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6.騎手の歌(黒い子馬)(5)
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「んなろっ!」
(あいつ!)
「志郎!」
お由宇の呼び声を耳に、俺は人にぶつかりながら後を追った。怒鳴り声と罵声の中、蹴り上げた誰かの足と押しのけた腕の向こう、のめりそうになりながら先を急ぐ。重力は俺の味方をしていて、転がるように坂を走り降りていく。
(イレーネだ)
なんの根拠もなく、だが、この上なく確信を持って、俺は思った。
パブロ・レオニの娘、ローラ・レオニの娘、アルベーロの最愛の恋人、考えても見ろ、スペインでも名の知れたトップ屋が、あのタブラオで、いくら日本語がわからないからと言って、どうして俺達の側を離れて、飛び入りのフラメンコなぞを踊ったのか。情報を渡すべき相手が居たからだ。そして、俺達の側に居るよりは、イレーネの側に居た方が俺達の話がよくわかったからだ。
上尾のことばが頭の中を駆け抜けていく。日本語を習うのに異常なほど熱心だったイレーネ・レオニ、俺達の話を踊りながらアルベーロに通訳する、スペイン後の密やかな囁きで。
(けれど、どうしてなんだ? イレーネは上尾のことが好きだったんじゃないのか?)
「滝様?!」
「滝くん?!」
高野と上尾の叫びを無視して、俺は走り続けた。弾け飛びそうになる心臓と、安物のエンジンよろしく焼け尽きそうになる頭、ふいごのように鳴り響く呼吸の中で考え続ける。
やっぱり本筋は暢子じゃなかったんだ。暢子はイレーネの軌跡に混じり込んだ火花、一瞬煌めいて消え失せた。だが、どうしてここにイレーネがいた? どうして、暢子がイレーネに殺された? そして何より、周一郎は一体どこにいるんだ?
「滝さん!」
「ぐえっ!」
ぐっとカッターシャツの襟あたりを掴まえられ、俺は危うく縛り首になりかけた。かっと昇った血の助けを借りて、引き止めた『ランティエ』を怒鳴りつける。
「人を殺すなよなっ!」
「どうしたんですか?」
「暢子が刺された!」
「ノブコさんを殺したのは、私ではありませんが…」
「んなこたわかってる! イレーネだよ! イレーネ・レオニ!」
俺は慌てて周囲を見回した。今彼女を見失ったら、今度こそ本当に周一郎の行方がわからなくなっちまう。バタン、と音がして、振り返ると『ランティエ』はいつの間にか車に乗り込んでいた。
「こっちです、滝さん!」
「ああ!」
こける寸前、ようよう『ランティエ』の車に転がり込む。待つまでもなく、『ランティエ』は乱暴に車を発進させた。
「い…行き先……わかっ…わかってるっ……るのかっ…」
乱れた呼吸にことばにならない。ちょい、とバックミラーを直した『ランティエ』が薄く笑った。
「もし、滝さんの前を走っていたご婦人がそうならね。タクシーに乗り込むときに、ちらっとホテルの名前が聞こえましたよ。少し遠いが小さな安ホテルです、うまくいけば追いつくでしょう」
「てめえ!」
俺は『ランティエ』の気障な背広の胸ぐらに掴みかかりながら喚いた。
「それが聞こえるぐらい近くにいて、どうして捕まえなかった?!」
「私にイレーネ・レオニだと分かるわけはないでしょう? 彼女は14歳の時から行方不明のまま、あの由宇子さんだって、今のイレーネの顔を知らなかったんですからね。あなたがわかった方が不思議なぐらいで……」
「でも、おかしい、ぐらいはわかったろーが!」
塔の中で起きた叫びと怒号、溢れ出すような人の流れの中で、1人追い立てられないで走り抜ける女性の姿は目立たなかっただろうか。
「だからと言って、私が捕まえる義理はないでしょう。私は警察じゃないんですから」
『ランティエ』の台詞は薄々気づいていたことを語っている。
「あ…あのなっ! そりゃ、そうだがな! そりゃ……」
ことばに詰まった俺を面白そうに見ていた『ランティエ』は、チチチッ、と軽く舌を鳴らして生真面目な表情になった。相手の視線に振り向く俺の目に、前方十数メートル、2台の車が接触して大破しているのが映る。
「事故のようですね。まずいな……逃げられないといいんですが」
「っ」
一気に片方へ押し付けられて舌を噛みかけた。車が勢いをつけてカーブする。
「少々回り道になります」
(…周一郎)
また遠ざかる。
嫌な予感が心の中にじんわりと広がった。
(あいつ!)
「志郎!」
お由宇の呼び声を耳に、俺は人にぶつかりながら後を追った。怒鳴り声と罵声の中、蹴り上げた誰かの足と押しのけた腕の向こう、のめりそうになりながら先を急ぐ。重力は俺の味方をしていて、転がるように坂を走り降りていく。
(イレーネだ)
なんの根拠もなく、だが、この上なく確信を持って、俺は思った。
パブロ・レオニの娘、ローラ・レオニの娘、アルベーロの最愛の恋人、考えても見ろ、スペインでも名の知れたトップ屋が、あのタブラオで、いくら日本語がわからないからと言って、どうして俺達の側を離れて、飛び入りのフラメンコなぞを踊ったのか。情報を渡すべき相手が居たからだ。そして、俺達の側に居るよりは、イレーネの側に居た方が俺達の話がよくわかったからだ。
上尾のことばが頭の中を駆け抜けていく。日本語を習うのに異常なほど熱心だったイレーネ・レオニ、俺達の話を踊りながらアルベーロに通訳する、スペイン後の密やかな囁きで。
(けれど、どうしてなんだ? イレーネは上尾のことが好きだったんじゃないのか?)
「滝様?!」
「滝くん?!」
高野と上尾の叫びを無視して、俺は走り続けた。弾け飛びそうになる心臓と、安物のエンジンよろしく焼け尽きそうになる頭、ふいごのように鳴り響く呼吸の中で考え続ける。
やっぱり本筋は暢子じゃなかったんだ。暢子はイレーネの軌跡に混じり込んだ火花、一瞬煌めいて消え失せた。だが、どうしてここにイレーネがいた? どうして、暢子がイレーネに殺された? そして何より、周一郎は一体どこにいるんだ?
「滝さん!」
「ぐえっ!」
ぐっとカッターシャツの襟あたりを掴まえられ、俺は危うく縛り首になりかけた。かっと昇った血の助けを借りて、引き止めた『ランティエ』を怒鳴りつける。
「人を殺すなよなっ!」
「どうしたんですか?」
「暢子が刺された!」
「ノブコさんを殺したのは、私ではありませんが…」
「んなこたわかってる! イレーネだよ! イレーネ・レオニ!」
俺は慌てて周囲を見回した。今彼女を見失ったら、今度こそ本当に周一郎の行方がわからなくなっちまう。バタン、と音がして、振り返ると『ランティエ』はいつの間にか車に乗り込んでいた。
「こっちです、滝さん!」
「ああ!」
こける寸前、ようよう『ランティエ』の車に転がり込む。待つまでもなく、『ランティエ』は乱暴に車を発進させた。
「い…行き先……わかっ…わかってるっ……るのかっ…」
乱れた呼吸にことばにならない。ちょい、とバックミラーを直した『ランティエ』が薄く笑った。
「もし、滝さんの前を走っていたご婦人がそうならね。タクシーに乗り込むときに、ちらっとホテルの名前が聞こえましたよ。少し遠いが小さな安ホテルです、うまくいけば追いつくでしょう」
「てめえ!」
俺は『ランティエ』の気障な背広の胸ぐらに掴みかかりながら喚いた。
「それが聞こえるぐらい近くにいて、どうして捕まえなかった?!」
「私にイレーネ・レオニだと分かるわけはないでしょう? 彼女は14歳の時から行方不明のまま、あの由宇子さんだって、今のイレーネの顔を知らなかったんですからね。あなたがわかった方が不思議なぐらいで……」
「でも、おかしい、ぐらいはわかったろーが!」
塔の中で起きた叫びと怒号、溢れ出すような人の流れの中で、1人追い立てられないで走り抜ける女性の姿は目立たなかっただろうか。
「だからと言って、私が捕まえる義理はないでしょう。私は警察じゃないんですから」
『ランティエ』の台詞は薄々気づいていたことを語っている。
「あ…あのなっ! そりゃ、そうだがな! そりゃ……」
ことばに詰まった俺を面白そうに見ていた『ランティエ』は、チチチッ、と軽く舌を鳴らして生真面目な表情になった。相手の視線に振り向く俺の目に、前方十数メートル、2台の車が接触して大破しているのが映る。
「事故のようですね。まずいな……逃げられないといいんですが」
「っ」
一気に片方へ押し付けられて舌を噛みかけた。車が勢いをつけてカーブする。
「少々回り道になります」
(…周一郎)
また遠ざかる。
嫌な予感が心の中にじんわりと広がった。
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