『ラズーン』第六部

segakiyui

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5.リディノ哀歌(12)

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 こんなことがあるはずがない。
「ジュナ?!」
 こんなことが。
「ジュナ、どこです!!」
 こんな…ことが。
「ジュナ!!」
 広間から身を翻したリディノの頭には、そのことばだけが繰り返されている。
 毒だ、と聞いた。
 アシャの含んだ酒の中に、強い毒が入っていたのだ、と。
「ジュナ!!!」
 邸の中を走り回り、片端から戸を開けて、リディノはジュナを捜し求めた。名を呼ぶ声が悲鳴じみている。凍てつき、粉々に砕けそうなる心を憎しみだけが繋いでいる。
「どこにいるの、ジュナ・グラティアス!!」
 許さない、許せない、金の髪、深緑の瞳。
 何と言った、あの男は? リディノに焦がれて、リディノの幸せだけを望むが故、と? そしてリディノに水晶の小瓶を渡した、恋の惚れ薬と称して、類い稀なる毒薬を。
(どうして? なぜ?)
 視察官(オペ)がアシャを殺そうとするのはなぜだ? アシャを自分に殺させようとしたのはなぜ? そして自分は……まんまとその手にのって……。
(アシャ兄さま!!)
 よろめいて、リディノは壁に手を突いた。
 白い頬だった。色を失った唇から紅の糸が這い下りていた。閉じた瞼が青かった。
(殺してしまった、アシャ兄さまを……誰より愛しい…あの人を!!)
 心が引き裂かれそうだった。神々全てを呪いたかった。
 一体これまでリディノがどんな罪を犯してきたというのだろう。何に怒って、神はリディノのやることを黙って見ていたのだろう。
 けれどもこれは……あまりにも酷い……酷すぎる!
(神よ……ラズーンの神々よ!!)
 リディノは壁を押してふらりと歩き出した。
 いつの間にか、右手に細身の剣を握っていた。ジノが護身用にと贈ってくれた剣。そっと鞘から抜き放つ。吸い込まれそうな刀身の蒼さに、リディノはじっと見入った。やがて手を降ろし、剣を下げたまま、ふらふらと足を進め始める。どこへ行こうという当てはなかった。ただ、目指す一人の男の元へ辿り着ければよかった。
 皮肉なことにあれほど走り回って捜した時には見つからなかったジュナは、回廊の次の角をまがると、テラスに居た。
「おや、リディノ姫」
 小馬鹿にしたような笑みを滲ませ、相手は軽く会釈した。
「良い夜ですね」
「ジュナ……あなたは……あなたは…!」
 姿を見た途端、リディノの頭に血が上った。いきなり片手の剣を振り上げ襲いかかる。
 が、ジュナも伊達や酔狂で視察官(オペ)を勤めていたのではない。リディノの不意打ちも彼にとっては児戯に等しかった。
「おっと」
「くっ…」
 手首をあっさり掴まれ、リディノは身もがいた。
「それはね、逆恨み…と言うものですよ、リディノ姫」
 両手首を握られ抱き込まれ、耳元に低く囁かれて、リディノはぎくりと体を震わせた。
「私が何をしたとおっしゃるのです? 私がアシャ殿に何か? まさか、誰がそんなことを?」
 嘲笑うような声音だった。
「ジュナ…!」
「よくお考え下さい、私がお渡ししたのは『恋の媚薬』、けれども入れたのは『あなた』だ」
「ジュ…ナ!!」
 リディノは眉を寄せて切ない叫びを上げた。
 確かにそうだ。
 例えば『あれ』が毒薬だったにせよ、リディノがアシャに飲ませようと思わなければ、悲劇は起こらなかった。リディノがアシャの心を手に入れたいと望みさえしなければ。
(でも……でも!)
 想いは純粋だったはずだ。一点の曇りもない。アシャを想う心にはただ一つの嘘さえなかったはずだ。なのにどうして、その一途な願いがこのような結果を招いてしまったのか。
「許せ……ない!」
「リディノ姫」
 身悶え、なんとか右手の自由を取り戻し、一太刀なりとジュナに報いようとしたリディノに、ジュナは淡い苦笑を漏らした。片手をすいと動かし、リディノの右手を捻じる。痛みに眉を顰めた彼女が力を抜くのと同時に、巧みに剣の切っ先をリディノに向けて、ためらいなく押し込んだ。
「はぐっ…っ」
「そうですよ……私に罪はない……けれどね、リディノ姫」
 呻いて崩れるリディノの体をテラスに横たえ、冷たく見下ろしながらジュナは続けた。
「余計なことを話されても困るんだ」
「ジュ……」
「おやすみなさい、愛らしいリディノ姫。愛らしく愚かな、その頭で何が間違っていたのか、永遠に悩まれると良い」
 ジュナの声が遠ざかっていくのを、リディノは夢と現の境で聞いた。
 お腹のあたりがひどく痛い。幼い頃、誤って毒きのこを食べてしまった、あの時の痛みと似ている。けれどずっと熱いし、ずっと痛い。
 それにあたりはどうしてこれほど暗さを増していくのだろう。夜がこれほど暗いとは、リディノは今まで知らなかった。
(波の音…)
 遠い闇から波の音が聞こえてくる気がした。ひたひたと押し寄せてくる、その波は足を濡らし、腰を濡らし、背中に染み渡って……。
 リディノの心もゆっくりと波に呑まれていった。
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