『未来を負うもの』

segakiyui

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4.暴発(2)

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「さとるだって…」
 マイヤの声が震えて掠れる。
「本当に小さな男の子なのよ、中身も。テレビのヒーローになったつもりで……人にはない力を持ってて、誰もが自分にひれ伏すような気になってるだけの」
「チンピラが拳銃を持った状態だな」
 マイヤは内田の痛烈な罵倒にしばらくことばを呑んだ。やがて、
「本当にそうなのかもしれない。私達は新しい『種』なんかじゃなくて、ただ人より大きな武器を構えて世界を脅してるだけなのかもしれない…でも」
 マイヤのグレイの目に怯えと怒りが広がった。
「『夏越』様は違う」
 息を吸って、吐き出しながら、
「普通に見るように透視が使える。手で物を動かすようにサイコキネシスが使える。私達のように力を使うのに集中しなくてはならないということもない。もし、超能力を使えるということが人類の進化の形なら、私達は突然変異しただけで、『夏越』様こそが進化したものなのかもしれない」
「つまり?」
 内田は肩をすくめて見せた。
「俺達はサルで、『夏越』はヒト、あんた達はその間ってわけか?」
 ぐっと冷めたコーヒーを飲み下す。
「ばかばかしい」
「でも!」
 マイヤは激しく首を振った。
「あなたにはどうあれ、私達には『それ』がまぎれもない現実よ。私は家族と一緒に殺されかけた。ダリューだって、『夏越』様に庇われなければ殺されてた。私達、この世界じゃ生きていけない…!」
 マイヤの目から涙がこぼれ落ちた。耐えかねたように、両手で顔を覆ってうつむく。
「誰だって自分から殺しあいたくないわ。敵も作りたくない。でも、そうしなければ、私達…。私達、産まれてきてはいけなかったの?」
 潤んだ声が覆った手から滴る涙と一緒にあふれた。
「だが、『夏越』は違う、というわけだ」
 内田がマイヤの悲嘆に流されない、冷淡な声で応じた。
「そいつは桁外れに力がある。逃げ延びて自分の居場所を作り上げるほど強い。あんたみたいに世界の隅っこでもいいから生きていたいというんじゃない。世界を支配下に置きたいんだ」 
 びく、とマイヤは顔を上げた。激しい勢いで、内田が凝視している玄関の方を振り返る。
「どうやら、『夏越』もあんたを生かしてくれる気はなくなったようだな」
 内田の声とともに、閉めたはずの玄関の鍵が、かちり、と開けられた。

