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7.儀式(2)
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柔らかな甘い香りがしている。ピンクの海の中を泳ぐのだから、水着に着替えようと誰かが話している。いや、それよりもピンクの象の方が可愛いよ、ともう一人が答える……。
「…」
視界が唐突に戻ってきた。
甘い匂いはまだ漂っている。香を焚き染めているのだろうか。
匂いに思考を鈍らされ、しばらくぼんやりしてしまっていたようだ。目の前に人間が一人、倒れているのにようやく気づいた。
乱れた白い着物、猿轡を噛まされ、手足を縛られて転がっている。少し影になっているが、見たことのある端正な顔立ちで……TVタレントだっけ……いや……。
「周一郎!」
叫んで動こうとし、前にのめった。こちらもいつの間にか両手両足しっかり縛られている。しかも床より一段高くなった場所に寝かされているようだ。
「くそ…っ、ここは…」
慌てて辺りを見回し、板敷きのこじんまりした部屋だと気づいた。
正面にかなり大きな陽子像、その前に、湯船のようなものが一つと台が二つ置かれている。
右手と左手に引き戸があり、俺の左には訳のわからない木製の受台が置かれ、その上に妙な形の剣が抜き身で載せられていた。
周一郎が転がっているのは斜め右前で、その向こうには古めかしい黒い台の上に何かの経典らしいものが積まれている。部屋の明かりは四隅に掲げられた灯皿に拠っていて、陽子像の影はますます濃く、姿はより禍々しく浮かび上がっていた。
「何だ、この匂いは!」
「阿片…と言えばご存知でしょうか」
声がした方を振り向いて息を呑む。そこには、陽子像そのままの淡く透ける衣一枚で、鈴音が立っていた。事態が事態だと言うのに、本能はどうしたもんだか、顔に血が集まってきて気分が不安定になる。急いで顔を背けながら喚いた。
「こいつに何をした!」
「何も……まだ」
まだ、とぽつりと付け加えた口調に、ぞっとするような凄みがあった。
「何をしようってんだ!」
「お教えしようと思ったのです、あなたがお知りになりたいことを」
「但し」
のっそりと鈴音の後から久が顔を出し、嫌ったらしい笑い方をした。
「その後は、さすがに石蕗家は継げんがな」
「ん…」
周一郎が身動きして目を開け、はっとした。瞬きをし、転がった姿勢のままで静かに辺りを見回した周一郎は、俺の顔を見るとぎくりと体を震わせ、激しい勢いで振り返って久を睨みつけた。乱れた髪の下からの視線は、久をたじろがせるのに十分だったらしく、久は慌て気味に鈴音に命じた。
「起こしてやれ」
「はい」
虚ろな微笑に唇を綻ばせ、鈴音は唯々諾々と久の命令に従った。
起こされた周一郎はなおもじっと久を見つめている。目の色の冷たさには、見慣れているはずの俺でさえぞくりとするものがあったが、その要求に久は応じなかった。
「悪いが猿轡を外すわけにはいかんのだよ。滝君は、鈴音のたっての頼みでな」
周一郎は俺を振り返った。不安そうな心配そうな表情が深い瞳にたたえられている。しがみついてくる皖によく似た、眉をひそめた幼い顔で俺を見つめていたが、再びふいと顔を背けて俯いた。
「滝様…?」
「一体……ここで何をやってるんです」
優しい鈴音の声に、できるだけはっきり厳しく尋ねる。おそらく、皖の知った鈴音と久の秘密というのは、ここで行われていることに関連しているに違いない。
「そう焦らずとも、今、お見せしよう」
喜悦を感じさせる声で久が答え、ぎょっとする。
久はもったいぶりながら右手の戸の向こうに一旦消えると、やがて『何か』をずるずる引きずって戻ってきた。
