108 / 148
SSS79『シッディ』
しおりを挟む
「シーッディーッ」
僕の声が緑の丘陵に吸い込まれて消えていく。見渡すばかりの平原、地平線の端に薄紅色の空が輝いている。その上の空はライト・ブルー、その上はブルー……やがて頭上では濃紺になる空。広々と晴れ渡った空の下に広がる薄緑、黄緑、緑、深緑……ありとあらゆる光線を跳ね返して輝く草原。
小高い丘の中腹辺りに、一つの人影があった。
「シッディ!」
呼びかけても、その人影は膝を抱えたまま動かない。ゆっくり中腹へ登って行く僕の右腰で、冷たい塊が揺れた。
「シッディ」
僕がすぐ側に立っても、彼女は虚ろな視線を暮れていく地平線に彷徨わせていた。グレイがかった銀色のワンピースの肩に、優しい茶色の髪の毛がさらさらと音を立てている。
「知らなかったのよ、あたし」
「シッディ…」
「その名前、嫌。知らなかったわ、CD(コンピューター・ドール)0500……それがあたしなのよね」
うふふ、と微かに嗤って、シッディは肩を竦めた。
「あたし、どの教科でもトップだったわ。社会学の論文形式だって、数学の計算式だって、満点なんて楽に取れた。…うふ……当たり前だったのね。あたしのアタマの『コンピューター』にとって簡単なことだったんだわ」
風が草を波立たせて吹き寄せてきた。ふわりとそよいだシッディの髪の下の瞳に、一杯の涙が溜まっていた。
「…だから、卒業の時、どのコースでも選べると思ってたのよ。……小説家になろうと思っていた。
……でも、あたしのコースはとっくに決まっていたのね………生まれた途端……いいえ、それよりも前から…」
空は見事な薔薇色に染まっていきつつあった。素晴らしいこの世界。公害も犯罪も戦争もない。ただ、年の数人の少年少女が永遠の枷をつけられただけのことだ。
この世界を保つために『CD(コンピューター・ドール)』は続々と生み出された。人間とそっくり同じ外観、組織を持ち、基礎課程の学業を普通の人間と一緒に受けて、彼らは人間社会というものの特徴を掴み、人間の思考方法を学んだ。彼らは完全に人工物であり、人間に奉仕するためにのみ、生み出されたのだ。
「シッディ」
自分の声が震えているのがよくわかった。
「いいのよ、シッド。いいえ、CD0408 。政府命令を果たせばいいわ。あなたはこのコースでやっていける、でも、あたしは駄目なの」
彼女の声は澄んだ悲しみを湛えていた。空は今しも、天上の大伽藍の内部のように表現しがたい色に染め上げられていく。僕は無言で、右腰の銃を取り出した。
「いい風……それにあの空……全てが音楽のよ…」
シッディのことばが途切れた。ゆっくりと仰け反っていく。額の中央にぽつんと黒い穴が空いていて、薄紫の煙が立ち上っていた。
「終わったな」
「どうしよう、こいつ」
「次のCDに回せるぜ。『自動分解』する前に本部へ送ろう」
処理班の連中がドヤドヤとやって来て、シッディを担ぎ上げ、車に乗せた。呆然と立ち竦む僕に何の感情も含まぬ視線を向けて、彼らは去って行く。
「…そうだね、シッディ………僕らはどこかでステップを間違えたんだ」
僕のことばは果てしないように続く鮮やかな緑に飲み込まれていった。
終わり
僕の声が緑の丘陵に吸い込まれて消えていく。見渡すばかりの平原、地平線の端に薄紅色の空が輝いている。その上の空はライト・ブルー、その上はブルー……やがて頭上では濃紺になる空。広々と晴れ渡った空の下に広がる薄緑、黄緑、緑、深緑……ありとあらゆる光線を跳ね返して輝く草原。
小高い丘の中腹辺りに、一つの人影があった。
「シッディ!」
呼びかけても、その人影は膝を抱えたまま動かない。ゆっくり中腹へ登って行く僕の右腰で、冷たい塊が揺れた。
「シッディ」
僕がすぐ側に立っても、彼女は虚ろな視線を暮れていく地平線に彷徨わせていた。グレイがかった銀色のワンピースの肩に、優しい茶色の髪の毛がさらさらと音を立てている。
「知らなかったのよ、あたし」
「シッディ…」
「その名前、嫌。知らなかったわ、CD(コンピューター・ドール)0500……それがあたしなのよね」
うふふ、と微かに嗤って、シッディは肩を竦めた。
「あたし、どの教科でもトップだったわ。社会学の論文形式だって、数学の計算式だって、満点なんて楽に取れた。…うふ……当たり前だったのね。あたしのアタマの『コンピューター』にとって簡単なことだったんだわ」
風が草を波立たせて吹き寄せてきた。ふわりとそよいだシッディの髪の下の瞳に、一杯の涙が溜まっていた。
「…だから、卒業の時、どのコースでも選べると思ってたのよ。……小説家になろうと思っていた。
……でも、あたしのコースはとっくに決まっていたのね………生まれた途端……いいえ、それよりも前から…」
空は見事な薔薇色に染まっていきつつあった。素晴らしいこの世界。公害も犯罪も戦争もない。ただ、年の数人の少年少女が永遠の枷をつけられただけのことだ。
この世界を保つために『CD(コンピューター・ドール)』は続々と生み出された。人間とそっくり同じ外観、組織を持ち、基礎課程の学業を普通の人間と一緒に受けて、彼らは人間社会というものの特徴を掴み、人間の思考方法を学んだ。彼らは完全に人工物であり、人間に奉仕するためにのみ、生み出されたのだ。
「シッディ」
自分の声が震えているのがよくわかった。
「いいのよ、シッド。いいえ、CD0408 。政府命令を果たせばいいわ。あなたはこのコースでやっていける、でも、あたしは駄目なの」
彼女の声は澄んだ悲しみを湛えていた。空は今しも、天上の大伽藍の内部のように表現しがたい色に染め上げられていく。僕は無言で、右腰の銃を取り出した。
「いい風……それにあの空……全てが音楽のよ…」
シッディのことばが途切れた。ゆっくりと仰け反っていく。額の中央にぽつんと黒い穴が空いていて、薄紫の煙が立ち上っていた。
「終わったな」
「どうしよう、こいつ」
「次のCDに回せるぜ。『自動分解』する前に本部へ送ろう」
処理班の連中がドヤドヤとやって来て、シッディを担ぎ上げ、車に乗せた。呆然と立ち竦む僕に何の感情も含まぬ視線を向けて、彼らは去って行く。
「…そうだね、シッディ………僕らはどこかでステップを間違えたんだ」
僕のことばは果てしないように続く鮮やかな緑に飲み込まれていった。
終わり
0
あなたにおすすめの小説
「魔物の討伐で拾われた少年――アイト・グレイモント」
(イェイソン・マヌエル・ジーン)
ファンタジー
魔物の討伐中に見つかった黄金の瞳の少年、アイト・グレイモント。
王宮で育てられながらも、本当の冒険を求める彼は7歳で旅に出る。
風の魔法を操り、師匠と幼なじみの少女リリアと共に世界を巡る中、古代の遺跡で隠された力に触れ——。
あなたの片想いを聞いてしまった夜
柴田はつみ
恋愛
「『好きな人がいる』——その一言で、私の世界は音を失った。」
公爵令嬢リリアーヌの初恋は、隣家の若き公爵アレクシスだった。
政務や領地行事で顔を合わせるたび、言葉少なな彼の沈黙さえ、彼女には優しさに聞こえた。——毎日会える。それだけで十分幸せだと信じていた。
しかしある日、回廊の陰で聞いてしまう。
「好きな人がいる。……片想いなんだ」
名前は出ない。だから、リリアーヌの胸は残酷に結論を作る。自分ではないのだ、と。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
どうやらお前、死んだらしいぞ? ~変わり者令嬢は父親に報復する~
野菜ばたけ@既刊5冊📚好評発売中!
ファンタジー
「ビクティー・シークランドは、どうやら死んでしまったらしいぞ?」
「はぁ? 殿下、アンタついに頭沸いた?」
私は思わずそう言った。
だって仕方がないじゃない、普通にビックリしたんだから。
***
私、ビクティー・シークランドは少し変わった令嬢だ。
お世辞にも淑女然としているとは言えず、男が好む政治事に興味を持ってる。
だから父からも煙たがられているのは自覚があった。
しかしある日、殺されそうになった事で彼女は決める。
「必ず仕返ししてやろう」って。
そんな令嬢の人望と理性に支えられた大勝負をご覧あれ。
三十年後に届いた白い手紙
RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。
彼は最後まで、何も語らなかった。
その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。
戴冠舞踏会の夜。
公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。
それは復讐でも、告発でもない。
三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、
「渡されなかった約束」のための手紙だった。
沈黙のまま命を捨てた男と、
三十年、ただ待ち続けた女。
そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。
これは、
遅れて届いた手紙が、
人生と運命を静かに書き換えていく物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる