『未来を負うもの』

segakiyui

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9.力あるもの(2)

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 ー私ハ……違ウト思ッテルヨ。豊ハ人類ヲ残ソウトシタノダ。
「人類を……残す……?」
 仁は眉をしかめた。
 ー現在ノ人類ハ愚カスギル、ソウ思ワナイカ、仁。人類ハ不自然ニ増エスギタ。人類ノ中ニハ新シイチカラモ新シイ命モ残サレテイナイ。人工的ニ新シイモノヲ取リ入レルコトデ、人
類ノ中ニ『生キルタメノ競争』ガ起キル。ソシテ優レタ強イ者ガ次代ニ残ル……強者ガ種ヲ継グンダヨ。
 淡々とした声だった。虫カゴを覗き込んで虫達の生死を見極めてでもいるような無関心
さ。
 それは内田が閉じ込められたガラスケースと重なって、仁の背筋を逆なでした。
「殺しあうために生まれたっていうのか!」
 ーソウジャナイノカネ。
 『夏越』が意外そうに問い返す。
 ー君ダッテ、秀人ヲ殺シテ強クナッタノダロウ?
 びく、と仁は体を震わせた。無意識にガラスケースの中の内田を見る。
 ーサトルヤだりゅートヤリアッテ、能力ヲ伸バセタカラココニイルンダロウ? 強者ハ弱者ヲ圧倒シテ、コノ世界ヲ変エテイク運命ヲ担ッテイル……・ソレガ強者ノ論理ダヨ。
 内田は仁が秀人を殺した、ということばに動じていないように見える。それとも、『夏越』のテレパシーが届いていないのか。 
  かんけーねーよ。
 内田が荒い呼吸を繰り返しながら、絞り出すようにケースの中で唇を動かした。額からつるつると流れている汗は、さっきからの痛みのせいだけではないのかもしれない。朦朧と、どこか危う気な視線で仁を捉えると、
  来るなって言ったのに。
 ばか、と続いて口が動く。変わらない信頼を感じて、仁は胸が熱くなった。
 ー早ク応エタ方ガイイ。けーすノ酸素ハトテモ少ナイ。
 仁ははっとして、もう一度内田を見た。確かに顔色はどんどん悪くなっているし、呼吸の荒さもおさまる様子がない。
 ー仁、私ガ君ヲ望ンデイルノハ、モウ1ツ理由ガアル。
 『夏越』は水槽の中でにんまりと微笑んだようだった。
 ー君ハ豊ノ子ドモダ。超能力ハ遺伝子ニヨッテ発現スルガ、ソレハアル呼ビカケニ反応シテ起コル。超能力ニヨル呼ビカケダ。
「内田?!」 
 ふいに、するするとガラスケースが上に引き上げられだして仁はぎょっとした。中にいる内田が不安そうに上を振仰ぐ。
 ーシカシ、超能力トハ一体何ナノカ。さいこきねしす? てれぱしー? イヤ、ソウジャナイ、ソレハ『果テシナク成長シテイク能力』ダヨ、仁。自分ノ枠モ人類ノ枠モ越エテ。
「何をする気だ!」
 ーダカラ、超能力者ガ力ヲ使ウ時ニハ成長ほるもんの分泌ガ関ワッテクル。視床下部ヲ中心トシタ領域ダ。思春期前後ニチカラガナクナルノモ、他ノ成長ニソノえねるぎーガ注ガレルセイダ。
 内田の入ったガラスケースは天井近くまで上がってしまった。何とか力を伸ばそうとするが、ケースの周囲にはさきほどのような膜が張られているらしく、仁は手が出せない。また、無闇に手出しして、振り落とされたら内田がどうなるかは、火をみるよりも明らかだ。
 仁の脳裏に、いつか見た未来の光景が弾ける。虹色の風の中、真っ青な顔の内田が落下していた、とめようもなく、ひたすらに。
(あれは、ここで再現されてしまうのか?)
 焦りと苛立ちに心が呑み込まれていく。
(そんなことにさせるもんか!)
 通常あるホールの2倍以上は高い天井、その近くまで浮き上がったガラスケースを支えようと再び力を伸ばす。
「!」
 そのとたんに、激しい勢いで仁は背後に弾かれた。ガラスケースに集中していたせいで、自分のガードに気が回っていなかった、それを思いっきり飛ばされて、壁に叩きつけられ、一瞬目の前が暗くなる。と、
「内田!」 
 ガラスケースの下にあった見えない手がいきなり抜かれたようだった。中にいた内田の体が落下に応じて軽く浮く。だが、それも一瞬、悲鳴を上げた仁の少し上で再び見えない網が広がったように、ガラスケースがくん、と空中で止まった。だが、もちろん、中の内田の体は止まらない。
 ガッシャアーーン!!
