『未来を負うもの』

segakiyui

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3.マイヤ・プロセツカヤ(2)

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 マイヤは東欧の小国で産まれた。
 幼い時から勘が鋭く、上級学校に上がる頃には、人の考えがかなりの精度で読めることがわかった。
 国の諜報機関は彼女を獲得し、国家のためにその力を利用しようとしたが、マイヤは父母から離されることに抵抗した。焦れた政府は、マイヤの父母を事故で葬る事で、物理的に彼女を保護下に置こうとしたが、寸前、マイヤは彼らの企みを見抜き、両親を導いて逃亡した。
 軍の動きよりマイヤの方が素早く的確だった。国境までは何とか達することができた。
 だが、そこまでだった。
 周囲の敵側諸国に彼女の力を利用されることを恐れた政府は、マイヤの家族全員の抹殺に踏み切ったのだ。
 父母が殺され、マイヤも殺されかけた時、彼女は自分と同種の者の『声』を聞いた。
 『声』はマイヤの安全を保証した。両親の死を悼んでくれた。彼女のような不幸を起こさない為に能力者を集めている、と言った。新しい秩序は新しい能力を持つ人類の力でつくられるべきだ、と告げた。
 マイヤに他の選択肢はなかった。
 同意した直後、彼女は何かの力でその場から助け出された。
 『声』は『夏越』と名乗った。その仲間だと言うさとるのテレポートで日本に密入国したマイヤに、『夏越』は『仲間を探し出し集めること』に協力するようにと命じた。マイヤは『夏越』の指示で、世界各地に飛び、新しい仲間を見つけだし、探り出し、選びだして来た。

