『青の恋歌(マドリガル)』〜『猫たちの時間』11〜

segakiyui

文字の大きさ
33 / 35

8.夏の恋歌(マドリガル)(4)

しおりを挟む
 コンコン。
「…」
 コン…コン。
「ん……」
 夢の中で響いたノックがまだ聞こえてやがる、と思いながら寝返りを打つ。
 昼間見た光景のせいか訳のわからない夢で、あの礼拝堂の扉を誰かが叩き続けている、そのくせ開いて中には入ろうとしない、そんな夢だった。入りたい、とにかく中に入りたい。一途な焦燥が訪問者の心を乱れさせている。どうしても入りたい、なのに入れない。訪問者は誰もいない礼拝堂の扉を一人、叩き続ける、返ってこない答えを求めて……。
 コ…ン……コン……。
「っ」
 ひどくためらいがちなノックが再び聞こえてきて跳ね起きた。左へ滑り降りようとして、嫌というほど頭と足を壁にぶつける。
「いてっ?!」
 首を傾げる。どうしてこっちに壁がある?
「滝さん?」
「へ?…え、周一郎? え? ここ? …あ、そうか」
 俺はようやく、自分がスペインにいる事、あの女主人の家に泊まった事を思い出し、頭を摩りながら、ベッドから右側へ滑り降りた。
 腕時計は真夜中近いと教えている。眠気で重い体をのろのろ引きずってドアを開けると、外に居た周一郎がはっとしたように顔を上げた。
「……おい、寒くないか、その格好」
「大丈夫です」
 周一郎は青い縞のパジャマに軽く上着を引っ掛けただけだ。
「で……何だ?」
 ふぁあ、とあくびが出た。
「…大悟のことばがあるんです」
「んー?」
「『青の光景』を見たければ、満月の夜中に礼拝しろって。『青の光景』の裏にミッセージがありました………今夜は完全に満月じゃないけど…」
「うん…?」
「…だから…」
 周一郎は口ごもって俯いた。
「その、高野を起こすのは、可哀想だし……」
 あれ、こいつ、ひょっとして。
 ふと閃いた。確認とからかい半分で返答してみる。
「んじゃ何か、俺は可哀想じゃないっつーのか?」
「そんな訳じゃないんですけど……ただ………。わかりました。もう結構です」
 周一郎は唐突にふてた口調になった。
「夜中にお起こししてすみません。おやすみなさい」
 くるりと背を向ける。
「待てよ。一人で行くには危なっかしいだろ」
 部屋に戻ってパジャマの上からセーターを着た。コートを片手に戸口に戻る。ばさっとコートを周一郎に掛けてやって、軽く相手の頭を叩いた。
「じゃ、行こうぜ。一人で行かせて、庭でこけられでもしたら、俺が高野に恨まれる」
「一人じゃありません」
「にゃい」
「お、何だ、お前もいたのか」
 キラッと闇の中に緑の火を光らせて、ルトが姿を表した。しっかり洗ってもらったせいで、元通り『ピカピカ』の青灰色猫になっている。
「まあこっちに来いよ。またシッポ踏むぜ」
「にゃぐ」
 企むところがあって、俺の足に身を擦り付けていたルトは、我が意を得たりと言わんばかりに、『明るく可愛くあどけなく』俺の手に爪を立ててよじ登った。
「ちちっ…あ、あのな、ルト」
「にゃ?」
「いい加減に爪を立てずに肩に登る方法覚えてくれ」
「にー」
