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『ヴラン!』
夜の向こうから、辛い悪夢が駆け寄ってくる。
『ヴラン! ヴラーン!』
父を失い、母を失い、そうして一人、地球に落ちて、結末が『密約』の相手に見捨てられて死んでいく最後なんて、できすぎていていやになる。
けれど、それも仕方ないのかもしれない。
そもそも、『地球』に落ちたときから、生きのびるべきではなかったのかもしれない。
俺の意識は灰色の空間に漂っている。体もなく、感覚もなく、ただただぐったりとした疲労感に意識の隅々まで食い尽くされて。
『ヴラン!』
声が呼ぶ。繰り返し呼ぶ。
あれはきっとどこか違う世界からの声なのだ。
俺が本来行くべきだった世界。
父母のいる、静かで凍りついた闇の宇宙。
(あれ?)
けれど、どうしたのだろう、いつもならその呼び声に続く、宇宙船の爆発も、飛び散る父の姿も泣き叫ぶ母の悲鳴もなかった。きりきりと胸をかきむしっていく悲痛な想いも襲ってこない。
ただ繰り返し、名前を呼ばれているだけ。
ずっと、ずっと。
(これが、死ぬってことだったんだろうか)
どこへ行くでもなく、どこへ還るのでもなく、こうして永久に、半分眠り半分目覚めたような意識のままで、たった一人、空間を浮かび漂うものだったのだろうか。
『ヴラン!』
ふと、その声がどこか、それもとても近しいところで聞いたような気がして、我に返った。
(声、だって?)
『ヴラン!』
声は夢でしか呼ばれたことのない名前を呼んでいる。引き裂かれて傷みに泣く夢でしか呼ばれるはずのない名前を。
それとも、エネルギーがないから遅れているだけで、これから、いつもの夢が始まるんだろうか。
俺の前に灰色の空間はぽかりと大きな口を開いた。
その中は真っ黒な、泥のように塗り込められた闇一色。
(あそこへ吸い込まれて、終わるのかな)
ぼんやりと思った矢先、突然、目の前の暗闇に噴水が吹き上がって、驚いた。
(…秋野、さん?)
きらきらと光を跳ねて輝く水、その水に両手を差し出して秋野さんが笑っている。
(どうして、こんなところに)
体の奥の深くて柔らかいところをとがった爪で鷲掴みにされた気がして、俺は震えた。
秋野さんの姿は、噴水の水と戯れて、涙が出るほどきれいで、鮮やかだ。
(あの、水になれたら)
思った瞬間、俺の意識は秋野さんに降りかかる噴水に吸い込まれた。
秋野さんは楽しそうに笑いながら、降ってくる水に両手を差し上げる
唇からためらいもなく、呼ばれた名前がある。
『ヴラン! ここよ』
秋野さんは噴水の水に呼びかけていた。水に、いや、水になった俺に。
俺は噴きあげられ、太陽の日差しに透かされ、光の粒になって、秋野さんの両手に、髪に、頬に散っていく。
(秋野さん、俺に気づいてる)
胸の内が締めつけられるほどの幸福感だった。
場面が変わった。
雨が降っている。
しとしとと豊かに緑を生き返らせる雨。
今度は俺は、その雨と一緒に地面に降り落ちていく。山に村に、そして町に。
アスファルトに叩きつけられる前に、白くて細い指に受け止められ、覚えのあるエネルギーを感じる。空中を旅してひんやりと冷えた体が、秋野さんの掌で転がされ、温められる。
見上げる視界に、少年のように邪気ない笑顔がささやきかける。
『ヴラン! おかえり』
また、場面が変わった。
俺は、溶けて地面を流れ、草の上を、森の中を走り抜けて川へたどりつき、くるくる舞う水に押し流されていく。川は寄り集まり、深く幅広くなって、山から平野へ、町を通り港を過ぎて、海へと注ぐ。
海は多くの命を育みながら青く深く広くなっていく。その海の中で、俺もまた、数知れぬ命の中をくぐり抜け、まぎれこみ、広がり、溶け入っていって、やがて俺は海そのものへと変わっていく。
その俺の中に、忘れることのない優しい波動を持った秋野さんの体が、ゆっくりと深く入り込んで来る。
秋野さんは何の不思議も感じていないように、海の中で泳ぎ回りながら、水をすくい上げ、ほほ笑みうなずく。
『ヴラン! そこにいるよね』
秋野さんが俺の体の中をゆっくりと泳ぐ。力を抜き、俺にすべてを委ねてくれる。
俺は無限の信頼に心を震わせる。秋野さんを抱き締め、守り、無事に岸へと送り届けることを誓う。
数々の場面の中で、秋野さんの命は、いつも俺の側にあった。
秋野さんは俺が居ることを知ってくれている、とわかった。
きっと、俺がどんなに形を変えようとも。
秋野さん。
俺の『密約』者。
俺はあなたの側にいる。
ずっと、この先も、ずっと、あなたを守るためにいる。
『地球』の水という水に散らばり、やがて、あなたの唇に受け止められ、キスされ、飲み込まれることもあるだろう。いつか、あなたの体の中に育まれる海を、新しい命を守ることになるかも知れない。
俺はそのときもやっぱり同じように誓うだろう、あなたのすべてを守り続ける、と。
稲妻のような鋭くてはっきりした確信、何ものにも揺らがない力を、俺は自分の中に感じ取った。
秋野さん。
俺は、あなたへの『密約』を全うする。
それがきっと、真実だ。
夜の向こうから、辛い悪夢が駆け寄ってくる。
『ヴラン! ヴラーン!』
父を失い、母を失い、そうして一人、地球に落ちて、結末が『密約』の相手に見捨てられて死んでいく最後なんて、できすぎていていやになる。
けれど、それも仕方ないのかもしれない。
そもそも、『地球』に落ちたときから、生きのびるべきではなかったのかもしれない。
俺の意識は灰色の空間に漂っている。体もなく、感覚もなく、ただただぐったりとした疲労感に意識の隅々まで食い尽くされて。
『ヴラン!』
声が呼ぶ。繰り返し呼ぶ。
あれはきっとどこか違う世界からの声なのだ。
俺が本来行くべきだった世界。
父母のいる、静かで凍りついた闇の宇宙。
(あれ?)
