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9.人として(14) 最終話
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「…見事なものだな」
ユーノが姿を消すのを見送っていたセシ公は、嘆息した。
「揺らぎもせず、か」
くすりとジノが笑う。
「無理ですよ、セシ公。あなたと雖も、彼の方の進む先は遮れませんよ」
ジノの目の奥に鋭い光が走る。見て取ってセシ公は、
「遮るようなら、体を張ってでも私を止める、そう言いたげだな、ジノ・スティル」
「まさか」
くすくすと楽しげにジノは笑った。
「止めるなんて生易しい……お気には召しますまいが、刺し違えてでも『死の女神』(イラークトル)の元までお送りいたしますよ」
「……それが怖い」
「え?」
意外な返答だと思ったのだろう、ジノが瞬きするのに苦笑いする。
「情報なら操れる。人の動きも計算できる。だが、ユーノには人を揺り動かすものがある。お前だけじゃない、イリオールも、ユーノを庇っての死だろうと思うが」
「……」
ジノの無言の問いに調べを口にする。
「ギヌアの夜伽も務めていた形跡がある。ひょっとすると、それを理由に脅されて、ユーノを襲う羽目になったのかも知れないな。けれど、何かがイリオールを食い止めて、彼はユーノを殺せなくなって……リュガが大岩を噛み砕いたと言うわけだ」
「そう…ですか」
ジノは笑みを消して、目を伏せた。
「ユーノに知られるぐらいならと反撃したのか、それとも方法で揉めたのか……。考えてみるがいい、何人の人間がユーノの為に動く? 何人の人間がユーノの為に命を払うと申し出ている? それほどの影響力を、あの娘は露ほども気づいていないだろうよ。そればかりか、それさえも振り捨てて、この戦の中を平然と駆け抜けて行ってしまうだろう」
ジノがぴりぴりと緊張を高めたのに、もう一度苦笑した。
ただの例え話、今ユーノは安全に邸の中で過ごしているのはジノも知っているはず、なのに、万が一を仄めかされただけで臨戦態勢に入る自分をどう思っているのか。
「…だからこそ、人は魅かれ、天は雲を払い、地は道を示す……あの娘の前に」
圧倒的な負け戦しか想定できないこんな戦の、しかも負け側にどうして自分は関わってしまっているのか、セシ公ともあろうものが。
「凄まじいものだな、ここまで1人の人間に運命が集まると言うことは」
時代が呼ぶとはこう言うことか。
善であれ悪であれ、一つの時代の終焉にはそれにふさわしい幕の引き手が現れると言うことか。
ならば、その側近くに居れたことがセシ公のあり方としては僥倖ということなのか。
「ふむ」
「あの方は……王者なのだと思います」
ジノが自分を宥めるように盃の酒を含んだ。
「けれども、そんな在り方などより、ただ、生きようとなさっておいでなのだと思います……与えられた命を精一杯生きようと……ただ、人として」
「人として……か」
ならば、世界の崩壊を淡々と眺める、己のあり方は人としてどうなのか。
不意に気づいた。
生き様が死に様に繋がるとユーノは言った。
とすれば、セシ公は死の瞬間、何が起こるのか知りたがっているのだろう。己の死の瞬間は、もう理解できないだろうから、この世界の死の瞬間をもって、それに代えようとしているのだろう。
けれど、それは『セシ公の死の瞬間』であって、『ラルの死の瞬間』ではないのではないか。
「人として…か」
人として、死を味わう為には、『セシ公』のままでは無理なのではないか。
盃を持ち上げるセシ公の脳裏を、パディスの水晶球が掠めた。
寝台の上で、イリオールは眠っているように安らかな顔で横たわっていた。朱に塗れていた体も拭き清められ、静謐は体を深く支配している。
その側にユーノはじっと佇んでいた。
「辛かっただろう、イリオール」
低く吐く。
「痛かったろうね」
腕に宿った温もりはもう戻らない。見上げてくれた淡青の瞳に光はない。そうしてイリオールの全ては、人の手の届かぬところへ、『死の女神』(イリオール)の膝の上へ抱き上げられてしまっている。
命はいつか終わるのだから……終わりは必ず来るのだから……愛し子よ、せめてその時まで精一杯生きなさい………。
ジノの詩う声が記憶の中から零れ落ちてくる。
「忘れないよ…イリオール」
ユーノは小さく呟いた。
「私はあなたを忘れない」
命は必ず終わるのだから……生死の間は一瞬なのだから……賭けた想いの暑さだけが人を人と結びつける、だから……。
「おやすみ…イリオール」
長い夜だけど。いつか遠い同じ夜に私もきっと眠るだろう。
けれど、そのぎりぎりまで、生きることを諦めはすまい。
それこそが、自分と言う存在がこの世に生まれた、ただ一つの意味だろうから。
他の誰でもない、私と言う命を、最後の瞬間まで抱えて生きること。
夜に解き放つその時まで、『私はここに居る』と叫ぶこと。
そうして、もしできることならば、笑って伝えたい、ありがとうとおやすみを。
その瞬間まで与えてくれた想いへの、深い感謝を。
青白く冷たいイリオールの額に触れ、ユーノは向きを変えた。そのまま、振り返らずに部屋を出た。
時代は動き続けていた。
ミダス公邸に待機するユーノ達に、ラズーン南壁の外側で『運命(リマイン)』軍と『鉄羽根』がぶつかり始めたと言う伝令が届いたのは、それから数日後のことだった。
終わり
ユーノが姿を消すのを見送っていたセシ公は、嘆息した。
「揺らぎもせず、か」
くすりとジノが笑う。
「無理ですよ、セシ公。あなたと雖も、彼の方の進む先は遮れませんよ」
ジノの目の奥に鋭い光が走る。見て取ってセシ公は、
「遮るようなら、体を張ってでも私を止める、そう言いたげだな、ジノ・スティル」
「まさか」
くすくすと楽しげにジノは笑った。
「止めるなんて生易しい……お気には召しますまいが、刺し違えてでも『死の女神』(イラークトル)の元までお送りいたしますよ」
「……それが怖い」
「え?」
意外な返答だと思ったのだろう、ジノが瞬きするのに苦笑いする。
「情報なら操れる。人の動きも計算できる。だが、ユーノには人を揺り動かすものがある。お前だけじゃない、イリオールも、ユーノを庇っての死だろうと思うが」
「……」
ジノの無言の問いに調べを口にする。
「ギヌアの夜伽も務めていた形跡がある。ひょっとすると、それを理由に脅されて、ユーノを襲う羽目になったのかも知れないな。けれど、何かがイリオールを食い止めて、彼はユーノを殺せなくなって……リュガが大岩を噛み砕いたと言うわけだ」
「そう…ですか」
ジノは笑みを消して、目を伏せた。
「ユーノに知られるぐらいならと反撃したのか、それとも方法で揉めたのか……。考えてみるがいい、何人の人間がユーノの為に動く? 何人の人間がユーノの為に命を払うと申し出ている? それほどの影響力を、あの娘は露ほども気づいていないだろうよ。そればかりか、それさえも振り捨てて、この戦の中を平然と駆け抜けて行ってしまうだろう」
ジノがぴりぴりと緊張を高めたのに、もう一度苦笑した。
ただの例え話、今ユーノは安全に邸の中で過ごしているのはジノも知っているはず、なのに、万が一を仄めかされただけで臨戦態勢に入る自分をどう思っているのか。
「…だからこそ、人は魅かれ、天は雲を払い、地は道を示す……あの娘の前に」
圧倒的な負け戦しか想定できないこんな戦の、しかも負け側にどうして自分は関わってしまっているのか、セシ公ともあろうものが。
「凄まじいものだな、ここまで1人の人間に運命が集まると言うことは」
時代が呼ぶとはこう言うことか。
善であれ悪であれ、一つの時代の終焉にはそれにふさわしい幕の引き手が現れると言うことか。
ならば、その側近くに居れたことがセシ公のあり方としては僥倖ということなのか。
「ふむ」
「あの方は……王者なのだと思います」
ジノが自分を宥めるように盃の酒を含んだ。
「けれども、そんな在り方などより、ただ、生きようとなさっておいでなのだと思います……与えられた命を精一杯生きようと……ただ、人として」
「人として……か」
ならば、世界の崩壊を淡々と眺める、己のあり方は人としてどうなのか。
不意に気づいた。
生き様が死に様に繋がるとユーノは言った。
とすれば、セシ公は死の瞬間、何が起こるのか知りたがっているのだろう。己の死の瞬間は、もう理解できないだろうから、この世界の死の瞬間をもって、それに代えようとしているのだろう。
けれど、それは『セシ公の死の瞬間』であって、『ラルの死の瞬間』ではないのではないか。
「人として…か」
人として、死を味わう為には、『セシ公』のままでは無理なのではないか。
盃を持ち上げるセシ公の脳裏を、パディスの水晶球が掠めた。
寝台の上で、イリオールは眠っているように安らかな顔で横たわっていた。朱に塗れていた体も拭き清められ、静謐は体を深く支配している。
その側にユーノはじっと佇んでいた。
「辛かっただろう、イリオール」
低く吐く。
「痛かったろうね」
腕に宿った温もりはもう戻らない。見上げてくれた淡青の瞳に光はない。そうしてイリオールの全ては、人の手の届かぬところへ、『死の女神』(イリオール)の膝の上へ抱き上げられてしまっている。
命はいつか終わるのだから……終わりは必ず来るのだから……愛し子よ、せめてその時まで精一杯生きなさい………。
ジノの詩う声が記憶の中から零れ落ちてくる。
「忘れないよ…イリオール」
ユーノは小さく呟いた。
「私はあなたを忘れない」
命は必ず終わるのだから……生死の間は一瞬なのだから……賭けた想いの暑さだけが人を人と結びつける、だから……。
「おやすみ…イリオール」
長い夜だけど。いつか遠い同じ夜に私もきっと眠るだろう。
けれど、そのぎりぎりまで、生きることを諦めはすまい。
それこそが、自分と言う存在がこの世に生まれた、ただ一つの意味だろうから。
他の誰でもない、私と言う命を、最後の瞬間まで抱えて生きること。
夜に解き放つその時まで、『私はここに居る』と叫ぶこと。
そうして、もしできることならば、笑って伝えたい、ありがとうとおやすみを。
その瞬間まで与えてくれた想いへの、深い感謝を。
青白く冷たいイリオールの額に触れ、ユーノは向きを変えた。そのまま、振り返らずに部屋を出た。
時代は動き続けていた。
ミダス公邸に待機するユーノ達に、ラズーン南壁の外側で『運命(リマイン)』軍と『鉄羽根』がぶつかり始めたと言う伝令が届いたのは、それから数日後のことだった。
終わり
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