『辻封じ』

segakiyui

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12.闇越える

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「はぁ…」
 ぼんやりとみそ汁の碗をかき回す。
「今朝はあげとネギかぁ」
 明るい日差しがいっぱいの台所、俺は朝食を食べている。
「はぁ…」
 ため息をつく。
「今朝はあげとネギかぁ」
 ぐるぐるとみそ汁の碗をかき回す。
「はぁ……」
 みそ汁はすっかり冷めている。
「今朝はあげとネギ……ったあっ!」
 いきなり頭を嫌というほどどつかれて、俺は舌を噛みかけた。
「やぎろしっ」
 背後に立っていた光津子姉が殺気をみなぎらせてうなった。
「あげとネギがどうしたんやて?」
「え、いや、あの……」
 先日の『辻封じ』の一件は結局大元の犯人が判明しなかった。
 きっと頼子一人でどうにかなった話ではなく、『京』で頼子の後ろで糸を引いていたやつがいるはずなのだ。
 それなのに、追い詰める格好の手がかりになるはずの異界でうろうろしていた『闇舞妓』を、俺は一なぎにしてしまった。
『もう少しやりよう言うのがあったはずやで、しょうのない子やな、夏休みは小遣い半額』
 あっさり決めつけたのは光津子姉で、本当ならば『辻封じ』壊しに始まったこの一件の裏に動いたものをきちんと捕らえなかったのは、確かに他ならぬ俺の失態、異論が出せるはずもない。
 おまけに俺が向こうで大立ち回りをしたのがよほどまずかったらしく、あれ以降『闇舞妓』の跳梁はきかない、『辻封じ』も壊されない、頼子の背後にいたやつはあっさり姿をくらましてしまった。
『まあ、ええわ。次にしとめることにしよか』
 光津子姉の冷笑にひやりと首を竦めたのは、きっと俺一人ではない。
 所詮人が関わるものは、どこで終わりがつくでなし、ただ一段落つくだけのことと、それは長年『京』を護ってきた女のしたたかさ強さで、黒幕を追うのを今は待つと祭事方にも命じたらしい。
 ただ、終わりがついていないのは、俺の心の中だけのことで。
「そら……俺が悪い……悪いとは思うで」
 俺はぼやきながら、左手の傷を眺め、微かに痛みを残す傷にもう一つの面影を重ねてずきりとした。
 自分の剣で自分の体を切りつけたのは初めてで、傷からしても大丈夫だと言える状況ではなかった。結果、数日身動きできずに寝込んでしまった。その間に『辻封じ』壊しは鳴りをひそめ、『京』は平穏を取り戻し、女達はいつもと変わらぬ暮らしに戻っている。
 いわば、その間眠っていた俺だけが事件を引きずったまま取り残されているようなものだ。
「そう思うんやったら」
 ニイ、と光津子姉が嫌な笑い方をして、俺は体をすくめた。
 意識が戻ってからこっち、あれこれいいようにこき使われて、いい加減心身ともに疲れている。
(それでのうても)
 眠れない。眠りに落ちかけると、克也の口元から流れている血だとか、頼子の切ない声だとか思い出してしまい、あげくの果てにはにっこり笑う克也の顔を思いだし、胸苦しさに起き上がる。
(もう、会えへん)
 俺は祭事方の懐刀、『京』を守る鬼であるし、その『鬼』がふらふら異界へさまよっていては、今度こそ『京』にも、それこそ克也にも、取り返しのつかないことをしてしまうかもしれない。
 せめて無事だけは確認させてくれ、と、たった一度出向いた異界の街角で見たのは、新しい舞妓だろうか、可愛らしく笑う娘と一緒に髪かんざしを買い求める克也の姿で、目一杯以上に落ち込んだ。
(なんや……俺がいんでも、全然平気なんや)
 声もかけられなくて、とぼとぼと戻ってくれば、何やら鳥辺野入り口に変があったとのことで、そこがすぐに封鎖されて、以後もう一週間、異界への道は閉ざされている。ときどき起こる空間の乱れ、まああれほど『辻封じ』が壊されていたのだから、バランスも耐久性も落ちていたのだろう。
 おかげで、あの舞妓と克也はどうなったのか、そんなことを確認してもどうなるわけでもあるまいに、またすぐに飛び立って見に行きたくなる気持ちを強制的に封じられて、余計に俺は煮詰まってしまった。
(ええやんか、なあ?)
 胸の中で一人ごちる。
 生きていてくれればいいと願ったのだ。その願いはかなったのだ。しかも自分も生きていられて、幸にも『京』にも異界にも異変はなく、全て元通り、ということで。
 けれど。
 けれど。
(こんなことやったら)
 みそ汁をぐるぐるとかき回す。
「はぁ…」
(ほんまにあのとき、抱いててもらった方がよかったなあ)
 それはそれで、また切ないことになったのだろうか。
「今朝はあげとネギ……おかん?」
「あげとネギがご不満やったら、ほれ」
 持っていた碗が奪い去られた。
「さっさとおしまいにおしやす。光津子が何ぞ用や言うてたえ」
「あ…うん」
 俺は慌てて席を立った。
 これ以上ぶざまをさらすわけにはいかなかった。

