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俊次はのろのろとベンチから立ち上がった。受け取った剣は手から消えていない。慌ててポケットにねじこむと、ずっしりと重い。
家に帰るきっかけが掴めた気がして、俊次は公園を過ぎた小さな白いマンションに戻った。五年前ローンで買った代物、確かに狭くて俊次と洋子が暮らすのに手一杯だが、それでも俺だって家を買えたんだと誇らしかった。二人の子どものために頑張ろうとも思っていた。その直後に会社が倒産してからがケチのつきはじめ、それも社長の豪遊の果てだというのだから、笑い話にもならない。
小さなエレベーターに入ると、きつい香水の匂いをプンプンさせた中年の女が乗り込んできた。何階とも言わずにこちらを睨んでいる。
「何階ですか」
尋ねてみたが、冷ややか顔で俊次の上から下まで見て、
「五階よ」
放り捨てるように答えた。それから、聞こえよがしに
「どういうつもりなんだか」
肩から下げたバッグを手元で引き寄せた。
「あんた何階なの?」
唐突に聞かれて俊次は戸惑った。
「は?」
「何階で降りるのかって聞いてるのよ」
「六階ですけど」
「六階? 何て言う名前?」
「金沢です」
「金沢なんて人、ここに住んでないわよ、ほんとに、このマンションにいるの?」
不快げにまくしたてられて、俊次は口をつぐんだ。
「やっぱり違うんでしょ、やっぱりね、どういうつもりなんだか、ほんと近ごろの若い人は」
勝ち誇ったように言う相手から目を逸らせる。
「せっかく育ててもらってんのに、親の恩もわからないで、こんなことばっかり考えて、お金ばっかり使って、人間としてもモラルとか社会的責任とか、良心とか常識とか」
「じゃあ、あんたは持ってんのかよ」
俊次が言い返して相手は真っ青になった。
「自分からエレベーターに乗り込んできて、人の親切を疑って、挙句の果てに泥棒か痴漢見るみたいな目をしやがって」
「あっ、あたしは」
「いったい何様のつもりなんだ」
そのとたん、俊次のポケットでちりちり、と何かが鳴った。はっとしてポケットを押さえると、さっき突っ込んだ剣が小さく震えている。
「ほら、ごらんなさいよ、ところかまわずケイタイ鳴らして、それでもモラルがあるっていうの」
女が叫んだ瞬間、ちりん、と音は止まった。
俊次の手がポケットに吸い込まれたかと思うや否や、剣が掌に吸い付くように飛び出してきて、俊次の手をひきずって空を走った。
「ひっ」
女が体をのけぞらせる間もなく、剣が鞘から滑りだし、女の胸へと切っ先を食い込ませる。
「わっ」
とっさに手を放したつもりだったのに、剣は手から落ちなかった。再び俊次の手を借りて、ポケットの鞘に戻る。
女は白目を剥いてずるずると壁にもたれてくずおれた。その胸からも、周囲にも、血が流れた様子はない。
ちょうどそのとき、五階に着いたエレベーターの扉が開き、俊次は転がるように外へ出た。死体を乗せたエレベーターがそのままするするすると上がっていって、再び下で呼ばれたのだろう、すぐに降りて行くのを、俊次は凍りついたように見守った。
一階で悲鳴が上がる。俊次はあたふたと自分の部屋のドアを開けた。
「ただいま」
奥の部屋で笑い声が聞こえる。やっぱり両親がきているのだ。
「それはそうと俊次、帰ってこないね」
「もうそろそろだろうけど」
洋子の声が響く。
「でも、また馘になったって言いにくくって、公園辺りでうろうろしているのかもしれないわね」
「池上さんだったかね、連絡してきてくれたの」
「話しにくいだろうからって…でも」
洋子は小さく溜め息をついた。
「嫌な感じの言い方だった」
「おかあさん、遊園地、だめになった?」
かなこの甘い声が尋ねる。
「うん、たぶんね、もう少し。でもきっと、いつか連れてってあげるから」
「ヒッチモ」
「オッケー。ひとしもね」
馘になったことを聞いたらきっと怒鳴るだろうと思っていた洋子が、必死に明るい声で答えるのに、ほっとした反面、俊次はみじめになった。
そもそもは俊次が悪いせいじゃない。
池上の仕事のミスを指摘したことから目の敵にされて、娘の病気で遅れると言っても上司に伝えてくれない。取引先の電話には居留守を使っているように応じられる。池上の使いこなせないパソコンで俊次が取引先を開拓したのも気に入らなかったらしく、データの入ったファイルを捨てられかけたのを寸前で拾い出したこともあった。
あれやこれやのストレスで体調を崩して遅刻すれば、あることないこと言い付けられて、どういうことかと問いただせば、仕事の厳しさを教えてやっているんだとふんぞりかえったのを、俊次は忘れていない。
俊次は部屋の扉をそっと閉めた。
ポケットでまた、短剣がちりちりと鳴っている。そっと手をいれると、しっとりと吸いつくようにくっついてきて音が止んだ。そのまま、まだ上がってきていないエレベーターを横目に階段で下りると、一階の玄関ホールは大騒ぎになっていた。
救急車とパトカーの赤い点滅灯がちかちかしている。青白い顔の管理人の側に寄って、
「どうしたんです?」
尋ねると、
「何だかね、五階に住んでる飯塚さんがエレベーターの中で心臓マヒを起こしたそうですよ。元から心臓が悪かったのに、お酒もタバコも止めなかったしねえ。あんまり評判のいい人じゃなかったし」
「そうですか」
俊次は頷いて外に出た。
手にした剣の重みをいとおしく感じる。
