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7.ミダスの裏切り(7)
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「そうか…」
セシ公は詰めていた息を細くゆっくり吐き出した。
「東が崩れたか」
「…申し訳…ございません!」
ジットーが悲痛な声を絞り出す。
「我らが『銀羽根』、ユーノ様を待つ間さえ陣を保てず……あまりにも…っ」
悔しさにことばにならないのだろう、ぎりっと歯を嚙み鳴らす音で声が途切れた。
「わかった……ジットー」
「はっ」
「このまま南へ下る気はあるか」
「は?」
「東の守りを早急に埋めねばならぬ。スォーガとラズーンの境に野戦部隊(シーガリオン)が待機しているはずだ。伝令として飛んでくれ」
「はっ」
険しく硬い表情で頷き、ジットーは立ち上がった。汚れた衣を整える気もないのだろう、一礼して慌ただしく場を立ち去る。見送ったセシ公は低く吐いた。
「ユーノ殿……『狩人の山』(オムニド)で果てられたか……?」
(やはり『泉の狩人』(オーミノ)は他者を長とは認めなかったのか?)
セシ公の頭には、こちらをまっすぐ見据えたユーノの黒い瞳が蘇っている。自分が出陣(で)る、そう告げた瞳に翳りはなかった。その眼は死ぬ気ではなかった。ただ一所懸命に己の生き様を貫いて行こうとするだけ、気負いもなくゆるぎもなく、未来を見つめる眼だった。
(その眼に魅せられたのだ、ユーノ殿)
セシ公は心の中で囁いた。
(その、たじろがぬ生き様に)
だが、『泉の狩人』(オーミノ)。
彼らの話は、未だラズーンの夜の魔性を司る。
昔『泉の狩人』(オーミノ)を従えるのは彼らの王のみと言われた時代があることを知っていた。一人の誇り高く美しい女王に率いられていた『泉の狩人』(オーミノ)の最も輝かしい時代。
その後、暗黒の時代が巡り、『泉の狩人』(オーミノ)は『狩人の山』(オムニド)に籠り、今の今まで彼らを連れ出せた者はいない。聖なる女王以外に彼らが長と認めるのは『太皇(スーグ)』かミネルバ、あるいはアシャぐらいだろうとは言い古された話だ。
(アシャ…)
だが、そこでセシ公はいつも引っ掛かりを覚える。
『泉の狩人』(オーミノ)は世の掟を外れた種族とのこと、他の者に従わないというのはわかる。また『太皇(スーグ)』とミネルバには従うというのもわかる。前者は世の中心、『氷の双宮』の謎の鍵を握り世界を治める主、後者ははぐれ狩人とは言え、元々は『泉の狩人』(オーミノ)の中でも名の知られた者、彼らの同族だったと言うのだから。
(だが、アシャ)
なぜ、そこにアシャの名前が並ぶのだろう。
セシ公の知る限り、アシャ・ラズーンは並外れた才能の持ち主とは言え、『普通の人間』のはずだった。ミネルバのように『魔』の領域にいる者ではなく、よしんば、ラズーンの謎を全て知っているとしても、存在自体は『人間』の領域に入っているはずだ。
もしラズーンの謎を全て知っている者であれば『泉の狩人』(オーミノ)を動かせると言うなら、ラズーンに背く前のギヌア・ラズーンも同等の位置にいたはず、なのになぜギヌアでは『泉の狩人』(オーミノ)を動かせず、アシャなら動かせると言われたのか。何が2人の違いなのか。
考えられることは一つ、それはアシャの存在が、『泉の狩人』(オーミノ)にとって、『太皇(スーグ)』と同じかそれ以上の意味があると言うことだ。
言わば『太皇(スーグ)』に代わるただ一人の存在、唯一の正当後継者…。
(だが、アシャ)
それならなぜ、それほど貴重な逸材に『太皇(スーグ)』は動乱の諸国への出立を許したのか。
世継ぎの社会勉強などと言うには、時代はあまりにも激しい動きを見せている。無事に帰ってくるかどうかの保証もなかっただろう。
なのに、なぜ?
逆に考えれば、視察官(オペ)として世を巡らせるなら、なぜ正当後継者として認めたのだろう。それも資質から言えば十二分に役を果たせたはずのギヌア・ラズーンを差し置いて、事もあろうに第一正当後継者などと? 『氷の双宮』に入宮した順列か? いや、そのような生易しい選択でラズーンが成り立っていたとは思えない。
『太皇(スーグ)』のしたことは稚拙な宝石細工師のようだ。せっかく磨き上げた極上の紫水晶を、最後の仕上げをせずに岩場へ投げ捨てたようなもの、長年磨いてきた後継ぎをどうして投げ捨てるのか、ラズーン支配下(ロダ)などと言う岩場に。投げ捨てるぐらいなら、なぜ磨いてきたのだ、『氷の双宮』と言う類稀な仕事場で。
(わからぬ)
セシ公は眉を顰めた。
自分には、何か絶対的な情報が欠落している。
それは、父よりセシ公の地位を受け継いだ時から、いや、それよりも昔からセシ公、いや、ラルの中に存在していた疑問だった。
自分には、生を受けた世界の真の姿が見えていない。存在に対する根本的な認識が欠けている。
ラルに地位を譲るや否や逝ってしまった父親は、最後までラルを諭した。それはお前の思い過ごしに過ぎない。世界は確固として今在る通り、眼前に開けているものがその全てだと。
また、こうも言った。余分な好奇心は人生というものが与えてくれる豊かさの味を消してしまう。お前が今手にしているものを失いたくないのなら、黙って与えられた恩恵に感謝しているがいい。
だが、父の諭しはいつもいつも、ラルの裡に在る本能を刺激しただけだった。
長じるにつれ、ラルは、何一つ根拠はないのだが、世界にはもう一つの顔があると確信するようになった。
平和で穏やかな園の陰には、それを保たせるもう一つの園がある。そこは遥かに躍動的で逞しく、どくどくと脈打つ血潮を底にたたえ、燃え上がるような情熱を溢れさせ、いつもどこかへ、時には未来、時には破滅へと流れ続けている。
その姿を見てみたい。その流れを、この両手にしっかりと掴み取ってみたい。
そしていつか、偽りの夢を貪るこの世界の皮を引っ剥がしてみたい。
ラルの話を笑わずに聞いてくれたのは、不思議なことに後のジーフォ公、カートだけだった。
セシ公は詰めていた息を細くゆっくり吐き出した。
「東が崩れたか」
「…申し訳…ございません!」
ジットーが悲痛な声を絞り出す。
「我らが『銀羽根』、ユーノ様を待つ間さえ陣を保てず……あまりにも…っ」
悔しさにことばにならないのだろう、ぎりっと歯を嚙み鳴らす音で声が途切れた。
「わかった……ジットー」
「はっ」
「このまま南へ下る気はあるか」
「は?」
「東の守りを早急に埋めねばならぬ。スォーガとラズーンの境に野戦部隊(シーガリオン)が待機しているはずだ。伝令として飛んでくれ」
「はっ」
険しく硬い表情で頷き、ジットーは立ち上がった。汚れた衣を整える気もないのだろう、一礼して慌ただしく場を立ち去る。見送ったセシ公は低く吐いた。
「ユーノ殿……『狩人の山』(オムニド)で果てられたか……?」
(やはり『泉の狩人』(オーミノ)は他者を長とは認めなかったのか?)
セシ公の頭には、こちらをまっすぐ見据えたユーノの黒い瞳が蘇っている。自分が出陣(で)る、そう告げた瞳に翳りはなかった。その眼は死ぬ気ではなかった。ただ一所懸命に己の生き様を貫いて行こうとするだけ、気負いもなくゆるぎもなく、未来を見つめる眼だった。
(その眼に魅せられたのだ、ユーノ殿)
セシ公は心の中で囁いた。
(その、たじろがぬ生き様に)
だが、『泉の狩人』(オーミノ)。
彼らの話は、未だラズーンの夜の魔性を司る。
昔『泉の狩人』(オーミノ)を従えるのは彼らの王のみと言われた時代があることを知っていた。一人の誇り高く美しい女王に率いられていた『泉の狩人』(オーミノ)の最も輝かしい時代。
その後、暗黒の時代が巡り、『泉の狩人』(オーミノ)は『狩人の山』(オムニド)に籠り、今の今まで彼らを連れ出せた者はいない。聖なる女王以外に彼らが長と認めるのは『太皇(スーグ)』かミネルバ、あるいはアシャぐらいだろうとは言い古された話だ。
(アシャ…)
だが、そこでセシ公はいつも引っ掛かりを覚える。
『泉の狩人』(オーミノ)は世の掟を外れた種族とのこと、他の者に従わないというのはわかる。また『太皇(スーグ)』とミネルバには従うというのもわかる。前者は世の中心、『氷の双宮』の謎の鍵を握り世界を治める主、後者ははぐれ狩人とは言え、元々は『泉の狩人』(オーミノ)の中でも名の知られた者、彼らの同族だったと言うのだから。
(だが、アシャ)
なぜ、そこにアシャの名前が並ぶのだろう。
セシ公の知る限り、アシャ・ラズーンは並外れた才能の持ち主とは言え、『普通の人間』のはずだった。ミネルバのように『魔』の領域にいる者ではなく、よしんば、ラズーンの謎を全て知っているとしても、存在自体は『人間』の領域に入っているはずだ。
もしラズーンの謎を全て知っている者であれば『泉の狩人』(オーミノ)を動かせると言うなら、ラズーンに背く前のギヌア・ラズーンも同等の位置にいたはず、なのになぜギヌアでは『泉の狩人』(オーミノ)を動かせず、アシャなら動かせると言われたのか。何が2人の違いなのか。
考えられることは一つ、それはアシャの存在が、『泉の狩人』(オーミノ)にとって、『太皇(スーグ)』と同じかそれ以上の意味があると言うことだ。
言わば『太皇(スーグ)』に代わるただ一人の存在、唯一の正当後継者…。
(だが、アシャ)
それならなぜ、それほど貴重な逸材に『太皇(スーグ)』は動乱の諸国への出立を許したのか。
世継ぎの社会勉強などと言うには、時代はあまりにも激しい動きを見せている。無事に帰ってくるかどうかの保証もなかっただろう。
なのに、なぜ?
逆に考えれば、視察官(オペ)として世を巡らせるなら、なぜ正当後継者として認めたのだろう。それも資質から言えば十二分に役を果たせたはずのギヌア・ラズーンを差し置いて、事もあろうに第一正当後継者などと? 『氷の双宮』に入宮した順列か? いや、そのような生易しい選択でラズーンが成り立っていたとは思えない。
『太皇(スーグ)』のしたことは稚拙な宝石細工師のようだ。せっかく磨き上げた極上の紫水晶を、最後の仕上げをせずに岩場へ投げ捨てたようなもの、長年磨いてきた後継ぎをどうして投げ捨てるのか、ラズーン支配下(ロダ)などと言う岩場に。投げ捨てるぐらいなら、なぜ磨いてきたのだ、『氷の双宮』と言う類稀な仕事場で。
(わからぬ)
セシ公は眉を顰めた。
自分には、何か絶対的な情報が欠落している。
それは、父よりセシ公の地位を受け継いだ時から、いや、それよりも昔からセシ公、いや、ラルの中に存在していた疑問だった。
自分には、生を受けた世界の真の姿が見えていない。存在に対する根本的な認識が欠けている。
ラルに地位を譲るや否や逝ってしまった父親は、最後までラルを諭した。それはお前の思い過ごしに過ぎない。世界は確固として今在る通り、眼前に開けているものがその全てだと。
また、こうも言った。余分な好奇心は人生というものが与えてくれる豊かさの味を消してしまう。お前が今手にしているものを失いたくないのなら、黙って与えられた恩恵に感謝しているがいい。
だが、父の諭しはいつもいつも、ラルの裡に在る本能を刺激しただけだった。
長じるにつれ、ラルは、何一つ根拠はないのだが、世界にはもう一つの顔があると確信するようになった。
平和で穏やかな園の陰には、それを保たせるもう一つの園がある。そこは遥かに躍動的で逞しく、どくどくと脈打つ血潮を底にたたえ、燃え上がるような情熱を溢れさせ、いつもどこかへ、時には未来、時には破滅へと流れ続けている。
その姿を見てみたい。その流れを、この両手にしっかりと掴み取ってみたい。
そしていつか、偽りの夢を貪るこの世界の皮を引っ剥がしてみたい。
ラルの話を笑わずに聞いてくれたのは、不思議なことに後のジーフォ公、カートだけだった。
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