「鳥辺野?」
「何度も聞かんといて」
 光津子姉は不愉快そうに眉を上げた。
「鳥辺野って……変があると封じられたて」
「その変の原因がわかったんや、今はあそこに止めおいてるけど、はよあんたにどうにかしてもらわんと」
「どういうことや?」
 祭事方に行ったとたんに、鳥辺野へ向かえと言われて、俺は戸惑った。
「行ったらわかる」
 無理にもそう押し付けられて、バスに乗り、鳥辺野へ向かう。
 バスの席でも物珍しそうに目を見張っていた克也の顔が思い出されて、胸が苦しくてつらかった。
 それでも意地と気合いでそんなのひとかけらも見せないままに、鳥辺野の異界の入り口へ向かうと、見張りで立っていたらしい祭事方の一人がほっとした顔で俺を見た。
「よかった、達夜さん」
「なんや、『針』が残ってるんか?」
 今の光津子姉なら意趣返しに、俺の体を『針』寄せ磁石にして使いかねないと思ったうえでの軽口だったが、相手は生真面目に首を振った。
「いや、それなら、私達で何とかなるんですけど、相手が達夜さんやないと、てこでも動かへんって言うし」
「相手? 何や、異界ぽんちか? またどこぞのあほが『辻封じ』でも壊したんか?」
 今回は俺はさすがにやってないと思いつつ、鳥居を潜って奥に進み、あっけに取られた。
「克也……」
「やっと、会えた」
 石灯籠の一つによりかかるようにして座り込んでいるのは、他ならぬ克也、どこか顔が青いと思ったら、その腕からだらだらと血を流している。
「なんや、これ、どうしたんや、いや、それより、ああ、もう!」
 急いでハンカチを取り出し縛りつけたが、それで済まないほど傷が深い。祭事方に頼んで用意し、傷の手当にかかる。
「何しとんのや、あほ!」
「眠れ、なくて」
 かすれた切なげな声でささやかれて、俺は固まった。膝をついて屈み込んだ俺の体に、ひたりと自分の体を寄せながら克也がつぶやく。出血のせいか、身体がひどく熱いのに弱々しくて不安になる。
「もう、全然眠れなくて。おかしくなりそうで。だから会いにきた」
「会いに、やて?」
 こちらから開けもしない扉を異界で見つけられるはずがない、そう言いかけて気がついた。
「お前、まさか」
「うん」
 ふわりと汗が浮かんだ額に危うい微笑を浮かべて克也がうなずく。
「こっちにも『京』から来た人っているんだよね? 花街にいることが多いんじゃないかって、浜野さんに教えてもらって。いろんな子と付き合って、いろんな話して。可能性のありそうな石を全部割って、血を垂らして」
「お前……」
(なんちゅうことを)
 そんなことで扉が開く可能性などないに等しい。俺と克也が出会ったのは、本当にたまたまのことだったのだ。
 なのに、あのときのことをひたすらに繰り返して。
 ただ、俺に会いたいがために。
「達夜、そんな怖い顔しないで」
「何を……考えとんのや……」
「会いたかったんだ……達夜に会いたかったんだ」
 中途半端にぼやけた声は血を流し過ぎたせいだろう、初めて見せる不安定な心細そうな笑みになって、
「でもごめん……達夜は会いたくなかったんだ……? 僕…」
 それ以上泣きそうな声を聞いてられずに、俺は克也を抱き締めた。
「あほぅ……会いたかったに決まってる……会いに行ったんやぞ」
 熱っぽい体が心配で、でも抱き締められるのが嬉しくて、思わず強く力を込めた。
「いつ…」
「お前は可愛らしい女とかんざし選んでたで」
「ああ……でも……あれ……男だよ?」
「はぁ?」
 思わず抱き締めた手を緩めて相手をのぞき込む。悪戯っぽく見上げる克也の目が嘘をついていないとわかって、二重に呆れた。
「節操ないやっちゃな、もうどっちでもええってことにしたんか?」
「うん。達夜に会えるならね……何をしても……いいやって……ごめん……なんかほっとしたら……僕……眠い……」
「克也。おい、克也」
 ぱたりと俺の肩に頭を乗せてくる。そのまま柔らかな呼吸を紡ぐ克也に吐息をついた。
「ほんまに……まいったなあ……とんだ異界ぽんちやで」
 あんな目に合いながら、また飛び込んでくるなどと。
(こいつは蝶や)
 『京』の女に貪られて命を失う花ではなくて、自ら闇を越えて舞い降りてくる、まばゆい光の蝶なのだ。
 そして、その蝶は今俺の掌の中に居る、まるでいつでも握りつぶしてくれと言うように。
 命全部を預け切る、それは『京』の女達とそっくり同じ強さ儚さで、俺はその鮮やかさに魅かれてる。
 どうしようもなくとめどなく。
 こいつの前では俺も一輪の花になるんや、とふいに思った。
 待ち受け開いて蜜を吸われ、受粉し次の種を宿す……甘い幻想に崩れた気持ちのまま囁いた。
「こんなことしたら二度と離さへんぞ。『京』の神女達夜は鬼や。お前、俺に骨まで食われてしまうんやで……それでもええんか…?」
「……うん……僕を、食って」
 いつから聞いてたのか、いきなり肩で克也がつぶやいた。
 跳ね上がった心臓と熱くなった頬に、顔を背けてそっとぼやく。
「ええかげんにせえ……すけべ」
 克也は小さく笑って、今度こそ本当に寝息をたてだした。            
                                       おわり
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