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10.『ケーニッヒ』(2)
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あのとき、何が何でも、どんな酷いことばを投げつけてでも、仁を遠ざけるべきだった。
(そうしてれば、こんな傷まで、負わせずに済んだ)
眩い光球が仁から放たれ、盾として自分が『夏越』に使われたとき、内田は自分を貫いて仁が『夏越』を葬るのを待っていた。
だが、仁はそのエネルギーの塊を呼び戻し、抱え込んだ。仁の細い体をきしませなが
ら光球のエネルギーが仁の中に吸い込まれていくのを、仁が無意識にだろう、絞り上げるような悲鳴を上げながらそれでも光球を放さないのを、内田は震えながら見守った。
やめろ、と言った最初の声は恐怖で声にならなかった。
(やめろ、そんなことをしたら、おまえが死んじまう)
今度こそ、花が散る。仁という花が。内田がまたもや守りきれずに、砕かれ焼かれて消えてしまう。
(もう、いやだ。もう、こんな光景は見たくない)
叫んだ内田の声は届いたのか、届かなかったのか。
絶叫する自分の声が耳を覆い、内田は朦朧とした中で、巨大な力に翻弄される仁の苛立ちを、無力感を、絶望を感じ取った。
(仁が…泣いている……)
激痛が足を襲う。空を舞う、めまいがして、吐き気が込み上げる。意識がどんどん薄れていく、心の壁が脆く弱くなって吹き飛ばされていく。
(仁が……)
だいじょうぶだ。
内田は胸の中で呟いた。だめだ、と仁が叫んだ気がした。
ボクハセカイヲハカイスル。
(そんなことはない、だって)
おまえは、花を救ったから……・。
ばさ。
「ん!」
ふいに目の前に濃いピンクの小さな花束を置かれて、内田は瞬間身を引いた。
「おい、何だ、これは!」
自分の内側がいきなり外に溢れて物体化した、そんなパニックに襲われる。
「今、話したよ?」
仁がいつのまにか、不思議そうな顔で自分を覗き込んでいた。一瞬ことばを失って、それでも必死に平静を装いながら相手を見返す。
「悪い、ちょっとぼけてた、で、何だって?」
「だから、これ、マイヤから。内田にいろいろ助けてもらったから、御礼だって」
「はあん」
内田はじろじろと花束を見た。送り主がマイヤというあたり、花の色の選択といい、どうにもひっかかる。
(まさか、気を失ってた時に、余計なことを言ったんじゃねえだろうな、俺は)
「何か、内田はこの色の花が好きだからって」
仁があっさり続けて、またもやおもいきり咳き込む。コーヒーを運んで来たマスターがもう限界だという顔でそそくさと奥に消えるのをじろりとにらんで、
「俺は花なんか好きじゃねえよ。なんならお前持って帰れ」
「え、そうなの……小学校のときに、園芸係してたのに」
今度は完全に内田はことばを失った。
「僕は内田がけっこう花が好きなんだと思ってた……車が突っ込んで来たときも、真っ青になってたから」
仁は気づかないのか、気づかないふりをしているのか、困惑した顔で花束を眺めている。
「ひどい車だった……内田の大事にしてた花まで轢いてさ」
いったん引いた血の気がみるみる頭に昇ってくるのに、内田は急いで煙草を取り出した。
(こいつ、気づいて)
「あの花が枯れて……つらかったよ、僕。ああ、そうだ、僕が花を救ったっていうの、ひょっとしてあの花のこと……」
「仁!」
内田は長い煙草を思いっきり灰皿に押しつけ、話を断ち切った。
「で、どうだったんだ、体は!」
「あ、あ……うん」
仁は強引な切り替えに戸惑ったように曖昧に微笑んだ。
「城崎さんがもう大丈夫だって」
「ほんとか? あのおっさん、まともじゃねえからな」
「いい腕らしいよ、病院で今頼りにされてる」
仁はそっと付け加えた。
「よかったよ」
「ああ、そうだな」
「城崎さんも言ってたけど、内田」
仁がまっすぐにこちらに目を据え、内田は硬直した。瞳がまばゆい。強い意志力がその底に満ちて、相対するものの全てを吸い込んでいきそうだ。
(なんて目をする)
自分の奥底の気持ちまであっさり見抜かれそうな気がして、内田は慌てて目を逸らせた。
「ずいぶん心配してくれたんだよね」
(あのおっさん、また余計なことをいいやがって)
「俺のことはいいんだよ、どうでも。で、マイヤ達は? 元気なんだな、こんなことをするとこみると」
内田は舌打ちして仁の視線を避けたまま、花束を指先で弾いた。
「元気だよ、さとるも元気、一昨日見舞いに来てくれた。かあさんはどうして小学生と知り合ったのかって不思議がったけど……・学校のボランティアで、って」
にこ、と仁は邪気のない笑みを返す。
「学校のボランティアか、そりゃいい」
はは、と笑ってみせて、そこはかとない、胸の内に湧いた不安に気がつく。
(俺からすれば、不思議なのはおまえの方だ)
あれほどの修羅場、くぐり抜けたはずの仁の笑みは前よりも穏やかに見える。どこか儚いほどだ。
まるでこの世界で生きていくことを諦めたような。
(まさか、仁)
内田はふいにどきりとした。
「おまえ、本当に大丈夫なんだろうな」
さっきから妙にうろたえていた内田が突然生真面目な顔で向き直って、仁は黙った。
(あいかわらず、鋭い)
苦笑しかけたのをわずかに視線を逸らせてごまかす。
「大丈夫だよ。城崎さんも、マイヤやダリュ-も、さとるもみんな落ち着いている。内田の足は少し時間がかかるかもしれないけど」
「俺のことはいいって言ってるだろう。第一、あっちの方はどうなったんだ」
内田は容赦なく焦点を突いて来た。
「力、は」
(やっぱり、無理か)
仁は溜息をついた。内田が何か引っ掛かってるらしい『花』を持ち出したのも、城崎の話も、一番苦手な部分を避けたかったせいなのだが、内田にはうまくいかなかったようだ。
「なくなったよ」
「なくなった?」
内田は眉をしかめて煙草をくわえた。
「煙草は傷によくないって言われなかった?」
「折られた時でも吸ってたぜ」
仁の抗議を平然と受け流す。
「あれだけの力がなくなったっていうのか?」
不審そうな問いかけには、用意しておいた答えで間に合うと思えた。
「城崎さんが言ってたけど、ときどき、あるらしいよ、限界を越えて力を使うと摩滅しちゃうらしい」
「マイヤやダリュ-は? さとるの方も大丈夫なんだろう?」
「最後のガード、が効いたんだろうって」
仁は控えめに笑って見せた。
「ああ、そうか……」
内田が気を呑まれたようにことばを消すのも、計算済みだ。
「そっか、残念だな」
内田は少し黙った後、深く大きな溜息をついて、煙草をくわえ直した。
「残念? 何が……あんなに危険な力……・内田だって殺しそうになったのに」
「訂正しろ、『夏越』を潰した力、だろ」
仁はそれに答えられない。
今でも胸の底に、戦いの最後の、そして夢に出て来た『夏越』のことばが響いている。
(『夏越』は潰されてなんかいない。『夏越』は僕の中にもいるんだ、内田)
それは誰にも言えないことだった。
マイヤもダリュ-もさとるも、今は小さな一時の安息の場所を得ているものの、『夏越』との闘いの傷は癒えていない。それは内田だってそうだ。
仁は静かに目を落とした。内田の片足にはまだ包帯が巻かれ、カウンターには銀色の松葉づえが一本もたせかけられている。
「ま、いいや。仁、ひさしぶりにゲーセンでも付き合えよ」
「あ、うん」
松葉づえを器用に操って立ち上がり、内田はカウンターに金を置いた。
「退院祝いだ、おごってやるよ」
「ありがとう」
「マスター、またなー」
「明日は来るなよ!」
内田の気性を心得ている相手は出て来ようともしない。先に立ってドアを開け、日ざしの中に出た内田がはしゃいだ声を上げる。
「すごい天気だったんだな、こんなことなら外にいるんだった。おい、早く来いよ、仁!」
「あ、今……」
急いで後を追いかけて、仁は振り返った。カウンターに置き去りにされている花束に気づき、す、と指を向ける。マスターが奥から顔を見せる間の一瞬に、花束は空を滑って仁の指先に吸い寄せられるようにおさまる。
それを、仁は眉をひそめてじっと見守った。ためらいのない、よどみのない、けれど普通には決して働くことのない、花束を運んだ力と、それを命じた自分の感覚も。
