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9.人として(13)
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「ひゅっ!」
悲鳴と呼吸の漏れる音が同時に空中に響き、鮮血がジュナの全身を染めた。
一瞬に絶命したイリオールの腕から力が抜ける。少年の喉笛を掻き切った短剣を放り出し、ジュナはのろのろとイリオールの体を押しのけた。物と化した少年がぼとりと重い音を立てて床に落ちる。
腹に突き刺さった剣を押さえてジュナはよろよろ立ち上がった。目に血が入ったのか、視界が赤く滲んでいる。加熱した頭の中で、こんなことがあるはずはない、と呟き続けていた。
イリオールは完全に支配下にあったはずだ。イリオールはあの憎らしいユーノを殺してくれるはずだ。アシャはリディノへの手回しで死ぬはずだ。そしてジュナの未来は『運命(リマイン)』の覚えめでたく輝いていたはずだ。
「う…」
痛みに砕けそうな腰に何とか上半身を乗せる。揺れる体は自分のものではないようだ。イリオールが自分を襲う……どこに誤算があったのか。一歩、また一歩と扉に向かって歩いていくジュナの視界、ゆっくりと戸が開いた。ユーノ・セレディスだ。だが大丈夫だ、小娘1人ぐらい、この場の状況を言いくるめれば…。
「あ…」
傷の痛みに耐えつつ忙しく頭を働かせていたジュナは、続いて現れたアシャに呆気にとられた。傷一つない、それどころか、前より一層艶やかで華やかな姿ではないか。そんな馬鹿な。そんなことはあるはずがない。そんなことが。
「そんなことはあるはずがない、とはご挨拶だな」
アシャの冷ややかな声に、口に出していたと気がついた。
「生憎だが生きている。お前の企みに乗ってやれなくて悪かったが」
「し…って…」
「ああ知っていた。今、それさえも悔やんでいるよ、ジュナ・グラティアス」
静かに足を進めたユーノが、転がったイリオールの虚ろな目を優しく閉ざしてやりながら応じた。
「もっと早く…手を打つべきだった」
「違う…」
そうだ違う、そう言うことじゃない、この状況はもっと別の。
続けようとしたことばは、再び遮られる。
「違う? 冗談を仰らないで頂きたい」
深草色の衣に身を包み、深い青の瞳を滾らせたジノが現れる。その右手に構えられた剣に目を惹きつけられた。
それはリディノを屠った剣、己の栄光を刻みつけたはずの剣……。
「覚えておいでだろう? 姫様の剣だ。今こそ鞘に戻そう、ジュナ・グラティアスと言う肉鞘にな」
待ってくれ、とジュナは叫ぼうとした。きっとこれは何かの間違いだ、少し待ってくれれば、確かな説明ができる、ジュナのせいではないと、リディノ自身の愚かさのせいだと。
だが、剣の先は容赦なく、よろめいたジュナの胸に吸い込まれた。
「あ…あ…あ…」
か細く頼りない声を上げて、ジュナ・グラティアスと呼ばれた視察官(オペ)は、いつか自分が葬った小さな姿の沈む、昏い澱みの中へ引き摺り込まれて行った。
「イリオールは」
人々が静かに眠りについた邸、広間の一角で、ユーノとジノ、セシ公は仄かな明かりの下、盃を交わしていた。灯皿の光がセシ公の髪を透かす。広間のそこここに蹲る闇の気配を気にした様子もなく、セシ公はことばを継ぐ。
「ジュナ・グラティアスと関わりがあったことから、『運命(リマイン)』と何らかの繋がりがあったと見るべきでしょう。イリオールが使った剣は護身用ですが、使いようによっては暗殺もできます。直前にユーノ様を捜していたこと、様子がおかしかったこと、アシャ様の部屋の前から走り去る姿を兵が見ていたことなど、想像を逞しくすると、ユーノ様を狙っての刺客だったと考えもできましょう」
ユーノは無言で盃に注がれた飲み物を見つめた。
病み上がりのアシャはレアナと『西の姫君』アリオに連れられ、早々に部屋に引き取っている。今頃はレアナが付き添い、眠りについているだろう。
「それ以上のことは憶測にすぎませんが、ジュナの夜伽をしていたとの噂もあります。或いはギヌアの側近くに居たのかも知れません。そのイリオールがなぜジュナに刃を向けたのか……それはもう永遠の謎となってしまった」
イリオールの体の温もりがユーノの腕に蘇る。洞窟で助けた時、少年は既にユーノの命を狙っていたのだろうか。どこか頼りなげな弱々しい姿も、イリオールの仮面の一つだったのだろうか。
『ユーノ様』
笑って見上げる瞳、泣きながらしがみついていた小さな体、あれらも全てまやかしだったのか。
「何はともあれ、誰が『運命(リマイン)』側なのか見分けるのは、ますます困難になるでしょう。そうしている間に疑心暗鬼となり、互いの胸の裡に闇が育つ」
ユーノの逡巡を見抜いたようにセシ公が呟く。
「だから…レスファートを説得しろ、と?」
ユーノはセシ公を見た。茶色の瞳が促すように見つめ返す。
「…人の死に様は、どうして決まると思う、セシ公」
「…」
「私は、その人間の生き様によるのだと思う」
ユーノは盃を揺らせた。
「どんな死に様をするのか、その時まで誰もわからない。けれどそれはきっと、どう生きてきたかと言う問いかけの答えなんだろう。だからどう死ぬかと言うことじゃなくて、どう生きるかが死の持つ意味だろうと思う」
セシ公はユーノを見つめたままだ。
「ならば、自分の心が求める通りに、納得する生き方をしたい。……私は甘いのかも知れない。けれど、この生き方が、例えどんな死に様を招こうと、後悔はしない」
セシ公が溜め息をついた。
「答えは同じ、ですか」
「何度聞かれてもね。いい加減な返事はしていないよ、セシ公。きっと、何度生まれても、何度同じ場面を繰り返されても、私の答えは変わらない。私には人を分けられない。自分にできないことをレスにはさせられない」
ユーノは盃を置いて立ち上がった。
「もう休むよ、おやすみ」
「おやすみなさい」
セシ公とジノが答えるのに頷いてユーノは背中を向けた。
悲鳴と呼吸の漏れる音が同時に空中に響き、鮮血がジュナの全身を染めた。
一瞬に絶命したイリオールの腕から力が抜ける。少年の喉笛を掻き切った短剣を放り出し、ジュナはのろのろとイリオールの体を押しのけた。物と化した少年がぼとりと重い音を立てて床に落ちる。
腹に突き刺さった剣を押さえてジュナはよろよろ立ち上がった。目に血が入ったのか、視界が赤く滲んでいる。加熱した頭の中で、こんなことがあるはずはない、と呟き続けていた。
イリオールは完全に支配下にあったはずだ。イリオールはあの憎らしいユーノを殺してくれるはずだ。アシャはリディノへの手回しで死ぬはずだ。そしてジュナの未来は『運命(リマイン)』の覚えめでたく輝いていたはずだ。
「う…」
痛みに砕けそうな腰に何とか上半身を乗せる。揺れる体は自分のものではないようだ。イリオールが自分を襲う……どこに誤算があったのか。一歩、また一歩と扉に向かって歩いていくジュナの視界、ゆっくりと戸が開いた。ユーノ・セレディスだ。だが大丈夫だ、小娘1人ぐらい、この場の状況を言いくるめれば…。
「あ…」
傷の痛みに耐えつつ忙しく頭を働かせていたジュナは、続いて現れたアシャに呆気にとられた。傷一つない、それどころか、前より一層艶やかで華やかな姿ではないか。そんな馬鹿な。そんなことはあるはずがない。そんなことが。
「そんなことはあるはずがない、とはご挨拶だな」
アシャの冷ややかな声に、口に出していたと気がついた。
「生憎だが生きている。お前の企みに乗ってやれなくて悪かったが」
「し…って…」
「ああ知っていた。今、それさえも悔やんでいるよ、ジュナ・グラティアス」
静かに足を進めたユーノが、転がったイリオールの虚ろな目を優しく閉ざしてやりながら応じた。
「もっと早く…手を打つべきだった」
「違う…」
そうだ違う、そう言うことじゃない、この状況はもっと別の。
続けようとしたことばは、再び遮られる。
「違う? 冗談を仰らないで頂きたい」
深草色の衣に身を包み、深い青の瞳を滾らせたジノが現れる。その右手に構えられた剣に目を惹きつけられた。
それはリディノを屠った剣、己の栄光を刻みつけたはずの剣……。
「覚えておいでだろう? 姫様の剣だ。今こそ鞘に戻そう、ジュナ・グラティアスと言う肉鞘にな」
待ってくれ、とジュナは叫ぼうとした。きっとこれは何かの間違いだ、少し待ってくれれば、確かな説明ができる、ジュナのせいではないと、リディノ自身の愚かさのせいだと。
だが、剣の先は容赦なく、よろめいたジュナの胸に吸い込まれた。
「あ…あ…あ…」
か細く頼りない声を上げて、ジュナ・グラティアスと呼ばれた視察官(オペ)は、いつか自分が葬った小さな姿の沈む、昏い澱みの中へ引き摺り込まれて行った。
「イリオールは」
人々が静かに眠りについた邸、広間の一角で、ユーノとジノ、セシ公は仄かな明かりの下、盃を交わしていた。灯皿の光がセシ公の髪を透かす。広間のそこここに蹲る闇の気配を気にした様子もなく、セシ公はことばを継ぐ。
「ジュナ・グラティアスと関わりがあったことから、『運命(リマイン)』と何らかの繋がりがあったと見るべきでしょう。イリオールが使った剣は護身用ですが、使いようによっては暗殺もできます。直前にユーノ様を捜していたこと、様子がおかしかったこと、アシャ様の部屋の前から走り去る姿を兵が見ていたことなど、想像を逞しくすると、ユーノ様を狙っての刺客だったと考えもできましょう」
ユーノは無言で盃に注がれた飲み物を見つめた。
病み上がりのアシャはレアナと『西の姫君』アリオに連れられ、早々に部屋に引き取っている。今頃はレアナが付き添い、眠りについているだろう。
「それ以上のことは憶測にすぎませんが、ジュナの夜伽をしていたとの噂もあります。或いはギヌアの側近くに居たのかも知れません。そのイリオールがなぜジュナに刃を向けたのか……それはもう永遠の謎となってしまった」
イリオールの体の温もりがユーノの腕に蘇る。洞窟で助けた時、少年は既にユーノの命を狙っていたのだろうか。どこか頼りなげな弱々しい姿も、イリオールの仮面の一つだったのだろうか。
『ユーノ様』
笑って見上げる瞳、泣きながらしがみついていた小さな体、あれらも全てまやかしだったのか。
「何はともあれ、誰が『運命(リマイン)』側なのか見分けるのは、ますます困難になるでしょう。そうしている間に疑心暗鬼となり、互いの胸の裡に闇が育つ」
ユーノの逡巡を見抜いたようにセシ公が呟く。
「だから…レスファートを説得しろ、と?」
ユーノはセシ公を見た。茶色の瞳が促すように見つめ返す。
「…人の死に様は、どうして決まると思う、セシ公」
「…」
「私は、その人間の生き様によるのだと思う」
ユーノは盃を揺らせた。
「どんな死に様をするのか、その時まで誰もわからない。けれどそれはきっと、どう生きてきたかと言う問いかけの答えなんだろう。だからどう死ぬかと言うことじゃなくて、どう生きるかが死の持つ意味だろうと思う」
セシ公はユーノを見つめたままだ。
「ならば、自分の心が求める通りに、納得する生き方をしたい。……私は甘いのかも知れない。けれど、この生き方が、例えどんな死に様を招こうと、後悔はしない」
セシ公が溜め息をついた。
「答えは同じ、ですか」
「何度聞かれてもね。いい加減な返事はしていないよ、セシ公。きっと、何度生まれても、何度同じ場面を繰り返されても、私の答えは変わらない。私には人を分けられない。自分にできないことをレスにはさせられない」
ユーノは盃を置いて立ち上がった。
「もう休むよ、おやすみ」
「おやすみなさい」
セシ公とジノが答えるのに頷いてユーノは背中を向けた。
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