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27.VIRIDIAN CIRCLE(最終話)
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あれからもう30年たったなんて信じられねえ。
俺は少しよろめきながら街の一画にある墓を訪れていた。
微かな雨が降っている。やつとの思い出は雪のときのことが多いのに、どうしてだろう、墓参りの日にはいつも雨が降っている。
足元にはやつの瞳によく似た緑の草の間に黒い大理石の墓碑があって、そこに『スープ、ここに眠る』と書かれている。
「ここに眠っちゃいねえけどな」
俺は苦笑し、墓地の片隅にあるオレンジの樹からもいできたばかりの実をそこに置く。
「そら、毎年どんどんいい実になるだろ? 俺があのとき植えといてよかっただろ」
スープが「壊れた」のはパターソンの件から5年後だ。オレンジの樹はやつの墓を造るときに一緒に植えた。最近ではROBOTの墓も珍しくないが、当時は感傷だの執念だのとあれこれ言われたもんだ。
耐久年数を遥かに越えたスープの情報はB.P.に加工され、何体かのDOLLが受け取った。『人』はあの後多少数を増やし、今は現存個体200ほどになったらしい。ひょっとすると滅亡しないかもしれない、驚くばかりだと『グランドファーム』の主が呆れていた。
俺も最近ときどき胸に痛みを覚えるようになっていて、そろそろお迎えというやつがくるのかなと思うときがある。そうして思い出すのはやはり祖父のことだ。
死ぬことは命にとってたった一度の経験だから、経験者は語れない。けれど、死にゆく過程をまざまざと見つめていれば、その瞬間に何が自分を襲うのかはわかる。だから俺が老いて死ぬのを見守りながら、お前はたくさん学べばいい。どういう死に方がいいのか選べばいい。
『なあ、おい、俺は最高の教師だろう?』
なんたって、自分が何を教えているのか、はっきりわかっているんだから。
祖父の笑い声を俺は何度も思い出した。
両親の死のときも、ジェシカの死のときも、生まれてこないままいなくなってしまった子どもの死にも。
そしてまた、スープが「壊れた」ときも。
死に方を選べと祖父は言った。しかし、死に方は選べない。人は理不尽な方法でこの世界を去っていく。ずっと俺はそう思ってた。
だが、B.P.を見るとそれもまた間違ってたと感じる。
ジェシカのB.P.は繰り返し俺への愛を語る。レッドのB.P.は繰り返し俺への欲望を語る。
ならば、俺がB.P.になったとき、何を世界に語ろうとするのか。誰に語ろうとするのか。それは自分で選ぶことができるのかもしれない。
そして、俺は自分の死を前にしてスープを思う。
俺がもしB.P.になってしまうのなら、俺はやつへの気持ちを語りたい。大切で愛しくてかけがえのない、けれどお互いにぶつかってすれ違い、じれったいほど遠かったり近かったりする、その時間を全て語りたい。
一人では存在しなかった、スープと一緒に居ることで生まれた俺のことを語りたい。
ふと視線を感じて振り返った。
毎年出逢うROBOTの少女、十歳ぐらいだ。いつも俺が置くオレンジを興味深そうに見守っている。大人びた様子でそっと頭を下げる、その仕草に覚えがあった。今にも呼び掛けてきそうなその声を耳の奥に呼び戻しながら、俺は笑いかける。
「あなたもどなたかの?」
「はい」
「去年もお会いしましたね」
「そうですね」
「大事な人ですか?」
「ええとても」
少女は何か言いたそうに俺を見上げる。茶色の眼に鮮やかな緑の瞳を重ねて、笑みを深めた。
ああ、やっぱり、お前を思い出すと真っ先に出てくるのは、この色なのか。
俺はゆっくり少女の横を通り過ぎる。少女が哀しげに見送っている視線を背中に、微かに胸の痛みを感じた。きっと彼女にもスープのB.P.が与えられたのだろう。
同じ個体のB.P.にシンパシーシステムというものが稼動しやすいのは近年確認された。昔俺を襲ったサイコ野郎やルシア達がシンクロしていたのもそのせいらしい。
改良を加えられた多くのB.P.は年数を経過するにつれて侵食作用を減じ、シンパシーシステムを失うようになっている。昔を甦らせるような働きかけさえなければ、同化はなおスムーズに進む。
だから俺は彼女を無視する。
彼女には彼女の世界が待っている。
「シーン」
墓地を出たところで呼び掛けられて振り返った。通りに止めていた車を降りて、いそいそと走り寄ってくる姿に苦笑いした。
「老人扱いすんなよ」
「してません。あなたは俺にとって今でも大事な愛しい人ですからね」
