洋子に、馘になったと説明するだけでもうんざりだ。『またなの。何度仕事変われば気がすむのよ』。
洋子が怒鳴れば、五歳のかなこと三歳のひとしもぐずり出すに決まっている。ましてや今日は、足腰が弱って最近何かと俊次の家にやってくる両親がいる。帰れる気分ではない。
ぼんやりしていると、公園のどこからやってきたのか、ふいににじむように視界に黒い人影が入ってきてぎょっとした。この暑いのに、黒いコートを着てよれよれになったズボンをはいた男だ。格好のみすぼらしさに不似合いな滑るような動きでベンチに近寄ってくると、俊次の隣にするりと座った。
おかしな奴。他にもベンチは空いてるのに。
薄気味悪さに立ち上がろうとしたとき、
「くやしいだろう」
きしるような声で男が言って、俊次は動きを止めた。
「世の中は理不尽だ。何で俺が。そう思う」
思わず振り返ると、男は俊次を凝視していた。ばさばさと長い髪の下で、黄色く濁った目を笑ませて、男は続けた。
「いいものをやろう。望みがかなえられる」
男はコートの下から茶色の古い鞘に入った長さ十五センチほどの短剣を取り出した。
「見ていろ」
言い捨てると、公園の真ん中に漂うように歩いて行く。
気がつくと辺りはいつの間にか緊張していて、公園の真ん中で、年若い母親と子どもに派手なシャツで人相の悪い男がからんでいた。周囲は心配はしているがどうすることもできないといった顔で遠巻きにしている。
その男に、コートの男は平然と近寄っていく、と見る間に手にした剣を振り上げてためらいも
せずに相手を刺した。
男が呻いて倒れ、若い母親が悲鳴を上げた。周囲がさすがに走り寄ってくる。だが、不思議なことにコートの男には誰一人気づかない。救急車だ、いやもう死んでるそ、といった声の合間に、いったいどうしたんだ、急に倒れたぞ、ということばが響いて、俊次は目を見張った。
コートの男はゆるゆるとこちらへ戻ってくると、うっすらと妙な笑い方をした。
「この剣で刺せば、相手は死ぬが、お前のせいだとはわからない。これでお前の望みを果たすことだ」
差し出された剣を俊次は無意識に受け取った。瞬間、頭の中を池上がよぎった。剣の重みが増したのにどきりとして目を上げると、コートの男はもう遠ざかっていくところだった。蒸し暑い風が吹き抜けて、男のコートを一瞬吹き上げたとき、男の腹の辺りが真紅に染まっていたように見えた。
だが、その姿もやがて、公園の隅へ溶けいるように消えて行った。
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