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8.夏の恋歌(マドリガル)(2)
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風が吹き寄せてくる。異国の乾いた風が、窓から入り込み、枕に乗せた周一郎の髪を嬲り頬に乱れさせる。左手で不器用にそれを掻き上げながら、周一郎は低く話し続けた。
「アランフェスでレオニの配下に囲まれて、それからイレーネと再会して………僕らは同じ種類の人間なんです。光が明るければ明るいほど、強ければ強いほど、できる影がより濃く、より深くなるように、僕らは光を追えば追うほど、自分の中にある影に目を向けずにいられない。それに取り憑かれて、いつもいつも身動きできなくなっていくのをじっと見ているだけなんだ」
そうやって、過去の傷は時折深く、周一郎の心に口を開けていく。
再会したイレーネは、RETA(ロッホ・エタ)と組んで、周一郎の口からなんとか『青の光景』の行方を引き出そうとした。同時に、追っ手である俺達にアルベーロを接触させて動きを探り、あちらこちらと引き廻させようとした。だが暢子が渡欧し周一郎を追い始める。これはまずいとアルベーロに始末させようとしたが、そこまで手を汚す気は無いと拒否したのか、アルベーロを殺し、暢子も『ヒラルダの塔』へ呼び出し殺した。
あとは痛めつけた周一郎が『青の光景』の在り処を吐くのを待つだけになったイレーネの心に、この10年間が蘇る。求め続けた周一郎は手の中にある、自分はその周一郎を渡して、この10年の代わりに一体何を手に入れようというのか、と。『青の光景』を探し出して、それだけをRETA(ロッホ・エタ)に渡し、彼女が周一郎を抱き締めていては、なぜいけないのか、と。
けれども、RETA(ロッホ・エタ)との交渉は決裂し、イレーネはRETA(ロッホ・エタ)を屠り、周一郎を連れて死の逃避行に至る……。
これが、お由宇と周一郎がしてみせた謎解きだった。
コンコン。
「はい」
「どうも…」
ノックの音に続いて、ドアを開けて入って来た上尾は、暗く沈んだ表情で弱々しく微笑した。
「上尾…」
「滝君の忘れ物だよ」
「ガルシア・ロルカ詩集…」
「僕はこれから日本に帰る」
上尾は低いハスキーヴォイスで呟いた。ことさら周一郎の方は見ないように、
「イレーネの埋葬も済んだし…」
「ああ…」
「じゃあ…」
出ていきかけて、上尾は背を向けたまま、唐突に熱いものを飲み下したように体を反らせた。
「朝倉さんに言っても、仕方のないことだとは思うけど」
掠れた声が響く。
「僕はきっと…あなたを許せない」
「上尾!」
バタン!
上尾は咎める俺の声を振り切って飛び出し、勢いで閉まったドアが、それ以上の追及を拒んだ。椅子から腰を浮かせた俺は、そろそろと周一郎を振り返った。
「…いいんです」
周一郎は微かに笑った。どこか幼く、
「憎まれるのも慣れてるから…」
「ばか」
手を伸ばして周一郎の頭をどつく。
「そんなのに慣れてるやつなんか、いるかよ」
「っつ」
「わ、悪い!」
周一郎が眉をひそめ、俺はうろたえて手を振り上げた。傷に近いところを叩いたらしい。ったく、『ばか』なぞと人に言えたものじゃない、俺の方がよっぽど『バカ』だ。
「そ、そうだ。せっかく詩集を持って来てくれたんだ、これでも読んでやろうか」
「…そうですね」
周一郎は少し唇の両端を上げた。
「えーと、これなんかどうだ? 明るそうだぞ、『夏の恋歌(マドリガル)』」
目次だけ見て、ページを捲る。
「『夏の恋歌(マドリガル)』……」
周一郎の声が重い憂いを湛えた。
「ちょっと待てよ……えーと………っ」
さっと目を通し、慌てて本を閉じた。
「滝さん?」
不審そうに目を上げる周一郎に、引きつり笑いをしながら弁解する。
「いや、そのな、ちょっと俺には難しそーでな、その、うん、あ、読めない漢字があってな! うん! そーなんだ!」
「……ふ」