 「あ!!」
 内田が叫びを残して空を舞った。ガラスケースの床を破り、ケースのあった場所から光の粒を散らしながらコンクリートの床に激しく叩きつけられる。だん、ときつい音で跳ね返った足を庇って、内田が声を殺す。とっさにカバーしようとした仁の力は跳ね返されて、内田は容赦なくガラスとともに転がった。
「うち……・つうううっ!!」
 体中を針で刺される激痛、内田の痛みをもろに引き受け、仁は声を上げて蹲った。そればかりではない、その痛みが一瞬にして消えた瞬間、これまでよりも数段厳しい頭痛が仁の意識を殴りつける。
「うあっ」
 今の今まで苦もなく操れていた力が、傷を負った獣を体に閉じ込めたように暴れ狂っている。今にも皮膚と言う皮膚を裂いて吹き出し、破壊だけを望んで暴走しそうだ。
 その先に何が待っているのか、仁はもう知っている。ただの一瞬で肉塊となった秀人の末路が暗い闇への口を開いているのだ。
「く……う……う……」
 仁は体全体の力を内側に引き込み、歯を食いしばって体を抱え込んだ。
 ー仁、ソノチカラガホシイ。『果テシナク成長シテイク能力』ガ。オマエハ、自分ダケデハナイ、人サエモ変エテイク。まいやヤだりゅー、サトルヲ変エタヨウニ。私モ『成長』シタインダ。
「どういう……・ことだ……」
 ー私ハ、コレ以上、成長シナイ。
 仁は痛みに耐えながら『夏越』の姿を見た。
 確かにその姿は、豊のイメージのなかの姿とほとんど変わっていないように見えた。
 ー私ハ、確カニ、生マレタ時カラ、コノチカラヲ持ッテイル、ダガ、ソレダケダ。仁、オマエガ次々ト手ニ入レルチカラ、ソンナチカラガ私ニハナイ。私ニハ、ココカラ先ノ未来ガナイ。
 水槽の中の胎児が冷ややかな視線を仁に、続いて内田に向けたようだった。
 ー内田ガ、オマエノ成長ノ鍵ヲ握ッテイルノカト思ッタガ、違ッタヨウダ。
(まずい!)
「内田っ! あっ!」
 床に倒れて身動きしない内田に近づこうとして、仁は飛ばされかけ、必死にガードを張った。
 跳ね返した力がまっすぐ『夏越』に戻っていく、と、まるで、それを予想していたように、内田の体が透明な巨大な手で握られたように水槽の前へ釣り下げられて突き出された。跳ね返った仁の力はまともに内田に突進していく。
「くそおっ!」
 内田がのろのろと顔を上げた。髪を乱し汗に塗れた顔、色を失った唇がそれでも不敵に笑みをつくる。その笑顔に秀人の最後が重なるのを、仁は一瞬のうちに振り切った。
「たあっ!」
 声とともに、伸ばした手から閃光のように何かが空中を走る。内田の前に壁を張る、力を引き戻しやすいように自分の側に思念の空隙を造る。力は内田の寸前で爆発するように飛び散って、次には吸い寄せられるように仁の側に戻ってくる。その力を仁は両手を広げて待ち構えた。
(どんなに小さなかけらだって、絶対外には弾かせない!)
「く、う、うああああああーっ!」
 爆発物を内側に抱え込んだようだった。熱くて四方八方に飛び散るどろどろした溶けた金属、それらが仁の胸に張りつき、食い込み、骨まできしませるような痛みとなって襲いかかってくる。
 じゅう、と衣服の焼けこげる臭いがした。羽織っていたシャツがたちまち焦げ落ちてぼろぼろと仁の足下に散らばる。
「じ、ん!」
 初めて聞く、弱々しい内田の悲鳴が耳に届いた。体全てで自分の力を殺し切る、その激痛に意識が千切れ飛ぶ。苦痛に目を閉じる一瞬の視界に、見えない手に捕まえられたままもがく内田が、真っ青になっているのが映った。
「やめろ! やめろ、ばか! じいぃぃん!」
 引き裂くように悲痛な内田の叫び、それが彼方の出来事のように遠く聞こえる。
 ースゴイ、スゴイナ、仁、ドコカラ、ソンナチカラガ生マレルンダ。ソウカ、ヤッパリ、内田ナノカ。ジャア、コウスルトドウナルンダ?
