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53.『紋章』(1)
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あの日からカークはライヤーを側に置くようになった。
四六時中侍っているというのではなく、ライヤーの居場所は基本的には中央庁のカークの執務室隣のプライベートルーム、簡単に言えばカークの鬱屈を慰めるということだ。そこで寝起きして、付いてこい、と言われればどこへも付いていき、待ってろと言われれば何時間でも待ち続ける。もちろん、シュガットやマジェスに半端に煽られたときの『処理』もこなす。
だが何より早くライヤーが手をつけたのは、カークの日常管理だった。
朝カークが官舎から出勤してくると、まず簡単な朝食が用意されるようになった。
「……私は食べない」
初めて温かなカフェオレとクロワッサンを準備されたカークは不愉快そうに眉を寄せ、勝手なことをするな、そもそもこれはどこから調達したんだ、と尋ねてきた。
「ああ、何だかいろいろと頂きました、いろいろな方から」
微笑みながらカフェオレの温度を確かめる。
「いろいろと?」
「ちょっとこの中をうろうろしていたら、面白い部署もあったんでお邪魔して」
軽く温めたクロワッサンの香りに微かにカークが視線を落とす。
「カークさんがどんなものを召し上がるのか、気になったものですから」
「……仕事なのか」
「ええ、仕事ですから」
「……そうか」
またクロワッサンに視線を向けたのに、ああ、マーマレードも用意しました、と小さなガラス容器に入ったものを添えると、ごく、と細い喉が動いた。
カークがマーマレードを好むのは中央庁の食事を準備する厨房から聞き出した。以前はこだわった銘柄もあったのだが、最近は食事自体を碌に摂られていないようだと聞いて、すぐに風呂場で撫でた軽く骨の浮き出た身体を思い出した。あばらだけならまだしも、腰や腕まで細くなっているようで、鎖骨は折れそうな脆い線が浮き上がるほど、きつく落ち込んだ頬の線を誰も気にしてやらなかったのかと不快になったのは、我ながら驚いた。
仕事だと繰り返す。
外側でも内側でも。
そうしないと、妙に揺らいでくる気持ちが不安になる。
真紅に塗れてどろどろになっていた紋章は、翌朝確認すると今度は何もなくなっていた。
真っ白な空間に黒い鎖と金属の籠が一つあるだけ。
あれほどの血の海をどこへ消し去ってしまったのか、まだ見えないどこかにそれらを呑み込む巨大な虚ろが開いているのか。
この男にはまだライヤーに辿りつけない心の階層を隠しているのかもしれない、それが不安なのだと思っていた。
だがしかし、そうではなかった。
それがわかったのは朝食を用意し始めて数日後、食べる時も食べない時もあったが、わずかずつ血色も戻ってきている、少し体調も安定してきたか、そう思った日の夜だった。
「遅いな」
今夜は確かにシュガットに呼び出されている。詰まっているはずの会議や書類処理を無理にあけさせての呼び出しで、さすがにカークも不快そうだったが、数日呼び出されていなくて自分も飢えていたのだろう。早めに片付けて、ライヤーには待機を命じて出かけていたが、いつもより帰りが遅かった。
携帯は鳴っていないし、内線もかかってこない。
シュガットは最近気焦りが酷いようで、つまらないものを次々と試してくる、というのはカークが出掛けに零した珍しい愚痴、それが妙に気になった。
「……」
鍵を手に部屋を出る。シュガットはライヤーがここに侍るようになってから、また自分の官舎でカークを抱くようになっている。官舎は中央庁の別棟だ、歩いてすぐに行けるし、部屋は調べてある。
無用なことをと叱られるだろうが、どうも胸騒ぎがしてならない。
エレベーターでまっすぐにシュガットの部屋に向かう途中で、予感が適中したことがわかった。
「カークっ」
低い叫び声に振り向くと、視界に入ったのは崩れ落ちる細い身体だった。肩を貸して連れて帰ろうとしてくれたのだろう、ブルームが慌てたようにしゃがみ込む。
「カークさんっ」
「んっ、ライヤーかっ」
「どうなさったんです!」
「、シュガットの馬鹿が…っ」
きつい舌打ちでブルームが唸り苦しそうに顔を背けた。その腕にすがっているカークががたがた震えているのがわかる。駆け寄ってブルームからもぎ放すように抱き上げれば、震えながらやはりブルームの服を必死に掴んでいる。焦点の合わない瞳でブルームを見上げ、
「抱いて…っ……だ……いて…っ」
「カークさん?」
「だ……い…っ」
無理矢理顎を掴んでこちらを向かせて気がついた。大きく見開いた瞳が微かに揺れている。目の前に居るライヤーが見えていないらしく、掴まれた顎に唇を震わせながら、それでも僅かに微笑んだ。
「だい…て…くれ……るのか……ブル……ム…」
「……薬、ですね」
ぴきん、と体の中で何かが砕けた。
「媚薬系のきついのを飲まされたんですね」
「……ラゴル13ー4だ」
じろり、とライヤーはブルームを睨みつけた。その薬品名を『塔京』で知らぬ者などいない。どんなまともな人間でも三日打てば気を失うまで自分で弄ぶという悪評がある。
「……それを、どうしたんです」
「いきなり打たれて、放置されたらしい」
「っっ」
「いくらシュガットが責めてもカークは相手にしなくなってきてたから、薬を打って放置して、欲しがって泣き叫ぶのをマジェスと眺めていたところを」
「もう結構です」
ライヤーは必死に誘うカークを抱き上げた。
「助けて下さってありがとうございました」
「ライヤー」
「ああ、もしあなたに少しでも良心があるのなら、後でいろいろ便宜をはかって頂きたいんですが。もちろん聞き届けて下さるでしょうね?」
冷笑するとブルームは青い顔で頷いた。カークを頼むという声を背中に、がたがた震え続けながら股間を濡らしているカークを抱えて執務室に戻る。
四六時中侍っているというのではなく、ライヤーの居場所は基本的には中央庁のカークの執務室隣のプライベートルーム、簡単に言えばカークの鬱屈を慰めるということだ。そこで寝起きして、付いてこい、と言われればどこへも付いていき、待ってろと言われれば何時間でも待ち続ける。もちろん、シュガットやマジェスに半端に煽られたときの『処理』もこなす。
だが何より早くライヤーが手をつけたのは、カークの日常管理だった。
朝カークが官舎から出勤してくると、まず簡単な朝食が用意されるようになった。
「……私は食べない」
初めて温かなカフェオレとクロワッサンを準備されたカークは不愉快そうに眉を寄せ、勝手なことをするな、そもそもこれはどこから調達したんだ、と尋ねてきた。
「ああ、何だかいろいろと頂きました、いろいろな方から」
微笑みながらカフェオレの温度を確かめる。
「いろいろと?」
「ちょっとこの中をうろうろしていたら、面白い部署もあったんでお邪魔して」
軽く温めたクロワッサンの香りに微かにカークが視線を落とす。
「カークさんがどんなものを召し上がるのか、気になったものですから」
「……仕事なのか」
「ええ、仕事ですから」
「……そうか」
またクロワッサンに視線を向けたのに、ああ、マーマレードも用意しました、と小さなガラス容器に入ったものを添えると、ごく、と細い喉が動いた。
カークがマーマレードを好むのは中央庁の食事を準備する厨房から聞き出した。以前はこだわった銘柄もあったのだが、最近は食事自体を碌に摂られていないようだと聞いて、すぐに風呂場で撫でた軽く骨の浮き出た身体を思い出した。あばらだけならまだしも、腰や腕まで細くなっているようで、鎖骨は折れそうな脆い線が浮き上がるほど、きつく落ち込んだ頬の線を誰も気にしてやらなかったのかと不快になったのは、我ながら驚いた。
