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2.屋敷(3)
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「う…ん」
悪夢にうなされている。
通常、これが夢だなんて滅多にわからないものだが、場所が場所だけに絶対有り得ないと断言できるし、それだけに目覚めようと必死なのだが、やっぱり目が覚めない。
「いや……無理……無理だから…ほんと…」
立派な日本間だった。
床の間を背中に正座し、前方右側には鈴音と悪たれ坊主が二人控え、左側には久とさくが控えている。さくが席を外れて座り直し、皺の寄った手で正面の襖をしずしずと開きながら、
「親類縁者一同控えております。石蕗家の時代当主として、御挨拶を」
もう片方の襖も鈴音の手が開かれていくと、その向こうには二十畳はある日本間が次々と並んで彼方の消失点に続き、各日本間の両側には何十人何百人という人の列が、これまた彼方の点に消える。さくの声に一斉に振り向いた顔を確認することさえできないで、俺は口を開けたまま、彼方を見つめている…。
「も…無理…」
「…きさま」
「どんだけ広いんだ…ここ…」
「滝様」
「…、うわっ」
ゆさっと揺さぶられて、俺は跳ね起きた。
「…あ…」
枕元で目を丸くして座っている鈴音を見つける。びっくりした顔で俺を見返し、やがてふっと口元に指先を当てて微笑み、尋ねてくる。
「…どうなさいましたの?」
「いや…その……ちょっと……悪い夢を見て…」
もごもご言いながら体を起こした。
陽射しが明るく部屋に差し込んでいる。『ほんの』十畳ぐらいの部屋の中央に敷かれた夏布団の上、腹の減り具合からいくと、時間はもう昼過ぎぐらいか。
「まあ…それで、こんなに汗を…」
甘い匂いとともに伸ばされた指先にどきりとした。無意識に体を引いたせいか、鈴音が我に返ったように手を引っ込める。
「ごめんなさい。はい、お召しかえのものです」
桐の箱に入れて示された中身に引き攣る。昨日着せられていた薄い藍色の着物だ。
「あの、えーと、いや、これも十分いいと思うんですが、『僕』のジーパンとシャツは…」
「あ、の…あれは」
鈴音は困り顔で目を伏せた。恥じらうように頬を染める。
「お義母さまが、石蕗家の当主が着るようなものではないと…」
口ごもった返答に衣服の運命を察した。今頃清掃局にでも送られているのだろう。
「…申し訳ございません」
ひたりと三つ指を突いて畳にひれ伏す鈴音が、肩から流れ落ちた髪の向こうから弁解する。
「お義母さまは格式に厳しい方なので」
「あ、いい、いいです」
不安そうな声に慌てて手を振った。
「俺、着物もそれなりに好きです! えと、ただその、一人じゃ着られなくて」
「お手伝いします」
鈴音は顔を上げた。俯いていたせいか、まだ赤みの残った頬でにっこり笑うのが、幼い少女のようで、日陰に必死に咲く花にも見えて、胸が痛んだ。
いじめちゃいけないよな、この人のせいじゃないんだし。
「じゃ、じゃあ、お願いします」
寝間着も浴衣でぐしゃぐしゃになっていたのを何とか掻き合わせて座り、頭を下げる。はい、と嬉しそうに立ち上がった鈴音に促されて、背中を向けて浴衣を脱ぎ、着物を羽織って整えてもらう。
「はい、こちらに手を」
「お願いします…なんか良い薫り、しますね」
「桐の薫りですね」
香でもたきしめてあるのかとびくびくした俺に、鈴音は笑った。
「家具は全て桐ですから、自然と薫りが移るのですわ」
「はあ、そんなもんですか」
桐の家具なんて天井知らずの値段だと聞いたことがある。第一、今着せてもらっている着物だって、俺には全くわからないが、かなり良いものじゃないんだろうか、肌触りがすべすべしていて気持ちいい。
朝倉家とは違う豪華さだなと溜め息をついていると、
「はい、こちらをお向きになって」
帯一つまともに締められないから、鈴音に全部やってもらって、これじゃああの双子とそう変わらないなとまた溜め息をついた。
もっともあの二人は多少クラッシックな感じはしたが、さすがに洋装(!)だったが。
もし周一郎なら。
脳裏を掠めた顔に苦笑する。
あいつならたぶん、普段着慣れてなくても平然とこんなものでも着こなしてしまうんだろうな。
「…本日、一人、お客様がいらっしゃいますわ」
「へえ」
「夫の商談相手と聞いております。……滝様は夕刻までごゆっくりなさって下さいませ。ひょっとすると、夕食の時にご紹介するかも知れません、次代当主として」
引き攣った俺に鈴音は笑みを重ねる。
「御挨拶をお願いいたしますね」
「…っごほっっ」
思わず、咽せた。
「ったく」
足元に絡む着物の裾を持て余しながらぼやく。
「否応なしだな」
一旦朝倉家に戻ることさえ不可能になりそうだ、とちょっと不安になった。
色鮮やかな錦鯉が優雅に泳ぐ池の回りを歩きながら、山の端に呑み込まれようとする夕日をぼんやり見ていると、何だか初めからここに居たようなおかしな気分になってくる。
視界の隅でちらりと人が動いて、ここで働いているのだろう、囁きながらこちらを見ているのに気づく。
はいはい、どうせ俺がいくらカッコつけたところで、着物なんざ似合わねえよ、とふて腐れかけて、ふと二人の表情に違和感を感じた。
「?」
嘲りじゃない。苦笑でもない。どちらかと言うと、憐れみとか恐れとか、そういう類の感情。
馬鹿にすることはあっても、俺を恐れる理由なんて一つもないだろうに、と思いながら、昨日のことを思い出す。
着て来た衣服を一切合切処分され、仕方なしに着せられた着物で身動きに不自由しながら、夢の通り、広々とした日本間に連れて行かれた。
上座に座らされ、胡座をかきたいと言い出せないまま正座して、現れた吉田弁護士から遺言状について話を聞いた。
「…以上で、遺言状の内容はおわかり頂けたと思います。重ねてもう一度申し上げておきますが、滝様には、この相続においてご決断されるために一ヶ月の猶予がございます。滝様が石蕗家を継がれるか、あるいは相続を放棄されるかは、全く滝様の御自由であり、遺言状において、何の拘束も設けられておりません。もし、滝様が一ヶ月後の今日、大館様の墓前において『ここを継ぐ』と表明された場合、石蕗家の全ての財産は滝様に譲渡され、それを如何様に使われても構いません。またもし、滝様が継がれないならば、石蕗家の財産は全て慈善事業団体へ寄付されることとなり、そのリストも既に与えられております。そしてまた」
吉田弁護士は一旦ことばを切ると、非常に丁寧な口調で続けた。
「一ヶ月以内に不幸にして滝様が御亡くなりになった場合には、財産はさく様と久様に1/2ずつ、もしお二方のどちらかがお亡くなりになられた場合は、残った1/2を鈴音様に。もしお二方とも亡くなられた場合には、1/2は鈴音様に、残りは先の慈善事業団体に寄付されることと取り決めておられます」
俺は必死に吉田弁護士のことばを追いかけ、理解しようとした。
(まずは俺が継ぐか継がないか。で、その次は俺が死んだ時ってことで)
その間に、穏やかに周囲を見渡した吉田弁護士が、異様にはっきりと皆に言い渡す。
「私は、この遺言が正しく遂行されるように、『何があっても』最後まで見届ける覚悟をしております」
「そういや、あんたは親父の子どもの頃からの付き合いだったよな」
久が横柄な口調で話しかけるのに、吉田弁護士は僅かに頷いた。
「大恩を感じでおります。一度は濁流に呑まれて失った命を、大館様にお助け頂いたのですからな」
「結構な忠義だ」
久に不満そうに唸って、俺を見た。
「しかし親父も耄碌したのかな、こんなどこの馬の骨ともわからぬような人間に、財産をくれてやろうとは酔狂なものだ」
「久」
ぴしりとさくがことばで切った。
「控えなさい、見苦しい」
「…」
「遺言は遺言。それに」
さくはゆっくりと俺を振り向き、見据えた。皺の刻まれた顔の奥から、何か強く輝く光みたいなものが注ぐ気がした。にこりともしないまま、続ける。
「石蕗家は絶えてはなりません。それにはやはり、あなたにこの家を継いでもらわねばなりません」
ほとんど命令に近かった。抗議しようとするように顔を上げた鈴音は、さくの一瞥で蛇に睨まれた蛙よろしく、ぐったりと首を落とす。
「いいですね」
俺が頷く暇もなく、さくは決めつけて立ち上がり、その場を去って行ったのだ。
「……はぁ」
溜め息をついた。
思い出している間に日はすっかり暮れてしまっている。薄闇がほのかな甘さとどことない妖しさを伴って、石蕗家を見る見る包み込んでいく。
「ん?」
きっ、と高いブレーキの音が響いて、俺は顔を上げた。
門の向こうに黒塗りの車が止まっている。運転手が慌てた様子で後部ドアを開けに走る。きっと例の商談の相手とか言う奴なんだろう。
薄暗い中ではどんな相手かわからないだろうし、どうせ後々顔を合わせるんだから、今から気まずい思いをしたくなくて向きを変える、と、視界の端を妙な白っぽい影みたいなものが掠めた。
「…え?」
『亡霊』。
頭の中に浮かんだことばに、見たくない見ちゃいけないと思いながら、ついつい引き攣ってそれを追いかけると、前栽の隅から家の方へ吸い込まれるように動いて消えていく。
「…は、はは」
ごろりと腹の中に氷の塊が出現した。一気に人間冷蔵庫になった気分でぎくしゃくと、組んでいた腕をより深く着物の両袖の中に差し入れる。
「いやいやないない」
首を振りつつ寒くなった体を摩る。こうなりゃ生きている人間の方がよっぽどましだと、車を降りた客の方へ向きを変え直したとたん、どん、と腰のあたりを背後の池に向かって突き飛ばされる。
「ひ!」「帰っちゃえ!」
亘か皖、活発そうだから皖の方だろう、世にも憎々しげなあっかんべえをやって見せ、足音軽く家の中へ逃げ去っていく。
「わ、わわわっ」
俺は腕組みをしていた。足元は着物で絡まってる。突き飛ばされて慌てて両手を袖から引き抜こうとし、なおさらバランスを崩す。ぐうらああと嫌な感じのスローモーションで体が池へ向かって傾いていく。
「うわわわわ」「滝さんっ!」
へ。
「っっ!」
突然聞き慣れた声とともに俺の手を掴んだ相手の姿が、暗がりにぱあっと浮かび上がって見えた。
(周一郎?!)
どうしてここにこいつが?
「く…っ」「ひえええっ!」
ばっしゃーん。
お約束だ。
周一郎の体で俺の体重を支えられるはずがなく、相手もろとも引きずり込み、俺は池に落ち込んでいた。
悪夢にうなされている。
通常、これが夢だなんて滅多にわからないものだが、場所が場所だけに絶対有り得ないと断言できるし、それだけに目覚めようと必死なのだが、やっぱり目が覚めない。
「いや……無理……無理だから…ほんと…」
立派な日本間だった。
床の間を背中に正座し、前方右側には鈴音と悪たれ坊主が二人控え、左側には久とさくが控えている。さくが席を外れて座り直し、皺の寄った手で正面の襖をしずしずと開きながら、
「親類縁者一同控えております。石蕗家の時代当主として、御挨拶を」
もう片方の襖も鈴音の手が開かれていくと、その向こうには二十畳はある日本間が次々と並んで彼方の消失点に続き、各日本間の両側には何十人何百人という人の列が、これまた彼方の点に消える。さくの声に一斉に振り向いた顔を確認することさえできないで、俺は口を開けたまま、彼方を見つめている…。
「も…無理…」
「…きさま」
「どんだけ広いんだ…ここ…」
「滝様」
「…、うわっ」
ゆさっと揺さぶられて、俺は跳ね起きた。
「…あ…」
枕元で目を丸くして座っている鈴音を見つける。びっくりした顔で俺を見返し、やがてふっと口元に指先を当てて微笑み、尋ねてくる。
「…どうなさいましたの?」
「いや…その……ちょっと……悪い夢を見て…」
もごもご言いながら体を起こした。
陽射しが明るく部屋に差し込んでいる。『ほんの』十畳ぐらいの部屋の中央に敷かれた夏布団の上、腹の減り具合からいくと、時間はもう昼過ぎぐらいか。
「まあ…それで、こんなに汗を…」
甘い匂いとともに伸ばされた指先にどきりとした。無意識に体を引いたせいか、鈴音が我に返ったように手を引っ込める。
「ごめんなさい。はい、お召しかえのものです」
桐の箱に入れて示された中身に引き攣る。昨日着せられていた薄い藍色の着物だ。
「あの、えーと、いや、これも十分いいと思うんですが、『僕』のジーパンとシャツは…」
「あ、の…あれは」
鈴音は困り顔で目を伏せた。恥じらうように頬を染める。
「お義母さまが、石蕗家の当主が着るようなものではないと…」
口ごもった返答に衣服の運命を察した。今頃清掃局にでも送られているのだろう。
「…申し訳ございません」
ひたりと三つ指を突いて畳にひれ伏す鈴音が、肩から流れ落ちた髪の向こうから弁解する。
「お義母さまは格式に厳しい方なので」
「あ、いい、いいです」
不安そうな声に慌てて手を振った。
「俺、着物もそれなりに好きです! えと、ただその、一人じゃ着られなくて」
「お手伝いします」
鈴音は顔を上げた。俯いていたせいか、まだ赤みの残った頬でにっこり笑うのが、幼い少女のようで、日陰に必死に咲く花にも見えて、胸が痛んだ。
いじめちゃいけないよな、この人のせいじゃないんだし。
「じゃ、じゃあ、お願いします」
寝間着も浴衣でぐしゃぐしゃになっていたのを何とか掻き合わせて座り、頭を下げる。はい、と嬉しそうに立ち上がった鈴音に促されて、背中を向けて浴衣を脱ぎ、着物を羽織って整えてもらう。
「はい、こちらに手を」
「お願いします…なんか良い薫り、しますね」
「桐の薫りですね」
香でもたきしめてあるのかとびくびくした俺に、鈴音は笑った。
「家具は全て桐ですから、自然と薫りが移るのですわ」
「はあ、そんなもんですか」
桐の家具なんて天井知らずの値段だと聞いたことがある。第一、今着せてもらっている着物だって、俺には全くわからないが、かなり良いものじゃないんだろうか、肌触りがすべすべしていて気持ちいい。
朝倉家とは違う豪華さだなと溜め息をついていると、
「はい、こちらをお向きになって」
帯一つまともに締められないから、鈴音に全部やってもらって、これじゃああの双子とそう変わらないなとまた溜め息をついた。
もっともあの二人は多少クラッシックな感じはしたが、さすがに洋装(!)だったが。
もし周一郎なら。
脳裏を掠めた顔に苦笑する。
あいつならたぶん、普段着慣れてなくても平然とこんなものでも着こなしてしまうんだろうな。
「…本日、一人、お客様がいらっしゃいますわ」
「へえ」
「夫の商談相手と聞いております。……滝様は夕刻までごゆっくりなさって下さいませ。ひょっとすると、夕食の時にご紹介するかも知れません、次代当主として」
引き攣った俺に鈴音は笑みを重ねる。
「御挨拶をお願いいたしますね」
「…っごほっっ」
思わず、咽せた。
「ったく」
足元に絡む着物の裾を持て余しながらぼやく。
「否応なしだな」
一旦朝倉家に戻ることさえ不可能になりそうだ、とちょっと不安になった。
色鮮やかな錦鯉が優雅に泳ぐ池の回りを歩きながら、山の端に呑み込まれようとする夕日をぼんやり見ていると、何だか初めからここに居たようなおかしな気分になってくる。
視界の隅でちらりと人が動いて、ここで働いているのだろう、囁きながらこちらを見ているのに気づく。
はいはい、どうせ俺がいくらカッコつけたところで、着物なんざ似合わねえよ、とふて腐れかけて、ふと二人の表情に違和感を感じた。
「?」
嘲りじゃない。苦笑でもない。どちらかと言うと、憐れみとか恐れとか、そういう類の感情。
馬鹿にすることはあっても、俺を恐れる理由なんて一つもないだろうに、と思いながら、昨日のことを思い出す。
着て来た衣服を一切合切処分され、仕方なしに着せられた着物で身動きに不自由しながら、夢の通り、広々とした日本間に連れて行かれた。
上座に座らされ、胡座をかきたいと言い出せないまま正座して、現れた吉田弁護士から遺言状について話を聞いた。
「…以上で、遺言状の内容はおわかり頂けたと思います。重ねてもう一度申し上げておきますが、滝様には、この相続においてご決断されるために一ヶ月の猶予がございます。滝様が石蕗家を継がれるか、あるいは相続を放棄されるかは、全く滝様の御自由であり、遺言状において、何の拘束も設けられておりません。もし、滝様が一ヶ月後の今日、大館様の墓前において『ここを継ぐ』と表明された場合、石蕗家の全ての財産は滝様に譲渡され、それを如何様に使われても構いません。またもし、滝様が継がれないならば、石蕗家の財産は全て慈善事業団体へ寄付されることとなり、そのリストも既に与えられております。そしてまた」