「ああ、また来て下さいね」
仁が花束を握った後に顔を見せたマスターが穏やかに笑うのに、仁は軽い笑顔で応じてドアを閉めた。
「何してるんだ、仁、怪我人を放っとく気か」
「酔ってんの、内田? ハイテンションだね」
何ごともなかったように内田の側に肩を並べながら、仁は相手を覗き込んだ。
「おい、その花持って来たのか?」
「マイヤに悪いだろ」
「気にいらねえんだよ、その色が」
「ふうん」
くすくす笑いながら、仁はどんどん盛り上がっていく内田から目を逸らせて、空を見上げた。
力は、なくなっていない。
むしろ、目覚めてからはコントロールに苦痛も伴わなくなっている。
だが、仁は、今、それには永遠に誰も関わらせないで生きていこうと思っている。できれば、仁自身も誰にも関わらずに生きていければとも。
仁の力を望むものはこれからも現れるだろう。そのたびごとに、仁の回りにいる人間が巻き込まれ、潰され、殺される可能性は十分ある。
(だから)
仁は一人で生きていこうと思っている。
なるべく静かに、なるべく密やかに。
回りの人間を巻き込まない距離を保ちながら、人の中にまぎれて。
そしていつかゆっくりと、内田やマイヤ達の側から気づかぬように、わからぬように消えていこうと思っている。遠く離れたどこかで、一人で生きて行こう、と。
そしてもし、それでも叶わないならば……。
そうすることが仁にできるただ一つの友情の形……・仲間を殺さずに暮していける方法だと感じている。
「どうした? 仁」
「空が、高いなって」
「病院の天井よりはな」
内田がからかうように応じる。その声には仁をいたわるような柔らかな響きがある。
仁の胸に、地下に閉じ込められていた『夏越』の傷みが重なった。
ー私ハ友ガホシカッタ。
「そうだね」
(今はよくわかるよ、『夏越』)
どこまでいっても一人で。
どこまで生きても居場所がなくて。
そんな孤独に耐え続けられる強い心はいったいどれほどあるのだろう。
仁はどこまで正気でいられるのだろう。
「仁」
内田が急に立ち止まった。
「うん?」
「俺を、見くびるなよ」
相手の声に、ふいに、ほとんど殺気に近い怒気を感じて、仁はうろたえて内田を見た。
同じように空を見上げていたらしい内田が、ゆっくりと首を回し、冷ややかに仁を睨みつける。
「その花束をどこに置いたか、覚えてねえとでも思ってんのか」
どき、と心臓が一拍打ったまま止まってしまったような気がした。
「おまえがドアに手をかけたまま、取れるような場所には置かなかったぜ、俺は」
仁は唾を呑み込んだ。
「消える気だったろ」
答えられない。
「一人で消える気だったろ」
「僕は……・」
震えそうな声を必死にこらえる。
「『夏越』と同類だ……内田だって、わかってたはずだ……」
あの自制が飛んだ瞬間、仁は確実に暴発していた。止められたのは内田がいたからだ。それでも、次に同じことが起こった場合、仁は自分を制御できる自信がない。
「そうだ、おまえはあいつと同類なんだ」
内田が冷たく言い放って、仁はうつむいた。その耳に、深く静かな声が続ける。
「俺がいなけりゃな」
「!」
「ダリュ-が言ってた、俺はおまえの制御装置なんだとよ。おまえの力はこれからどこまで伸びていくか、誰にもわからない。ひょっとすると世界を壊しちまうほどかもしれねえ。けど、俺がいれば、何とかできるかもしれねえんだとさ」
「だって、だって、内田!」
巻き込むわけにはいかない、ましてや傷ついた足を引きずる内田を目の前に、そんな甘えたことは言えるはずがなかった。
「だってもくそもねえ。俺がいなけりゃ、おまえは暴発して世界を破壊するんだろ? じゃあ、俺がおまえの側にいるのは、れっきとした世界平和の仕事だ、ノーベル賞をもらったっていいぐらいだ」
内田はしらっとした顔で続けた。
「さとるにも言ったんじゃねえのか。力に見合う心がいるって。おまえに今その『心』があるのかよ?」
仁は力なく首を振った。
(そんなものが、そんなにすぐに手に入れば)
『夏越』だって化け物、にはならなかった、世界を壊そうなどと思わなかったはずなのだ。