 『夏越』のはしゃいだような、妖しい興奮に酔ったテレパシーが空を駆けた。
 巨大な手が軽々と空へ舞い上がる。内田を引きずり上げ、おもちゃのように空中へ放り出す。傷ついた片足から紅が空に飛び、さすがに微かな悲鳴がもれる。人形のように広がった手足は、内田にまとわりついていたガラス片をきらきらと舞い落とす。まさに、細かな破片の散り方さえも、いつか見た未来と重なっていく。
 見上げた仁の全身から血の気が引いた。
「内田あぁっ!」
(だめだ、僕には未来を変えられない!)
 内田はあのまま落下して、今度こそ命を失うのだろう。あれほどの高さから叩きつけられれば、いくら内田が頑丈だといっても、もうもたないに違いない。
(僕のせいで内田が死ぬ、僕の力が足りないせいで!)
 仁の頭は過熱して、絶叫のような自分の声が反響し耳も潰しそうだ。
 教室の夕焼けの中、笑う内田の口元の煙草、溶け落ちる夕日はこの終末を予言してあれほど鮮やかに赤かったのか。
(う、ち、だ!!)
 視界が熱い涙に歪み、なだれ、捻れていく。
(いやだ、イヤダ! イヤダーッ!!)
 ふいに、仁の全身を叩きつけていた苦痛が透明になった。このままばらばらになりそうだと思ったほどの頭痛も、跳ね返った力を受け止めたせいでやけどのように傷んだ体も、力への不安も、内田への心配も、『夏越』への怒りも、何もかもが一点に、頭のあの一点に集中し密度を増していく。
 それは、空恐ろしいほどの力の集積、高密度で重厚なエネルギーの感覚だった。
(僕はきっとこのまま世界を破壊してしまえるだろう)
 仁は自分の視線が、跳ね上げられ床に向かって打ち落とされていく内田ではなく、水槽の中の『夏越』に向かうのを感じた。友の安全より、災厄の中心を見据えるのを感じた。
 風が、閉鎖されている空間に動き始める。仁の濡れた頬にひややかな爪痕を残しながら、あっという間に勢いを強めていく。床に散っていたガラス片が巻き上げられ、空を舞い、きらきらと銀の筋を描いていく。
 『夏越』が水槽の中から幸福そうに仁を見返した。
 ースバラシイ、スバラシイヨ、仁。君ハスバラシイ。強者ノ世界ヘヨウコソ。ソノチカラデ、私ヲ『進化』ニ導イテクレ。
(止まらない、止められない)
 心の芯が凍りつくようだ。力が凝縮され、世界を破壊するためにのみ動き出す。その力の洗礼を受けようと、『夏越』は勝利の笑みを浮かべて待ち構えている。
(内田、内田、僕はもう……)
  だいじょうぶだ。
 瞬間、周囲を圧迫する空気が緩むような、密やかで柔らかな気配が胸に届いて、仁ははっと内田を見上げた。
 深い豊かな信頼感、それは紛れもなく、今まさに落ちて行く内田から仁に向かって届いた波だ。
  おまえは、だいじょうぶだ。
(だって……)
 無限の信頼、無尽の約束、それは時の彼方の父親のことばに重なっている。
(だって、内田)
 今にも仁は暴発しそうだ。何も遮るものを感じない。
(どうしてそんなことが言える……どうして、僕を信じられる)
  おまえは、花を救ったから。
 ためらうような声が応じた。
(花……?)
 あまりにも意外な内田の応えに一瞬仁の緊張が抜けた。まるでそれを待っていたかのように、
「仁!」「じぃん!」
 背後から別の声が響いた。はっとして振り返る仁の目に、さっき入り込んで来たドアから駆け込んでくる仲間の顔が映る。
「さと……る?」 
「だめよ、仁、お願い!」
 部屋に渦巻く風に飛ばされそうになりながら、マイヤが叫んだ。
「ぼくはここにいるんだ、守ってくれるんだよね!」
 さとるが両手を振る。
「マイヤを助けたぞ、見てくれ、仁!」
「世界を破壊しないっていったよな!」
 ダリューの声に城崎の怒声が重なった。
 仁は『夏越』を振り返った。相手は水槽の中でうろたえもしていない。内田と全く逆の確信をもって仁の暴発を待っている。そして、仁の力は『夏越』の望んだまさに全開状態で、部屋に凄まじいエネルギーを広げようとしている。
 ーモウ、遅イ。
 にんまりと『夏越』が笑う気配があった。
 ー仁ハ私ノモノダ。
「くうぅぅぅーっ!!」
 仁は腹の内から絞り出すような叫びを上げて拳を握った。一瞬に各人の位置を把握し、今まさに爆裂していく力を各々に分散させて、エネルギーから守る壁を造る。白熱して周囲を焼こうとする仁の力が狙い違わず『夏越』の水槽を直撃して砕いていく。だが同時に、その力の一端は、渦巻くような七色に乱れて真っ暗な部屋の真っ暗な天井へ駆けのぼり、舞うガラス片と一緒に細かな粒子の流れとなって飛び散った。
 内田が静かに落下していく、まるでそこだけ時が歩みを止めたように。身動き一つしない、けれど、顔に仁が自分を傷つけるはずがないとでもいうような、絶対の安らかさをたたえたまま。
 吹き上がる色が造った、虹の光景……・予測されていた未来の姿。
 仁は虹の光景のもう1つの意味に辿り着いたのに気がついた。
 仁が見たのは確かに破滅の光景だった。
 だが、今、速度を緩めて降りてくる内田の体を包んでいるのは、淡い緑の霧だ。振り返れば、さとるもマイヤもダリュ-も城崎も、それぞれに違う色の霧に包まれ、砕け散った水槽の破片から守られている。それはさながら、仲間1人1人がそれぞれの魂にあった光の結晶に包まれているような、きららかでまばゆい光景だ。
 そして、『夏越』は次々と黒い粒子に穿たれつつあった。空中から目に見えない銃が『夏越』に狙いを定めて集中砲火しているようだ。勢いに跳ね上がっていた小さな体が、やがて命の気配を失って、割れた水槽の間に転がる。真っ赤に開いていた瞳が白濁して固まっていく。
 仁はその『夏越』と目線を合わせていた。ずっとほんの一瞬も逸らせることもなく。
 やがて身動き一つしなくなった『夏越』の体から暗い紅が流れ出して周囲に散った白銀の液体を染める。待っていたように、部屋を満たし荒れ狂っていた風がゆっくりとおさまり始めた。きらめくガラス片が振り落ち、部屋の床を覆っていく。
 マイヤ達はまだ輝く光の玉に包まれたまま、茫然とした様子でその光景を見守っている。
「う……」
 微かなうめき声が聞こえて、仁は我に返った。引きむしるように『夏越』から目を逸らし、急いで床に倒れたままの内田に駆け寄った。
 内田の体からガラス片をそっと払う。手指を細かな傷が走り、みるみる薄紅の血がにじみだしたが、おかまいなしに汗に濡れた髪や切れ裂けた服からぎらぎらした粉を落とし、そろそろと冷えきった体を抱き起こす。
「内田!」
 自分の声が震えているのを仁は感じた。
「内田!」
「う……ん」
 ぐったりしている相手を揺さぶり、急いで呼吸を確かめて、仁は深い溜息をついた。思ったほどガラスに傷ついてもいないようだ。
 体から緊張と力が一気に抜けて座り込む。ジャリ、とガラスの砕ける音がした。
「仁!」「大丈夫?」「内田は」
 光の玉が消えたのだろうか、マイヤ達が走り寄ってくる。ふう、と内田が少し大きな息をつき、うっすらと目を開けて仁を見上げた。
「じ……ん?」
「よかった……」
 ー仁。
 と、突然、その仁の体の奥に『夏越』の声が響いた。
 ぎくりとした仁が思わず内田を引き寄せる。
「仁……?」
 仁の不安を感じ取ったのか、内田が体を起こそうとするのを首を振って押さえ、仁は目を見開いて、前方の割れ砕けた水槽の間、べっとりとした赤い液体に包まれて転がっている『夏越』の体を凝視した。
 ーオマエノ勝チダ。
 声は淡々と響いた。体から聞こえると言えばそうだが、元からそれは『声』ではない。
 ーオメデトウ、トイッテオコウ。オマエハ、私ヲ葬ッタ……オマエコソガ、チカラアルモノ……強者コソガ生キ残ル。所詮ハチカラナノダ、スベテノ命ハ、チカラアルモノニ供サレル……ソウ、仁、オマエハ強者ノ論理ヲ全ウシタノダ。
 仁は体を強ばらせた。
 虚ろな赤い目に生気はない。だが、テレパシーは揺るぎない確信を持って静かに続いた。
 ーオマエハ、未来ヲソノ身ニ負ッタ……・人ガ歩ムベキ道ヲ永遠ニ彷徨イ歩キタマエ…親愛ナル友人達ト、チカラアルモノノママ、ドウヤッテイキテイクノカ……・私ガ見届ケラレナイノハ……残念ダ……。
「『夏越』……」
 仁は震え出した体で呼び掛けた。
 だが、白くねっとりした液体に濡れた体は、ふいに中身の何かが出ていってしまったように、ぶしゃりと崩れ、それより後はもう何の反応も見せなかった。
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