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23.『我が身を落とすなかれ』
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一通り仕事を済ませて湯浴みも終わらせ、カザルくんはじゃあこれね、と渡されたのは真っ白の襦袢。
「白?」
「そうですよ」
「他の人は赤襦袢なのに」
準備を整えたフランシカがくすりと笑う。
「女の白い柔肌だから紅が合うんですよ。失礼ながら、カザルさんじゃごてごてしてみっともないばかりでしょう……ああ、下着はだめですよ」
「へ?」
思わずぎょっとしてカザルは瞬きする。
「それって女の場合じゃ」
「『塔京』じゃどうかは知りませんが」
フランシカが含み笑いをする。
「ここでそんな不粋をする娼妓なんぞいませんよ」
「でも、男の場合はいろいろと困る……」
「困るような、はしたないまねをしないでくださいましね?」
きらりと大きな瞳が光を放った。
「見世の名前に傷がつきます」
「はぁい……」
それ以上言い返すこともできずに、仕方なしに素肌に襦袢一枚、腰紐を何とか締めたものの、ふわふわ開く裾に下帯なしの格好はどうも落ち着かない。
「時間になったら声をかけますから、それまでこちらにいらして下さい」
「はい」
表見世に近い小部屋に一人取り残されて、仕方なしに格子の隙間から外を見た。
暮れていく夜に見世見世に灯りが入る。湯の香り、焚きしめた香の香り、客に出す小皿の料理や酒の匂い、表通りにまだ人はまばらだが、それでもそろそろと覗き込みつつ歩く影も見え始め、『華街』はゆっくり夜の歓楽に染まり始める。どこかで甲高い声が「おあがりぃ」と上がったのは、早々の客か、それとも今日初出のこどもの練習か。
ああ、俺、売られちゃうんだな。
カザルはぼんやりと格子に額を押し付けた。
ずきりと足の付根のセンサーが疼く。
このままずっとここに居ることはできるんだろうか、とふいに思った。
確かに一週間ではオウライカは来てくれなかったけれど、ひょっとしてカザルが評判を得たなら、そのうちふらりと立ち寄ってくれないだろうか。
「無理……だよね」
カザルへの命令はオウライカを監視し、抹殺せよ、だ。いつまでたっても碌な情報を送ってこないカザルを『塔京』が放置しておくはずがない。その気になれば『塔京』はいつでもセンサーの閾値を変更して、カザルを激痛に叩き落とすことができる。むしろ、まだされていないのが不思議なほどで。
「ん?」
ふと、ぼうっと見ていた表通り、視界の端に過った姿にカザルは眉を寄せた。黒いジャケット黒いシャツ黒いスラックス、時々すうっと背中に手をやる動きに不審を抱く。
「あれ……」
ひょっとしたら、あいつ。
「ばか」
「……リヤン、さま」
ふいになじられて振り返ると、リヤンが柳眉を逆立てて睨みつけていた。
「…似合う?」
白襦袢の袖を握って、ひょいと両手を広げてみせる。オウライカにもらった簪もしっかり磨いて留めてある。
「なんで全部済ませちゃうかなあ」
「……ありがとう」
苛立ったように唸った相手に小さく笑った。
「へらへら笑ってんじゃないわよ、あんた『塔京』の刺客なんでしょ」
「え」
今度こそ本当に固まった。
「知らないとでも思ってたの」
溜め息まじりにリヤンが髪を払った。
「オウライカがここへ送ってきた時点で察してるわよ。殺さない、送り返しもしないで『斎京』へ囲い込んだ、だからあんたは特別だって踏んだのに」
「……」
「あのおたんちんは来ないし!」
「賭に負けたね」
『塔京』のカザルを「ばか」と呼ぶのも、『斎京』のオウライカを「おたんちん」と呼べるのも、きっとこの女性ぐらいだろう。
「なんでオウライカから離れたの」
「……オウライカさん、殺してほしいの?」
「そんなことしなくても」
リヤンは小さく唇を噛む。
「え?」
「……こっちの話。それに聞いてるのはあたし」
「………俺、要らないんだ」
「……」
「オウライカさんに要らないの」
「…………」
「だから……離れた」
「………」
「離れたほうが……狙いやすいから」
「……嘘」
「………嘘じゃない。俺は今でも」
オウライカさんを。
「………狙ってる」
「……………ならなんでそんな泣きそうな顔してんの」
「………泣きそう?」
「うん」
「………可愛いかなあ?」
「……………ばかっっっ!」
「へへっ……」
「そんなことしてごまかしてばっかりいると、大切なもの全部失うんだからっ!」
「……それよりさ、あの男」
きりきりと眉を寄せたリヤンに微かに笑って、カザルはひょいと格子の外を指差した。
「何?」
「見覚えある?」
「ううん。あれがどうかしたの?」
「『斎京』もの?」
「………ちょっと違う感じね」
「『塔京』もの?」
「うーん……気になるの?」
「ちょっとね。あいつがもしここの見世に来たら、俺呼んで?」
「ちょっと」
リヤンが隣から鋭い視線を寄越す。
「あたしの目の前で妙なことするんじゃないわよ」
「針の怖さは知ってるよ、じゃなくて、あいつ、たぶん」
「あら、来た」
灯りを入れたばかりの戸口に吸い寄せられるように近づいてきた男が、どこか茫洋とした目でこちらを見遣りするすると入ってくるのに、乱れる襦袢を押さえながらカザルは立ち上がった。
「女の子、下げて、リヤンさま」
「なんでよ」
「頼んだよっ」
いらっしゃいませ、と声がかかった玄関にカザルは身を翻して走り出した。
「白?」
「そうですよ」
「他の人は赤襦袢なのに」
準備を整えたフランシカがくすりと笑う。
「女の白い柔肌だから紅が合うんですよ。失礼ながら、カザルさんじゃごてごてしてみっともないばかりでしょう……ああ、下着はだめですよ」
「へ?」
思わずぎょっとしてカザルは瞬きする。
「それって女の場合じゃ」
「『塔京』じゃどうかは知りませんが」
フランシカが含み笑いをする。
「ここでそんな不粋をする娼妓なんぞいませんよ」
「でも、男の場合はいろいろと困る……」
「困るような、はしたないまねをしないでくださいましね?」
きらりと大きな瞳が光を放った。
「見世の名前に傷がつきます」
「はぁい……」
それ以上言い返すこともできずに、仕方なしに素肌に襦袢一枚、腰紐を何とか締めたものの、ふわふわ開く裾に下帯なしの格好はどうも落ち着かない。
「時間になったら声をかけますから、それまでこちらにいらして下さい」
「はい」
表見世に近い小部屋に一人取り残されて、仕方なしに格子の隙間から外を見た。
暮れていく夜に見世見世に灯りが入る。湯の香り、焚きしめた香の香り、客に出す小皿の料理や酒の匂い、表通りにまだ人はまばらだが、それでもそろそろと覗き込みつつ歩く影も見え始め、『華街』はゆっくり夜の歓楽に染まり始める。どこかで甲高い声が「おあがりぃ」と上がったのは、早々の客か、それとも今日初出のこどもの練習か。
ああ、俺、売られちゃうんだな。
カザルはぼんやりと格子に額を押し付けた。
ずきりと足の付根のセンサーが疼く。
このままずっとここに居ることはできるんだろうか、とふいに思った。
確かに一週間ではオウライカは来てくれなかったけれど、ひょっとしてカザルが評判を得たなら、そのうちふらりと立ち寄ってくれないだろうか。
「無理……だよね」
カザルへの命令はオウライカを監視し、抹殺せよ、だ。いつまでたっても碌な情報を送ってこないカザルを『塔京』が放置しておくはずがない。その気になれば『塔京』はいつでもセンサーの閾値を変更して、カザルを激痛に叩き落とすことができる。むしろ、まだされていないのが不思議なほどで。
「ん?」
ふと、ぼうっと見ていた表通り、視界の端に過った姿にカザルは眉を寄せた。黒いジャケット黒いシャツ黒いスラックス、時々すうっと背中に手をやる動きに不審を抱く。
「あれ……」
ひょっとしたら、あいつ。
「ばか」
「……リヤン、さま」
ふいになじられて振り返ると、リヤンが柳眉を逆立てて睨みつけていた。
「…似合う?」
白襦袢の袖を握って、ひょいと両手を広げてみせる。オウライカにもらった簪もしっかり磨いて留めてある。
「なんで全部済ませちゃうかなあ」
「……ありがとう」
苛立ったように唸った相手に小さく笑った。
「へらへら笑ってんじゃないわよ、あんた『塔京』の刺客なんでしょ」
「え」
今度こそ本当に固まった。
「知らないとでも思ってたの」
溜め息まじりにリヤンが髪を払った。
「オウライカがここへ送ってきた時点で察してるわよ。殺さない、送り返しもしないで『斎京』へ囲い込んだ、だからあんたは特別だって踏んだのに」
「……」
「あのおたんちんは来ないし!」
「賭に負けたね」
『塔京』のカザルを「ばか」と呼ぶのも、『斎京』のオウライカを「おたんちん」と呼べるのも、きっとこの女性ぐらいだろう。
「なんでオウライカから離れたの」
「……オウライカさん、殺してほしいの?」
「そんなことしなくても」
リヤンは小さく唇を噛む。
「え?」
「……こっちの話。それに聞いてるのはあたし」
「………俺、要らないんだ」
「……」
「オウライカさんに要らないの」
「…………」
「だから……離れた」
「………」
「離れたほうが……狙いやすいから」
「……嘘」
「………嘘じゃない。俺は今でも」
オウライカさんを。
「………狙ってる」
「……………ならなんでそんな泣きそうな顔してんの」
「………泣きそう?」
「うん」
「………可愛いかなあ?」
「……………ばかっっっ!」
「へへっ……」
「そんなことしてごまかしてばっかりいると、大切なもの全部失うんだからっ!」
「……それよりさ、あの男」
きりきりと眉を寄せたリヤンに微かに笑って、カザルはひょいと格子の外を指差した。
「何?」
「見覚えある?」
「ううん。あれがどうかしたの?」
「『斎京』もの?」
「………ちょっと違う感じね」
「『塔京』もの?」
「うーん……気になるの?」
「ちょっとね。あいつがもしここの見世に来たら、俺呼んで?」
「ちょっと」
リヤンが隣から鋭い視線を寄越す。
「あたしの目の前で妙なことするんじゃないわよ」
「針の怖さは知ってるよ、じゃなくて、あいつ、たぶん」
「あら、来た」
灯りを入れたばかりの戸口に吸い寄せられるように近づいてきた男が、どこか茫洋とした目でこちらを見遣りするすると入ってくるのに、乱れる襦袢を押さえながらカザルは立ち上がった。
「女の子、下げて、リヤンさま」
「なんでよ」
「頼んだよっ」
いらっしゃいませ、と声がかかった玄関にカザルは身を翻して走り出した。
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