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『軒下朝顔』
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マンションのベランダにある小さな鉢に、朝顔が植えられていた。
夏の陽射しを浴びて、水を一杯吸い上げて、ぐんぐん伸びていったのに、どこまでいっても軒下ばかり。
「あーあ。ここから外へは出られないのかも知れないな」
何度か試してはみたのだ。
軒下の隅からそっと、ベランダの壁を伝って、上の階へ行こうとしたが、
「ご近所迷惑でしょ」
と、ぐいぐい棒で曲げられて、相も変わらず軒の下。
それならそれでと、ベランダの手すり伝いに隣へ行こうとしてみれば、
「隣の奥さん、植木は嫌いだってよ」
ぎゅぎゅっとまたまた曲げられて、仕方なしに同じ所をぐるぐるぐる。
けれどもある日、ひょいと見下ろした朝顔は、隣の部屋との境越しに、自分を見つめているきらきらした二つの目を見つけた。
「君はだあれ。何してるの」
「あたしはみよこ。ずうっとここで寝てるのよ」
隣の家の女の子だった。
白いベッドに白い寝巻き。長い髪を三つ編みにして、先に小さな赤いリボン。
ベッドより白い顔で、リボンより小さな声で、みよこは言った。
「もう、ずうっと寝ているの。長い長い病気なの。外に出られないし、友達もいない。空も雲も、見るのに飽きちゃった。でも、あなたは別ね。毎日、違う色だし、違う形をしているわ。葉っぱも蔓も毎日変わる。面白くて、見ていたの」
「へえ、面白い、僕が?」
朝顔はびっくりした。
「おんなじ所をぐるぐるしてるんだよ。おんなじ色で咲いてさ。おんなじような葉っぱの中で、おんなじ形の種を作る。それのどこが面白いの」
「みんな違うわ。気付かないだけよ。もっとたくさん、お花が見えると、もっともっと嬉しいんだけど」
「ふうん、そうかい」
みよこが囁くのに、朝顔はなぜかわくわくしてきた。
それから、朝顔は、みよこに見える場所で、ぐるぐるぐるぐる蔓を這わせた。前より一杯水を吸い上げて、前よりしっかり葉っぱを広げて、前よりも大きな花を咲かせようとした。
そうすると不思議なもので、おんなじ花は一つもなくなった。同じ葉も同じ蔓もなくなった。一つの花、一枚の葉、一本の蔓ごとに、朝顔は自分がどんどん立派になっていく気がした。
「朝顔さん、すごいね。とってもきれい」
みよこは毎日褒めてくれた。
けれども、みよこは元気にならない。
ともすれば、目を閉じて、そのままどこかへ行ってしまいそうになる。
ある日、みよこがぽつりと言った。
「朝顔さん、もう、お別れしなくちゃだめみたい」
「え、どうしてさ」
「明日ね、病院に入るんんだって」
みよこは目を閉じたまま答えた。
「うんと長く、入るんだって。朝顔さんが咲いている間には、帰ってこれないんだって」
「帰って、これない」
朝顔は繰り返した。
何だか、蔓からも、花からも、種からさえ力が抜けていく気がした。
「あんまりだよね」
みよこが呟いた。
閉じた目から涙が一つ、二つ、三つ、四つ。流れて白い枕に吸い込まれていく。
「あんまりよね。あんまりだ。ずうっと大人しくしていたのに。ずうっと外にも行かなかったのに。ずうっとずうっと、一人だったのに!」
朝顔は何と言ったらいいのかわからなかった。
「結局病院に入るなら、お祭りの花火、見に行きたかった」
みよこが言った。
「花火?」
朝顔はぴくんとした。
「花火、見たいの?」
「うん、見たかった」
「じゃあ、見せてあげるよ」
「えっ」
「明日の朝、見せてやる」
次の朝。
朝顔は思いっきり水を吸い上げた。それから、全ての蔓から葉から種から力を集めて、次々と花を開いていった。
「朝顔さん、今日は、本当にすごい……」
みよこの声が途切れた。
ぱあん!!
朝顔の花が開ききるや否や、弾けたのだ。
開く花開く花が、開き切った途端にぱあっと広がり、散っていく。ベランダにはらはら、朝顔の花びらが舞う。
「朝顔さん、朝顔さん」
呼びかけるみよこの声が涙で滲んだ。
「痛いでしょ、痛いんでしょ」
「痛くない、痛くなんかない。きれいかい。僕の花火はきれいかい」
みよこはベッドから起き上がった。
窓を押し開け、ふらふらしながらベランダに出て、両手を朝顔に差し伸べた。
その手に、最後の花が大きく弾けて、そっとそっと降り落ちた。
終わり
夏の陽射しを浴びて、水を一杯吸い上げて、ぐんぐん伸びていったのに、どこまでいっても軒下ばかり。
「あーあ。ここから外へは出られないのかも知れないな」
何度か試してはみたのだ。
軒下の隅からそっと、ベランダの壁を伝って、上の階へ行こうとしたが、
「ご近所迷惑でしょ」
と、ぐいぐい棒で曲げられて、相も変わらず軒の下。
それならそれでと、ベランダの手すり伝いに隣へ行こうとしてみれば、
「隣の奥さん、植木は嫌いだってよ」
ぎゅぎゅっとまたまた曲げられて、仕方なしに同じ所をぐるぐるぐる。
けれどもある日、ひょいと見下ろした朝顔は、隣の部屋との境越しに、自分を見つめているきらきらした二つの目を見つけた。
「君はだあれ。何してるの」
「あたしはみよこ。ずうっとここで寝てるのよ」
隣の家の女の子だった。
白いベッドに白い寝巻き。長い髪を三つ編みにして、先に小さな赤いリボン。
ベッドより白い顔で、リボンより小さな声で、みよこは言った。
「もう、ずうっと寝ているの。長い長い病気なの。外に出られないし、友達もいない。空も雲も、見るのに飽きちゃった。でも、あなたは別ね。毎日、違う色だし、違う形をしているわ。葉っぱも蔓も毎日変わる。面白くて、見ていたの」
「へえ、面白い、僕が?」
朝顔はびっくりした。
「おんなじ所をぐるぐるしてるんだよ。おんなじ色で咲いてさ。おんなじような葉っぱの中で、おんなじ形の種を作る。それのどこが面白いの」
「みんな違うわ。気付かないだけよ。もっとたくさん、お花が見えると、もっともっと嬉しいんだけど」
「ふうん、そうかい」
みよこが囁くのに、朝顔はなぜかわくわくしてきた。
それから、朝顔は、みよこに見える場所で、ぐるぐるぐるぐる蔓を這わせた。前より一杯水を吸い上げて、前よりしっかり葉っぱを広げて、前よりも大きな花を咲かせようとした。
そうすると不思議なもので、おんなじ花は一つもなくなった。同じ葉も同じ蔓もなくなった。一つの花、一枚の葉、一本の蔓ごとに、朝顔は自分がどんどん立派になっていく気がした。
「朝顔さん、すごいね。とってもきれい」
みよこは毎日褒めてくれた。
けれども、みよこは元気にならない。
ともすれば、目を閉じて、そのままどこかへ行ってしまいそうになる。
ある日、みよこがぽつりと言った。
「朝顔さん、もう、お別れしなくちゃだめみたい」
「え、どうしてさ」
「明日ね、病院に入るんんだって」
みよこは目を閉じたまま答えた。
「うんと長く、入るんだって。朝顔さんが咲いている間には、帰ってこれないんだって」
「帰って、これない」
朝顔は繰り返した。
何だか、蔓からも、花からも、種からさえ力が抜けていく気がした。
「あんまりだよね」
みよこが呟いた。
閉じた目から涙が一つ、二つ、三つ、四つ。流れて白い枕に吸い込まれていく。
「あんまりよね。あんまりだ。ずうっと大人しくしていたのに。ずうっと外にも行かなかったのに。ずうっとずうっと、一人だったのに!」
朝顔は何と言ったらいいのかわからなかった。
「結局病院に入るなら、お祭りの花火、見に行きたかった」
みよこが言った。
「花火?」
朝顔はぴくんとした。
「花火、見たいの?」
「うん、見たかった」
「じゃあ、見せてあげるよ」
「えっ」
「明日の朝、見せてやる」
次の朝。
朝顔は思いっきり水を吸い上げた。それから、全ての蔓から葉から種から力を集めて、次々と花を開いていった。
「朝顔さん、今日は、本当にすごい……」
みよこの声が途切れた。
ぱあん!!
朝顔の花が開ききるや否や、弾けたのだ。
開く花開く花が、開き切った途端にぱあっと広がり、散っていく。ベランダにはらはら、朝顔の花びらが舞う。
「朝顔さん、朝顔さん」
呼びかけるみよこの声が涙で滲んだ。
「痛いでしょ、痛いんでしょ」
「痛くない、痛くなんかない。きれいかい。僕の花火はきれいかい」
みよこはベッドから起き上がった。
窓を押し開け、ふらふらしながらベランダに出て、両手を朝顔に差し伸べた。
その手に、最後の花が大きく弾けて、そっとそっと降り落ちた。
終わり
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