『未来を負うもの』

segakiyui

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9.力あるもの(1)

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 仁を乗せたエレベーターは押したボタンの階を過ぎても止まらなかった。より深くの階で待っている誰かが呼び寄せてでもいるように、じりじりと地表から遠ざかって行く。
 エレベーターの中でこぶしを握って立ち、目を閉じている仁の感覚には、今1つの声が響いている。
 ー我ニ従エ。
 それは圧倒的な力の気配を伴っていた。きっと誰に教えられなくとも、仁は相手が誰だかわかっただろう。
(『夏越』、だね?)
 ーソウダトモ。待ッテイタヨ、仁。
 声は平然と仁の認識を受け止め応じた。
(内田をどうした)
 仁の問いに答えはない。墓場のような重い沈黙だけが戻ってくる。
(殺したのか)
 答えはやはりない。
 仁は唇を噛んだ。気のせいだろうか、じんわりと、頭の隅から例の頭痛が戻ってき始めたようだ。
 エレベーターが止まる。目の前で扉がゆっくりと開き、薄暗い明かりが灯る狭い廊下が魔物の住む洞窟のように口を開ける。
 正面に、仁が来るのを待ってでもいたように、1人の男が立っていた。
「誰だ、真竹か」
 仁はエレベーターを降りた。相手の動きに警戒しながら呼び掛ける。
 背後ですぐに扉が閉まり、中の金属の箱が地上に戻って行くのがわかった。
「あんなのと一緒にしてもらっちゃ困るねえ、それに、エレベーター、残しといてくれるとありがたかったんだが」
 男はばさばさ髪を揺らせながら仁に近づいてくる。敵の側を通るという緊張は相手にはなかった。投げやりな、けだるそうな足運びで仁の隣にやってきて、
「ちょっとごめんよ」
 指を伸ばし、エレベーターを呼んだ。
「俺はあいつを運んできただけだからね。だけってこた、ないか。怪我させたのも俺だし」
 びく、と仁は相手を振り返った。仁より頭一つ背が高い相手は前を向いたまま肩を竦め、
「なかなか不敵な面構えだ。人間1人殺すと違うね。あいつの言ってた感じじゃ、もっと甘えた感じだったんだが、どうしてどうして。お初にお目にかかる、城崎って半端ものだ」
 満足そうに溜息をついて、男はようやく仁を見た。
「なるほど、あいつが待ってただけあるよ、あんた、浅葱、仁?」
 飄々とした対応は隙がないが憎めない。半眼の目からは悪意は読み取れなかった。
「あんたの父親も知ってるよ、一緒に働いてたからな、豊はいい奴だった、死んじまって残念だった」
「内田に、怪我をさせたって」
 相手は仁の緊張にひんやりとした表情を返した。
「ちょっと足を折らせてもらった…そんなことで怯む奴じゃなかったが」
「内田は…」
「生きてるよ」
 相手は一瞬不思議な笑みを浮かべた。
「生きてる、タフだよ、命ってやつは」
 ちか、と仁の意識に相手のことばに重なるように浮かんだ映像があった。

 どこか小さな病院だ。
 ここではない、もっと小さい病院。
 街に1つしかない救急設備、そこをフル稼動させて男、城崎至は働いていた。
 腕のいい医師だった。大胆で判断が早くて人々から頼りにされていた。「タフだよ、命ってやつは」。それが城崎の口癖だった。
 その小さな街を土砂崩れが襲った。台風の大雨で山が崩れたのだ。道が塞がれ河が溢れた。病院に山ほどの怪我人が運び込まれた。人手が足らなかった。全く足りなかった。
 不眠不休で働く城崎の姿を見兼ねて、妻が手伝ってくれた。妻は身重だった。もうすぐ産み月で……そして、胎児は母体の負担に耐えられなかった。
 倒れた妻をベッドに寝かせて診察しようとしたとき、住人の1人が妻を突き飛ばした。「身内よりこっちを優先させろ、医者だろうが!」
 悲鳴を上げて倒れた妻が腹を押さえて苦しみ出す。「誰か!」城崎は叫んだ。「誰か、手を貸してくれ!」
 彼の叫びが聞こえたものはいなかった。
 一夜明け、他の街から救援が来て、初めて人々は我に返った。城崎が冷たくなった妻を抱えて座り込んでいることにようやく気づくものが現れた。
 しかし、誰も彼に声をかけなかった。かけられなかった。人々は自分達が何をしたのか、初めて理解したのだ。
 城崎は街を出た。何も語らず、全てを封じ込め、人への憎しみだけを深く密かに育て上げたころ、『夏越』と出逢った。
 『夏越』の新世界はどうでもよかった、世界を破壊してくれさえすればよかった。