「その中の一人があなただったの、内田」
「だが、俺にはそんな『力』はないぜ」
 内田はゆっくりと煙を吐いた。目前に広がった白い靄を構うふうもなく、マイヤがうなずく。
「超能力と呼ばれるものには、精神感応、物体移動、念動力、未来予知、過去知、透視などがあるわ。さっきさとるが葉を飛ばしたのが、物体移動、テレポーテーションよ」
 仁は唾を呑んだ。
「でも、超能力が全てそうやって分類できるのかと言うと、そうとも言えないの。自然発火、霊魂の乗り移りや自動書記、自然界との精霊との接触や、ある場における時空間の移動………それらをどう説明するのかは、私達の中でも意見が分かれてる」
 マイヤはどこか諦めたような淡々とした声で続けた。
「贋物も多いだろうしな」
 内田が肩を竦めてまぜっ返す。
 さとるがむっとした顔で内田を睨んだが、じっとそれを見ている仁に気がつくと、露骨に不安そうな顔になってうつむいてしまった。
 何かたたりをなす化け物の前に無理矢理座らされている、そんな顔だ。
(怯えてるんだ)
 仁は溜息をついた。怖がられても、何をどうしてやれば楽になるのかわからない。
「贋物というのもあるかもしれない」
 マイヤは考え込んだ顔で内田に話し続けた。
「たいていの能力者は1種類しか力を備えていないから。私は双方向の精神感応、つまりテレパシーが使えるけど、さとるは使えない。さとるはテレポーテーションができるけど、念動力、サイコキネシスは使えない。だから、自分と違う能力の持ち主が、本当にその力を持っているのか、どれほどの力なのかは厳密にはわからない………普通の人と同じよ。でも」
 マイヤは薄い目の色でひた、と内田を見据えた。
「『夏越』様は違う」
 さとるがびく、と体を竦めた。
「『夏越』様は、テレパシーもサイコキネシスも使える。予知もできるし………力も私達とは桁違いに強い。まるで、私達とは、『種の段階』が違うみたいに」
 最後の方はつぶやいてからはっとして、余計なことまで口にしたと言いたげに視線を落とした。テーブルの上を見つめながら、
「そうね。きっと、仁、に似ている。あなたの心象は、とても『夏越』様に近い」
「それは」
 仁は思わず口を挟んだ。
「力の種類が似てるってこと?」
「力の種類? 仁はテレパシーが使える、テレポーテーションも。サイコキネシスはわからないけど、ああ、そうね、予知、もできるのね?」
「ま、待ってよ」
 仁は戸惑った。
「僕、そんなことできない……第一、そんなこと話してないよ」
 マイヤが瞬きしてあっけにとられた顔を仁に向けた。
「でも、あの庭に現れたとき、あなたはテレパシーで叫んでたわよ? 内田が危ない、だから飛んできたんだ、内田にいったい何をしたんだ、って」
「ほほう」
 感心したとも呆れたともとれる声で内田がうなった。まじまじ仁のうろたえた横顔を見つめ、
「お前がそれほど俺を心配してくれてたとは知らなかった」
「ぼ、僕は」
 仁は熱くなった顔を内田から背けた。
「僕は叫んでなんかいない、横断歩道で転んで、気がついたら内田が倒れてて」
「だから、その時、テレパシーで叫んでたの」
 マイヤは仁がなぜ慌てているのかわからないと言った顔で、
「ひどい『声』だったわ、あなた、とっても内田のことを心配してた」
「だって、だから、それは」
(内田が死ぬと思ったから。いや)
 仁は自分の中に響いた冷静な、もう一つの真実を告げる声を聞き取った。
(自分の感じた未来が実現してしまうのが、怖かったからだ)
 それは不安を意味する。恐怖を意味する。何か解らぬ、現実の道理ではない力が自分の中に潜んでいることを確信させる。
「悪かったな、心配させて」
 内田が薄笑いしてからかい口調で口を挟む。
「なるべく今後は側に居るようにしてやるよ」
「だから違うって! だいたい、そんなことしたら、母さんが……あっ」
 仁の叫びにさとるが跳ね上がった。今にも逃げ出しそうに身構える。
「何だ、何だ、俺はここに居るぞ?」
 なおもにやつく内田の声を無視して、仁は呆然とつぶやいた。
「母さん放ってきた……連絡も何もいれてない」
「あのな」
 内田がくわえ煙草で、店の時計を示す。
「諦めろ。それでいくと、もうお前は2時間以上行方不明だ。あの母親なら警察に駆け込んでるぜ?」
「そう……かもしれない………」
 仁はぐったりした。父親が妙な事になったのに加えて今度は仁だ。母親の狼狽と怒りが触れるほど感じられる。帰ったら質問攻めに合うに違いない。
 ふいに、マイヤがくすっと笑った。きょとんとする仁に、今まで見せなかった柔らかな微笑を返して、
「仁……って、普通の人、なのね」
「普通じゃねえよ? 異常に過保護な母親に育てられた坊ちゃんだ」
「内田!」
「ううん、だって」
 むっとした仁を、マイヤは軽く首を振って制した。
「お母さんだの、連絡入れてないだの……過保護だの、警察に駆け込むだの………とっても、当たり前に聞こえる、仁を見てると。内田だって、仁を特別扱いしないのね、あんなことがあっても」
 マイヤの頬ににじむような寂しい笑みが広がって、仁はことばを失った。
「でも『夏越』様は違うの………全然、違う」
「こわい」
 さとるがぽつりと言った。
「こわいんだ、ぼく、『夏越』様が。だから、あんたも、こわいんだ」
 大きく見開いたさとるの目から、いきなりぼろぼろと涙がこぼれ落ちて、仁だけでなく、内田もことばを失った。静まり返った『ケーニッヒ』の中で、次々とこぼれる涙に両目を真っ赤にしたさとるが仁を見据えて続ける。
「ぼくが『飛べる』こと、誰も信じてくれないんだ。おかあさん、ぼくが今、家でテレビを見てるって思ってる。ごはんですよって呼んだら、はあい、って部屋から出て来るから。でも、ぼくは家にいないんだ。おかあさんは知らない。おかあさん、ぼくのこと、ずっと知らないんだ」
 堪えかねたように、わああっ、とさとるは声を上げて泣き出した。その肩をいとしむようになだめるように、そっと抱きながら、マイヤがつぶやくように補足した。
「さとるは、あのとき、あなたに殺されるって思ってたのよ。自分が家ではない所で殺されて、それでも母親は何にも気づかずに、さとるの部屋に向かって、御飯ですよ、って呼ぶだろうって思ったの。さとるがそこから出て来ると寸分違わず信じたままで、あの庭で殺されてる自分を呼ぶんだろうって思って、たまらなくなったの」
「そんな」
 仁は強く首を振った。
「だって、殺すなんて……どうして君を殺すんだ?」
「『夏越』様はそうだから」
 しゃくりあげて答えられないさとるにかわって、マイヤが応えた。ゆっくり顔を上げ、仁を見詰める。
「意志に背いた者は生かしておかない……それが、力ある者の望みでしょう?」
(力ある者の、望み?)
 それは違う、と仁は感じた。力があっても優れていても、だからといって、自分の意志に従わない者を殺していいなんて思うはずがない、と。
「まあ、つまりは」
 内田が新しい煙草に火をつけた。
「あんたらはもう『夏越』様とやらのところへは戻れねえ、ってことだろ? どうする、仁?」
「どうするって」
 ふいに仁は気づいた。
 問うようなマイヤの視線も、泣き止んださとるの目も、こちらを見ない内田さえも、仁の答えを待っている。仁が決断し指示することを待っている。
 おそらくは、ここにいる誰よりも、『力』がある故に。
「待ってよ、そんなこと急に言われたって」
「わかった」
 内田が応じた瞬間に、仁はもう一つのことに気がついた。
 仁は今、待ってほしい、と言った。それに内田は、わかった、と応じた。それはまさに仁が命じたことを当然のこととして受け入れるということではないのか。
 うろたえて内田を見たが、相手は気づいていないのか、それとも気づいていないふりをしてるのか、仁が何か言うまで本気で待つつもりらしく、平然と煙草を吸っている。
「とりあえず」
 仁は震える声を無理に押し出した。
「さとる君は家に戻った方がいいよ。『夏越』様、が何をしてくるのか、僕にはわからない。それで、マイヤさんの方は」
「マイヤでいいわ、仁」
「あ、ああ、マイヤの方は………えと、僕の家は……」
 口ごもった仁に内田がふうと溜息をついた。
「お前んとこは無理だから、俺が連れ帰るとするか。空いた部屋ならあるし、親父達も帰ってこねえしな」
「そうしてくれると、助かる」
 ほっとした仁に、内田がうっすらと笑った。
「何?」
「いや……御英断です」
 ことさら恭しさを装った内田の口調にどこか優しいものが漂ったようだった。
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