周一郎は小さく笑いだした。瞳が分かっているといいたげに揺れ、俺のうろたえぶりを静かに見つめる。
「だから……そーだ! お前、もう寝ろ! うん! 良い子はおネンネする時間だ!」
「まだ真昼ですよ?」
「ここには昼寝(シェスタ)ってのがあるだろーが! ごちゃごちゃ言ってないで、病み上がりなんだ、とにかく寝ろっ!」
喚いた俺に、気持ちよさそうに目を閉じながら、周一郎は大人しく応じた。
「はい、おやすみなさい」
「ああ。……ぐっすり眠っとけよ」
微かに頷く。無理やり寝かしつけた割りには、数分待つまでもなく、すうすうと安らかな寝息が聞こえだし、ほっとした。
「いいところ、あるじゃない」
「…お由宇……いつの間に入って来た?」
声をかけられてぎょっとして振り返ると、スーツ姿のお由宇がにこやかに笑いながら、俺の手の中の本を覗き込んだ。指を伸ばし、『夏の恋歌(マドリガル)』のページを探し当てる。
「こんなもん、読めるかよ……ただでさえ落ち込んでるのに」
『夏の恋歌(マドリガル)』に俺も目を落とす。
静かで仄暗く深い情念、相手が自分を愛さなくとも、自分は相手を愛するだろうと語る内容だ。
イレーネのことばが重なる、誰よりも愛していて、誰よりも憎かった……。
「…にしても」
お由宇は軽く腕を組んで、ベッドの周一郎を見つめ、溜息をついた。
「よく寝てること」
「だろ? やっぱり疲れてんだよ、こいつ」
「…だけじゃないでしょうけど。私がいるって言うのに、安心しきっちゃってるわね」
まるで絶対の安全圏に居るみたい。
ぼそりと付け加えた声が殺気を含んだ気がして、思わず尋ね返す。
「だけじゃない? お前が居ると、あいつが眠れん理由でもあるのか?」
「あなたは、わからなくって、いいの」
お由宇は極上の聖母じみた笑みを返してい言い放った……。
「アランフェスでレオニの配下に囲まれて、それからイレーネと再会して………僕らは同じ種類の人間なんです。光が明るければ明るいほど、強ければ強いほど、できる影がより濃く、より深くなるように、僕らは光を追えば追うほど、自分の中にある影に目を向けずにいられない。それに取り憑かれて、いつもいつも身動きできなくなっていくのをじっと見ているだけなんだ」
そうやって、過去の傷は時折深く、周一郎の心に口を開けていく。
再会したイレーネは、RETA(ロッホ・エタ)と組んで、周一郎の口からなんとか『青の光景』の行方を引き出そうとした。同時に、追っ手である俺達にアルベーロを接触させて動きを探り、あちらこちらと引き廻させようとした。だが暢子が渡欧し周一郎を追い始める。これはまずいとアルベーロに始末させようとしたが、そこまで手を汚す気は無いと拒否したのか、アルベーロを殺し、暢子も『ヒラルダの塔』へ呼び出し殺した。
あとは痛めつけた周一郎が『青の光景』の在り処を吐くのを待つだけになったイレーネの心に、この10年間が蘇る。求め続けた周一郎は手の中にある、自分はその周一郎を渡して、この10年の代わりに一体何を手に入れようというのか、と。『青の光景』を探し出して、それだけをRETA(ロッホ・エタ)に渡し、彼女が周一郎を抱き締めていては、なぜいけないのか、と。
けれども、RETA(ロッホ・エタ)との交渉は決裂し、イレーネはRETA(ロッホ・エタ)を屠り、周一郎を連れて死の逃避行に至る……。
これが、お由宇と周一郎がしてみせた謎解きだった。
コンコン。
「はい」
「どうも…」
ノックの音に続いて、ドアを開けて入って来た上尾は、暗く沈んだ表情で弱々しく微笑した。
「上尾…」
「滝君の忘れ物だよ」
「ガルシア・ロルカ詩集…」
「僕はこれから日本に帰る」
上尾は低いハスキーヴォイスで呟いた。ことさら周一郎の方は見ないように、
「イレーネの埋葬も済んだし…」
「ああ…」
「じゃあ…」
出ていきかけて、上尾は背を向けたまま、唐突に熱いものを飲み下したように体を反らせた。
「朝倉さんに言っても、仕方のないことだとは思うけど」
掠れた声が響く。
「僕はきっと…あなたを許せない」
「上尾!」
バタン!