 無理だよそんな事、そう言いたげに、ルトは鼻に皺を寄せて鳴く。
 わかった俺がバカだった、お前に説教なぞしても無駄だってことをころっと忘れてた。
 ルトの温もりにちょっとほっとしながら、周一郎と一緒に歩き出す。
 コト……コト……コト……コト……。
 邸に松葉杖の音が響く。
 ふと理由もなく、ようやくこいつも人間になってきたな、と思った。そうだ、少なくとも『人間』なら足音を立てるもんだ、うん。
 内庭(パティオ)は、昇った月にお伽話じみた空間に変わっていた。地に映る建物と木々の影。それは昼間見る太陽の影とは違った、優しい甘さをたたえている。
「スペインの内庭(パティオ)は、夜、影を落として最も美しいように造られているんです」
「へえ…」
 周一郎の口調もどこか優しい、頼りない響きをたたえている。
 ギッ……。
 礼拝堂の鍵は、周一郎が女主人から貸し与えられている。鍵を回して開いた礼拝堂の中は、深い闇に身を沈める昔語りの魔の洞窟のように、人の侵入を拒む気配があった。怯みもせずに足を踏み入れた周一郎が、促すように俺を振り向く。
「う…うん」
 まあ、日本の幽霊もスペインくんだりまで海外出張はしないだろう。そろりそろりと入り込み、ゆっくり扉を閉める。たちまち、窓のない部屋は、墨一色に変わった。
「……どうだ? 何かわかるか?」
 黙っていることの重さに問い掛ける。答えはなかったが、少しずつ闇に慣れてきたらしい目に、周一郎がかぶりを振るのがぼんやり見えた。
「そうか…」
 俺はもぞもぞと身動きした。ゆっくり辺りを見回す。十字架のキリスト像は、骨ばった体を広げてこちらを見ている。静まり返った邸内には、物音の一つもない。
「……きっと…」
「ん?」
「ぼくを一番愛してくれたのが、イレーネなんでしょうね」
「…」
 沈んだ声に、答える術なく黙り込んだ。
「どうして…なのかな…」
 暗闇に安堵したのか、迷ったように低い呟きが続く。
「光が強くなればなるほど、影も濃くなっていく………それで、ぼくは結局……自分の影に滝さんまで引き摺り込んで……」
「おい…」
 周一郎の言おうとしていることに気づいて、思わず口を出した。
「お前、勘違いするなよな。俺が厄介ごとに突っ込むのは『習性』なんだからな」
「…」
「今度だって、断ろうと思えば断れたんだ。それをいつものお節介で、俺が勝手に飛び込んできたんだからな。お前が責任感じる必要ないんだからな」
 10年も前の恨みを背負い込んで、痛めつけられて、傷ついて、それで十分なんだからな。これ以上、お前が負い目を持つこた、ないんだ。
「………」
「聞いてんのか?」
「…でも」
「でももへったくれも何もない! お前はそれでいいんだ!」
 俺は続けた。
「いいか? よく聞けよ、お前はそれでいいんだから。お前がお前だってことを負い目に思うこたないんだから。お前はお前であって、お前でないってことはありえなくって、つまりお前はお前でないはずがなくって…」
 ええい、くそ!
「だから、影があろーがなかろーが……え? 影?」
 ぎょっとした。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