「っ」
周一郎が体を強張らせる。俺には訳がわからず、久がそれを台の上に引きずり上げるのを眺めるだけだ。
だが、灯に照らされた『何か』を見て総毛立った。両手足を縛られた、どう見ても五、六歳にしかならない少女。眠らされているのかピクリとも動かず、台の上に横たえられたまま、眠り続ける。
鈴音があの奇妙な形の剣を握った。細い腕で持ち上げる。
「っ、よせっ、やめろ…っ!」
どすっ。
呻いた少女の体が跳ね上がった。剣を引き抜く鈴音の体に返り血が飛ぶ。けれども鈴音は驚きもしないし怯みもしない。淡い微笑を浮かべながら震える少女を眺めている。
ぼんやり立つ鈴音の手から、久が剣を奪い取り、喜色満面、少女の体に突き立てる。最初の一撃で絶命したのだろう、ぐたりと向いた少女の動かない瞳に思わず目を閉じると、剣が肉を裂き骨を砕き、幾度か台に当たって滑る音が響いた。胸の悪くなるぼとぼとと言う音と一緒に、雫が台を伝って何処かへ流れ落ちて行く。なおもざくりざくりと剣が動く音がして、流れる音が速度を増した。溜まっていくのだろう、容器の中で飛沫が立てる音が変わっていく。
それが何に使われるのか、考えなくともわかった。
「なんてことするんだ!」
胸がムカつく。吐きたい。けれど、そこまで競り上がってこない。吐くに吐けない気持ち悪さが口と喉に張り付いて苦しい。
「お前ら、おかしいぞ!」
「おかしい……? どうしてだ?」
心底訝しげな久の声が聞こえた。
「俺は『これ』を母親から引き継いだだけだ。母は言っていた、お前は石蕗家の主、ここを治める領主、その領主が自分のものである領民をどうしようと、俺の勝手だ、と。そうだ…いつもいつも……石蕗家……石蕗家、と…」
声が暗く重いものになった。
「そうして、母は俺の自由を奪ったんだ。石蕗家だと?! 糞喰らえだ!」
久はケタケタと常軌を逸した笑い声を上げた。
「ああ、そうとも、母が死んで、清々したとも!」
俺は唾を飲んだ。
「じゃあ…さくさんを殺したのはあんたなのか…?」
「俺? 俺が殺れるわけはないじゃないか! 母は強大だった。いつも俺の上に君臨していた。だからと言って殺したって? いや、俺が母を殺せるわけはない! 俺は母が好きだったんだ。大好きだったんだ。たとえ、親父を殺そうとも…」
「っ」
無茶苦茶な言い草に思わず目を剥いた。
久の顔は妙に引き攣れていた。病的な笑いが絶えず唇から漏れていた。これが、あの傲岸不遜な久だとは思えない変化だった。
「この人は…お義母様を愛していらっしゃいました……殺せるはずがありません」
鈴音が静かに言った。久の狂ったとしか思えないはしゃぎ方と対照的だ。
「伸次さんを…さくさんが…」
俺の声は掠れていた。
「親父はこれを止めさせたがっていたのさ! 止めなければ、実子であろうと訴えるなんて脅しやがって…だからお袋が殺ってくれたんだ。俺のやる事を邪魔するような親は要らないと言ってな」
「じゃあ……鈴音、さんが…?」
「いいえ」
鈴音はゆっくり首を振った。
「お義母様がなぜ亡くなられたのか、私も知らないのです」
「でも、あなたはあの時…」
充満した血の匂いに溺れそうになりながら尋ねる。
「あの夜…第三の悲劇が起こる…って…?」
「てっきり、この人がお義母様を……でも、よく考えれば、この人にお義母様を殺せるはずなかったんです。抑え付けられて、お義母様を殺したいと憎みながらも、結局、お義母様から離れられない人ですもの」
鈴音の声には哀れみが響いた。
ふっと周一郎が目を上げる。その目に肯定が浮かんでいる。周一郎は、そんな久の性格など、一目で見抜いていたのだろう。
「因果ですわね、二代続けて、連れ合いを殺すなんて…」
「え…」