「だから言ってるのさ、おまえにその心が育つまで、俺が側にいてやるって」
びく、と仁は顔を上げた。
胸の中にいた『夏越』が同時に反応したのがわかり、体が細かく震え出す。
無意識に尋ねていた。
「それでもどうにもならなかったら」
内田は、松葉づえを片脇に挟んだ体勢で、煙草をケースから叩き出し、チィンと澄んだ音を鳴らしてライターで火をつけた。
穏やかに暮れていく夏の日ざしの中、約束されていたようなことばが響く。
「いいじゃねえか、世界を征服しちまおうぜ。俺と、おまえとで」
煙が緩やかにらせんを描いて立ち上る、その後ろから内田は静かに笑いかけてきた。
「ずっと一緒に居てやるよ、おまえが望む未来まで」
それは、誰が欲しかったことばだったのだろう。
一人を覚悟した仁なのか、地下に封じられていた『夏越』なのか。
それとも、家族の前から消えていった浅葱豊が欲したのか。
人の進化は新しい力を手に入れることなのかも知れない。しかし、それを支える心はすぐには育たない。心無き力は世界を破滅させていく。ならば、どうして生きていくのか。
(それはきっと)
「ん?」
「なら、僕は」
仁は微笑んだ。胸が切ない。視界が歪む。
「花を、守ることにするよ」
「え?」
続くことばは内田には告げない、激怒するのがわかっているから。
(君という花を。僕に未来を与えてくれた仲間を)
「花? おい、仁、やっぱりおまえ何か知ってるな? マイヤから何か聞いたのか? え、おい?」
うろたえた内田は苛ついた顔で身を引いた仁を追おうとしてバランスを崩した。
「内田!」
体格では圧倒的に内田が勝る、それを、支えかけた仁はすっかり忘れていた。
「ばっかやろう、おまえが潰れてどーすんだーっ!!」
内田の怒鳴り声が街に響く。
その声に仁の中で『夏越』がくすぐったそうに笑い出す。幸せそうに、この世の不幸など知らない生まれたばかりの赤ん坊のように。
「悪い-っ!」
内田と一緒にひっくり返りながら、仁は滲みかけた涙を振り払った。
おわり
(そうしてれば、こんな傷まで、負わせずに済んだ)
眩い光球が仁から放たれ、盾として自分が『夏越』に使われたとき、内田は自分を貫いて仁が『夏越』を葬るのを待っていた。
だが、仁はそのエネルギーの塊を呼び戻し、抱え込んだ。仁の細い体をきしませなが
ら光球のエネルギーが仁の中に吸い込まれていくのを、仁が無意識にだろう、絞り上げるような悲鳴を上げながらそれでも光球を放さないのを、内田は震えながら見守った。
やめろ、と言った最初の声は恐怖で声にならなかった。
(やめろ、そんなことをしたら、おまえが死んじまう)
今度こそ、花が散る。仁という花が。内田がまたもや守りきれずに、砕かれ焼かれて消えてしまう。
(もう、いやだ。もう、こんな光景は見たくない)
叫んだ内田の声は届いたのか、届かなかったのか。
絶叫する自分の声が耳を覆い、内田は朦朧とした中で、巨大な力に翻弄される仁の苛立ちを、無力感を、絶望を感じ取った。
(仁が…泣いている……)
激痛が足を襲う。空を舞う、めまいがして、吐き気が込み上げる。意識がどんどん薄れていく、心の壁が脆く弱くなって吹き飛ばされていく。
(仁が……)
だいじょうぶだ。
内田は胸の中で呟いた。だめだ、と仁が叫んだ気がした。
ボクハセカイヲハカイスル。
(そんなことはない、だって)
おまえは、花を救ったから……・。
ばさ。
「ん!」
ふいに目の前に濃いピンクの小さな花束を置かれて、内田は瞬間身を引いた。
「おい、何だ、これは!」
自分の内側がいきなり外に溢れて物体化した、そんなパニックに襲われる。
「今、話したよ?」
仁がいつのまにか、不思議そうな顔で自分を覗き込んでいた。一瞬ことばを失って、それでも必死に平静を装いながら相手を見返す。
「悪い、ちょっとぼけてた、で、何だって?」
「だから、これ、マイヤから。内田にいろいろ助けてもらったから、御礼だって」
「はあん」
内田はじろじろと花束を見た。送り主がマイヤというあたり、花の色の選択といい、どうにもひっかかる。