そう言いながら俺の身体を支えるように腕を回してくる相手を見る。中年を越えたがっしりした体、茶色の髪に緑の眼。それでも外見の割には軽快な動きはROBOTならではだ。
「何ですか、誰を見てたんですか?」
「お前を」
「え?」
「正確には、25年前のお前のB.P.を、だな」
「ああ」
くすりとスープが笑った。俺を車に導いて、運転席に乗り込みながら、
「もうそんなにたったんですね?」
「早いもんだ」
「今のこのボディもぼちぼち耐用年数ぎりぎりです」
「どうせならもっと若いボディにしとけばよかったな」
「え?」
「前のままの方が動き易かったろ?」
「今の俺は嫌なんですか、シーン」
むかっとしたようにスープは眉をしかめた。
「おいおい、どっちもお前だろ?」
「でも」
「ん?」
「不愉快です」
過去の自分に嫉妬してる相手に呆れる。
25年前、耐用年数を越えたスープのボディを廃棄するとき、俺達は一つの賭けをした。新しいボディにスープの情報をB.P.化して継続してみること。
それで『スープ』は完全に失われてしまう可能性の方がはるかに高かったのだが、俺達はそれならそれでやり直そうと決めた。もう一度、出逢ったころから全部最初から。
移行した後はやはりかなりの混乱や戸惑いがあったが、もともと『人』と違って情報量が限定されてるROBOTのこと、時間さえあればよかったらしく、俺とスープはじっくり失った部分を取り戻した。
もっともスープはそれを「愛です」と言ってはばからないが。つくづくロマンチックなやつだ。
「今度は一緒にいきます」
「ん?」
唐突に話し掛けられて振り返る。スープがちらりとバックミラーで背後の墓場を見た。
「あなたの体調が悪いの、知ってます」
「……」
「俺も耐用年数過ぎてるし、あなたを見送ったら俺もいきます」
優しい声でつぶやいた。
「だから、向こうの世界の入り口ぐらいで待っててくださいね?」
ROBOTと『人』が同じところへいくのかはさすがに解らなかったが、もし別のところだとしても、総合入り口付近で次が来るまでずっと話しているのも悪くない。
甘えるようにそっと肩に額を押し付けてきたスープにうなずいて笑い返す。
「寂しいからさっさと来いよ?」
「わかりました」
嬉しそうに笑ったスープが体を起こして滑らかに車を発進させる。
ミラーの中、雨にけぶる墓地で、少女がほのかに灯るオレンジを拾い上げた。
おわり
俺は少しよろめきながら街の一画にある墓を訪れていた。
微かな雨が降っている。やつとの思い出は雪のときのことが多いのに、どうしてだろう、墓参りの日にはいつも雨が降っている。
足元にはやつの瞳によく似た緑の草の間に黒い大理石の墓碑があって、そこに『スープ、ここに眠る』と書かれている。
「ここに眠っちゃいねえけどな」
俺は苦笑し、墓地の片隅にあるオレンジの樹からもいできたばかりの実をそこに置く。
「そら、毎年どんどんいい実になるだろ? 俺があのとき植えといてよかっただろ」
スープが「壊れた」のはパターソンの件から5年後だ。オレンジの樹はやつの墓を造るときに一緒に植えた。最近ではROBOTの墓も珍しくないが、当時は感傷だの執念だのとあれこれ言われたもんだ。
耐久年数を遥かに越えたスープの情報はB.P.に加工され、何体かのDOLLが受け取った。『人』はあの後多少数を増やし、今は現存個体200ほどになったらしい。ひょっとすると滅亡しないかもしれない、驚くばかりだと『グランドファーム』の主が呆れていた。
俺も最近ときどき胸に痛みを覚えるようになっていて、そろそろお迎えというやつがくるのかなと思うときがある。そうして思い出すのはやはり祖父のことだ。
死ぬことは命にとってたった一度の経験だから、経験者は語れない。けれど、死にゆく過程をまざまざと見つめていれば、その瞬間に何が自分を襲うのかはわかる。だから俺が老いて死ぬのを見守りながら、お前はたくさん学べばいい。どういう死に方がいいのか選べばいい。
『なあ、おい、俺は最高の教師だろう?』
なんたって、自分が何を教えているのか、はっきりわかっているんだから。
祖父の笑い声を俺は何度も思い出した。
両親の死のときも、ジェシカの死のときも、生まれてこないままいなくなってしまった子どもの死にも。
そしてまた、スープが「壊れた」ときも。
死に方を選べと祖父は言った。しかし、死に方は選べない。人は理不尽な方法でこの世界を去っていく。ずっと俺はそう思ってた。
だが、B.P.を見るとそれもまた間違ってたと感じる。
ジェシカのB.P.は繰り返し俺への愛を語る。レッドのB.P.は繰り返し俺への欲望を語る。
