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第1章 『竜は街に居る』

4.ドミノ倒し「魔法を見たくないか」(2)

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 魔法を見たくないか?
 それは寺戸の決まり文句の1つだ。
 舜は積み上げられた脚本と資料集に目を白黒させている雷牙を微笑みながら眺める。
 初顔合わせの時に、このキメ台詞が出るのだから、寺戸も雷牙には期待しているのだろう。
「まあ、魔法をかけるのはワニさんだけどね」
 今回は寺戸もブライアン・テッドの役柄で出るから、いつもとちょっと意気込みが違うのかも知れないが。
「そう、であって欲しい、な…」
 舜は小さく呟く。
 そうでなければ、せっかく頑張って獲ったシュン・カザルの役も色褪せてしまうかも知れない。
 公演から少し遠のいてしまったせいか、最近寺戸の魔法のかかり具合が鈍くなった。掛ける芝居のレベルは上がっているが、要求される内容が舜の想定内で収まることが増えてきた。
 はっきりしたのはカザルのオーディションだ。
 案の定と言うか、陸斗が名乗りを上げてきて、確かにしなやかで滑らかな動きは陸斗の方が上かも知れないし、華奢な見かけなのに意外に筋力はあるしで、舜がカザルを獲るのは正直ぎりぎりかなと思っていた。
 『竜夢』の役柄は掛ける芝居の一場面をやって見て、誰が寺戸のイメージに近いものを出してこれるかで決まってくる。寺戸だけでなく、おかしなものだ、演って見ると、これなら行けるとかこれではまずいとか、なんとなく皆んなが感じ取れてくる。決着がつくまで数回演技を重ねることもあるし、真剣勝負の演技は、それだけで楽しいから、頑張ろうと思う反面、楽しみにもしていたのに。
「…なんであの場面だったかってのは、想像がつく…」
 雷牙にあれこれ段取りを説明している寺戸と礼新を見ながら思い出す。
 初めてオウライカと身体を重ねた後、『塔京』の刺客と見抜かれる場面だ。

『「塔京」か?』『……ノーコメント』
『私を殺しに来たのか?』『………ノーコメント』
『じゃあ、抱かれに来たのか』『………………ノーコメント』
『これからどうする気だ?』『……………ノーコメント……ていうか』
 ひょいと振り返ってカザルハはオウライカを見つめる。
『俺が決められるもんじゃないよね? こういうとき、こっちではどうなんの、俺みたいな奴は』

 次々変わるオウライカの台詞にノーコメントと言うことば一つで気持ちの揺れと丁々発止の気配を見せる、役者にとっては確かに力量を問われる場面、カザルのキャラクターと、オウライカへの想いをどこまで載せて演じるかで声音も姿勢も表情まで別物になる。
 だが、それだけだ。
 寺戸はこの場面を『導入部』として描いている。ならばここではカザルはキャラクターを確定させなくていい。むしろ確定させず謎めいた表情でオウライカを誘惑するだけに徹してもいい。
 陸斗は丁寧に演じていた。正体を隠し、偽りの気配を見たし、けれども抱かれた快感を思い起こさせるような甘い間合いも含ませて、カザルとして不足はなかった。
 だが、それだけだ。
 求められていないとわかっていたが、舜はあえて踏み込んで見た。
 不貞腐れ、いい加減に投げやりに、感情を乗せずノーコメントをカウントを取った間だけで繰り返した。平板な声、オウライカ役の寺戸をからかう顔で、挑発した。
 それが受けた。
 …それが、納得できなかった。
 舜に寺戸の魔法陣は見えず、呪文は届いていなかった。
 寺戸ならこれを面白がる、そう言う読みが、そのまま当たってしまった。
 違うだろうと言って欲しかった。
 陸斗が出した答えも、舜が提示した振る舞いも、どちらも全く外れている、そんな程度しか魅せられないのか、ならこの芝居は流すしかないな。
 そう突き放して欲しかった。
 前は寺戸の要求はもっと難しかった。理解さえできず、幾晩も悩んでようやく見つけた微笑み一つが芝居に見事にハマった時は体が震えた。自分の皮がべりべりと引き剥がされる感覚、その開放感に呆然としていると、魔法が見えたかとそっけなく扱われ、これが日常茶飯事なのかと興奮した。
 けれど今、舜はこれぞ真実という「ノーコメント」が見えない。
 寺戸が辿り着いた「ノーコメント」ではなくて、芝居が望んでいる「ノーコメント」が知りたい。
 魔法ではなく、必然の「ノーコメント」が見たい。
「…それこそ…魔法…?」
 『竜夢』の誰もが見えない世界を、誰が引き摺り出してこれるのか。
 舜は小さく溜息をついた。
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