「ごめんね」
 仁は口走った。
「僕は世界を破壊しないよ」
 城崎がぎくりとした顔で仁を見つめた。
「そっか…」
 続いて奇妙な笑みを浮かべる。
「おまえさんも『読める』んだな…じゃあ、隠しだてしてもしかたない……あっさり聞かせてもらおうか」
「え?」
「世界を破壊しないって、おまえは言ったよな? じゃあ、殺すのか、『夏越』を、秀人みたいに」
「!」
 城崎は冷えた目の色になって、ゆるやかに仁から目を逸らせた。降りてくるエレベーターのランプを目で追うように見上げながら、
「それは、『夏越』のやり方とどう違うのか、御教授願いたいね、新人類さん」
 声にならない城崎の声が仁の胸深くに響いてくる。

  1つの命を助けるために、別の命が犠牲になる。それがこの世界の掟じゃないのか。
  そうやってあんたも、秀人の命より自分の命を優先させたんじゃなかったのか。

「気づいてるかどうか知らないが、俺は俺なりに『超能力』ってものを考えた」
 城崎は皮肉っぽい口調を隠しもしないで続けた。
「超能力の発現遺伝子は確かに見つけたさ。豊はたいした能力者だった。あいつが呼び掛けた遺伝子は97%の確率で覚醒して、それまでにない能力を発現するシステムを稼動させた。変異は他の刺激じゃ起こらない、超能力による呼び掛けだけだ。じゃあ、幼いときから一緒だった息子、仁には、どんなことが起こっているか? これは興味あるテーマだ。けどな、じゃあ『超能力』っていうのは、一体『何』なんだ?」
 城崎はためらうように一瞬ことばを切った。
「お前が近づいてくるのを見ながら考えてた。お前はどんどん力をつけてくる。1人能力者に会うたびに、新しい能力を身につけ、使えるようになっていく。際限というものがない」
 仁は城崎が何を言いたいのかわからずに戸惑った。
「つまり、俺はこう考えてるのさ。『超能力』っていうのは、人間にできないことをする力、ではなくて、自分にない力を吸収し使えるようになる能力のことじゃないのかってな。豊が発動させるシステムというのは、極端に言えば、とめどなく学び続け成長し続ける能力なんじゃないのかってな。おまえは出逢う能力者の力をことごとく自分のものにする。この先もきっとそうだろう。巨大な力と出逢えば出逢うほど、おまえは巨大な力を制御し使えるようになる。あらゆる枠を越えて、あらゆる可能性を満たしていく。おまえは『力の集積回路』みたいなもんだ……・それがどういう意味かわかるか?」
 エレベーターは下までやってきた。扉がするすると開く。その開いた扉を睨みつけたまま、城崎が続けた。
「『夏越』と会うだけで、おまえは巨大な力、『夏越』を超える力を扱うことになるんだ」
 仁は体が硬直するのを感じた。ダリューの警戒心、さとるのためらい、マイヤの恐怖が次々と遠くの空間から波のように押し寄せてくる。
「教えてくれ、仁。お前は、その力を本当に正しく扱えるのか?」
 城崎の声にふいにしみじみとした傷みのようなものが満ちた。
「あいつはお前を信じてた。お前が助けにくると信じてた。お前は、本当に、あいつの願いを満たしてやれるのか? 『夏越』を超えて、なおかつあいつを傷つけないで守ってやれるのか?」
 あいつ。
 ことばに重なる姿は2つあった。
 1つは仁の救出を拒む内田の姿。もう1つは、災害の夜に全力を尽くして人々を救うだろう城崎を想って死んでいった妻の姿だ。
 命の長さを左右する権利はいったい誰の、どこにあるのだろう。
 あの夜の城崎は妻の信頼も、人々の願いも満たせなかった。あの瞬間に身動きできなくなった自分を城崎は未だに許せない。医師としても夫としても全うできなかった悔いが、城崎の中に冷たく大きな重しとなって沈んでいる。
 あの夜、人々を守るためには城崎は妻を見捨てるしかなかった。妻を守るためには人々を見捨てるしかなかった。そのどちらも城崎は選べなかった、選びきれなかった。
 仁は深く吐息をついた。
「城崎さん」
「なんだ」
「僕は内田を助けにきただけなんだ」
「何?」
「たぶん、きっと、ずいぶん勝手な思い込みなんだけど」
 仁は弱々しく笑った。
「僕の父親が始めたことに内田は巻き込まれただけだから、僕は内田を助けるよ。だから、今はそれしか望まない」
 ぴく、と城崎は体を強ばらせて、ゆっくりと仁を振り向いた。仁は目を逸らさないまま、城崎を見つめてまた笑った。
「内田が僕をどう思うかなんて、どうでもいいんだ。助けられればそれでいい、それが正しいかどうかさえ、今の僕にはどうでもいいことなんだ」
「待てよ、おまえは巨大な力を持ってるんだぞ」
「だから?」
 仁が問い返し、城崎は口をつぐんだ。
「僕は高校生、でしかない。誰かの言う、でっかい武器を持っているだけの子ども、だよ。使い方がわからないもの、今まで誰も使い方を考えなかったものを使うんだから、たくさん間違うだろうし、たくさん人を傷つけるだろう。でも、その結果は必ず僕が引き受ける……・」
 仁の脳裏に、あの公園でぼろ屑のようになっていった豊と秀人の姿が蘇る。
「それだけだよ」
(引き受けきれるとも、思ってないけど)
「今回のこと、みたいにか」
 仁の笑みに引きずられたように城崎が呟いた。
「うん」
「おまえの直接の責任じゃない」
 城崎のことばはやはり二重の意味を含んでいる。
 あの夜、住民を助けきれなかったのは城崎のせいではなかった。妻を失ったのも城崎のせいではない。けれど、悲劇は起き、城崎は生きて行く場所を失ってしまった。
「でも、僕しか内田を助けられない」
 仁は城崎のことばの裏の問いにも応えた。
「僕ができるのは選ぶことと、その責任を取ることだけだ」
 あの時、城崎がしなくてはならなかったただ1つのことは、何を選ぶのかということだった。
 城崎が敏感に仁のことばを感じ取って反発してくる。
「ほんとは内田のことなんかどうでもよくて、世界の支配者になりたいだけなんじゃないのか」
 その問いもきっと何度も城崎の中で繰り返されたものに違いなかった。
 あの夜。
 城崎は本当に人のために尽くしたのか。
 それとも頼りにされ、慕われる喜びのために仕事に没頭して妻を見殺しにしたのか。
 城崎が避けたのは妻の死ではなく、自分の評価が下がることではなかったのか。にも関わらず、その選択の結果訪れた妻の死を、城崎は受け入れがたく、自分の責任を住民の不人情に摺り替えただけではなかったのか。
「そうかもしれないね」
 仁は頷いた。
 同じ問いが、仁の心の底にもある。
 自分は本当に内田を助けにきているのか。
 それとも、凄まじい力を持つ『夏越』と張り合い、自分の力を試したいだけではないのか。あるいは、『夏越』と出逢うことで、新しい力を手に入れたいだけではないのか。
「けれど、僕は内田を助けるよ」
 城崎は仁を凝視した。エレベーターのボタンを押した指をゆっくり離す。扉が閉まり、再びエレベーターが上がっていってしまう。
「乗らないの?」
「見届けてやるよ」
 城崎の唇が何かを堪えるように歪んだ。
「おまえがあいつの信頼に応えるかどうか、見届けてやる」
 仁は苦笑した。
「内田のために、だね」
「ああ、そうだ」
「危ないよ」
「子どもが大人の心配をするな」
「わかった」
 仁はエレベーターの前を離れた。目の前の廊下を奥へ向かって歩き出す。
「仁!」
 振り返ると、城崎が顔をくしゃくしゃにしている。
「俺は逃げたんじゃないぞ!」
「わかってる!」
 笑顔で応えて、仁は背中を向けた。

 本当にそうか。
 背中に自分を見送る城崎の、痛いほどの期待を感じて、仁の胸は重くなっている。
(本当に、僕は、内田を助けるためだけにここに来たんだろうか)
 目の前の廊下は薄暗がりの淡い電灯に照らされて、どこへ続くとも知れないほどまっすぐ前に伸びている。
 ひゅ、と遠くどこかで力が動いたのを感じた。マイヤとダリュー、さとるの気配が動いて行くのがわかる。
(脱出できたみたいだな)
 ほ、と仁が息を吐いたとたん、さっき呼び掛けてきた声が再び響いた。
 ーココダヨ、仁。オカエリ、兄サン。
(兄さん?)
 ふ、っと唐突に前方に明かりが灯った。四角に囲まれた空間がゆっくりと口を開ける。
 仁は一瞬ためらったが、歩き続けてそのまま、そのそっけない金属製の自動ドアを潜った。入るや否や、真後ろで音もなく閉まる扉に、外界から遠く切り離された感じがする。
(おかえり、だって?)
 ーソウダヨ、仁ノ方ガ早クニ産まれタカラ。
 暗い部屋の中央、そこだけ白々とした光を放って、いつか豊のイメージの中で見た、大人が手を広げたぐらいの水槽が置かれていた。
 中には白銀に光る粘稠性のある液体が満たされており、白く丸いものが浮かんでいる。
 一歩、また一歩と用心深く近寄っていって、仁はその横にも似たようなガラスケースがあるのに気がついた。ただし、これは仁の目線ほどの高さに宙づりにされているようだ。
 中には、ぐったりと寝そべっている1人の人間がいる。
「! 内田!」
 はっとして仁はガラスケースに駆け寄った。と、それが聞こえたように、中の人影が白く輝く水槽の液体からの光に照らされながら、体を起こした。仁に気づいて、舌打ちし、険しい顔で何かを怒鳴る。
 ーコノクソバカヤロウ、何シニキヤガッタ。
 まるで面白がるように『夏越』は聞こえない内田の声をテレパシーで伝えてきた。
「つ!」
 内田まで後数歩、というところで、仁は衝撃を感じて立ち止まった。
 両手が軽く痺れている。目に見えない何かの膜が、水槽と仁を隔てているのだ。
 ーバカ、ソコニハ何カアルンダ、突ッ込ムンジャネエ、怪我スルゾ。
 内田はガラスケース内で激しく暴れている、と、急にはあはあと肩を大きく上下させながら俯いた。
 ー暴レナイ方ガイイノハ、君モダヨ、内田。ソコノ空気ハ限ラレテルカラ。
 ガラスケースの中の内田がきっと水槽を睨み据えた。仁もつられて水槽に目をやる。
 ーヤット、コッチヲ向イテクレタネ、仁。
 水槽の中で白く丸いものがゆるゆると動いた。凝ったような水の中、きょろりと赤い2つの目が仁を見つめる。真っ赤な、宝石のようにただ赤い、瞳も何もない玉のような目だ。
 ーハジメマシテ、仁。来テクレテ、ウレシイヨ。
「おまえが『夏越』か」
 仁はちらっとガラスケースを見た。
 内田の呼吸はまだ荒い。仁と一瞬会わせた目を、不快そうにめいっぱい顔をしかめて背ける。
(嫌われた? 無理もない)
 揺らめいた気持ちを仁は押し殺した。
「内田を離せ」
 ー離シテモイイヨ。
 『夏越』はあっさりと応じた。
 ータダシ、君ガ私ニ協力スルナラバ。
 がたがたっと激しい物音がした。ガラスケースの中で再び内田が暴れている。
 ー何イッテヤガル、クソヤロウ。仁ガテメエニ協力ナンテスルカヨ……・仁、君ノ友人ハ態度モコトバモ悪イナ。行儀ヲ教エナクテハネ。
「!!」 
 突然、ガラスケースの中を青白い光が跳ね回った。内田がそれらに貫かれるように焼かれて転がる。
  わ、あ、あ、あ、あ、あ!!
「やめろっ!」
 声こそ聞こえなかったが、内田の悲鳴がのたうつ姿に重なって感覚に飛び込み、総毛立った。目の前の膜がショッキングピンクに発光し、眩しく輝いたかと思うとふっと消える。
「内田! 内田っ!」
 ーホウ、コレハスゴイ。壁ヲ壊セルノカ。
 満足したように響いた『夏越』のテレパシーにも仁は構わなかった。急いで駆け寄ったガラスケースの中、体のあちこちからうっすらと煙のようなものを上げている内田を覗き込む。右足は添え木が当てられ包帯が巻かれているが、確かにそこらじゅうが傷だらけで、かなりひどく扱われたとわかった。
 仁の気配に気がついたのか、うつぶせになって眉をしかめていた相手がそろそろと顔を上げ、仁を見る。よう、と唇が動いた。いつものメフィストフェレスを思わせる皮肉な笑みが、辛いほど儚く顔ににじむ。切れてうっすらと血の跡がついた唇は続いて悪いな、とゆっくり動いた。
  つかまっちまった。
「僕こそ、ごめん」
 仁は呻いた。
「巻き込んだのは、僕だ」
 ーサテ、仁、答エハ?
 背後から『夏越』が静かに問いかけられて、仁はガラスケースを庇うように向き直った。
「嫌だ」
 仁は吐き捨てた。
「あんたは人の命をおもちゃにしている」
 ー豊ハ違ッタノカ?
 間髪入れずに『夏越』が問い返して、仁はことばを失った。
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