『ラズーン』第六部

segakiyui

文字の大きさ
84 / 119

7.ミダスの裏切り(1)

しおりを挟む
 声が聞こえる。
 戦乱に巻き込まれて行く人々の呻き声が。救いを捜し求める命の声が。そして、新たに紡がれる祈りの声が。
 世の隅々からラズーンの外壁を越え、内の空気を揺るがせ、どよめきとなって『氷の双宮』に押し寄せてくる。
「……」
 『太皇(スーグ)』はようやく目を開いた。ゆっくり『氷の双宮』の白い壁を、凝った造りの浮き彫りを見回す。
 200年、この中で生きていた。
 200年、この世を見てきた。
 そして今、この動乱の中、多くの人々の声が、彼をより厳しい選択に押し出そうとする。
 やるべきことはわかっていた。
 遥か昔、星は『太皇(スーグ)』の名を受ける者に、そしてこの世の中へ歩いていこうとする人々の背に向かって、こう呼びかけたのだ。
 生きて、行け、と。
 精一杯、己の運命を、己の命で全うするために。
 ただ、生きてゆけ、と。
 果てに何が待つのか、それは誰にも、それこそ星にもわかりはしない。わかっているのは、己の生き様だけが全ての答えを用意する、ということだけだ。
 『太皇(スーグ)』は『氷の双宮』の玉座から立ち上がった。階段を降り、向きを変え、玉座の左右にある、真紅の光沢のある布の垂れ下がっている窪みへと進み、右の布の後ろへ入り込む。壁に凭れると、いつものようにすっと身体が沈む奇妙な感覚があった。
 せり上がって行く床、沈む窪みがどこへ自分を導くのか、『太皇(スーグ)』は熟知している。
「………」
 奇妙な感覚がおさまり、目の前に広がったのは、金属の箱のようにつるりとした壁を持つ飾り気のない部屋だ。
 部屋の中へ踏み出しながら、『太皇(スーグ)』の頭には問い慣れた疑問が蘇っていた。
 遥か昔、この『氷の双宮』の冷たい光沢を持つ部屋で、なんとか生き延びようとした人々の胸には、どんな想いがあったのだろうか。滅びていく世界、自分達がその中で暮らしてきた絶対の日常性が、信じられないほど脆く崩れ去って行くのを背に、この地下の部屋に降りて行った人々の心には、どんな希望が残っていたのか。
 そして今、『太皇(スーグ)』はその人々と同じような『賭け』をしようとして、この部屋にやってきている。
 発光する床を通り、左側の壁に開いた入口を潜る。薄暗い光の中、目が慣れてくるに従って、金属の台の上に透き通った円筒形のものが立っているのが見えてくる。
 円筒形のものは上部を金属の蓋で覆われ、そこから何本もの糸のようなものが天井へと繋がっていた。20個以上ある円筒形の中を満たした薄い黄緑色の液体の中には、様々な生命体の胎児が、あるいはそれに至る過程のものが、時折下から立ち上る泡に包まれて淡く光っている。
 『太皇(スーグ)』はその前をゆっくり歩きながら、そこに居る胎児だけではない、他の多くの『生命体』と言うものの巨大な眼に見つめられているような気がした。端まで歩き、一つだけ色の違う円筒形を見つけ、一瞬たじろいで、その何も浮かんでいない空間を見つめる。
 本来ならば、この円筒形の中で『銀の王族』の『種の記憶』(デーヌエー)を元に、次の正当後継者の体が再生されていなくてはならないはずだった。操作は、別室に蓄えられている『種の記憶』(デーヌエー)の再生装置を操るだけで済む。
 『太皇(スーグ)』は敢えて操作をしていなかった。後継者がいないのではない。ユーノにアシャ、人材には事欠かない、だが……。
「………」
 『太皇(スーグ)』はそっと手を伸ばした。色の違う円筒形の下に、小さな黒い突起があるのを、ゆっくりと、けれども断固とした力強さで押す。
 ぼこっ、と円筒形の中に大きな泡が浮かび上がった。見る見る数を増し、見ている間に中の液体が減り、ただの円筒形の空間に変わる。一つが空になるや否や、隣の円筒形の液体が同様に減り始め、連鎖反応を起こしたように動きは全体に広がった。
 バシャッ、と胎児がもがいて跳ねる。形を取りかけていた細胞の塊が一瞬にして溶解する。
 恨めしげな胎児の眼が呪詛を込めて『太皇(スーグ)』を見つめ、次には白濁し、溶け崩れる。声にならぬ声、音にならぬ悲鳴と断末魔の絶叫があたりの空気を圧し潰していく。ヒクヒクとのたうつ肉塊、何が何やらわからぬ内蔵のような索状物、それらもやがて、今まで浮かんでいた液体を取り去られて、原色の、肉色の、ぬらぬらとした液体に変わり消え去っていく。
 最後の円筒形が空になったと同時に、今まで薄暗くはあったが灯っていた光が消えた。
 暗闇の中に取り残された『太皇(スーグ)』の口から、低く掠れた声が漏れる。
「すべては人の手の届かぬところへ戻ったのじゃ……ユーノよ……アシャよ……既に道は未来にしか続いてはおらぬぞ…」
 祈りにも似た声の後、『氷の双宮』は重い沈黙に閉ざされた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

サレ妻の娘なので、母の敵にざまぁします

二階堂まりい
大衆娯楽
大衆娯楽部門最高記録1位! ※この物語はフィクションです 流行のサレ妻ものを眺めていて、私ならどうする? と思ったので、短編でしたためてみました。 当方未婚なので、妻目線ではなく娘目線で失礼します。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

ぽっちゃり女子の異世界人生

猫目 しの
ファンタジー
大抵のトリップ&転生小説は……。 最強主人公はイケメンでハーレム。 脇役&巻き込まれ主人公はフツメンフツメン言いながらも実はイケメンでモテる。 落ちこぼれ主人公は可愛い系が多い。 =主人公は男でも女でも顔が良い。 そして、ハンパなく強い。 そんな常識いりませんっ。 私はぽっちゃりだけど普通に生きていたい。   【エブリスタや小説家になろうにも掲載してます】

生きるために逃げだした。幸せになりたい。

白水緑
ファンタジー
屋敷内に軟禁状態だったリリアは、宝物を取り戻したことをきっかけに屋敷から逃げ出した。幸せになるために。体力も力もない。成り行きに身を任せる結果になっても、自分の道は自分で選びたい。 2020/9/19 第一章終了 続きが書け次第また連載再開します。 2021/2/14 第二章開幕 2021/2/28 完結

「がっかりです」——その一言で終わる夫婦が、王宮にはある

柴田はつみ
恋愛
妃の席を踏みにじったのは令嬢——けれど妃の心を折ったのは、夫のたった一言だった 王太子妃リディアの唯一の安らぎは、王太子アーヴィンと交わす午後の茶会。だが新しく王宮に出入りする伯爵令嬢ミレーユは、妃の席に先に座り、殿下を私的に呼び、距離感のない振る舞いを重ねる。 リディアは王宮の礼節としてその場で正す——正しいはずだった。けれど夫は「リディア、そこまで言わなくても……」と、妃を止めた。 「わかりました。あなたには、がっかりです」 微笑んで去ったその日から、夫婦の茶会は終わる。沈黙の王宮で、言葉を失った王太子は、初めて“追う”ことを選ぶが——遅すぎた。

あやかしたちのとまりぎの日常

彩世幻夜
キャラ文芸
吉祥寺は井の頭公園界隈の一画で、ひっそりと営業するダイニング・バー【ペルシュ】に訪れるお客の大半はひとではないもの、いわゆるあやかしたち。 勿論店の店主や店員もまた人ではない。 そんな店でバイトをするとある専門学校生とあやかしたちが織りなす〝日常(?)〟物語

「婚約破棄された転生令嬢ですが、王城のメイド五百人に慕われるメイド長になりました。なお元婚約者は私のメイドに土下座中です」

まさき
恋愛
社畜OLとして過労死した私は、異世界の令嬢・アリア・ヴェルナーに転生した。 目が覚めたら、婚約破棄されていた。 理由は「地味で面白みがない」から。 泣く暇もなかった。翌朝、王城のメイド採用面接に向かった。 最初は鼻で笑われた。雑用係からのスタートだった。 でも——前世で叩き込まれた仕事術と、一人ひとりの話を聞く姿勢で、少しずつメイドたちが集まってきた。 厨房が変わった。リネンが変わった。王城全体が変わっていった。 そして就任スピーチで宣言した。 「500人全員の名前を、覚えます」 冷酷と噂される王太子は、静かに見ていた。 悪役令嬢は妨害を仕掛けてきた。 元婚約者は——後悔し始めていた。 婚約破棄された令嬢が、500人に慕われるメイド長になるまでの物語。 なお元婚約者は、私のメイドたちの前で土下座中です。

処理中です...