『ハートレイト』

segakiyui

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 運命は皮肉なものなのだろうか。それとも、皮肉なものだから運命と呼ぶのだろうか。
 翌日の北野の勤務は日勤、それも岩見の担当だった。
 岩見の状態は素人にもわかるほど悪化していた。呼吸器で保っているとも見えたが、血圧は徐々に落ちていくばかり。頼みとしていた心臓機能の補助器械もあまり効果をあげていないようだ。
 重症者用のチェックリストを持って部屋に入っていくと、魂が抜けたように腰掛けていた岩見夫人が一瞬体を強ばらせた。苦しそうに頭を下げる。北野も無言で頭を下げた。
 岩見の状態をチェックリストに沿って確認していく。申し送りからも、今の状態からも、そう長くはもたないと感じた。
 岩見の顔はむくんで青黒い。血液の循環が十分ではないのだ。手足の方にも腫れがきている。あの細い体はどこにいったのだろう。険しく人を射すくめた目はぶよぶよとした寒天のようだ。
 北野は黙ったまま岩見の様子を観察し、点滴を調べた。かなりの濃度で血圧を上昇させる薬が注ぎ込まれているのだが、血圧を示すモニターのラインはじんわりと下がっていく。腕と言わず足と言わず、首の付け根にも差し込まれたラインがそれぞれのパックにつながれた、その透明なチューブの林の中で、岩見はからまれ身動きとれなくなっている、とさえ見えた。
「ちょっと…すみません」
 岩見夫人がつぶやいて部屋を出て行った。
 残された北野は、他の受け持ちを見回った後にもう一度岩見の部屋に戻り、ベッドの上の岩見に向き直った。
 ゆっくりと、岩見のいろいろな表情が蘇ってくる。
 豪華な指輪を詰め所に見せびらかしに来て、師長ともめている姿。
 時計がなくなったと怒鳴り散らしている姿。
 発作を起こした姿。
 一人、夜更けに孫の写真を眺めていた姿。
 重なるように、昭吾の遠く去っていく背中が浮かんだ。
 もう彼とは二度と会えないのだろう。
 岩見が北野を泥棒扱いしなければ、昭吾ともう一度話ができただろう。今までのことを詫びて、ひょっとすれば、いい友達としてなら付き合えたかもしれない。
 看護師って、何なんだろう、と思った。
 四六時中、患者のことを考えて、患者のことで走り回って。
 一人でご飯作って一人で食べて。友人と出掛けるにも予定が合わない。恋人に振られるまで患者のことに縛られて。仕事に必死になったところで、それは当然のこととして受け取られ、相応の感謝が待っているわけでもない。今でも、看護師を身の回りの世話をするだけのものと考える人間は多いし、ひどい場合には欲望の道具として扱おうとする患者もいる。
 昭吾の顔が北野の脳裏で何重にも重なり浮かんで揺れた。
 失いたくない人だったのに。
 北野の回りで時間が歩みを落として緩やかに消えていく。
 カン!
 ふいにモニターが鳴った。
 ぼんやりと目を上げる北野の視界で、モニターに出ているハートレイトがどんどん落ちていく。
 ハートレイト。心臓の拍動数。
 北野の胸の鼓動も、まるで呼応するように落ちていく。
 ああ、まるで、患者に自分の命を吸い込まれていくみたいだ。
 岩見が昭吾を北野から奪った。看護師としての評価を奪った。
 その相手が死にかけている。
 岩見は北野の心を殺したのに、なぜ、北野が岩見を助けなくてはならないのだ?
 落ちていく岩見の鼓動。引きずられていく北野の鼓動。
「アレスト!」
 気がつけばコンマ何秒かのためらいだった。
 岩見のハートレイトが落ちたのに、詰め所から駆けつけて来た看護師や医師に混じって、それから数時間、北野は岩見を助けるために全力を尽くした。
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