『ラズーン』第六部

segakiyui

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「もう少し側へ」
「いや…ここでいい」
 アシャの誘いにユーノは喉が絡んだ声で応じた。醒めた部分に必死にしがみつく。万が一にも、これが『魔』の操るアシャならば、ユーノが崩れるのが世界の崩壊に繋がることは、目に見えている。
 今にしてユーノは『太皇(スーグ)』がアシャを第一正当後継者に選びながら、他の候補も選び続けたのか、わかる気がした。
 確かに、平和な世なら、アシャと言う類稀なこの長は、この上なく強大な『太皇(スーグ)』となるだろう。頭脳、才能、美貌、支配力、どれを取っても世の人々の頂点を極めるにふさわしく、人々はアシャの元、最後の一滴まで命を振り絞って従うだろう。
 だが、戦乱のこの世、特にギヌアと言うアシャとは永久に相容れないもう一人の長を生み出している世界、2人がぶつかるのは必死、その時にアシャが完全にラズーンを継いでいればどうなるか。
 世界は相反する勢力に真二つに裂かれ、図らずも『星』の来る以前の、東西の神々の争いを再現することになってしまう。配下は強力な長の元、最後の一兵に到るまで消耗し尽くされ、後には草木一本、小鳥一羽も居ない、荒廃と死の世界になるに違いない。
 いわば、アシャと言う存在は、この世界にとって諸刃の剣なのだ。永遠の平和と永遠の抗争を、同時に実現してしまう。
「……昔」
 ユーノがそれ以上近づこうとしないのに、アシャは小さく吐息して、話し出した。
「人の命は『氷の双宮』の中で育まれていた。『氷の双宮』の生命の空間の中では、3つの存在が予測されていた」
 今更何を、と不審に思ったユーノは、アシャのことばにぞくりとした。
(3つ?)
「1つは人…1つは後に『運命(リマイン)』と呼ばれる人の変異亜種………そして、もう1つは、その双方の特徴を受け継ぐ存在」
 アシャは物憂げにことばを継いだ。
「が、始めの2つはともかく、最後の1つ、人と『運命(リマイン)』から産まれる生命体というのは机上の空論に過ぎない。人は男女が交わって子を産み、『運命(リマイン)』は『氷の双宮』から産まれる。2種の生殖には共通点はない……少なくとも『氷の双宮』の外では、な」
 アシャが何を話し出したのか、ユーノにはまだわからない。
「…ある日、きっと何十万、何百万に1回のミスが起こったんだろう……その、起こらないはずのことが起きた。普通なら生命体にならない可能性が高く、もし万が一形を取っても、突然変異の不適応と言うことで自動処理されたか、『運命(リマイン)』亜種として辺境に放り出されていたか………だが『俺』は生命体の形を取り、『運命(リマイン)』として辺境に放り出されることもなく、ただ恐れを抱いた『太皇(スーグ)』が能力を封印し、『氷の双宮』に留め置くことで、命を永らえた」
 ユーノはかろうじて驚きを出さずに済んだ。
 アシャはこう言っている、自分は人と『運命(リマイン)』が混じったものだ、と。
(アシャが)
 それでは、今までの戦いは、アシャにとって敵となる恐怖の対象を葬るものではなく、己と同じものを抱えた、ある意味仲間を屠る戦いでもあったのか。
 アシャはどこか遠くを眺め、それからゆっくりとユーノに視線を戻した。
「『氷の双宮』の中で、昔からの古文書を全て読んだ。初めは、なぜ自分に封印が課せられているのか、わからなかった。だが、色々なものを傷つけて、自分がどうして生まれて来たのか、この世界の中でどう言う意味を持っているのかに気づいて、自らを鍛えるのに務めた。『氷のアシャ』の名も人々の評価も全ては他人事だった。『俺』の中の不安定なバランスは、いつかきっと崩れるだろう……その時にどこまで自分を制し切れるか、わからなかった」
(いつ頃、それを知ったのだろう)
 ユーノはきらきらと眩アシャの姿をじっと見つめた。
(自分の中に世界を崩壊させる力があると……それがいつ爆発してしまうかわからないと……いつから考えていたんだろう)
 にこやかで艶やかな振る舞い、戯けた仕草と瞬時に満ちる殺気、多くの美姫と追随者に囲まれて、アシャは何を見ていたのだろう。
「…『太皇(スーグ)』に旅に出ることを願って外界へ出たのも、ギヌアと『俺』の立ち位置が不安定になって来ていたからだ。旅に出ることで自制力を鍛えていくこともできると考えた………『氷の双宮』に戻るつもりはなかった。ラズーンへ帰るつもりもなかった。どこへ帰るつもりもなかった。どこへ行くつもりも……なかった…一生を旅して……どこか、遠くの土地で……」
 アシャはどこか頼りなく笑いかけて来た。紫の瞳が潤んでいる。胸を掻き毟られるような切なげな表情、それでも心を揺さぶるこの様子が『魔』ではないと断じられない。
 ギヌアにはわからなかっただろう。アシャの出生の秘密を知らなくては、何故やすやすと第一正当後継者の地位が与えられたのか、何故それを捨ててしまえるのか、理解できなかったはずだ。正当後継者とはアシャをラズーンに縛る鎖だった。その鎖が成長とともにアシャを留められぬものとなったと気づいた時、『太皇(スーグ)』に抑える術はなかっただろう。
 凄まじい力を制御できない存在、支配することも殺すこともできない命ならば、遠く遥かな世界の果てで自滅してくれることを願うしかなかったのかも知れない。
(どこで死ねばいいのかと、考えて)
 だからギヌアに襲われても圧倒できたはずの抵抗を、アシャはしなかった。本能だけで生き延びて、ようやくセレドに転がり込んで、なのに。
(私は、そのアシャを、引き摺り出した)
 この『旅』に。
 手足が冷えるのをユーノは感じた。
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