25 / 121
第1章 『竜は街に居る』
6.ドキュメント方式で「聞こえないふり、していて」(1)
しおりを挟む
『ほんとに悪いと思ってる?』
机の向こうで舜が唇を尖らせるのが見えた。
『思ってる』
禄は丁寧に答える。いや、丁寧に答えるように返事をする。オウライカはここではカザルに正直とんでもないことをさせたのだし、彼の性格は実直だから真摯に答えて当然だろうと思うからだ。
『じゃあ、こういうときはキスするもんじゃない?』
ちらりと舜が目を上げた。尖らせた唇をふっくらと膨らませられてどきりとする。いくら疎くてもこれはわかる、誘われているしねだられている。オウライカはカザルのことを気に入り出しているし、この誘惑は楽しいはずだ。けれど、カザルには魅かれるわけにはいかない、敵対する別の場所、オウライカの古巣の『塔京』から送り込まれた刺客、しかもオウライカを殺すと明言している者なのだから、そこまでの接近を許せないから、軽く流す。
『そうか』
一瞬、微妙な気配が周囲に流れて、禄は脚本から目を上げた。
奥の会議室で四角にセッティングされた部屋で読み合わせを始めて数時間、言い間違いはしていないと思うし、心情や周囲の関係性や環境なども十分考えて台詞を言ったつもりだが、時々こんな感じの妙な居心地の悪さが漂う。
舜は戸惑った顔で禄を眺めているし、輝夜は難しい顔で眉を寄せている。伊谷はどこか面白そうだが、寺戸はまるで聞いていないかのように天井を眺めたままだ。
「あの…」
声が小さくて聞こえなかったのかと思い、禄はもう一度台詞を口にした。
『そうか』
「…」
舜が少し考え込んだ後、
『俺、傷ついたんだよ?』
上目遣いに次の台詞を口にしてほっとした。
『ああ』
頷いてみせる。可愛いなあと思いつつだが、ここではオウライカはそんなことを思っていないはずだし、むしろ生真面目な印象を受けるし、かっちりと返答し続けているし、これでいいはずだ。
なのに、
『俺、傷ついたんだよ?』
「…?」
もう一度舜が同じ台詞を繰り返してぎょっとした。
これはいけない、本当に禄の声が聞こえにくいらしいと思って、慌ててパイプ椅子に座り直し、腰を据えて胸を張る。教えられたストレッチと筋トレは毎日やっているし、最近はランニングも始めたし、我ながら体つきも変わってきたと思っていたが、思い込みだったようだ。
『ああ』
大きく頷き、舜を見る。
舜がじっと禄を見返す。まっすぐに禄を凝視しながら、もう一度、
『俺、傷ついたんだよ?』
「…」
今度はさすがに禄にもわかった。戸惑い、口ごもり、まずいと示された原因を探る。寺戸は依然天井を見上げたままだ。輝夜が大きく不快そうな溜息を付く。伊谷がぱらぱらと脚本を捲っている。わからない。何がまずいのか、禄には全くわからないのに、周囲には全員わかっているようだ。
「…………」
慣れた感覚にぞっとした。しばらく味わっていなかっただけに、呼び起こされると一瞬にして萎縮する。禄だけが『まずい』原因に気がつかず、周囲には全員わかっている、それをまた周囲も『わかっている』。お前だけがおかしいと何度言われたことだろう。何度罵られたことだろう。その親のことばを何度鵜呑みにされたことだろう。そうして禄の苦境は誰にも理解されることなく、竦んだまま生きてきた、あの家から離れるまで。
分からなくちゃいけない、何がまずいのか、自分で察して理解して直して振る舞わなくちゃいけない、そうでなければ生きている価値が。
もしどうしてもできないなら、構わない、俺の声なんか、聞こえないふりしていてくれればいい。
「禄?」
「っ」
不意に優しく呼びかけられてはっとした。目の前の舜が心配そうに身を乗り出している。
「どうしたの? 気分悪い?」
瞬きする柔らかな光をたたえた瞳に思わず見惚れた。竦む感覚はまだあるが、今の禄はもうこの場所から動けるようになる方法を知っている。少し笑って問いかけた。
「すみません……今のぼくの台詞、どこがおかしかったですか?」