(まさか、気を失ってた時に、余計なことを言ったんじゃねえだろうな、俺は)
「何か、内田はこの色の花が好きだからって」
仁があっさり続けて、またもやおもいきり咳き込む。コーヒーを運んで来たマスターがもう限界だという顔でそそくさと奥に消えるのをじろりとにらんで、
「俺は花なんか好きじゃねえよ。なんならお前持って帰れ」
「え、そうなの……小学校のときに、園芸係してたのに」
今度は完全に内田はことばを失った。
「僕は内田がけっこう花が好きなんだと思ってた……車が突っ込んで来たときも、真っ青になってたから」
仁は気づかないのか、気づかないふりをしているのか、困惑した顔で花束を眺めている。
「ひどい車だった……内田の大事にしてた花まで轢いてさ」
いったん引いた血の気がみるみる頭に昇ってくるのに、内田は急いで煙草を取り出した。
(こいつ、気づいて)
「あの花が枯れて……つらかったよ、僕。ああ、そうだ、僕が花を救ったっていうの、ひょっとしてあの花のこと……」
「仁!」
内田は長い煙草を思いっきり灰皿に押しつけ、話を断ち切った。
「で、どうだったんだ、体は!」
「あ、あ……うん」
仁は強引な切り替えに戸惑ったように曖昧に微笑んだ。
「城崎さんがもう大丈夫だって」
「ほんとか? あのおっさん、まともじゃねえからな」
「いい腕らしいよ、病院で今頼りにされてる」
仁はそっと付け加えた。
「よかったよ」
「ああ、そうだな」
「城崎さんも言ってたけど、内田」
仁がまっすぐにこちらに目を据え、内田は硬直した。瞳がまばゆい。強い意志力がその底に満ちて、相対するものの全てを吸い込んでいきそうだ。
(なんて目をする)
自分の奥底の気持ちまであっさり見抜かれそうな気がして、内田は慌てて目を逸らせた。
「ずいぶん心配してくれたんだよね」
(あのおっさん、また余計なことをいいやがって)
「俺のことはいいんだよ、どうでも。で、マイヤ達は? 元気なんだな、こんなことをするとこみると」
内田は舌打ちして仁の視線を避けたまま、花束を指先で弾いた。
「元気だよ、さとるも元気、一昨日見舞いに来てくれた。かあさんはどうして小学生と知り合ったのかって不思議がったけど……・学校のボランティアで、って」
にこ、と仁は邪気のない笑みを返す。
「学校のボランティアか、そりゃいい」
はは、と笑ってみせて、そこはかとない、胸の内に湧いた不安に気がつく。
(俺からすれば、不思議なのはおまえの方だ)
あれほどの修羅場、くぐり抜けたはずの仁の笑みは前よりも穏やかに見える。どこか儚いほどだ。
まるでこの世界で生きていくことを諦めたような。
(まさか、仁)
内田はふいにどきりとした。
「おまえ、本当に大丈夫なんだろうな」
さっきから妙にうろたえていた内田が突然生真面目な顔で向き直って、仁は黙った。
(あいかわらず、鋭い)
苦笑しかけたのをわずかに視線を逸らせてごまかす。
「大丈夫だよ。城崎さんも、マイヤやダリュ-も、さとるもみんな落ち着いている。内田の足は少し時間がかかるかもしれないけど」
「俺のことはいいって言ってるだろう。第一、あっちの方はどうなったんだ」
内田は容赦なく焦点を突いて来た。
「力、は」
(やっぱり、無理か)
仁は溜息をついた。内田が何か引っ掛かってるらしい『花』を持ち出したのも、城崎の話も、一番苦手な部分を避けたかったせいなのだが、内田にはうまくいかなかったようだ。
「なくなったよ」
「なくなった?」
内田は眉をしかめて煙草をくわえた。
「煙草は傷によくないって言われなかった?」
「折られた時でも吸ってたぜ」
仁の抗議を平然と受け流す。
「あれだけの力がなくなったっていうのか?」
不審そうな問いかけには、用意しておいた答えで間に合うと思えた。
「城崎さんが言ってたけど、ときどき、あるらしいよ、限界を越えて力を使うと摩滅しちゃうらしい」
「マイヤやダリュ-は? さとるの方も大丈夫なんだろう?」
「最後のガード、が効いたんだろうって」
仁は控えめに笑って見せた。
「ああ、そうか……」
内田が気を呑まれたようにことばを消すのも、計算済みだ。
「そっか、残念だな」
