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98.『夜を荒らすなかれ』(3)
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『塔京』を追い出されるように放たれて、ブライアン一人を共に『斎京』に入ったオウライカは、丁寧に招かれ中央宮に導かれて驚いた。
いくら『塔京』から権力争いに破れて放逐され、仕方なしに『斎京』に逃げ込んだと話したところで、幾人がそんな戯言を信じるだろう。たとえ『斎京』の赤竜に贄となりに来たと訴えても、それを理由に『斎京』を蹂躙し制圧しに来たと思われて当然だ。
だが『斎京』の住民はあっさりとオウライカを受け入れた。
『なぜだ? 不思議なことを聞くなあ、あんたは』
レシンは心底訝しそうに首を傾げたものだ。
『あんたが贄になるのは、そりゃあもう自明のこった。疑う余地はねえ』
それは逆にオウライカを困惑させ不審がらせた。竜の贄になるのは『塔京』で示され確認されたこと、それをどうして『斎京』の住民が納得しているのか。
『簡単なことさ、50年前、「斎京」の主は竜に喰われた。どんな男だったか、「斎京」の住人ならみいんな覚えてる、「紋章」を胸の奥に刻んでる。俺達はあの人のおかげで生き延びた、それを忘れちゃなんめえと、子々孫々「紋章」を伝えてる』
レシンの声は淡々としていた、まるで断頭台にただ一人の友人を送った罪を語るように。
『あんたは確かに「塔京」から来た、けど、そんなことは関係がねえ。あんたの「紋章」は「斎京」に入った時から俺達の胸に届いてる、帰ってきたぞ、ってな』
『斎京』の主が、また再び竜を治めに戻ってきた。
『教えてくれ、私の「紋章」はどんなものなんだ?』
『そんなとこまで似てんのかよ』
一瞬泣き出しそうに顔を歪めたレシンが振り切るように首を振った。
『辛えなあ、ほんと、辛えよ、オウライカさん』
俺達は何の因果で、こんな、人の命を踏みにじって生きるようにできてんのかなあ。
『俺はほんのガキだったが、親父が教えてやったって聞いてる。だから、たった1回しかできねえけれど、あんたにあんたの「紋章」を見せてやるよ』
レシンの前に座り、両手を握られ俯いて、オウライカは聞いた。
ざああああああ。
ざあああああ。
雨のような、衣擦れのような、草がなびくような、鼓膜を震わせ肌を細かく叩く音が身体全てを包んでいる。
『見えるかい?』
『すまない、見えない、音だけだ』
『俺じゃちょっと力が足りねえか、ちょっと頑張ってくれや、それはな、蝶の羽音だ』
『蝶?』
『ああ、空一面埋め尽くして、蝶が海を渡ってるんだ。いや海だけじゃねえ、森も砂漠も街も山も、全てを飛び越えて遠く遠く渡ってくんだ』
ふいに、見えた。
『これは…』
真っ黒の蝶の群れだ。
どれほどいるのだろう。数千数万、ひょっとすると数十万頭にも及ぶか。
時々陽射しに、鱗粉が輝くのか、それとも触角か羽の先に違う色がにじむのか、きらきら、ちらちらと光が瞬きながら群れの中を乱舞する。胸苦しくなるような、息が止められてしまいそうな、圧倒される光景だ。
『「斎京」の贄は……必ず……蝶を……持ってるのさ…』
漂うように掠れたレシンの声が聞こえてきた。
哭いている、と気がついた。
『…どこへ向かってるんだろうな』
『さあなあ……ただ…俺達は知ってる…この蝶は…どこにも辿り着けねえんだよ』
慟哭の響きがあった。
『これだけの数が、これだけの命が、どこへも一頭も辿りつけねえ……俺達は知ってる……よおく知ってるんだ…』
『…そうか…』
蝶は後から後から頭上を飛翔し続いていく。
見上げながら見送りながら、オウライカは不思議に気持ちが落ち着いてくるのを感じていた。
『そうか……どこにも辿り着かない、か…』
全ての努力は無駄だと示されたのに、飛ぶ蝶の力強さにただただ見惚れた。
『…それでも…いいかもしれないな』
『何だって?』
『なあ、レシンさん、この蝶の姿を美しいとは思わないか』
『……』
『「塔京」ではな、多くの人が死んでいく、がほとんどの人間は覚えておかれることもない。私もまた、その中の無数の死の一つに過ぎない。けれど、ここ「斎京」では、あんたのような人達が、私を覚えてくれるのだろう? この無数の蝶の「紋章」で』
『……忘れるわけがなかろう、俺達が踏み台にした命だぞ』
『幸福、ではないのか?』
いつの間にか微笑んでいた。
『遅かれ早かれ死んでいくのだ、塵になり芥になり幻になる私を、君達はこんな美しい光景で覚えていてくれる……これを幸福と言わずに何と言う?』
『…オウライカ…さん…』
ひび割れた声が、だだをこねるように訴えた。
『俺らは、強欲と言われても、あんたと一緒に笑える未来が欲しいなぁ』
いくら『塔京』から権力争いに破れて放逐され、仕方なしに『斎京』に逃げ込んだと話したところで、幾人がそんな戯言を信じるだろう。たとえ『斎京』の赤竜に贄となりに来たと訴えても、それを理由に『斎京』を蹂躙し制圧しに来たと思われて当然だ。
だが『斎京』の住民はあっさりとオウライカを受け入れた。
『なぜだ? 不思議なことを聞くなあ、あんたは』
レシンは心底訝しそうに首を傾げたものだ。
『あんたが贄になるのは、そりゃあもう自明のこった。疑う余地はねえ』
それは逆にオウライカを困惑させ不審がらせた。竜の贄になるのは『塔京』で示され確認されたこと、それをどうして『斎京』の住民が納得しているのか。
『簡単なことさ、50年前、「斎京」の主は竜に喰われた。どんな男だったか、「斎京」の住人ならみいんな覚えてる、「紋章」を胸の奥に刻んでる。俺達はあの人のおかげで生き延びた、それを忘れちゃなんめえと、子々孫々「紋章」を伝えてる』
レシンの声は淡々としていた、まるで断頭台にただ一人の友人を送った罪を語るように。
『あんたは確かに「塔京」から来た、けど、そんなことは関係がねえ。あんたの「紋章」は「斎京」に入った時から俺達の胸に届いてる、帰ってきたぞ、ってな』
『斎京』の主が、また再び竜を治めに戻ってきた。
『教えてくれ、私の「紋章」はどんなものなんだ?』
『そんなとこまで似てんのかよ』
一瞬泣き出しそうに顔を歪めたレシンが振り切るように首を振った。
『辛えなあ、ほんと、辛えよ、オウライカさん』
俺達は何の因果で、こんな、人の命を踏みにじって生きるようにできてんのかなあ。
『俺はほんのガキだったが、親父が教えてやったって聞いてる。だから、たった1回しかできねえけれど、あんたにあんたの「紋章」を見せてやるよ』
レシンの前に座り、両手を握られ俯いて、オウライカは聞いた。
ざああああああ。
ざあああああ。
雨のような、衣擦れのような、草がなびくような、鼓膜を震わせ肌を細かく叩く音が身体全てを包んでいる。
『見えるかい?』
『すまない、見えない、音だけだ』
『俺じゃちょっと力が足りねえか、ちょっと頑張ってくれや、それはな、蝶の羽音だ』
『蝶?』
『ああ、空一面埋め尽くして、蝶が海を渡ってるんだ。いや海だけじゃねえ、森も砂漠も街も山も、全てを飛び越えて遠く遠く渡ってくんだ』
ふいに、見えた。
『これは…』
真っ黒の蝶の群れだ。
どれほどいるのだろう。数千数万、ひょっとすると数十万頭にも及ぶか。
時々陽射しに、鱗粉が輝くのか、それとも触角か羽の先に違う色がにじむのか、きらきら、ちらちらと光が瞬きながら群れの中を乱舞する。胸苦しくなるような、息が止められてしまいそうな、圧倒される光景だ。
『「斎京」の贄は……必ず……蝶を……持ってるのさ…』
漂うように掠れたレシンの声が聞こえてきた。
哭いている、と気がついた。
『…どこへ向かってるんだろうな』
『さあなあ……ただ…俺達は知ってる…この蝶は…どこにも辿り着けねえんだよ』
慟哭の響きがあった。
『これだけの数が、これだけの命が、どこへも一頭も辿りつけねえ……俺達は知ってる……よおく知ってるんだ…』
『…そうか…』
蝶は後から後から頭上を飛翔し続いていく。
見上げながら見送りながら、オウライカは不思議に気持ちが落ち着いてくるのを感じていた。
『そうか……どこにも辿り着かない、か…』
全ての努力は無駄だと示されたのに、飛ぶ蝶の力強さにただただ見惚れた。
『…それでも…いいかもしれないな』
『何だって?』
『なあ、レシンさん、この蝶の姿を美しいとは思わないか』
『……』
『「塔京」ではな、多くの人が死んでいく、がほとんどの人間は覚えておかれることもない。私もまた、その中の無数の死の一つに過ぎない。けれど、ここ「斎京」では、あんたのような人達が、私を覚えてくれるのだろう? この無数の蝶の「紋章」で』
『……忘れるわけがなかろう、俺達が踏み台にした命だぞ』
『幸福、ではないのか?』
いつの間にか微笑んでいた。
『遅かれ早かれ死んでいくのだ、塵になり芥になり幻になる私を、君達はこんな美しい光景で覚えていてくれる……これを幸福と言わずに何と言う?』
『…オウライカ…さん…』
ひび割れた声が、だだをこねるように訴えた。
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