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8.夜襲(8)
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「ユーノ様!」
不意に視界にジノのくしゃくしゃになった顔が飛び込んできて、ユーノははっとした。起き上がり掛け、頭の中心にめまいと痛みが蘇って動きを止める。
『大丈夫か、ユーノ』
「うん…どうしたのかな…目眩がする…」
『飢粉(シイナ)を少し吸い込んでいたのじゃ……無理もない』
「もう少し寝ておられたほうがいいですよ、ユーノ様! お待ち下さい、今ご用意を」
ジノが活気を取り戻した顔で頷き、天幕(カサン)の橋へ飛んで行った。
『あまり無茶をせぬことじゃ……そなたの周囲におる者の気が保たん』
ミネルバはユーノを覗き込んで、いつになく優しい声で続けた。
『丸一日近く、眠っておった。あのジノとやらが苛ついての、ラズーンへ医術師を探しに戻ると大騒ぎをしておったぞ』
「旅の時の癖かな…」
自分一人で耐え抜く癖はもっと前からのものだと苦笑し掛けたところへ、
『なるほど、アシャと言う類稀な医術師がついておったか』
言われてちくりと胸が痛んだ。
アシャが居たから生き抜いてこられた。
アシャが居たから後のことは気にしなかった。
「…あれで安心して無茶ができた」
自分の限界以上のことにも立ち向かえた、無意識にアシャの支えを信じていたから。
迷惑ばかりかける仲間を、アシャはいつしか負担にしか思わなくなっていたのではないか。
『ほ…ほほ』
ミネルバはユーノの怯みに気づいたように、声を立てて笑った。
『アシャも可哀想な男よの、抱えたい重さもあろうに』
「…ラズーンへは?」
気持ちを切り替える。
『残り3名を「狩人の山」(オムニド)に帰し、そこから伝令を走らせた。今頃は『氷の双宮』に届いていることじゃろう』
「…ひょっとして、ミネルバ」
相手がまだ汚れた姿のままなのにようやく気づく。
「目を覚ますのを待っててくれたの?」
『我らが聖女王(シグラトル)なのじゃ、当然の事じゃろう』
微笑む気配を満たしてミネルバが応じる。
「さあ、ユーノ様!」
ジノが嬉々として、粥やスープを運んできた。
「食べて、体力をつけて。レスファート様達のところに戻りましょう」
「いや…」
ユーノは匙を取り、粥を掬って口に運びながら首を振った。軽いむかつきが残っていたが、耐えられないほどではない、ぐっと我慢して飲み込む。幸い、喉を通ったものは戻る様子はなかった。
「後1~2日、ここに居る」
「え?」
ジノがぎょっとしたように顔を振り向ける。
「まだ攻め手が来そうなんですか」
『そんなことはあるまい』
ミネルバが考え込んだ声で応じた。
『「穴の老人」(ディスティヤト)が万が一残っていても1、2匹、まして新たに東を戦場とするにも、あの腐臭と飢粉(シイナ)の中では、並の人間は愚か、「運命(リマイン)」とても攻めあぐねよう』
「違うよ」
ユーノは首を振った。
「仲間を……せめてシャイラとグードスの遺骸なりと見届けてやりたい」
「しかし、ユーノ様!」
ジノが不服そうに声を上げた。
「今ミネルバ様が、とても行けるような状態ではないとおっしゃったばかりでしょうに」
「それでも……何とかして…ね」
ユーノの脳裏に、ラズーンを訪れた日に出迎えてくれたシャイラの笑顔が蘇った。シャイラはリディノに想いを寄せていたとも聞いた。ならば、遺品なりとリディノの側に眠らせてやりたい。
(私だって)
もし万が一、どこか遠い地で果てるにせよ、衣類の端切れでもアシャの近くに眠らせてもらえるなら、どれほど嬉しいだろう。
「ミネルバ様は…」
ジノの問いにミネルバは重々しく首を振った。
『我ら「泉の狩人」(オーミノ)に死者への葬いはない。こうして生き永らえていることが、既に長い葬い行列に続くようなもの、命を終えて安堵こそすれ、悔いなぞ何一つ残りはせぬ』
ミネルバの声の虚ろさに、ユーノは微かな胸の痛みを覚えた。焦がれて焦がれて待ち続けて、ただ聖女王(シグラトル)の側に行きたいと言うたった一つの願いから、今度もまた遠ざけられた。声の中には嘆きが宿る。その哀しみには覚えがある。
(焦がれて焦がれて……けれど、焦がれ死ぬほど弱くもなく、引き止め奪うほど強くもなく…)
そうしてユーノは、何度アシャの周囲を巡っていることだろう。側に居たい、それだけのささやかな望みさえ叶えられずに。こうして傷つき疲れた身でさえ、ユーノはアシャの元には戻れない。
『カイルーン、ディーディエトは、もう聖女王(シグラトル)にお逢いできただろうか…』
自分はまだ許されていないのか……そう呟くミネルバの声が聞こえた気がした。
不意に視界にジノのくしゃくしゃになった顔が飛び込んできて、ユーノははっとした。起き上がり掛け、頭の中心にめまいと痛みが蘇って動きを止める。
『大丈夫か、ユーノ』
「うん…どうしたのかな…目眩がする…」
『飢粉(シイナ)を少し吸い込んでいたのじゃ……無理もない』
「もう少し寝ておられたほうがいいですよ、ユーノ様! お待ち下さい、今ご用意を」
ジノが活気を取り戻した顔で頷き、天幕(カサン)の橋へ飛んで行った。
『あまり無茶をせぬことじゃ……そなたの周囲におる者の気が保たん』
ミネルバはユーノを覗き込んで、いつになく優しい声で続けた。
『丸一日近く、眠っておった。あのジノとやらが苛ついての、ラズーンへ医術師を探しに戻ると大騒ぎをしておったぞ』
「旅の時の癖かな…」
自分一人で耐え抜く癖はもっと前からのものだと苦笑し掛けたところへ、
『なるほど、アシャと言う類稀な医術師がついておったか』
言われてちくりと胸が痛んだ。
アシャが居たから生き抜いてこられた。
アシャが居たから後のことは気にしなかった。
「…あれで安心して無茶ができた」
自分の限界以上のことにも立ち向かえた、無意識にアシャの支えを信じていたから。
迷惑ばかりかける仲間を、アシャはいつしか負担にしか思わなくなっていたのではないか。
『ほ…ほほ』
ミネルバはユーノの怯みに気づいたように、声を立てて笑った。
『アシャも可哀想な男よの、抱えたい重さもあろうに』
「…ラズーンへは?」
気持ちを切り替える。
『残り3名を「狩人の山」(オムニド)に帰し、そこから伝令を走らせた。今頃は『氷の双宮』に届いていることじゃろう』
「…ひょっとして、ミネルバ」
相手がまだ汚れた姿のままなのにようやく気づく。
「目を覚ますのを待っててくれたの?」
『我らが聖女王(シグラトル)なのじゃ、当然の事じゃろう』
微笑む気配を満たしてミネルバが応じる。
「さあ、ユーノ様!」
ジノが嬉々として、粥やスープを運んできた。
「食べて、体力をつけて。レスファート様達のところに戻りましょう」
「いや…」
ユーノは匙を取り、粥を掬って口に運びながら首を振った。軽いむかつきが残っていたが、耐えられないほどではない、ぐっと我慢して飲み込む。幸い、喉を通ったものは戻る様子はなかった。
「後1~2日、ここに居る」
「え?」
ジノがぎょっとしたように顔を振り向ける。
「まだ攻め手が来そうなんですか」
『そんなことはあるまい』
ミネルバが考え込んだ声で応じた。
『「穴の老人」(ディスティヤト)が万が一残っていても1、2匹、まして新たに東を戦場とするにも、あの腐臭と飢粉(シイナ)の中では、並の人間は愚か、「運命(リマイン)」とても攻めあぐねよう』
「違うよ」
ユーノは首を振った。
「仲間を……せめてシャイラとグードスの遺骸なりと見届けてやりたい」
「しかし、ユーノ様!」
ジノが不服そうに声を上げた。
「今ミネルバ様が、とても行けるような状態ではないとおっしゃったばかりでしょうに」
「それでも……何とかして…ね」
ユーノの脳裏に、ラズーンを訪れた日に出迎えてくれたシャイラの笑顔が蘇った。シャイラはリディノに想いを寄せていたとも聞いた。ならば、遺品なりとリディノの側に眠らせてやりたい。
(私だって)
もし万が一、どこか遠い地で果てるにせよ、衣類の端切れでもアシャの近くに眠らせてもらえるなら、どれほど嬉しいだろう。
「ミネルバ様は…」
ジノの問いにミネルバは重々しく首を振った。
『我ら「泉の狩人」(オーミノ)に死者への葬いはない。こうして生き永らえていることが、既に長い葬い行列に続くようなもの、命を終えて安堵こそすれ、悔いなぞ何一つ残りはせぬ』
ミネルバの声の虚ろさに、ユーノは微かな胸の痛みを覚えた。焦がれて焦がれて待ち続けて、ただ聖女王(シグラトル)の側に行きたいと言うたった一つの願いから、今度もまた遠ざけられた。声の中には嘆きが宿る。その哀しみには覚えがある。
(焦がれて焦がれて……けれど、焦がれ死ぬほど弱くもなく、引き止め奪うほど強くもなく…)
そうしてユーノは、何度アシャの周囲を巡っていることだろう。側に居たい、それだけのささやかな望みさえ叶えられずに。こうして傷つき疲れた身でさえ、ユーノはアシャの元には戻れない。
『カイルーン、ディーディエトは、もう聖女王(シグラトル)にお逢いできただろうか…』
自分はまだ許されていないのか……そう呟くミネルバの声が聞こえた気がした。
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