輝夜ががばっと体を起こしたような気がして、思わずそちらを見た。間違いないようだ。驚いた顔で禄を見ている。側の伊谷も目を見開き、口笛でも吹きそうな表情だ。
寺戸がゆっくり視線をおろし、
「舜に答えていない」
「はい?」
「台詞は台詞だけど」
舜がなぜか眩そうな目で禄を見ながら微笑んだ。
「俺のことばには答えてくれてないんだ。一所懸命、オウライカとして考えてくれているのはわかるけど」
ちろ、と小さく舌を出す。
「オウライカが答えてない」
「オウライカが、答えていない……?」
「続きやろっか」
「はい…?」
舜はなぜか楽しそうに脚本を読み上げる。
『お詫びするもんでしょ?』
視線が飛んできた。禄は真面目に返す。
『すまない』
舜が小さく肩を竦める。
『じゃなくて』
今度は禄を見ない。
ふと、寂しくなった。こちらを見て欲しい。そう思いながら、台詞を口にする。
『据え膳は嫌いなんだ』
頭の中で、目の前の舜の『据え膳』を想像してしまう。どうして断るんだろう、オウライカは。禄なら舜の『据え膳』、やり方も流れも分からなくても食べてみたい、そう思った途端、全く別の何かが胸の中で囁いた。
殺されるわけにはいかないだろうが。
「っっ」
ざわっと身体中の毛が逆立つ。
『…………頑固もん』
この俺があんたに抱かれてやろうって言ってるのにさ、死に際の夢に。
舜の台詞に重なって響いた声に、呆然と視線を上げる。
舜が目をきらきらさせて禄を見ている。薄赤くなった頬が可愛いと言うよりも色っぽくて妖しくて。
「ふふっ……できるじゃん」
満足そうに笑った舜を、禄は皮膚を粟立たせながら眺めた。
机の向こうで舜が唇を尖らせるのが見えた。
『思ってる』
禄は丁寧に答える。いや、丁寧に答えるように返事をする。オウライカはここではカザルに正直とんでもないことをさせたのだし、彼の性格は実直だから真摯に答えて当然だろうと思うからだ。
『じゃあ、こういうときはキスするもんじゃない?』
ちらりと舜が目を上げた。尖らせた唇をふっくらと膨らませられてどきりとする。いくら疎くてもこれはわかる、誘われているしねだられている。オウライカはカザルのことを気に入り出しているし、この誘惑は楽しいはずだ。けれど、カザルには魅かれるわけにはいかない、敵対する別の場所、オウライカの古巣の『塔京』から送り込まれた刺客、しかもオウライカを殺すと明言している者なのだから、そこまでの接近を許せないから、軽く流す。
『そうか』
一瞬、微妙な気配が周囲に流れて、禄は脚本から目を上げた。
奥の会議室で四角にセッティングされた部屋で読み合わせを始めて数時間、言い間違いはしていないと思うし、心情や周囲の関係性や環境なども十分考えて台詞を言ったつもりだが、時々こんな感じの妙な居心地の悪さが漂う。
舜は戸惑った顔で禄を眺めているし、輝夜は難しい顔で眉を寄せている。伊谷はどこか面白そうだが、寺戸はまるで聞いていないかのように天井を眺めたままだ。
「あの…」
声が小さくて聞こえなかったのかと思い、禄はもう一度台詞を口にした。
『そうか』
「…」
舜が少し考え込んだ後、
『俺、傷ついたんだよ?』
上目遣いに次の台詞を口にしてほっとした。
『ああ』
頷いてみせる。可愛いなあと思いつつだが、ここではオウライカはそんなことを思っていないはずだし、むしろ生真面目な印象を受けるし、かっちりと返答し続けているし、これでいいはずだ。
なのに、
『俺、傷ついたんだよ?』
「…?」
もう一度舜が同じ台詞を繰り返してぎょっとした。
これはいけない、本当に禄の声が聞こえにくいらしいと思って、慌ててパイプ椅子に座り直し、腰を据えて胸を張る。教えられたストレッチと筋トレは毎日やっているし、最近はランニングも始めたし、我ながら体つきも変わってきたと思っていたが、思い込みだったようだ。
『ああ』
大きく頷き、舜を見る。
舜がじっと禄を見返す。まっすぐに禄を凝視しながら、もう一度、
『俺、傷ついたんだよ?』
「…」