仕事だと繰り返す。
外側でも内側でも。
そうしないと、妙に揺らいでくる気持ちが不安になる。
真紅に塗れてどろどろになっていた紋章は、翌朝確認すると今度は何もなくなっていた。
真っ白な空間に黒い鎖と金属の籠が一つあるだけ。
あれほどの血の海をどこへ消し去ってしまったのか、まだ見えないどこかにそれらを呑み込む巨大な虚ろが開いているのか。
この男にはまだライヤーに辿りつけない心の階層を隠しているのかもしれない、それが不安なのだと思っていた。
だがしかし、そうではなかった。
それがわかったのは朝食を用意し始めて数日後、食べる時も食べない時もあったが、わずかずつ血色も戻ってきている、少し体調も安定してきたか、そう思った日の夜だった。
「遅いな」
今夜は確かにシュガットに呼び出されている。詰まっているはずの会議や書類処理を無理にあけさせての呼び出しで、さすがにカークも不快そうだったが、数日呼び出されていなくて自分も飢えていたのだろう。早めに片付けて、ライヤーには待機を命じて出かけていたが、いつもより帰りが遅かった。
携帯は鳴っていないし、内線もかかってこない。
シュガットは最近気焦りが酷いようで、つまらないものを次々と試してくる、というのはカークが出掛けに零した珍しい愚痴、それが妙に気になった。
「……」
鍵を手に部屋を出る。シュガットはライヤーがここに侍るようになってから、また自分の官舎でカークを抱くようになっている。官舎は中央庁の別棟だ、歩いてすぐに行けるし、部屋は調べてある。
無用なことをと叱られるだろうが、どうも胸騒ぎがしてならない。
エレベーターでまっすぐにシュガットの部屋に向かう途中で、予感が適中したことがわかった。
「カークっ」
低い叫び声に振り向くと、視界に入ったのは崩れ落ちる細い身体だった。肩を貸して連れて帰ろうとしてくれたのだろう、ブルームが慌てたようにしゃがみ込む。
「カークさんっ」
「んっ、ライヤーかっ」
「どうなさったんです!」
「、シュガットの馬鹿が…っ」
きつい舌打ちでブルームが唸り苦しそうに顔を背けた。その腕にすがっているカークががたがた震えているのがわかる。駆け寄ってブルームからもぎ放すように抱き上げれば、震えながらやはりブルームの服を必死に掴んでいる。焦点の合わない瞳でブルームを見上げ、
「抱いて…っ……だ……いて…っ」
「カークさん?」
「だ……い…っ」
無理矢理顎を掴んでこちらを向かせて気がついた。大きく見開いた瞳が微かに揺れている。目の前に居るライヤーが見えていないらしく、掴まれた顎に唇を震わせながら、それでも僅かに微笑んだ。
「だい…て…くれ……るのか……ブル……ム…」
「……薬、ですね」
ぴきん、と体の中で何かが砕けた。
「媚薬系のきついのを飲まされたんですね」
「……ラゴル13ー4だ」
じろり、とライヤーはブルームを睨みつけた。その薬品名を『塔京』で知らぬ者などいない。どんなまともな人間でも三日打てば気を失うまで自分で弄ぶという悪評がある。
「……それを、どうしたんです」
「いきなり打たれて、放置されたらしい」
「っっ」
「いくらシュガットが責めてもカークは相手にしなくなってきてたから、薬を打って放置して、欲しがって泣き叫ぶのをマジェスと眺めていたところを」
「もう結構です」
ライヤーは必死に誘うカークを抱き上げた。
「助けて下さってありがとうございました」
「ライヤー」
「ああ、もしあなたに少しでも良心があるのなら、後でいろいろ便宜をはかって頂きたいんですが。もちろん聞き届けて下さるでしょうね?」
冷笑するとブルームは青い顔で頷いた。カークを頼むという声を背中に、がたがた震え続けながら股間を濡らしているカークを抱えて執務室に戻る。
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