『ラズーン』第六部

segakiyui

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6.東の攻防(1)

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「アシャが倒れたですって?!」
 けたたましい声をあげて廊下を急ぐ黒髪の美女と、ユーノはすれ違った。
「アリオ様! お待ち下さい!」
 後から侍女と思われる女が追う。2人の後ろ姿を少し見送り、ユーノは身を翻した。
(アリオ・ラシェット……あれが『西の姫君』……)
 濃い黒髪、はっきりとした眉、なおきつい印象を与える黒の瞳、艶やかな紅の唇。確かに噂になるだけはある、なかなかの美姫だ。
 『西の姫君』がアシャに恋い焦がれていたことは聞いていた。2人の間に、アリオにとってはいささか屈辱的な恋の諍いがあったことも。
(ジーフォ公の元を出た、というのは本当だったんだな)
 大股に廊下を進みながら考える。
 アリオがジーフォ公邸から強引にミダス公邸に移った経緯も、『金羽根』のバルカ、ギャテイ兄弟から聞いていた。高い自尊心から未だにアシャに恋をしているとは言えないだけで、その想いは、アシャに手酷い扱いを受けた時から変わらず、いやなお優ってもいる様子だとも。
 私室に入り、戸を閉め、薄物も何もかも脱ぎ捨てる。細い金鎖は解きようが悪かったのか手首に絡み、仕方なしに引きちぎった。プツッと音を立てて他愛なく切れた鎖……だがそれは、ユーノの指に赤い筋を彫り込み、一筋指先へと紅の糸を走らせる。その指を素早く口に含んで吸ったユーノは、焦りに弾みかける呼吸をゆっくり整える。
(死ぬために出陣(で)るんじゃない)
 東を襲う『穴の老人』(ディスティヤト)、『泉の狩人』(オーミノ)の宿命の敵。
 戦いが凄絶なものになることは予想するまでもない。
 炎上する荒野、その中を徘徊する黒い影『運命(リマイン)』。
 今度こそユーノもここには帰れないかも知れない。
 目を閉じる。
 口の中に血の味が苦い。
 西の戦いで、ユーノは多くの命を盾にして生き延びた。彼らの遺体は埋葬されず、野辺に大気と地と水に混じって、今もあの長丈草(ディグリス)の原で朽ちている。
 同じ想いをしようというのか、と何処かで声がする。
 また、多くの友を死なせるのか。
 すっ、と脳裏を白い影が走った。暗い草原を、髪をなびかせた乙女が一人走る姿………『灰色塔の姫君』の姿。
 ゆっくり目を開く。
(死のうとして走るんじゃない……生きようとして走るんだ)
 血は止まっていた。唇から指を離し、近くに置いていた黄色味がかった白のチュニックを身に付ける。茶色の革ベルトを締め、剣帯を吊り、額にメダルの代わりに『聖なる輪』(リーソン)をはめる。じわりと額から氷が溶けて頭の中へ流れ込むような、いつもの感覚が広がった。
 ちらりと見た鏡に映るのは少年剣士、唇のほのかな赤味と胸元の柔らかな輪郭が少女かも知れないと思わせるだけ、それさえも人によっては己の目の錯覚かと思うだろう。
「…」
 戸口に人の気配を感じて振り返る。
「誰?」
「ジノにございます」
「ジノ?」
 掠れた声に、歩み寄って戸を開けると、薄緑の衣に深草色の帯、頭に同色の布を巻いたジノが、深く頭を下げて膝をついていた。
「どうしたの?」
「…お詫び…申し上げます」
「え?」
「アシャ様のこの度の一件、私の落ち度です」
「…」
「アシャ様がなかなか姫さまを振り返られぬので……ある男から媚薬と称するものを手に入れ、それを盃に…」
「ジノ…」
「どうぞ…お好きなようにご処分下さいませ」
 ジノの声には深い悲しみが満ちていた。
「ただ…もしお許し下されば、1日だけお時間を頂きとうございます……どうしても……どうしても片付けたいことが…」
 ユーノは柔らかく遮った。
「リディノはどうした」
「…姫さまは…」
 一瞬体を強張らせたジノは、嗄れた声を絞り出した。
「私の罪の償いにと……自害され…」
「………」
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