けれど、どうしたのだろう、いつもならその呼び声に続く、宇宙船の爆発も、飛び散る父の姿も泣き叫ぶ母の悲鳴もなかった。きりきりと胸をかきむしっていく悲痛な想いも襲ってこない。
ただ繰り返し、名前を呼ばれているだけ。
ずっと、ずっと。
(これが、死ぬってことだったんだろうか)
どこへ行くでもなく、どこへ還るのでもなく、こうして永久に、半分眠り半分目覚めたような意識のままで、たった一人、空間を浮かび漂うものだったのだろうか。
『ヴラン!』
ふと、その声がどこか、それもとても近しいところで聞いたような気がして、我に返った。
(声、だって?)
『ヴラン!』
声は夢でしか呼ばれたことのない名前を呼んでいる。引き裂かれて傷みに泣く夢でしか呼ばれるはずのない名前を。
それとも、エネルギーがないから遅れているだけで、これから、いつもの夢が始まるんだろうか。
俺の前に灰色の空間はぽかりと大きな口を開いた。
その中は真っ黒な、泥のように塗り込められた闇一色。
(あそこへ吸い込まれて、終わるのかな)
ぼんやりと思った矢先、突然、目の前の暗闇に噴水が吹き上がって、驚いた。
(…秋野、さん?)
きらきらと光を跳ねて輝く水、その水に両手を差し出して秋野さんが笑っている。
(どうして、こんなところに)
体の奥の深くて柔らかいところをとがった爪で鷲掴みにされた気がして、俺は震えた。
秋野さんの姿は、噴水の水と戯れて、涙が出るほどきれいで、鮮やかだ。
(あの、水になれたら)
思った瞬間、俺の意識は秋野さんに降りかかる噴水に吸い込まれた。
秋野さんは楽しそうに笑いながら、降ってくる水に両手を差し上げる
唇からためらいもなく、呼ばれた名前がある。
『ヴラン! ここよ』
秋野さんは噴水の水に呼びかけていた。水に、いや、水になった俺に。
俺は噴きあげられ、太陽の日差しに透かされ、光の粒になって、秋野さんの両手に、髪に、頬に散っていく。
(秋野さん、俺に気づいてる)
胸の内が締めつけられるほどの幸福感だった。
場面が変わった。
雨が降っている。
しとしとと豊かに緑を生き返らせる雨。
今度は俺は、その雨と一緒に地面に降り落ちていく。山に村に、そして町に。
アスファルトに叩きつけられる前に、白くて細い指に受け止められ、覚えのあるエネルギーを感じる。空中を旅してひんやりと冷えた体が、秋野さんの掌で転がされ、温められる。
見上げる視界に、少年のように邪気ない笑顔がささやきかける。
『ヴラン! おかえり』
また、場面が変わった。
俺は、溶けて地面を流れ、草の上を、森の中を走り抜けて川へたどりつき、くるくる舞う水に押し流されていく。川は寄り集まり、深く幅広くなって、山から平野へ、町を通り港を過ぎて、海へと注ぐ。
海は多くの命を育みながら青く深く広くなっていく。その海の中で、俺もまた、数知れぬ命の中をくぐり抜け、まぎれこみ、広がり、溶け入っていって、やがて俺は海そのものへと変わっていく。
その俺の中に、忘れることのない優しい波動を持った秋野さんの体が、ゆっくりと深く入り込んで来る。
秋野さんは何の不思議も感じていないように、海の中で泳ぎ回りながら、水をすくい上げ、ほほ笑みうなずく。
『ヴラン! そこにいるよね』
秋野さんが俺の体の中をゆっくりと泳ぐ。力を抜き、俺にすべてを委ねてくれる。
俺は無限の信頼に心を震わせる。秋野さんを抱き締め、守り、無事に岸へと送り届けることを誓う。
数々の場面の中で、秋野さんの命は、いつも俺の側にあった。
秋野さんは俺が居ることを知ってくれている、とわかった。
きっと、俺がどんなに形を変えようとも。
秋野さん。
俺の『密約』者。
俺はあなたの側にいる。
ずっと、この先も、ずっと、あなたを守るためにいる。
『地球』の水という水に散らばり、やがて、あなたの唇に受け止められ、キスされ、飲み込まれることもあるだろう。いつか、あなたの体の中に育まれる海を、新しい命を守ることになるかも知れない。
俺はそのときもやっぱり同じように誓うだろう、あなたのすべてを守り続ける、と。
稲妻のような鋭くてはっきりした確信、何ものにも揺らがない力を、俺は自分の中に感じ取った。
秋野さん。
俺は、あなたへの『密約』を全うする。
それがきっと、真実だ。
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