内田は少し黙った後、深く大きな溜息をついて、煙草をくわえ直した。
「残念? 何が……あんなに危険な力……・内田だって殺しそうになったのに」
「訂正しろ、『夏越』を潰した力、だろ」
仁はそれに答えられない。
今でも胸の底に、戦いの最後の、そして夢に出て来た『夏越』のことばが響いている。
(『夏越』は潰されてなんかいない。『夏越』は僕の中にもいるんだ、内田)
それは誰にも言えないことだった。
マイヤもダリュ-もさとるも、今は小さな一時の安息の場所を得ているものの、『夏越』との闘いの傷は癒えていない。それは内田だってそうだ。
仁は静かに目を落とした。内田の片足にはまだ包帯が巻かれ、カウンターには銀色の松葉づえが一本もたせかけられている。
「ま、いいや。仁、ひさしぶりにゲーセンでも付き合えよ」
「あ、うん」
松葉づえを器用に操って立ち上がり、内田はカウンターに金を置いた。
「退院祝いだ、おごってやるよ」
「ありがとう」
「マスター、またなー」
「明日は来るなよ!」
内田の気性を心得ている相手は出て来ようともしない。先に立ってドアを開け、日ざしの中に出た内田がはしゃいだ声を上げる。
「すごい天気だったんだな、こんなことなら外にいるんだった。おい、早く来いよ、仁!」
「あ、今……」
急いで後を追いかけて、仁は振り返った。カウンターに置き去りにされている花束に気づき、す、と指を向ける。マスターが奥から顔を見せる間の一瞬に、花束は空を滑って仁の指先に吸い寄せられるようにおさまる。
それを、仁は眉をひそめてじっと見守った。ためらいのない、よどみのない、けれど普通には決して働くことのない、花束を運んだ力と、それを命じた自分の感覚も。
「ああ、また来て下さいね」
仁が花束を握った後に顔を見せたマスターが穏やかに笑うのに、仁は軽い笑顔で応じてドアを閉めた。
「何してるんだ、仁、怪我人を放っとく気か」
「酔ってんの、内田? ハイテンションだね」
何ごともなかったように内田の側に肩を並べながら、仁は相手を覗き込んだ。
「おい、その花持って来たのか?」
「マイヤに悪いだろ」
「気にいらねえんだよ、その色が」
「ふうん」
くすくす笑いながら、仁はどんどん盛り上がっていく内田から目を逸らせて、空を見上げた。
力は、なくなっていない。
むしろ、目覚めてからはコントロールに苦痛も伴わなくなっている。
だが、仁は、今、それには永遠に誰も関わらせないで生きていこうと思っている。できれば、仁自身も誰にも関わらずに生きていければとも。
仁の力を望むものはこれからも現れるだろう。そのたびごとに、仁の回りにいる人間が巻き込まれ、潰され、殺される可能性は十分ある。
(だから)
仁は一人で生きていこうと思っている。
なるべく静かに、なるべく密やかに。
回りの人間を巻き込まない距離を保ちながら、人の中にまぎれて。
そしていつかゆっくりと、内田やマイヤ達の側から気づかぬように、わからぬように消えていこうと思っている。遠く離れたどこかで、一人で生きて行こう、と。
そしてもし、それでも叶わないならば……。
そうすることが仁にできるただ一つの友情の形……・仲間を殺さずに暮していける方法だと感じている。
「どうした? 仁」
「空が、高いなって」
「病院の天井よりはな」
内田がからかうように応じる。その声には仁をいたわるような柔らかな響きがある。
仁の胸に、地下に閉じ込められていた『夏越』の傷みが重なった。
ー私ハ友ガホシカッタ。
「そうだね」
(今はよくわかるよ、『夏越』)
どこまでいっても一人で。
どこまで生きても居場所がなくて。
そんな孤独に耐え続けられる強い心はいったいどれほどあるのだろう。
仁はどこまで正気でいられるのだろう。
「仁」
内田が急に立ち止まった。
「うん?」
「俺を、見くびるなよ」
相手の声に、ふいに、ほとんど殺気に近い怒気を感じて、仁はうろたえて内田を見た。
同じように空を見上げていたらしい内田が、ゆっくりと首を回し、冷ややかに仁を睨みつける。
「その花束をどこに置いたか、覚えてねえとでも思ってんのか」
