『ラズーン』第六部

segakiyui

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3.パディスの戦い(15)

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「『星の剣士』(ニスフェル)!」
 片手でなんとか手綱を操り、平原竜(タロ)の調子を狂わせまいとしながら、ユカルは何度目かの大声で呼ばわった。敵の目も考えないではなかったが、これほどくっきりと澄み渡った朝の光の中、見つかるならば、とうに見つかっているだろう。それよりも、ユーノが既に屠られて骸となっている方が恐かった。
「『星の剣士』(ニスフェル)! どこだ! 返事をしろ!!」
 何度叫んでも答えは返ってこない。死んでいるのか、それとも声も出せぬほど傷ついているのか。
 いずれにせよ、物言わぬ草原はユカルの心を苛立たせるばかりだった。
「『星の剣士』(ニスフェル)!!」
 長丈草(ディグリス)に手足を傷つけながら、遮二無二平原竜(タロ)を走らせる。前方にようようパディスの土台が見え、ユカルは密かに驚きの念を抱いた。
(なんて速さで走り通したんだ、あいつは!)
 近寄っていく。土台の周りをゆっくりと巡り掛け、草波に立つ一頭の馬を見つける。
「ヒスト?」
 ユカルの声に首を上げる。額に確かに『白い星』(ヒスト)、足元に誰か倒れているようだ。
「『星の剣士』(ニスフェル)!!」
 叫んでユカルは急いだ。平原竜(タロ)を降りるのももどかしく、長丈草(ディグリス)の中に身を埋めているユーノに駆け寄り、呼吸を確認する。
「…生きてる…」
 思わず吐息が漏れた。右手1本で上半身を抱き起こす。しなる細い身体には左腕以外の傷は見当たらない。気を失っているらしい。
「うんん? 何だ?」
 ヒストの嘶きと仕草に促されて、ユカルは土台を振り仰いだ。
「あそこから…落ちたのか? でも、どうして……ん?」
 見上げた視界、土台の石組み、その上に広がる蒼空……そこに小さな白い点を認める。
「…何だ、あれ…?」
 小さな白い点は、パディスの土台を目印にしているように、ゆっくりと高空で輪を描いた。1回、2回、3回……単なる輪でないことはすぐにわかった。螺旋を描いて、誰かにその場所を教えるように、次第に輪を縮め降下してくる。
「サマルカンド! アシャか!」
 白い点がクフィラだと気づいてユカルは振り返った。待つまでもなかった。乱れる長丈草(ディグリス)の波を蹴立てて、遮るものは何もないと確信してでもいるように、一頭の馬が駆け寄ってくる。馬上には金褐色の髪をなびかせた紫の衣の男、朝の光を浴びて神々の化身とも見えるその姿。
「クェアッ!!」
 サマルカンドが一声高く鳴いて、男は頷いた。ユカルより少し離れた場所で馬を降り、急足に歩み寄る、ユカルに……いや、ユカルに抱かれているユーノに。
「…」
「…」
 サマルカンドが羽音を立てて土台に舞い降りるまで、2人の男はどちらも無言で相手を見ていた。目と目が、一方は微かな敵意を、一方は微かな羨みを込めて睨み合う。
 だが、折れたのはやはりユカルの方だった。
「…あなたに負けたんじゃない」
「…」
「俺は怪我をしていて、『星の剣士』(ニスフェル)をしっかり抱き上げられない、だからあなたに渡すんだ」
「…」
「あなたのためじゃない……俺はこいつが大事だから……!」
「………」
 十分わかっている、そう言いたげにアシャは頷いた。唇を噛み、悔しい思いで身を引くユカルに代わって、両腕を深くユーノの体の下に差し入れ、抱き上げる。
 こと、とアシャの胸に頭をもたせ掛けたユーノが小さく呟いた。
「いや…」
「!」
 ぎくっ、とアシャは動きを止めた。ユカルがはっと目を上げる。ユーノを見つめるアシャの目に、淡い唇が再び切なげにことばを零す。
「ユカル……ごめん……」
「………」
 アシャは竦むように、静かにそれを聞いた。
 もし、アシャがユカルに向き合っていたなら、ことばの意味を取り違えはしなかっただろう。なぜならユカルが肩を落とし、恥じるように赤くなったのがわかっただろうから。
 だが、アシャはユカルに背中を向け、自分の馬の方へと歩き掛けていた。
 ぐっと顎を引き締める。眉を寄せて目を伏せる。やがておどけるように薄く笑った。
「…悪いな。ユカルは怪我人だ……今は俺で我慢しろ」
 それでもアシャはすぐに馬の方へと歩き出さなかった。ユーノの唇が、もう1人誰かの名前を呼ぶのを待つように、しばらく佇んでいた。
 だが。
「…」
 小さく息を吐き、アシャは歩き出す。馬の背にユーノを乗せ、自分もまた無言で跨る。続くユカルと轡を並べ、2人の男は灰色塔(ガルン・デイトス)へと戻って行った。
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