ならば、俺がB.P.になったとき、何を世界に語ろうとするのか。誰に語ろうとするのか。それは自分で選ぶことができるのかもしれない。
そして、俺は自分の死を前にしてスープを思う。
俺がもしB.P.になってしまうのなら、俺はやつへの気持ちを語りたい。大切で愛しくてかけがえのない、けれどお互いにぶつかってすれ違い、じれったいほど遠かったり近かったりする、その時間を全て語りたい。
一人では存在しなかった、スープと一緒に居ることで生まれた俺のことを語りたい。
ふと視線を感じて振り返った。
毎年出逢うROBOTの少女、十歳ぐらいだ。いつも俺が置くオレンジを興味深そうに見守っている。大人びた様子でそっと頭を下げる、その仕草に覚えがあった。今にも呼び掛けてきそうなその声を耳の奥に呼び戻しながら、俺は笑いかける。
「あなたもどなたかの?」
「はい」
「去年もお会いしましたね」
「そうですね」
「大事な人ですか?」
「ええとても」
少女は何か言いたそうに俺を見上げる。茶色の眼に鮮やかな緑の瞳を重ねて、笑みを深めた。
ああ、やっぱり、お前を思い出すと真っ先に出てくるのは、この色なのか。
俺はゆっくり少女の横を通り過ぎる。少女が哀しげに見送っている視線を背中に、微かに胸の痛みを感じた。きっと彼女にもスープのB.P.が与えられたのだろう。
同じ個体のB.P.にシンパシーシステムというものが稼動しやすいのは近年確認された。昔俺を襲ったサイコ野郎やルシア達がシンクロしていたのもそのせいらしい。
改良を加えられた多くのB.P.は年数を経過するにつれて侵食作用を減じ、シンパシーシステムを失うようになっている。昔を甦らせるような働きかけさえなければ、同化はなおスムーズに進む。
だから俺は彼女を無視する。
彼女には彼女の世界が待っている。
「シーン」
墓地を出たところで呼び掛けられて振り返った。通りに止めていた車を降りて、いそいそと走り寄ってくる姿に苦笑いした。
「老人扱いすんなよ」
「してません。あなたは俺にとって今でも大事な愛しい人ですからね」
そう言いながら俺の身体を支えるように腕を回してくる相手を見る。中年を越えたがっしりした体、茶色の髪に緑の眼。それでも外見の割には軽快な動きはROBOTならではだ。
「何ですか、誰を見てたんですか?」
「お前を」
「え?」
「正確には、25年前のお前のB.P.を、だな」
「ああ」
くすりとスープが笑った。俺を車に導いて、運転席に乗り込みながら、
「もうそんなにたったんですね?」
「早いもんだ」
「今のこのボディもぼちぼち耐用年数ぎりぎりです」
「どうせならもっと若いボディにしとけばよかったな」
「え?」
「前のままの方が動き易かったろ?」
「今の俺は嫌なんですか、シーン」
むかっとしたようにスープは眉をしかめた。
「おいおい、どっちもお前だろ?」
「でも」
「ん?」
「不愉快です」
過去の自分に嫉妬してる相手に呆れる。
25年前、耐用年数を越えたスープのボディを廃棄するとき、俺達は一つの賭けをした。新しいボディにスープの情報をB.P.化して継続してみること。
それで『スープ』は完全に失われてしまう可能性の方がはるかに高かったのだが、俺達はそれならそれでやり直そうと決めた。もう一度、出逢ったころから全部最初から。
移行した後はやはりかなりの混乱や戸惑いがあったが、もともと『人』と違って情報量が限定されてるROBOTのこと、時間さえあればよかったらしく、俺とスープはじっくり失った部分を取り戻した。
もっともスープはそれを「愛です」と言ってはばからないが。つくづくロマンチックなやつだ。
「今度は一緒にいきます」
「ん?」
唐突に話し掛けられて振り返る。スープがちらりとバックミラーで背後の墓場を見た。
「あなたの体調が悪いの、知ってます」
「……」
「俺も耐用年数過ぎてるし、あなたを見送ったら俺もいきます」
優しい声でつぶやいた。
「だから、向こうの世界の入り口ぐらいで待っててくださいね?」
ROBOTと『人』が同じところへいくのかはさすがに解らなかったが、もし別のところだとしても、総合入り口付近で次が来るまでずっと話しているのも悪くない。
甘えるようにそっと肩に額を押し付けてきたスープにうなずいて笑い返す。
「寂しいからさっさと来いよ?」
「わかりました」
嬉しそうに笑ったスープが体を起こして滑らかに車を発進させる。
ミラーの中、雨にけぶる墓地で、少女がほのかに灯るオレンジを拾い上げた。
おわり
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