これは正義を果たす剣なんだ。正義のために使われたなら殺したことにはならないのだ。
確信して歩きだす俊次の頭に、池上の顔が浮かんだ。
家に帰るきっかけが掴めた気がして、俊次は公園を過ぎた小さな白いマンションに戻った。五年前ローンで買った代物、確かに狭くて俊次と洋子が暮らすのに手一杯だが、それでも俺だって家を買えたんだと誇らしかった。二人の子どものために頑張ろうとも思っていた。その直後に会社が倒産してからがケチのつきはじめ、それも社長の豪遊の果てだというのだから、笑い話にもならない。
小さなエレベーターに入ると、きつい香水の匂いをプンプンさせた中年の女が乗り込んできた。何階とも言わずにこちらを睨んでいる。
「何階ですか」
尋ねてみたが、冷ややか顔で俊次の上から下まで見て、
「五階よ」
放り捨てるように答えた。それから、聞こえよがしに
「どういうつもりなんだか」
肩から下げたバッグを手元で引き寄せた。
「あんた何階なの?」
唐突に聞かれて俊次は戸惑った。
「は?」
「何階で降りるのかって聞いてるのよ」
「六階ですけど」
「六階? 何て言う名前?」
「金沢です」
「金沢なんて人、ここに住んでないわよ、ほんとに、このマンションにいるの?」
不快げにまくしたてられて、俊次は口をつぐんだ。
「やっぱり違うんでしょ、やっぱりね、どういうつもりなんだか、ほんと近ごろの若い人は」
勝ち誇ったように言う相手から目を逸らせる。
「せっかく育ててもらってんのに、親の恩もわからないで、こんなことばっかり考えて、お金ばっかり使って、人間としてもモラルとか社会的責任とか、良心とか常識とか」
「じゃあ、あんたは持ってんのかよ」
俊次が言い返して相手は真っ青になった。
「自分からエレベーターに乗り込んできて、人の親切を疑って、挙句の果てに泥棒か痴漢見るみたいな目をしやがって」
「あっ、あたしは」
「いったい何様のつもりなんだ」
そのとたん、俊次のポケットでちりちり、と何かが鳴った。はっとしてポケットを押さえると、さっき突っ込んだ剣が小さく震えている。
「ほら、ごらんなさいよ、ところかまわずケイタイ鳴らして、それでもモラルがあるっていうの」
女が叫んだ瞬間、ちりん、と音は止まった。
俊次の手がポケットに吸い込まれたかと思うや否や、剣が掌に吸い付くように飛び出してきて、俊次の手をひきずって空を走った。
「ひっ」
女が体をのけぞらせる間もなく、剣が鞘から滑りだし、女の胸へと切っ先を食い込ませる。
「わっ」
とっさに手を放したつもりだったのに、剣は手から落ちなかった。再び俊次の手を借りて、ポケットの鞘に戻る。
女は白目を剥いてずるずると壁にもたれてくずおれた。その胸からも、周囲にも、血が流れた様子はない。
ちょうどそのとき、五階に着いたエレベーターの扉が開き、俊次は転がるように外へ出た。死体を乗せたエレベーターがそのままするするすると上がっていって、再び下で呼ばれたのだろう、すぐに降りて行くのを、俊次は凍りついたように見守った。
一階で悲鳴が上がる。俊次はあたふたと自分の部屋のドアを開けた。
「ただいま」
奥の部屋で笑い声が聞こえる。やっぱり両親がきているのだ。
「それはそうと俊次、帰ってこないね」
「もうそろそろだろうけど」
洋子の声が響く。
「でも、また馘になったって言いにくくって、公園辺りでうろうろしているのかもしれないわね」
「池上さんだったかね、連絡してきてくれたの」
「話しにくいだろうからって…でも」
洋子は小さく溜め息をついた。
「嫌な感じの言い方だった」
「おかあさん、遊園地、だめになった?」
かなこの甘い声が尋ねる。
「うん、たぶんね、もう少し。でもきっと、いつか連れてってあげるから」
「ヒッチモ」
「オッケー。ひとしもね」
馘になったことを聞いたらきっと怒鳴るだろうと思っていた洋子が、必死に明るい声で答えるのに、ほっとした反面、俊次はみじめになった。
そもそもは俊次が悪いせいじゃない。
池上の仕事のミスを指摘したことから目の敵にされて、娘の病気で遅れると言っても上司に伝えてくれない。取引先の電話には居留守を使っているように応じられる。池上の使いこなせないパソコンで俊次が取引先を開拓したのも気に入らなかったらしく、データの入ったファイルを捨てられかけたのを寸前で拾い出したこともあった。
あれやこれやのストレスで体調を崩して遅刻すれば、あることないこと言い付けられて、どういうことかと問いただせば、仕事の厳しさを教えてやっているんだとふんぞりかえったのを、俊次は忘れていない。
俊次は部屋の扉をそっと閉めた。
ポケットでまた、短剣がちりちりと鳴っている。そっと手をいれると、しっとりと吸いつくようにくっついてきて音が止んだ。そのまま、まだ上がってきていないエレベーターを横目に階段で下りると、一階の玄関ホールは大騒ぎになっていた。
救急車とパトカーの赤い点滅灯がちかちかしている。青白い顔の管理人の側に寄って、
「どうしたんです?」
尋ねると、
「何だかね、五階に住んでる飯塚さんがエレベーターの中で心臓マヒを起こしたそうですよ。元から心臓が悪かったのに、お酒もタバコも止めなかったしねえ。あんまり評判のいい人じゃなかったし」
「そうですか」
俊次は頷いて外に出た。
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