今度はさすがに禄にもわかった。戸惑い、口ごもり、まずいと示された原因を探る。寺戸は依然天井を見上げたままだ。輝夜が大きく不快そうな溜息を付く。伊谷がぱらぱらと脚本を捲っている。わからない。何がまずいのか、禄には全くわからないのに、周囲には全員わかっているようだ。
「…………」
慣れた感覚にぞっとした。しばらく味わっていなかっただけに、呼び起こされると一瞬にして萎縮する。禄だけが『まずい』原因に気がつかず、周囲には全員わかっている、それをまた周囲も『わかっている』。お前だけがおかしいと何度言われたことだろう。何度罵られたことだろう。その親のことばを何度鵜呑みにされたことだろう。そうして禄の苦境は誰にも理解されることなく、竦んだまま生きてきた、あの家から離れるまで。
分からなくちゃいけない、何がまずいのか、自分で察して理解して直して振る舞わなくちゃいけない、そうでなければ生きている価値が。
もしどうしてもできないなら、構わない、俺の声なんか、聞こえないふりしていてくれればいい。
「禄?」
「っ」
不意に優しく呼びかけられてはっとした。目の前の舜が心配そうに身を乗り出している。
「どうしたの? 気分悪い?」
瞬きする柔らかな光をたたえた瞳に思わず見惚れた。竦む感覚はまだあるが、今の禄はもうこの場所から動けるようになる方法を知っている。少し笑って問いかけた。
「すみません……今のぼくの台詞、どこがおかしかったですか?」
輝夜ががばっと体を起こしたような気がして、思わずそちらを見た。間違いないようだ。驚いた顔で禄を見ている。側の伊谷も目を見開き、口笛でも吹きそうな表情だ。
寺戸がゆっくり視線をおろし、
「舜に答えていない」
「はい?」
「台詞は台詞だけど」
舜がなぜか眩そうな目で禄を見ながら微笑んだ。
「俺のことばには答えてくれてないんだ。一所懸命、オウライカとして考えてくれているのはわかるけど」
ちろ、と小さく舌を出す。
「オウライカが答えてない」
「オウライカが、答えていない……?」
「続きやろっか」
「はい…?」
舜はなぜか楽しそうに脚本を読み上げる。
『お詫びするもんでしょ?』
視線が飛んできた。禄は真面目に返す。
『すまない』
舜が小さく肩を竦める。
『じゃなくて』
今度は禄を見ない。
ふと、寂しくなった。こちらを見て欲しい。そう思いながら、台詞を口にする。
『据え膳は嫌いなんだ』
頭の中で、目の前の舜の『据え膳』を想像してしまう。どうして断るんだろう、オウライカは。禄なら舜の『据え膳』、やり方も流れも分からなくても食べてみたい、そう思った途端、全く別の何かが胸の中で囁いた。
殺されるわけにはいかないだろうが。
「っっ」
ざわっと身体中の毛が逆立つ。
『…………頑固もん』
この俺があんたに抱かれてやろうって言ってるのにさ、死に際の夢に。
舜の台詞に重なって響いた声に、呆然と視線を上げる。
舜が目をきらきらさせて禄を見ている。薄赤くなった頬が可愛いと言うよりも色っぽくて妖しくて。
「ふふっ……できるじゃん」
満足そうに笑った舜を、禄は皮膚を粟立たせながら眺めた。
0
あなたにおすすめの小説
【8話完結】いじめられっ子だった俺が、覚醒したら騎士団長に求愛されました
キノア9g
BL
いじめられ続けた僕は、ある日突然、異世界に転移した。
けれど、勇者として歓迎されたのは、僕を苦しめてきた“あいつ”の方。僕は無能と決めつけられ、誰からも相手にされなかった。
そんな僕に手を差し伸べてくれたのは、冷酷と恐れられる騎士団長・ジグルドだった。
なのに、あいつの命令で、僕は彼に嘘の告白をしてしまう――「ジグルドさんのことが、好きなんです」
それが、すべての始まりだった。
あの日から彼は、僕だけをまっすぐ見つめてくる。
僕を守る手は、やさしく、強くて、どこまでも真剣だった。
だけど僕には、まだ知られていない“力”がある。
過去の傷も、偽りの言葉も超えて、彼の隣にいてもいいのだろうか。
これは、いじめられっ子の僕が“愛されること”を知っていく、嘘と覚醒の物語。
全8話。
天の求婚
紅林
BL
太平天帝国では5年ほど前から第一天子と第二天子によって帝位継承争いが勃発していた。