 仁は翌朝まで全く目が覚めなかった。母親にののしられながら起こされ、それでもなかなか起き出せなかった。登校時間ぎりぎりで朝食も取らずに家を飛び出し、遅刻寸前で授業に加わった。
 内田がいないのに気づいたのはやや落ち着いたころ、30分もたったときだろうか。
(昨日の今日で疲れたのかな?)
 内田は確かに学校の教育というものをそれほど大事にはしてなかったが、学校はそれなりに利用価値があるんだなどと嘯いて、まったく来ないというのは珍しい。
 その内田が、昼になっても全く姿を見せないのに、さすがに不安になった。
(内田はマイヤを連れ帰った)
 マイヤの話が大嘘でないなら、『夏越』の追っ手がかかっていてもおかしくはない。そして、昨日の話の流れで考えるなら、マイヤを内田が連れ帰ることを望んだのは仁だ。
 もし、万が一のことがあれば、それは仁のせいだとも言える。
(でも、ここで、そんなことが?)
 教室の中はいつも通りざわめいている。教師の説明が聞こえないほどだ。
 日ざしの差し込む窓際ではのんびりと眠りについているもの、どう見ても教科書ではないグラビア雑誌を広げてくすくす笑っているもの、女の子の間を忙しく行き来する小さな紙と、机の下で開かれるコンパクトにメールやりとりを繰り返す携帯、そんな、日常の光景だ。
(まさか、ね? まさか、だよね?)
 仁は昼休みに入るとすぐ、公衆電話に飛びついた。何の必要があるの、と言われて持てなかった携帯がないのが、このときほど恨めしくなったことはない。
 内田の家の番号を回す。心臓の鼓動が少しずつ早くなっていくのがわかる。
 誰も出ない。
 内田がいなくても、マイヤが出歩くはずがない。たとえマイヤが内田とどこかへ出たにせよ、家族の誰かはいるだろう。
 仁の不安を煽るように、コール音は鳴り続け、いつまでたっても途切れない。
 誰も出ない、誰も。
 ひやりとしたナイフの刃のようなものが、仁の内側を通った。
 何かが起こった、内田が電話にも出られなくなる、何かが。
(でも、どうすればいい?)
 警察に行こうか、とまず最初に思いついた。だが、父親が帰ってこないと訴えた時の相手の重い対応を思い出して、首を振る。きちんと社会人である母親が訴えても、すぐには取り上げてくれなかった。ましてや、仁のような学生の、それも同じような学生の友人の行方不明にどこまで真剣に動いてくれるだろう?
(第一、何て説明すればいいんだ?)
 超能力、と言っただけで、聞いてもらえなくなるのは目に見えている。
 仁は焦りながら受話器を置いた。戻ったテレフォンカードをひきむしるように取る。
(内田の家に行くか?)
 行って、もし内田の親に出くわして、突然やってきた理由を尋ねられたら?
 ふ、とマイヤのことばが頭の中に蘇った。彼女は仁がテレパシストだと言わなかったか。それで、内田の危機に気づいたのだ、と。
 では、あのとき同様、今ここで、内田が何処で何をしているのか、わからないだろうか。
 仁は考えた末、図書室に向かった。適当な本を広げていれば、動かなかったり目をじっと閉じたりしていても不審がられずにすむだろうと思いついたのだ。
 賑やかな生徒達の間を影のようにすり抜けて、仁は図書室に入った。
 ここだけは外の喧噪をドア一つで遮ってでもいるように静かだ。棚から分厚い文学全集を探して抜き出し、隅の方の図書委員のカウンターから死角になっている、目立たない席に座った。
 本を広げ、深い呼吸を何度か繰り返し、指を組んでうつむき、目を閉じる。
 前の時は、内田のことを考えていたら画像が見えて来た。うまく集中できれば、もう一度、同じ事ができるかもしれない。
 仁は、内田の姿をできるだけ詳しくまぶたの裏に描き始めた。
(色黒のきつい顔だち。いつものしたたかで不敵な顔、メフィストフェレスに似てる悪意一歩前の笑い、煙草は『ラッキーストライク』…)
「つっ」
 いきなり頭に鋭い痛みが走って、仁は声を上げた。ずきずきする部分を押さえる。右のやや上の方、倒れた時に巨大な穴が開いた、と感じた場所だった。痛みがなくなっても微かな浮遊感があって、それには慣れてきていたが、こんなふうに痛むことはなかった。とっさに内田のことを考えないようにする。とたんに痛みが嘘のように消えた。
 我に返ると、すぐ近くにいた生徒が不審そうに仁を見ている。曖昧に笑い返すと、余計なことには関わりあいたくないとばかりに目を逸らせた。仁は本を持って立ち上がり、もう少し奥の席に座った。
「前の時は痛まなかったのにな」
 それにこんな不安感もなかった。集中できないことはないが、その方向や力が定まらないといった気がする。頭に開いた穴あたりから、力がもやもやと流れ出していってしまう。
 仁は再び内田のことを考えた。昨日のやりとりのこと、マイヤのこと、さとるや『夏越』のこと……痛みが水平線に沸き上がる不吉な黒雲のように、嵐の気配を伴ってどんどんひどくなっていくのに、無意識に歯を食いしばりながら、仁は考え続けた。
(どこかに連れ去られたのか。『夏越』のところだろうか)
 でも、あの内田が大人しく連れて行かれるだろうか。ひょっとして。
(殺されて?)
「うわあっ!」
 突然大声が響いて、仁は弾けるように顔を上げた。
 少し離れた位置のさっきの生徒が椅子ごと後ろへ引き倒されて放り出されるのが見えた。生徒を振り落とし暴れ馬のように跳ね上がった椅子が派手な音をたてて机の上に落ち、近くにいた者が悲鳴を上げて飛び退く。そればかりではない。幾列も並んだ本棚の端からばさばさと本が落ち始めた。まるで目には見えない何ものかの手が苛立って本を片っ端から抜き出していくようだ。どんどんスピードが上がってピアノの鍵盤を滑る指に弾かれるように本が雪崩を打ち始め、気づいた女子が悲鳴を絞った。
「いやああああーっ」
「何だよーっ!」
 図書室はあっという間に大騒ぎになった。我先に逃げ出す者、座り込んで泣き出す者、制止する教師の叫びも怒号に呑まれ、不安の波を押し上げていくばかりだ。
「何だ…これ…」
 呆然としていた仁はつぶやいて我に返った。
「落ち着けっ、なっ、落ち着け、おい! 頼むッ! 落ち着いてくれっっ!」
 一番わけがわからなくなっているらしい教師の側を走り抜けて、図書室を飛び出していく。だが、その仁の後ろで椅子や机が激しく跳ね回る音と悲鳴、雪崩落ちる本の音は止む気配さえない。
 頭痛はなくなっていた。そのかわり、体中の力と意識が、頭の隅の穴に全て吸い取られていくような爽快感が広がっていた。
(気持ちいい、とっても楽だ。けど)
 どおん、と一際大きな音が響いた。
「本棚が倒れたっ!」
「誰か呼ばなきゃ!」
 側を駆け抜けていく声に、仁は身を竦ませて立ち止まった。
「救急車を!」
(救急車?)
 なおも激しい物音と悲鳴が続く図書室を振り返る。
 コントロールできない力の暴走。
 いつか映画で同じようなことが起こったのを見たことがある。すさまじい超常的な力を持った主人公が不安定な心を扱いかねて、その力を暴走させてしまい、周囲の人間を破滅させていくのだ。
(同じ事が、起こってるとしたら)
 仁は震えながら、体中を覆い始めた冷たい汗を感じた。のろのろと拭った額にも粘りつく汗がにじんでいる。
 もし、あの映画の通りなら、今図書室で本を放り捨て、机や椅子を跳ね回らせ、本棚を倒しているのは、ここにいる仁自身だということになる。
 そして、それを仁は止められないのだ。
(どうして? どうしてこんなことになったんだ? どうして今度はきちんと使えなかったんだ? 何が前と違うんだ?)
「おい! 来てくれ、図書室が大変なんだ!」
 立ち竦んでいる仁を見咎めたらしい声に、身を翻した。
「おい、待て! こらっ、何年だ!」
 罵倒を背中にできる限り図書室から離れようと必死に走る。
『1年3組、浅葱仁。1年3組、浅葱仁』
 ふいに声が響いて、仁は凍りついた。罪人の名前を天が連呼している、そう感じた。体が竦み、廊下の真中で立ち止まる。
『1年3組、浅葱仁君』
 声はもう一度、金属的な響きとともに名前を繰り返した。
 仁は廊下のスピーカーをそろそろと見上げた。校内放送はまだ図書室の騒ぎを知らない者の手で行なわれているのだろう、背後の騒ぎと対照的なのどかな声で告げた。
『御面会の方がお見えです。至急、来賓室へ来て下さい』
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