「朱音さんを殺したのは、この人なんです」
鈴音はさらりと魂の欠けた口調で言い放った。
「あいつが殺してくれ、と言ったんだ。朱音が、もう生きていたくないと…」
久が口の中でぶつぶつと唸る。
「朱音さんは自殺願望があったんです。けれど、自分ではいつも死に切れなくて」
「…それで…第三の悲劇…」
「朱音さんを殺した時に、既にこの人は血を求めずにはいられなくなっていたんです。それが恐ろしく、怖くてたまらなかったのは事実です。でも、その時には…」
儚い微笑が零れた。
「私はこの人を愛しすぎていました。それら全てを受け入れてしまえるほどに……私の中の『魔』が、この人のものと一緒にどんどん大きくなっていくのが、恐ろしくもあり、また不思議に嬉しくもあったのです」
奇妙な告白だった。
血の匂いも香の薫りも全て消し去るような妖しさを含んだ告白だった。
鈴音はゆっくり久に体をもたせかけた。
「だからと言って」
俺は混乱する気持ちをなんとか吐き出そうとした。
「だから、と言って」
「私は、この人がどんな人であってもいい。どんな悪人でも、私は他の誰よりもこの人を愛しているんです」
「…流れ切ったな」
会話と無関係にぽつりと久が呟いて、どきっとした。
「あなたのことを調べた時に、私、あなたと朝倉さんの関わりを知りました。朝倉さんがどれほど頭の切れる方か、どれほどあなたのことに必死になられるのか…」
寂しげな表情を瞳に浮かべて、鈴音は小首を傾げた。
「あなたがいらっしゃった時、私はお義父様に感心いたしました。確かにあなたを呼べば、朝倉さんが乗り込んで来られるのは必至、幸い、あなたは孤児で身内らしいものもおられず、呼ぶのも容易かった。そして、朝倉さんはお義父様のお見立て通り、約束を繰り上げ、スケジュールを調整し直されてまで、あなたの後を追っていらっしゃった……石蕗家の良からぬ噂を耳にされていたのでしょう」
「周一郎…」
じっと鈴音を見上げている周一郎に目をやった。
「お前…」
「…」
俺の視線を眩そうに受け止め、周一郎は怒ったように顔を背けた。微かに赤面したようだが、続いた鈴音のことばにきらっと目を光らせた。
「それに、私、滝様がいらっしゃる前後から、しきりに青灰色の猫を見ましたわ。あれは朝倉さんの猫でしたのね」
「はは……っ?!」
なんだそんな時からルトが来ていたのか、そう笑いかけてはっとする。
なぜ、『そんなこと』を気にしている?
俺の疑問に答えるように鈴音は微笑んだ。
「滝様のご様子を見に来させていらっしゃったのでしょう? そう言った噂を耳にしたことがありますわ、猫の目で、物が見える少年の話を」
細めた周一郎の目が猛々しい色を帯びていた。
「誰にも話していませんわ。ご心配には及びません」
「それにな」
久の太い声が突然入ってくる。台の上から無造作に死体を蹴落とし、周一郎の方へ近づいてくる。
「そんな噂もこれから聞かれなくなるさ」
「っっ」
ことばの意味が電流のように体の中を走り抜けた。一部分、あるいは数カ所ぐらいショートしたのかもしれない。腕を掴まれた周一郎が、どんな目に合うのか、見えるようにわかってしまった。
「おい、何をする!」
「騒ぐな。どうせお前も、後から追うことになる」
冷ややかな声で俺の抗議を断ち切る。もがきながら、周一郎が台の上に引きずり挙げられる。乱れた着物の上から巻き付けられていた紐が一本外され、片腕を捻り上げられたまま袖から抜かれる。
「一滴でも無駄にすると惜しいからね」
果物からジュースを絞るように言い捨てて、久は周一郎を台の上に押し付け、片腕を伸ばさせた。
「ばか! あほ! おたんちん! 何する気だ!」
喚き散らす俺の前で、鈴音が剣を振り上げる。
「やめろっ! ボケナス! ボケきゅうり! ボケにんじん!」
鋭い周一郎の目が鈴音を、続いて俺を捉える。
「あまり傷つけるな。ゆっくり絞った方がいい」
もがきかけた周一郎の腕がより強く押さえつけられる。頷いた鈴音の剣が灯皿の光を反射し、一瞬強く光った。
「…」
視界が唐突に戻ってきた。
甘い匂いはまだ漂っている。香を焚き染めているのだろうか。
匂いに思考を鈍らされ、しばらくぼんやりしてしまっていたようだ。目の前に人間が一人、倒れているのにようやく気づいた。
乱れた白い着物、猿轡を噛まされ、手足を縛られて転がっている。少し影になっているが、見たことのある端正な顔立ちで……TVタレントだっけ……いや……。
「周一郎!」
叫んで動こうとし、前にのめった。こちらもいつの間にか両手両足しっかり縛られている。しかも床より一段高くなった場所に寝かされているようだ。
「くそ…っ、ここは…」
慌てて辺りを見回し、板敷きのこじんまりした部屋だと気づいた。
正面にかなり大きな陽子像、その前に、湯船のようなものが一つと台が二つ置かれている。
右手と左手に引き戸があり、俺の左には訳のわからない木製の受台が置かれ、その上に妙な形の剣が抜き身で載せられていた。
周一郎が転がっているのは斜め右前で、その向こうには古めかしい黒い台の上に何かの経典らしいものが積まれている。部屋の明かりは四隅に掲げられた灯皿に拠っていて、陽子像の影はますます濃く、姿はより禍々しく浮かび上がっていた。
「何だ、この匂いは!」
「阿片…と言えばご存知でしょうか」
声がした方を振り向いて息を呑む。そこには、陽子像そのままの淡く透ける衣一枚で、鈴音が立っていた。事態が事態だと言うのに、本能はどうしたもんだか、顔に血が集まってきて気分が不安定になる。急いで顔を背けながら喚いた。
「こいつに何をした!」
「何も……まだ」
まだ、とぽつりと付け加えた口調に、ぞっとするような凄みがあった。
「何をしようってんだ!」
「お教えしようと思ったのです、あなたがお知りになりたいことを」
「但し」
のっそりと鈴音の後から久が顔を出し、嫌ったらしい笑い方をした。
「その後は、さすがに石蕗家は継げんがな」
「ん…」
周一郎が身動きして目を開け、はっとした。瞬きをし、転がった姿勢のままで静かに辺りを見回した周一郎は、俺の顔を見るとぎくりと体を震わせ、激しい勢いで振り返って久を睨みつけた。乱れた髪の下からの視線は、久をたじろがせるのに十分だったらしく、久は慌て気味に鈴音に命じた。
「起こしてやれ」
「はい」
虚ろな微笑に唇を綻ばせ、鈴音は唯々諾々と久の命令に従った。
起こされた周一郎はなおもじっと久を見つめている。目の色の冷たさには、見慣れているはずの俺でさえぞくりとするものがあったが、その要求に久は応じなかった。
「悪いが猿轡を外すわけにはいかんのだよ。滝君は、鈴音のたっての頼みでな」
周一郎は俺を振り返った。不安そうな心配そうな表情が深い瞳にたたえられている。しがみついてくる皖によく似た、眉をひそめた幼い顔で俺を見つめていたが、再びふいと顔を背けて俯いた。
「滝様…?」
「一体……ここで何をやってるんです」
優しい鈴音の声に、できるだけはっきり厳しく尋ねる。おそらく、皖の知った鈴音と久の秘密というのは、ここで行われていることに関連しているに違いない。
「そう焦らずとも、今、お見せしよう」
喜悦を感じさせる声で久が答え、ぎょっとする。
久はもったいぶりながら右手の戸の向こうに一旦消えると、やがて『何か』をずるずる引きずって戻ってきた。
「っ」
周一郎が体を強張らせる。俺には訳がわからず、久がそれを台の上に引きずり上げるのを眺めるだけだ。
だが、灯に照らされた『何か』を見て総毛立った。両手足を縛られた、どう見ても五、六歳にしかならない少女。眠らされているのかピクリとも動かず、台の上に横たえられたまま、眠り続ける。
鈴音があの奇妙な形の剣を握った。細い腕で持ち上げる。
「っ、よせっ、やめろ…っ!」
どすっ。
呻いた少女の体が跳ね上がった。剣を引き抜く鈴音の体に返り血が飛ぶ。けれども鈴音は驚きもしないし怯みもしない。淡い微笑を浮かべながら震える少女を眺めている。
ぼんやり立つ鈴音の手から、久が剣を奪い取り、喜色満面、少女の体に突き立てる。最初の一撃で絶命したのだろう、ぐたりと向いた少女の動かない瞳に思わず目を閉じると、剣が肉を裂き骨を砕き、幾度か台に当たって滑る音が響いた。胸の悪くなるぼとぼとと言う音と一緒に、雫が台を伝って何処かへ流れ落ちて行く。なおもざくりざくりと剣が動く音がして、流れる音が速度を増した。溜まっていくのだろう、容器の中で飛沫が立てる音が変わっていく。
それが何に使われるのか、考えなくともわかった。
「なんてことするんだ!」
胸がムカつく。吐きたい。けれど、そこまで競り上がってこない。吐くに吐けない気持ち悪さが口と喉に張り付いて苦しい。
「お前ら、おかしいぞ!」
「おかしい……? どうしてだ?」
心底訝しげな久の声が聞こえた。
「俺は『これ』を母親から引き継いだだけだ。母は言っていた、お前は石蕗家の主、ここを治める領主、その領主が自分のものである領民をどうしようと、俺の勝手だ、と。そうだ…いつもいつも……石蕗家……石蕗家、と…」
声が暗く重いものになった。
「そうして、母は俺の自由を奪ったんだ。石蕗家だと?! 糞喰らえだ!」
久はケタケタと常軌を逸した笑い声を上げた。
「ああ、そうとも、母が死んで、清々したとも!」
俺は唾を飲んだ。
「じゃあ…さくさんを殺したのはあんたなのか…?」
「俺? 俺が殺れるわけはないじゃないか! 母は強大だった。いつも俺の上に君臨していた。だからと言って殺したって? いや、俺が母を殺せるわけはない! 俺は母が好きだったんだ。大好きだったんだ。たとえ、親父を殺そうとも…」
「っ」
無茶苦茶な言い草に思わず目を剥いた。
久の顔は妙に引き攣れていた。病的な笑いが絶えず唇から漏れていた。これが、あの傲岸不遜な久だとは思えない変化だった。
「この人は…お義母様を愛していらっしゃいました……殺せるはずがありません」
鈴音が静かに言った。久の狂ったとしか思えないはしゃぎ方と対照的だ。
「伸次さんを…さくさんが…」
俺の声は掠れていた。
「親父はこれを止めさせたがっていたのさ! 止めなければ、実子であろうと訴えるなんて脅しやがって…だからお袋が殺ってくれたんだ。俺のやる事を邪魔するような親は要らないと言ってな」
「じゃあ……鈴音、さんが…?」
「いいえ」
鈴音はゆっくり首を振った。
「お義母様がなぜ亡くなられたのか、私も知らないのです」
「でも、あなたはあの時…」
充満した血の匂いに溺れそうになりながら尋ねる。
「あの夜…第三の悲劇が起こる…って…?」
「てっきり、この人がお義母様を……でも、よく考えれば、この人にお義母様を殺せるはずなかったんです。抑え付けられて、お義母様を殺したいと憎みながらも、結局、お義母様から離れられない人ですもの」
鈴音の声には哀れみが響いた。
ふっと周一郎が目を上げる。その目に肯定が浮かんでいる。周一郎は、そんな久の性格など、一目で見抜いていたのだろう。
「因果ですわね、二代続けて、連れ合いを殺すなんて…」
「え…」
「朱音さんを殺したのは、この人なんです」
鈴音はさらりと魂の欠けた口調で言い放った。
「あいつが殺してくれ、と言ったんだ。朱音が、もう生きていたくないと…」
久が口の中でぶつぶつと唸る。
「朱音さんは自殺願望があったんです。けれど、自分ではいつも死に切れなくて」
「…それで…第三の悲劇…」
「朱音さんを殺した時に、既にこの人は血を求めずにはいられなくなっていたんです。それが恐ろしく、怖くてたまらなかったのは事実です。でも、その時には…」
儚い微笑が零れた。
「私はこの人を愛しすぎていました。それら全てを受け入れてしまえるほどに……私の中の『魔』が、この人のものと一緒にどんどん大きくなっていくのが、恐ろしくもあり、また不思議に嬉しくもあったのです」
奇妙な告白だった。
血の匂いも香の薫りも全て消し去るような妖しさを含んだ告白だった。
鈴音はゆっくり久に体をもたせかけた。
「だからと言って」
俺は混乱する気持ちをなんとか吐き出そうとした。
「だから、と言って」
「私は、この人がどんな人であってもいい。どんな悪人でも、私は他の誰よりもこの人を愛しているんです」
「…流れ切ったな」
会話と無関係にぽつりと久が呟いて、どきっとした。
「あなたのことを調べた時に、私、あなたと朝倉さんの関わりを知りました。朝倉さんがどれほど頭の切れる方か、どれほどあなたのことに必死になられるのか…」
寂しげな表情を瞳に浮かべて、鈴音は小首を傾げた。
「あなたがいらっしゃった時、私はお義父様に感心いたしました。確かにあなたを呼べば、朝倉さんが乗り込んで来られるのは必至、幸い、あなたは孤児で身内らしいものもおられず、呼ぶのも容易かった。そして、朝倉さんはお義父様のお見立て通り、約束を繰り上げ、スケジュールを調整し直されてまで、あなたの後を追っていらっしゃった……石蕗家の良からぬ噂を耳にされていたのでしょう」
「周一郎…」
じっと鈴音を見上げている周一郎に目をやった。
「お前…」
「…」
俺の視線を眩そうに受け止め、周一郎は怒ったように顔を背けた。微かに赤面したようだが、続いた鈴音のことばにきらっと目を光らせた。
「それに、私、滝様がいらっしゃる前後から、しきりに青灰色の猫を見ましたわ。あれは朝倉さんの猫でしたのね」
「はは……っ?!」
なんだそんな時からルトが来ていたのか、そう笑いかけてはっとする。
なぜ、『そんなこと』を気にしている?
俺の疑問に答えるように鈴音は微笑んだ。
「滝様のご様子を見に来させていらっしゃったのでしょう? そう言った噂を耳にしたことがありますわ、猫の目で、物が見える少年の話を」
細めた周一郎の目が猛々しい色を帯びていた。
「誰にも話していませんわ。ご心配には及びません」
「それにな」
久の太い声が突然入ってくる。台の上から無造作に死体を蹴落とし、周一郎の方へ近づいてくる。
「そんな噂もこれから聞かれなくなるさ」
「っっ」
ことばの意味が電流のように体の中を走り抜けた。一部分、あるいは数カ所ぐらいショートしたのかもしれない。腕を掴まれた周一郎が、どんな目に合うのか、見えるようにわかってしまった。
「おい、何をする!」
「騒ぐな。どうせお前も、後から追うことになる」
冷ややかな声で俺の抗議を断ち切る。もがきながら、周一郎が台の上に引きずり挙げられる。乱れた着物の上から巻き付けられていた紐が一本外され、片腕を捻り上げられたまま袖から抜かれる。
「一滴でも無駄にすると惜しいからね」
果物からジュースを絞るように言い捨てて、久は周一郎を台の上に押し付け、片腕を伸ばさせた。
「ばか! あほ! おたんちん! 何する気だ!」
喚き散らす俺の前で、鈴音が剣を振り上げる。
「やめろっ! ボケナス! ボケきゅうり! ボケにんじん!」
鋭い周一郎の目が鈴音を、続いて俺を捉える。
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