月弥総合病院

御月様(旧名 僕君☽☽‪︎)
キャラ文芸
月弥総合病院。極度の病院嫌いや完治が難しい疾患、診察、検査などの医療行為を拒否したり中々治療が進められない子を治療していく。 また、ここは凄腕の医師達が集まる病院。特にその中の計5人が圧倒的に遥か上回る実力を持ち、「白鳥」と呼ばれている。 (小児科のストーリー)医療に全然詳しく無いのでそれっぽく書いてます...!!

お兄ちゃんはお兄ちゃんだけど、お兄ちゃんなのにお兄ちゃんじゃない!?

すずなり。
恋愛
幼いころ、母に施設に預けられた鈴(すず)。 お母さん「病気を治して迎えにくるから待ってて?」 その母は・・迎えにくることは無かった。 代わりに迎えに来た『父』と『兄』。 私の引き取り先は『本当の家』だった。 お父さん「鈴の家だよ?」 鈴「私・・一緒に暮らしていいんでしょうか・・。」 新しい家で始まる生活。 でも私は・・・お母さんの病気の遺伝子を受け継いでる・・・。 鈴「うぁ・・・・。」 兄「鈴!?」 倒れることが多くなっていく日々・・・。 そんな中でも『恋』は私の都合なんて考えてくれない。 『もう・・妹にみれない・・・。』 『お兄ちゃん・・・。』 「お前のこと、施設にいたころから好きだった・・・!」 「ーーーーっ!」 ※本編には病名や治療法、薬などいろいろ出てきますが、全て想像の世界のお話です。現実世界とは一切関係ありません。 ※コメントや感想などは受け付けることはできません。メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 ※孤児、脱字などチェックはしてますが漏れもあります。ご容赦ください。 ※表現不足なども重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけたら幸いです。(それはもう『へぇー・・』ぐらいに。)

むっつり金持ち高校生、巨乳美少女たちに囲まれて学園ハーレム

ピコサイクス
青春
顔は普通、性格も地味。 けれど実は金持ちな高校一年生――俺、朝倉健斗。 学校では埋もれキャラのはずなのに、なぜか周りは巨乳美女ばかり!? 大学生の家庭教師、年上メイド、同級生ギャルに清楚系美少女……。 真面目な御曹司を演じつつ、内心はむっつりスケベ。

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

私の守護霊さん

Masa&G
キャラ文芸
大学生活を送る彩音には、誰にも言えない秘密がある。 彼女のそばには、他人には姿の見えない“守護霊さん”がずっと寄り添っていた。 これは——二人で過ごした最後の一年を描く、かけがえのない物語。

三歩先行くサンタさん ~トレジャーハンターは幼女にごまをする~

杵築しゅん
ファンタジー
 戦争で父を亡くしたサンタナリア2歳は、母や兄と一緒に父の家から追い出され、母の実家であるファイト子爵家に身を寄せる。でも、そこも安住の地ではなかった。  3歳の職業選別で【過去】という奇怪な職業を授かったサンタナリアは、失われた超古代高度文明紀に生きた守護霊である魔法使いの能力を受け継ぐ。  家族には内緒で魔法の練習をし、古代遺跡でトレジャーハンターとして活躍することを夢見る。  そして、新たな家門を興し母と兄を養うと決心し奮闘する。  こっそり古代遺跡に潜っては、ピンチになったトレジャーハンターを助けるサンタさん。  身分差も授かった能力の偏見も投げ飛ばし、今日も元気に三歩先を行く。

紅蓮の鬼神と華印の乙女〜神隠しにあった穢れモノの私が、最愛に出逢うまで〜

五城楼スケ(デコスケ)
キャラ文芸
──人とあやかしたちが混在する、大正時代に似たもう一つの世界。 名家、天花寺(てんげいじ)家の娘である琴葉は14歳の頃、十日もの間行方不明になったことがあった。 発見された琴葉にその間の記憶は一切なく、そればかりか彼女の髪の毛は雪のように真っ白に変わってしまっていた。 そんな琴葉を家族や使用人たちは、人目に付かないよう屋敷の奥深くに隠し、”穢れモノ”と呼び虐げるようになった。 神隠しに遭った琴葉を穢らしいと嫌う父からは使用人より下に扱われ、義母や双子の義姉弟たちからいじめられていた琴葉が、十六歳の誕生日を迎える直前、ある転機が訪れる。 琴葉が十六歳になった時、天花寺家の遺産を琴葉が相続するように、と亡くなった母が遺言で残してくれていたのだ。 しかし、琴葉を狙う義兄と憎む義姉の策で、琴葉は絶体絶命の危機に陥ってしまう。 そんな彼女を救ったのは、どこか懐かしい気配を持つ、妖しくも美しい青年だった。 初めて会うはずの美青年は、何故か琴葉のことを知っているようで……?! 神聖な実がなる木を守護する家門に生まれながら、虐げられてきた少女、琴葉。 彼女が十六歳の誕生日を迎えた時、あやかしが、陰陽省が動き出す──。

処理中です...