『ラズーン』第六部

segakiyui

文字の大きさ
72 / 119

6.東の攻防(1)

しおりを挟む
「アシャが倒れたですって?!」
 けたたましい声をあげて廊下を急ぐ黒髪の美女と、ユーノはすれ違った。
「アリオ様! お待ち下さい!」
 後から侍女と思われる女が追う。2人の後ろ姿を少し見送り、ユーノは身を翻した。
(アリオ・ラシェット……あれが『西の姫君』……)
 濃い黒髪、はっきりとした眉、なおきつい印象を与える黒の瞳、艶やかな紅の唇。確かに噂になるだけはある、なかなかの美姫だ。
 『西の姫君』がアシャに恋い焦がれていたことは聞いていた。2人の間に、アリオにとってはいささか屈辱的な恋の諍いがあったことも。
(ジーフォ公の元を出た、というのは本当だったんだな)
 大股に廊下を進みながら考える。
 アリオがジーフォ公邸から強引にミダス公邸に移った経緯も、『金羽根』のバルカ、ギャテイ兄弟から聞いていた。高い自尊心から未だにアシャに恋をしているとは言えないだけで、その想いは、アシャに手酷い扱いを受けた時から変わらず、いやなお優ってもいる様子だとも。
 私室に入り、戸を閉め、薄物も何もかも脱ぎ捨てる。細い金鎖は解きようが悪かったのか手首に絡み、仕方なしに引きちぎった。プツッと音を立てて他愛なく切れた鎖……だがそれは、ユーノの指に赤い筋を彫り込み、一筋指先へと紅の糸を走らせる。その指を素早く口に含んで吸ったユーノは、焦りに弾みかける呼吸をゆっくり整える。
(死ぬために出陣(で)るんじゃない)
 東を襲う『穴の老人』(ディスティヤト)、『泉の狩人』(オーミノ)の宿命の敵。
 戦いが凄絶なものになることは予想するまでもない。
 炎上する荒野、その中を徘徊する黒い影『運命(リマイン)』。
 今度こそユーノもここには帰れないかも知れない。
 目を閉じる。
 口の中に血の味が苦い。
 西の戦いで、ユーノは多くの命を盾にして生き延びた。彼らの遺体は埋葬されず、野辺に大気と地と水に混じって、今もあの長丈草(ディグリス)の原で朽ちている。
 同じ想いをしようというのか、と何処かで声がする。
 また、多くの友を死なせるのか。
 すっ、と脳裏を白い影が走った。暗い草原を、髪をなびかせた乙女が一人走る姿………『灰色塔の姫君』の姿。
 ゆっくり目を開く。
(死のうとして走るんじゃない……生きようとして走るんだ)
 血は止まっていた。唇から指を離し、近くに置いていた黄色味がかった白のチュニックを身に付ける。茶色の革ベルトを締め、剣帯を吊り、額にメダルの代わりに『聖なる輪』(リーソン)をはめる。じわりと額から氷が溶けて頭の中へ流れ込むような、いつもの感覚が広がった。
 ちらりと見た鏡に映るのは少年剣士、唇のほのかな赤味と胸元の柔らかな輪郭が少女かも知れないと思わせるだけ、それさえも人によっては己の目の錯覚かと思うだろう。
「…」
 戸口に人の気配を感じて振り返る。
「誰?」
「ジノにございます」
「ジノ?」
 掠れた声に、歩み寄って戸を開けると、薄緑の衣に深草色の帯、頭に同色の布を巻いたジノが、深く頭を下げて膝をついていた。
「どうしたの?」
「…お詫び…申し上げます」
「え?」
「アシャ様のこの度の一件、私の落ち度です」
「…」
「アシャ様がなかなか姫さまを振り返られぬので……ある男から媚薬と称するものを手に入れ、それを盃に…」
「ジノ…」
「どうぞ…お好きなようにご処分下さいませ」
 ジノの声には深い悲しみが満ちていた。
「ただ…もしお許し下されば、1日だけお時間を頂きとうございます……どうしても……どうしても片付けたいことが…」
 ユーノは柔らかく遮った。
「リディノはどうした」
「…姫さまは…」
 一瞬体を強張らせたジノは、嗄れた声を絞り出した。
「私の罪の償いにと……自害され…」
「………」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

クラス最底辺の俺、ステータス成長で資産も身長も筋力も伸びて逆転無双

四郎
ファンタジー
クラスで最底辺――。 「笑いもの」として過ごしてきた佐久間陽斗の人生は、ただの屈辱の連続だった。 教室では見下され、存在するだけで嘲笑の対象。 友達もなく、未来への希望もない。 そんな彼が、ある日を境にすべてを変えていく。 突如として芽生えた“成長システム”。 努力を積み重ねるたびに、陽斗のステータスは確実に伸びていく。 筋力、耐久、知力、魅力――そして、普通ならあり得ない「資産」までも。 昨日まで最底辺だったはずの少年が、今日には同級生を超え、やがて街でさえ無視できない存在へと変貌していく。 「なんであいつが……?」 「昨日まで笑いものだったはずだろ!」 周囲の態度は一変し、軽蔑から驚愕へ、やがて羨望と畏怖へ。 陽斗は努力と成長で、己の居場所を切り拓き、誰も予想できなかった逆転劇を現実にしていく。 だが、これはただのサクセスストーリーではない。 嫉妬、裏切り、友情、そして恋愛――。 陽斗の成長は、同級生や教師たちの思惑をも巻き込み、やがて学校という小さな舞台を飛び越え、社会そのものに波紋を広げていく。 「笑われ続けた俺が、全てを変える番だ。」 かつて底辺だった少年が掴むのは、力か、富か、それとも――。 最底辺から始まる、資産も未来も手にする逆転無双ストーリー。 物語は、まだ始まったばかりだ。

つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました

蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈ 絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。 絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!! 聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ! ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!! +++++ ・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)

三歩先行くサンタさん ~トレジャーハンターは幼女にごまをする~

杵築しゅん
ファンタジー
 戦争で父を亡くしたサンタナリア2歳は、母や兄と一緒に父の家から追い出され、母の実家であるファイト子爵家に身を寄せる。でも、そこも安住の地ではなかった。  3歳の職業選別で【過去】という奇怪な職業を授かったサンタナリアは、失われた超古代高度文明紀に生きた守護霊である魔法使いの能力を受け継ぐ。  家族には内緒で魔法の練習をし、古代遺跡でトレジャーハンターとして活躍することを夢見る。  そして、新たな家門を興し母と兄を養うと決心し奮闘する。  こっそり古代遺跡に潜っては、ピンチになったトレジャーハンターを助けるサンタさん。  身分差も授かった能力の偏見も投げ飛ばし、今日も元気に三歩先を行く。

妻からの手紙~18年の後悔を添えて~

Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。 妻が死んで18年目の今日。 息子の誕生日。 「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」 息子は…17年前に死んだ。 手紙はもう一通あった。 俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。 ------------------------------

屈辱と愛情

守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

処理中です...