吉田弁護士は一旦ことばを切ると、非常に丁寧な口調で続けた。
「一ヶ月以内に不幸にして滝様が御亡くなりになった場合には、財産はさく様と久様に1/2ずつ、もしお二方のどちらかがお亡くなりになられた場合は、残った1/2を鈴音様に。もしお二方とも亡くなられた場合には、1/2は鈴音様に、残りは先の慈善事業団体に寄付されることと取り決めておられます」
俺は必死に吉田弁護士のことばを追いかけ、理解しようとした。
(まずは俺が継ぐか継がないか。で、その次は俺が死んだ時ってことで)
その間に、穏やかに周囲を見渡した吉田弁護士が、異様にはっきりと皆に言い渡す。
「私は、この遺言が正しく遂行されるように、『何があっても』最後まで見届ける覚悟をしております」
「そういや、あんたは親父の子どもの頃からの付き合いだったよな」
久が横柄な口調で話しかけるのに、吉田弁護士は僅かに頷いた。
「大恩を感じでおります。一度は濁流に呑まれて失った命を、大館様にお助け頂いたのですからな」
「結構な忠義だ」
久に不満そうに唸って、俺を見た。
「しかし親父も耄碌したのかな、こんなどこの馬の骨ともわからぬような人間に、財産をくれてやろうとは酔狂なものだ」
「久」
ぴしりとさくがことばで切った。
「控えなさい、見苦しい」
「…」
「遺言は遺言。それに」
さくはゆっくりと俺を振り向き、見据えた。皺の刻まれた顔の奥から、何か強く輝く光みたいなものが注ぐ気がした。にこりともしないまま、続ける。
「石蕗家は絶えてはなりません。それにはやはり、あなたにこの家を継いでもらわねばなりません」
ほとんど命令に近かった。抗議しようとするように顔を上げた鈴音は、さくの一瞥で蛇に睨まれた蛙よろしく、ぐったりと首を落とす。
「いいですね」
俺が頷く暇もなく、さくは決めつけて立ち上がり、その場を去って行ったのだ。
「……はぁ」
溜め息をついた。
思い出している間に日はすっかり暮れてしまっている。薄闇がほのかな甘さとどことない妖しさを伴って、石蕗家を見る見る包み込んでいく。
「ん?」
きっ、と高いブレーキの音が響いて、俺は顔を上げた。
門の向こうに黒塗りの車が止まっている。運転手が慌てた様子で後部ドアを開けに走る。きっと例の商談の相手とか言う奴なんだろう。
薄暗い中ではどんな相手かわからないだろうし、どうせ後々顔を合わせるんだから、今から気まずい思いをしたくなくて向きを変える、と、視界の端を妙な白っぽい影みたいなものが掠めた。
「…え?」
『亡霊』。
頭の中に浮かんだことばに、見たくない見ちゃいけないと思いながら、ついつい引き攣ってそれを追いかけると、前栽の隅から家の方へ吸い込まれるように動いて消えていく。
「…は、はは」
ごろりと腹の中に氷の塊が出現した。一気に人間冷蔵庫になった気分でぎくしゃくと、組んでいた腕をより深く着物の両袖の中に差し入れる。
「いやいやないない」
首を振りつつ寒くなった体を摩る。こうなりゃ生きている人間の方がよっぽどましだと、車を降りた客の方へ向きを変え直したとたん、どん、と腰のあたりを背後の池に向かって突き飛ばされる。
「ひ!」「帰っちゃえ!」
亘か皖、活発そうだから皖の方だろう、世にも憎々しげなあっかんべえをやって見せ、足音軽く家の中へ逃げ去っていく。
「わ、わわわっ」
俺は腕組みをしていた。足元は着物で絡まってる。突き飛ばされて慌てて両手を袖から引き抜こうとし、なおさらバランスを崩す。ぐうらああと嫌な感じのスローモーションで体が池へ向かって傾いていく。
「うわわわわ」「滝さんっ!」
へ。
「っっ!」
突然聞き慣れた声とともに俺の手を掴んだ相手の姿が、暗がりにぱあっと浮かび上がって見えた。
(周一郎?!)
どうしてここにこいつが?
「く…っ」「ひえええっ!」
ばっしゃーん。
お約束だ。
周一郎の体で俺の体重を支えられるはずがなく、相手もろとも引きずり込み、俺は池に落ち込んでいた。
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