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7.ミダスの裏切り(1)
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声が聞こえる。
戦乱に巻き込まれて行く人々の呻き声が。救いを捜し求める命の声が。そして、新たに紡がれる祈りの声が。
世の隅々からラズーンの外壁を越え、内の空気を揺るがせ、どよめきとなって『氷の双宮』に押し寄せてくる。
「……」
『太皇(スーグ)』はようやく目を開いた。ゆっくり『氷の双宮』の白い壁を、凝った造りの浮き彫りを見回す。
200年、この中で生きていた。
200年、この世を見てきた。
そして今、この動乱の中、多くの人々の声が、彼をより厳しい選択に押し出そうとする。
やるべきことはわかっていた。
遥か昔、星は『太皇(スーグ)』の名を受ける者に、そしてこの世の中へ歩いていこうとする人々の背に向かって、こう呼びかけたのだ。
生きて、行け、と。
精一杯、己の運命を、己の命で全うするために。
ただ、生きてゆけ、と。
果てに何が待つのか、それは誰にも、それこそ星にもわかりはしない。わかっているのは、己の生き様だけが全ての答えを用意する、ということだけだ。
『太皇(スーグ)』は『氷の双宮』の玉座から立ち上がった。階段を降り、向きを変え、玉座の左右にある、真紅の光沢のある布の垂れ下がっている窪みへと進み、右の布の後ろへ入り込む。壁に凭れると、いつものようにすっと身体が沈む奇妙な感覚があった。
せり上がって行く床、沈む窪みがどこへ自分を導くのか、『太皇(スーグ)』は熟知している。
「………」
奇妙な感覚がおさまり、目の前に広がったのは、金属の箱のようにつるりとした壁を持つ飾り気のない部屋だ。
部屋の中へ踏み出しながら、『太皇(スーグ)』の頭には問い慣れた疑問が蘇っていた。
遥か昔、この『氷の双宮』の冷たい光沢を持つ部屋で、なんとか生き延びようとした人々の胸には、どんな想いがあったのだろうか。滅びていく世界、自分達がその中で暮らしてきた絶対の日常性が、信じられないほど脆く崩れ去って行くのを背に、この地下の部屋に降りて行った人々の心には、どんな希望が残っていたのか。
そして今、『太皇(スーグ)』はその人々と同じような『賭け』をしようとして、この部屋にやってきている。
発光する床を通り、左側の壁に開いた入口を潜る。薄暗い光の中、目が慣れてくるに従って、金属の台の上に透き通った円筒形のものが立っているのが見えてくる。
円筒形のものは上部を金属の蓋で覆われ、そこから何本もの糸のようなものが天井へと繋がっていた。20個以上ある円筒形の中を満たした薄い黄緑色の液体の中には、様々な生命体の胎児が、あるいはそれに至る過程のものが、時折下から立ち上る泡に包まれて淡く光っている。
『太皇(スーグ)』はその前をゆっくり歩きながら、そこに居る胎児だけではない、他の多くの『生命体』と言うものの巨大な眼に見つめられているような気がした。端まで歩き、一つだけ色の違う円筒形を見つけ、一瞬たじろいで、その何も浮かんでいない空間を見つめる。
本来ならば、この円筒形の中で『銀の王族』の『種の記憶』(デーヌエー)を元に、次の正当後継者の体が再生されていなくてはならないはずだった。操作は、別室に蓄えられている『種の記憶』(デーヌエー)の再生装置を操るだけで済む。
『太皇(スーグ)』は敢えて操作をしていなかった。後継者がいないのではない。ユーノにアシャ、人材には事欠かない、だが……。
「………」
『太皇(スーグ)』はそっと手を伸ばした。色の違う円筒形の下に、小さな黒い突起があるのを、ゆっくりと、けれども断固とした力強さで押す。
ぼこっ、と円筒形の中に大きな泡が浮かび上がった。見る見る数を増し、見ている間に中の液体が減り、ただの円筒形の空間に変わる。一つが空になるや否や、隣の円筒形の液体が同様に減り始め、連鎖反応を起こしたように動きは全体に広がった。
バシャッ、と胎児がもがいて跳ねる。形を取りかけていた細胞の塊が一瞬にして溶解する。
恨めしげな胎児の眼が呪詛を込めて『太皇(スーグ)』を見つめ、次には白濁し、溶け崩れる。声にならぬ声、音にならぬ悲鳴と断末魔の絶叫があたりの空気を圧し潰していく。ヒクヒクとのたうつ肉塊、何が何やらわからぬ内蔵のような索状物、それらもやがて、今まで浮かんでいた液体を取り去られて、原色の、肉色の、ぬらぬらとした液体に変わり消え去っていく。
最後の円筒形が空になったと同時に、今まで薄暗くはあったが灯っていた光が消えた。
暗闇の中に取り残された『太皇(スーグ)』の口から、低く掠れた声が漏れる。
「すべては人の手の届かぬところへ戻ったのじゃ……ユーノよ……アシャよ……既に道は未来にしか続いてはおらぬぞ…」
祈りにも似た声の後、『氷の双宮』は重い沈黙に閉ざされた。
戦乱に巻き込まれて行く人々の呻き声が。救いを捜し求める命の声が。そして、新たに紡がれる祈りの声が。
世の隅々からラズーンの外壁を越え、内の空気を揺るがせ、どよめきとなって『氷の双宮』に押し寄せてくる。
「……」
『太皇(スーグ)』はようやく目を開いた。ゆっくり『氷の双宮』の白い壁を、凝った造りの浮き彫りを見回す。
200年、この中で生きていた。
200年、この世を見てきた。
そして今、この動乱の中、多くの人々の声が、彼をより厳しい選択に押し出そうとする。
やるべきことはわかっていた。
遥か昔、星は『太皇(スーグ)』の名を受ける者に、そしてこの世の中へ歩いていこうとする人々の背に向かって、こう呼びかけたのだ。
生きて、行け、と。
精一杯、己の運命を、己の命で全うするために。
ただ、生きてゆけ、と。
果てに何が待つのか、それは誰にも、それこそ星にもわかりはしない。わかっているのは、己の生き様だけが全ての答えを用意する、ということだけだ。
『太皇(スーグ)』は『氷の双宮』の玉座から立ち上がった。階段を降り、向きを変え、玉座の左右にある、真紅の光沢のある布の垂れ下がっている窪みへと進み、右の布の後ろへ入り込む。壁に凭れると、いつものようにすっと身体が沈む奇妙な感覚があった。
せり上がって行く床、沈む窪みがどこへ自分を導くのか、『太皇(スーグ)』は熟知している。
「………」
奇妙な感覚がおさまり、目の前に広がったのは、金属の箱のようにつるりとした壁を持つ飾り気のない部屋だ。
部屋の中へ踏み出しながら、『太皇(スーグ)』の頭には問い慣れた疑問が蘇っていた。
遥か昔、この『氷の双宮』の冷たい光沢を持つ部屋で、なんとか生き延びようとした人々の胸には、どんな想いがあったのだろうか。滅びていく世界、自分達がその中で暮らしてきた絶対の日常性が、信じられないほど脆く崩れ去って行くのを背に、この地下の部屋に降りて行った人々の心には、どんな希望が残っていたのか。
そして今、『太皇(スーグ)』はその人々と同じような『賭け』をしようとして、この部屋にやってきている。
発光する床を通り、左側の壁に開いた入口を潜る。薄暗い光の中、目が慣れてくるに従って、金属の台の上に透き通った円筒形のものが立っているのが見えてくる。
円筒形のものは上部を金属の蓋で覆われ、そこから何本もの糸のようなものが天井へと繋がっていた。20個以上ある円筒形の中を満たした薄い黄緑色の液体の中には、様々な生命体の胎児が、あるいはそれに至る過程のものが、時折下から立ち上る泡に包まれて淡く光っている。
『太皇(スーグ)』はその前をゆっくり歩きながら、そこに居る胎児だけではない、他の多くの『生命体』と言うものの巨大な眼に見つめられているような気がした。端まで歩き、一つだけ色の違う円筒形を見つけ、一瞬たじろいで、その何も浮かんでいない空間を見つめる。
本来ならば、この円筒形の中で『銀の王族』の『種の記憶』(デーヌエー)を元に、次の正当後継者の体が再生されていなくてはならないはずだった。操作は、別室に蓄えられている『種の記憶』(デーヌエー)の再生装置を操るだけで済む。
『太皇(スーグ)』は敢えて操作をしていなかった。後継者がいないのではない。ユーノにアシャ、人材には事欠かない、だが……。
「………」
『太皇(スーグ)』はそっと手を伸ばした。色の違う円筒形の下に、小さな黒い突起があるのを、ゆっくりと、けれども断固とした力強さで押す。
ぼこっ、と円筒形の中に大きな泡が浮かび上がった。見る見る数を増し、見ている間に中の液体が減り、ただの円筒形の空間に変わる。一つが空になるや否や、隣の円筒形の液体が同様に減り始め、連鎖反応を起こしたように動きは全体に広がった。
バシャッ、と胎児がもがいて跳ねる。形を取りかけていた細胞の塊が一瞬にして溶解する。
恨めしげな胎児の眼が呪詛を込めて『太皇(スーグ)』を見つめ、次には白濁し、溶け崩れる。声にならぬ声、音にならぬ悲鳴と断末魔の絶叫があたりの空気を圧し潰していく。ヒクヒクとのたうつ肉塊、何が何やらわからぬ内蔵のような索状物、それらもやがて、今まで浮かんでいた液体を取り去られて、原色の、肉色の、ぬらぬらとした液体に変わり消え去っていく。
最後の円筒形が空になったと同時に、今まで薄暗くはあったが灯っていた光が消えた。
暗闇の中に取り残された『太皇(スーグ)』の口から、低く掠れた声が漏れる。
「すべては人の手の届かぬところへ戻ったのじゃ……ユーノよ……アシャよ……既に道は未来にしか続いてはおらぬぞ…」
祈りにも似た声の後、『氷の双宮』は重い沈黙に閉ざされた。
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