主人公、新田大貴子爵は第二天子派として広く活動していた亡き父の跡を継いで一年前に子爵家を継いだ。しかし、フィラデルフィア合衆国との講和条約を取り付けた第一天子の功績が認められ次期帝位継承者は第一天子となり、派閥争いに負けた第二天子派は継承順位を下げられ、それに付き従った者の中には爵位剥奪のうえ、帝都江流波から追放された華族もいた
そして大貴もその例に漏れず、邸宅にて謹慎を申し付けられ現在は華族用の豪華な護送車で大天族の居城へと向かっていた
即位したての政権が安定していない君主と没落寸前の血筋だけは立派な純血華族の複雑な結婚事情を描いた物語
死ぬほど嫌いな上司と付き合いました
三宅スズ
BL
社会人3年目の皆川涼介(みながわりょうすけ)25歳。
皆川涼介の上司、瀧本樹(たきもといつき)28歳。
涼介はとにかく樹のことが苦手だし、嫌いだし、話すのも嫌だし、絶対に自分とは釣り合わないと思っていたが‥‥
上司×部下BL
【WEB版】監視が厳しすぎた嫁入り生活から解放されました~冷徹無慈悲と呼ばれた隻眼の伯爵様と呪いの首輪~【BL・オメガバース】
古森きり
BL
【書籍化決定しました!】
詳細が決まりましたら改めてお知らせにあがります!
たくさんの閲覧、お気に入り、しおり、感想ありがとうございました!
アルファポリス様の規約に従い発売日にURL登録に変更、こちらは引き下げ削除させていただきます。
政略結婚で嫁いだ先は、女狂いの伯爵家。
男のΩである僕には一切興味を示さず、しかし不貞をさせまいと常に監視される生活。
自分ではどうすることもできない生活に疲れ果てて諦めた時、夫の不正が暴かれて失脚した。
行く当てがなくなった僕を保護してくれたのは、元夫が口を開けば罵っていた政敵ヘルムート・カウフマン。
冷徹無慈悲と呼び声高い彼だが、共に食事を摂ってくれたりやりたいことを応援してくれたり、決して冷たいだけの人ではなさそうで――。
カクヨムに書き溜め。
小説家になろう、アルファポリス、BLoveにそのうち掲載します。
僕の恋人は、超イケメン!!
八乙女 忍
BL
僕は、普通の高校2年生。そんな僕にある日恋人ができた!それは超イケメンのモテモテ男子、あまりにもモテるため女の子に嫌気をさして、偽者の恋人同士になってほしいとお願いされる。最初は、嘘から始まった恋人ごっこがだんだん本気になっていく。お互いに本気になっていくが・・・二人とも、どうすれば良いのかわからない。この後、僕たちはどうなって行くのかな?
バツイチ上司が、地味な僕を特別扱いしてくる
衣草 薫
BL
理性的でクールなバツイチ上司・桐原恒一は、過去の失敗から、もう誰も必要としないと決めて生きてきた。
男が好きだという事実を隠し、「期待しなければ傷つかない」と思い込んできた部下・葉山直。
すれ違いと誤解の果てに、直が職場を去ろうとしたとき、恒一は初めて“追いかける”ことを選ぶ。
選ばれないと信じてきた直と、逃げないと決めた恒一。
二人の距離が近づくことで、直は「ここにいていい」と思える場所を見つけていく。
元ノンケ上司×自己肯定感低め部下の社会人BL。※ハッピーエンド保証。
【8話完結】帰ってきた勇者様が褒美に私を所望している件について。
キノア9g
BL
異世界召喚されたのは、
ブラック企業で心身ボロボロになった陰キャ勇者。
国王が用意した褒美は、金、地位、そして姫との結婚――
だが、彼が望んだのは「何の能力もない第三王子」だった。
顔だけ王子と蔑まれ、周囲から期待されなかったリュシアン。
過労で倒れた勇者に、ただ優しく手を伸ばしただけの彼は、
気づかぬうちに勇者の心を奪っていた。
「それでも俺は、あなたがいいんです」
だけど――勇者は彼を「姫」だと誤解していた。
切なさとすれ違い、
それでも惹かれ合う二人の、
優しくて不器用な恋の物語。
全8話。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる