『遺産相続人』〜『猫たちの時間』7〜

segakiyui

文字の大きさ
19 / 21

7.儀式(3)

しおりを挟む
「やめろおおおっっ!!」
「っっ!」
 声にならない悲鳴を上げて、びくんと周一郎が跳ね上がった。剥き出しになった片腕に一筋鮮やかな紅が走り、見る見る粒を作って膨れ上がる。やがてそれは傷を伝って指先へ流れ出し、ポトン…と小さな音を湯船の中で立てた。
「っ、っ、っ」
 顔を背け、眉を顰め、激痛に猿轡を噛み締めて、周一郎がもがく度に血は次々と溢れて腕を伝い落ちて行く。ばさりと周一郎の髪が額に乱れ、汗が一筋二筋流れた。
「放せ! てめえ死んでこい! 化けて出てやるからな! 一生ここに取り憑いて、お前のやったことを夜毎に恨んで出てくるからなあ!」
 馬鹿なことを口走っているとは思ったが、とても止められなかった。
 ポタ、ポタ、ポタと血の落ちる間隔が短くなり速くなるのを聞きながら、次第にぐったりとしていく周一郎が見える。苦痛に彷徨っていた瞳がだんだん閉じていく。眉が緩み、唇から力が抜けてくる。瞼に青い影が澱み始め、汗で張り付いていた髪が滑り落ちていく。
「ばか! しっかりしろ、周一郎! こんなとこで死ぬ奴があるか! 怪奇に殺人、ポルノにSMの4本立てを作る気かよ! ここは三流映画館かよ!!」
「元気がいいな、お前は」
 呆れたように久が呟き、周一郎の上から退いた。
 だが、周一郎はもがくだけの力もなくなってしまったようにぐったりしている。流れ続ける鮮血、湯船の中に溜まっていくとろりと赤い液体。
「さあ鈴音、準備はできた、お入り」
 久は優しく促した。頷いた鈴音が一歩、湯船の中へ踏み込む。
「っっっ」
 寒気が体を走った。おぞましさに震える。
「もう少し増やしてあげるから、それを浴びて永遠に若く美しくいておくれ…さて、次は」
 囁きながら振り返った久が歩み寄ってくるのに、泣きたくなってきた。
 誰がこんなシナリオを書いたんだ。俺はスーパーヒーローじゃない。いきなり立ち上がって久をぶっ飛ばし、周一郎を助け出しなぞという芸当ができるわけはないのだ。
 けれども何かをしない限り、俺も周一郎も一巻の終わりには違いなかった。でもって、手元にある武器といえば、この縛られた体だけだ。
 近づいてきた久がついにぐっと俺の肩を掴んだ。
 と、まるでそれを待っていたように、周一郎が目を開き、戸口へ視線を走らせた。思惑通りのものが見つかったのか、傷つけられた片腕を突き、眉をしかめながら体を起こす。
「!」
 ぎょっとした顔で振り返る久の顔に、青灰色のスライムが(その瞬間は確かにそう見えた)へばりついた。ただし、このスライムは爪付きで、おまけに主人思いこの上ないところへもって、流された血に野生の呼び声を掻き立てられていたと見え、バリバリと音がしたんじゃないかと思うほど久の顔を掻きむしった。
 偉いぞルト! 頑張れ俺! そうとも、ここでやらなきゃ男じゃない!
 俺は必死に足を延ばすと、尻を支点に久の足元に勢いよく振り回した足をぶつけてやった。
「うわっ!!」
「あなた!」
 怒号混じりの叫びと悲鳴が交錯する。もろに上下の攻撃を食らった久が、床板の上にぶっ倒れる。慌てて駆け寄ろうとする鈴音を制するように、高らかに響く聞き慣れた声。
「そこまで!!」
 もがいて起きようとしていた久も、助けようとしていた鈴音も、身構えた俺も、声の方に振り向いた。
「真打ち登場……って言うのは出来過ぎかしらね、志郎」
 左手の戸口に立っていた女がにっこり笑った。その両側からばらばらと警官が飛び出してきて、右手の戸を固め、俺と周一郎の拘束を解いてくれた。
「うん、かなり」
 じっとりとお由宇を睨む。
「帰ったんじゃなかったのか」
「私があんな中途半端な状態で納得すると思ってたの?」
「思ってない、思ってないけど…」
 どうしてもっと早く来なかったんだよ、見ろ、周一郎がやられちまったじゃないか。
 唸りかけた俺を珍しく周一郎が呼ぶ。
「瀧さん…」
「うん? 何だっ?!」
 慌てて側へ飛んでいくと、相手は淡い苦笑を浮かべている。
「実は…僕との作戦だったんです」
「何ーっ?!」
「これで状況は逐一伝わっていて」
 周一郎は懐の奥から小さな塊を取り出した。
「盗聴器…?」
「つまり、周一郎は囮だったってわけ」
 にこやかに笑うお由宇と僅かに済まなそうな周一郎を、俺は見比べた。
 んじゃ何か? ハラハラしてたのは俺だけで、周一郎は不安も心配もしていなかったってわけか?
「にしても! もうちょっと早く来れば、こいつだって怪我せずに済んだし、あの子だって殺されずに済んだんだぞ!」
「そうね…」
 お由宇は暗い目になって、床に転がった少女を見下ろした。
「大きな失策、だわね」
「あ、いや、その…」
 助けに来てもらったのは確かに嬉しいのだ。あのままでは生還の確率なんてほとんどなかったんだし、それこそ周一郎がどうなってたかわからない。
「石蕗久さん、鈴音さん」
 厚木警部が進み出た。
「殺人現行犯と未遂の容疑があります、ご同行願えますな?」
「し、失敬な! 志垣は何をやってるんだ!」
 喚く久に警部は冷たく突き放した。
「彼は贈収賄容疑で取り調べ中です」
「…録音は?」
 さすがに弱々しい声で周一郎がお由宇に尋ねた。
「うまくいったわ。感度がよかったわね」
「ろく、おんっ?]
「はい」
 周一郎は俺を見上げた。台の上で何とか体を支えながら、先ほどの塊を示す。
「今の会話も全部」
「おいおい…」
「脱がされた時は見つかるかと、ちょっとひやりとしましたが」
「そうだ、お前、傷は!」
 慌てて覗き込んだ右腕には既に手当てがされていた。白い包帯が目一杯巻かれているが、止血仕切れていないのか薄赤く血が滲んでいる。
「そう、ですね」
 ぼんやりとした声で周一郎は頷いた。
「ちょっと、流しすぎた、かも…」
 ふらりと揺れた上半身が倒れかかるのを、危うく受け止める。ことん、と無防備に周一郎が頭をもたれさせて来た。
「大丈夫か?」
「すみ、ません」
 にゃあん。周一郎の膝に登って来たルトが心配そうに鳴く。
「少し休んでろ」
「はい…」
 疲れた顔で目を閉じる周一郎を支えながら、厚木警部と久の方を振り向いた。追い詰められた獣のような久の表情が猛々しい。警官達は周囲を取り巻いてはいるものの、厚木警部の指示待ちなのか、それとも有力者である久の白旗を待っているのか、それ以上は接近しないようだ。
「もう逃げられませんよ、石蕗さん」
「…」
 厚木警部を睨みつける久、身動きしない厚木警部。睨み合いの緊迫に、もう一人の犯人のことは忘れられていた、その時、ひらりと鈴音の手が動いた。
「が!」「しまった!」
 ぎくりと体を硬直させる久の後ろで、再び鈴音の手が閃き、警官達が駆け寄る前に隠し持っていた剣を自分の胸へと突き立てる。
「ちいっ!」
 不謹慎とも言える舌打ちとともに、厚木警部は折り重なって倒れた久と鈴音の側に駆け寄った。久はまだ少し息が合った。警部が救急車の手配を叫び、警官達が走り出し、だがもう誰も久を追うことはできず。
「…おふ…くろ…」
 掠れた声を漏らしたまま、久は息を引き取った。
「くそっ」
 唸る厚木警部の足元、鈴音が既に事切れている。淡く笑んだような表情が静謐だった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

あやかし警察おとり捜査課

紫音みけ🐾新刊2月中旬発売!
キャラ文芸
※第7回キャラ文芸大賞にて奨励賞を受賞しました。応援してくださった皆様、ありがとうございました。 【あらすじ】  二十三歳にして童顔・低身長で小中学生に見間違われる青年・栗丘みつきは、出世の見込みのない落ちこぼれ警察官。  しかしその小さな身に秘められた身体能力と、この世ならざるもの(=あやかし)を認知する霊視能力を買われた彼は、あやかし退治を主とする部署・特例災害対策室に任命され、あやかしを誘き寄せるための囮捜査に挑む。  反りが合わない年下エリートの相棒と、狐面を被った怪しい上司と共に繰り広げる退魔ファンタジー。  

むっつり金持ち高校生、巨乳美少女たちに囲まれて学園ハーレム

ピコサイクス
青春
顔は普通、性格も地味。 けれど実は金持ちな高校一年生――俺、朝倉健斗。 学校では埋もれキャラのはずなのに、なぜか周りは巨乳美女ばかり!? 大学生の家庭教師、年上メイド、同級生ギャルに清楚系美少女……。 真面目な御曹司を演じつつ、内心はむっつりスケベ。

幽縁ノ季楼守

儚方ノ堂
キャラ文芸
「季楼庵当主の代理を務めてもらう」 幼少期、神隠しにあった過去を待つ青年ユメビシ。 迷い込んだ先で、事件に巻き込まれ両手を失い、生死を彷徨うことに。 ただ「死にたくない」と望んだ願いは、ある故人の手を移植することで実現した。 これを境に不死の体質へと変貌したユメビシは、約70年の時を経て、因縁の土地『瞑之島(みんのとう)』へ帰還する。 しかし、どうして今自分がここにいるのか、その理由となる記憶がすっぽり抜け落ちた状態で……。 奇妙な忘却に焦りを抱えながら、手がかりを求め探索するさなか、島の中枢を担う組織『季楼庵(きろうあん)』の面々と関わりを持ち、次々と巻き起こる騒動に身を投じていくのだった。 現代において、人と人ならざる者が共存する瞑之島を舞台に、半ば強制的に当主代理に据えられたユメビシの非日常。 異色の現代ファンタジー✖️和風奇譚✖️ミステリー 様々な思惑が交錯する中、彼の帰還を以て、物語は一つの結末へ動き出す。 その約束は、何十年何百年経ち、たとえ本人達が覚えていなくとも。 幽かな縁で繋がり続け、決して解けない糸となる。 それを人は、因縁――またの名を『呪い』と呼ぶのだった。

【⁉】意味がわかると怖い話【解説あり】

絢郷水沙
ホラー
普通に読めばそうでもないけど、よく考えてみたらゾクッとする、そんな怖い話です。基本1ページ完結。 下にスクロールするとヒントと解説があります。何が怖いのか、ぜひ推理しながら読み進めてみてください。 ※全話オリジナル作品です。

処理中です...