どき、と心臓が一拍打ったまま止まってしまったような気がした。
「おまえがドアに手をかけたまま、取れるような場所には置かなかったぜ、俺は」
仁は唾を呑み込んだ。
「消える気だったろ」
答えられない。
「一人で消える気だったろ」
「僕は……・」
震えそうな声を必死にこらえる。
「『夏越』と同類だ……内田だって、わかってたはずだ……」
あの自制が飛んだ瞬間、仁は確実に暴発していた。止められたのは内田がいたからだ。それでも、次に同じことが起こった場合、仁は自分を制御できる自信がない。
「そうだ、おまえはあいつと同類なんだ」
内田が冷たく言い放って、仁はうつむいた。その耳に、深く静かな声が続ける。
「俺がいなけりゃな」
「!」
「ダリュ-が言ってた、俺はおまえの制御装置なんだとよ。おまえの力はこれからどこまで伸びていくか、誰にもわからない。ひょっとすると世界を壊しちまうほどかもしれねえ。けど、俺がいれば、何とかできるかもしれねえんだとさ」
「だって、だって、内田!」
巻き込むわけにはいかない、ましてや傷ついた足を引きずる内田を目の前に、そんな甘えたことは言えるはずがなかった。
「だってもくそもねえ。俺がいなけりゃ、おまえは暴発して世界を破壊するんだろ? じゃあ、俺がおまえの側にいるのは、れっきとした世界平和の仕事だ、ノーベル賞をもらったっていいぐらいだ」
内田はしらっとした顔で続けた。
「さとるにも言ったんじゃねえのか。力に見合う心がいるって。おまえに今その『心』があるのかよ?」
仁は力なく首を振った。
(そんなものが、そんなにすぐに手に入れば)
『夏越』だって化け物、にはならなかった、世界を壊そうなどと思わなかったはずなのだ。
「だから言ってるのさ、おまえにその心が育つまで、俺が側にいてやるって」
びく、と仁は顔を上げた。
胸の中にいた『夏越』が同時に反応したのがわかり、体が細かく震え出す。
無意識に尋ねていた。
「それでもどうにもならなかったら」
内田は、松葉づえを片脇に挟んだ体勢で、煙草をケースから叩き出し、チィンと澄んだ音を鳴らしてライターで火をつけた。
穏やかに暮れていく夏の日ざしの中、約束されていたようなことばが響く。
「いいじゃねえか、世界を征服しちまおうぜ。俺と、おまえとで」
煙が緩やかにらせんを描いて立ち上る、その後ろから内田は静かに笑いかけてきた。
「ずっと一緒に居てやるよ、おまえが望む未来まで」
それは、誰が欲しかったことばだったのだろう。
一人を覚悟した仁なのか、地下に封じられていた『夏越』なのか。
それとも、家族の前から消えていった浅葱豊が欲したのか。
人の進化は新しい力を手に入れることなのかも知れない。しかし、それを支える心はすぐには育たない。心無き力は世界を破滅させていく。ならば、どうして生きていくのか。
(それはきっと)
「ん?」
「なら、僕は」
仁は微笑んだ。胸が切ない。視界が歪む。
「花を、守ることにするよ」
「え?」
続くことばは内田には告げない、激怒するのがわかっているから。
(君という花を。僕に未来を与えてくれた仲間を)
「花? おい、仁、やっぱりおまえ何か知ってるな? マイヤから何か聞いたのか? え、おい?」
うろたえた内田は苛ついた顔で身を引いた仁を追おうとしてバランスを崩した。
「内田!」
体格では圧倒的に内田が勝る、それを、支えかけた仁はすっかり忘れていた。
「ばっかやろう、おまえが潰れてどーすんだーっ!!」
内田の怒鳴り声が街に響く。
その声に仁の中で『夏越』がくすぐったそうに笑い出す。幸せそうに、この世の不幸など知らない生まれたばかりの赤ん坊のように。
「悪い-っ!」
内田と一緒にひっくり返りながら、仁は滲みかけた涙を振り払った。
おわり
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「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
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