上尾は咎める俺の声を振り切って飛び出し、勢いで閉まったドアが、それ以上の追及を拒んだ。椅子から腰を浮かせた俺は、そろそろと周一郎を振り返った。
「…いいんです」
周一郎は微かに笑った。どこか幼く、
「憎まれるのも慣れてるから…」
「ばか」
手を伸ばして周一郎の頭をどつく。
「そんなのに慣れてるやつなんか、いるかよ」
「っつ」
「わ、悪い!」
周一郎が眉をひそめ、俺はうろたえて手を振り上げた。傷に近いところを叩いたらしい。ったく、『ばか』なぞと人に言えたものじゃない、俺の方がよっぽど『バカ』だ。
「そ、そうだ。せっかく詩集を持って来てくれたんだ、これでも読んでやろうか」
「…そうですね」
周一郎は少し唇の両端を上げた。
「えーと、これなんかどうだ? 明るそうだぞ、『夏の恋歌(マドリガル)』」
目次だけ見て、ページを捲る。
「『夏の恋歌(マドリガル)』……」
周一郎の声が重い憂いを湛えた。
「ちょっと待てよ……えーと………っ」
さっと目を通し、慌てて本を閉じた。
「滝さん?」
不審そうに目を上げる周一郎に、引きつり笑いをしながら弁解する。
「いや、そのな、ちょっと俺には難しそーでな、その、うん、あ、読めない漢字があってな! うん! そーなんだ!」
「……ふ」
周一郎は小さく笑いだした。瞳が分かっているといいたげに揺れ、俺のうろたえぶりを静かに見つめる。
「だから……そーだ! お前、もう寝ろ! うん! 良い子はおネンネする時間だ!」
「まだ真昼ですよ?」
「ここには昼寝(シェスタ)ってのがあるだろーが! ごちゃごちゃ言ってないで、病み上がりなんだ、とにかく寝ろっ!」
喚いた俺に、気持ちよさそうに目を閉じながら、周一郎は大人しく応じた。
「はい、おやすみなさい」
「ああ。……ぐっすり眠っとけよ」
微かに頷く。無理やり寝かしつけた割りには、数分待つまでもなく、すうすうと安らかな寝息が聞こえだし、ほっとした。
「いいところ、あるじゃない」
「…お由宇……いつの間に入って来た?」
声をかけられてぎょっとして振り返ると、スーツ姿のお由宇がにこやかに笑いながら、俺の手の中の本を覗き込んだ。指を伸ばし、『夏の恋歌(マドリガル)』のページを探し当てる。
「こんなもん、読めるかよ……ただでさえ落ち込んでるのに」
『夏の恋歌(マドリガル)』に俺も目を落とす。
静かで仄暗く深い情念、相手が自分を愛さなくとも、自分は相手を愛するだろうと語る内容だ。
イレーネのことばが重なる、誰よりも愛していて、誰よりも憎かった……。
「…にしても」
お由宇は軽く腕を組んで、ベッドの周一郎を見つめ、溜息をついた。
「よく寝てること」
「だろ? やっぱり疲れてんだよ、こいつ」
「…だけじゃないでしょうけど。私がいるって言うのに、安心しきっちゃってるわね」
まるで絶対の安全圏に居るみたい。
ぼそりと付け加えた声が殺気を含んだ気がして、思わず尋ね返す。
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