『DRAGON NET』

segakiyui

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71.『時を費やすなかれ』

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「え?」
 オウライカは瞬きして戸惑い、目の前に並んだ二つの顔を見比べた。
「何だって?」
「だからよ」
 トラスフィがいつも通りの襟ボアの皮ジャンパーを引っ掛けたまま、断りもせずにカーゴポケットから煙草を取り出して銜える。
「カザルは俺と来るってよ」
 サングラスの向こうから見据えてくる眼が、ちら、と斜め後ろのカザルに動く。視線を追ってカザルに移したオウライカの目を眩しそうに見返したカザルが、金の瞳の色を日射しに光らせる。
 先日までの『華街』に居た危うげな着物姿ではなく、白と紺のシャツニ枚重ねにズボン、羽織っているのはどこで調達してきたのか、渋い緑のごそっとしたコート、身支度をすっかり整えた顔でコートのポケットに両手を突っ込んで立っている姿に既視感がある。
「センサー、外れてんだろ?」
「あ、ああ」
「『塔京』がそれに気付かないとは思えねえ。すぐに次のやつが送り込まれてくるんじゃねえのか」
 ライターを鳴らしてつけた煙草を軽く吸い込み、唇の端に挟んだままトラスフィは続けた。
「いや、こいつの始末に何を送り込んでくるかってとこか」
 カザルは無言で唇を微かにねじ曲げてオウライカを見ている。蝶の簪は止めていない。長くなっていた髪も僅かに切って、肩に少し触れる程度、こちらを見返す鋭い視線に、ああ、とオウライカは既視感の出所に気付いた。
 『塔京』だ。
 あの下町で、初めてカザルを見かけた夜。
 ネオンの煌めきの中で片腕から血を飛び散らせて跳ね上がった素早い動き、顔に広がっていた不敵で鮮やかな笑み、しなやかに波打つ筋肉の鞭のような勢い。
「だからよ、こっから離れて俺と遠征隊に出るってよ」
「……カザル」
 呼びかけると、相手は僅かに震えた。それでもまっすぐに見返す瞳はあの夜と同じ気配、敵を見つけた喜びと興奮をたたえる狩人のようだ。
「ここでは不安か」
「……違うよ、オウライカさん」
 思わずぼやいた口調が出たのに、瞳が和らいだ。
「俺、行きたいところがあるんだ」
 進みでたカザルがコートのポケットからきらきら光る細長いものを取り出してくる。
「これ、返すね」
 差し出されたのは蒼銀の簪。その蝶の飾りに思わず息を呑んで動けなくなるオウライカに、カザルが困ったようにそっと机の上に置いた。
「トラスフィさんに聞いた。『斎京』から離れるとかなり場が不安定になるから、逆にこういうものが周囲を刺激しちゃう場合があるんだって。ない方が動きやすいらしいから」
 それに、俺にはセンサーももうないよね。
「だから、どうしても行きたいところができた」
 言い放ったカザルの口調に、この間ひどく抱いたことを思い出す。
 軽く唇を噛んで、オウライカは自分の内側に意識を飛ばせた。左半身の紅の奔流は今は穏やかだが、いつまた溢れ出して受け入れ口を求めて滾るか保証はできない。事の後、泣きじゃくったカザルを抱いて慰めながら、それでも自分の中の奔流をどこまで堪えられるか心配だったのは確かだ。
「わかった」
 もうこりごりだ。
 さすがのカザルがそう思うほど、あの時の自分は我を失っていたのかもしれない。左目の眼帯がその自分を証するようで、思わず目を伏せて机の上の蒼銀の簪を見つめると、視界にもう一本、もう少し太くて武骨な針のようなものが添えられる。
「?」
「これ、俺が作ったんだ」
 静かな声に顔を上げると、間近に立ったカザルがはにかんだように微笑む。その背後で、トラスフィが軽く目を伏せて背中を向け、部屋を出て行った。
「レシンさんに、初めてにしちゃいい出来だって褒められた」
「これを」
 取り上げてしみじみと眺めると、その針にぎこちない手で一匹の龍が絡み付きながら先端に向かうように彫られている。
「その龍も彫った」
 ルワンさんとこに通い詰めて。
「絶対教えません、って言うから」
 脅しちゃったよ、殺してやるって。
 くす、と笑うカザルに思わず顔を上げる。
「オウライカさん」
 見つめ返したカザルがどこか哀しそうに目を潤ませているのにぎょっとする。
「どうした?」
「……俺、ほんとはここで暮らしたい、あんたの側で、細工物とか作っちゃって」
「…なら」
「でも」
 オウライカのことばを遮ってカザルが笑みを深める。
「でも、無理なんだ」
「カザル」
「俺、そういうふうには生きられない」
「……」
「とっさの時、ぎりぎりの時、俺は容赦なく牙を剥く、たぶんあんたにだって」
「しかし」
 それなら殺されてやってもいいんだが。
 オウライカが思わず口走ったことばに一瞬驚いたような顔で目を見開き、やがてゆっくりと細めていく瞳から、つう、と一筋涙が零れ落ちて、オウライカはことばを失った。
「……あんたが……大事だ」
「……」
「俺、あんたが大事です」
 ゆっくり俯いて、詰まった声で。
「だから、あんたを失いたくない」
「…………なら」
「どんな無茶してでも、失いたくないんだ」
 俯いたカザルの顔からぽたぽたと落ちた涙が簪と針を握ったオウライカの手に落ちる。
「だから、俺は俺の、できることを」
 くぐもった声が切なく響いた。
「俺が俺として一番有能なことを、する」
「カザル」
 覗き込みかけたオウライカの前で、ぐい、とこぶしで顔を横殴りに擦ったカザルが顔を上げた。
 にこやかな笑みを満面に浮かべ、顔を寄せてくる。
「オウライカさん」
「なんだ」
「キスして」
 薄く開いて合わせてくる唇に応じ、頭を引き寄せてもう少し深く重ねる。甘い舌がねだるように探ってくるのを、受け止めて吸って絡めてやる。
 やがてそっと顔を引く、それを拒まずに力を抜くと、濡れた唇をぺろん、とおどけて舐めてみせたカザルが、にやりと笑った。
「それを守りに置いてくよ」
「針を?」
「あんたの中のものが、無闇に暴れないように」
「っ」
 気付いていたのか、と思わず怯んだオウライカに、カザルがそっと額をぶつけてくる。
「あんたの中のものが、俺以外の誰かを喰わないように」
「う」
「………あんたの贄は、俺だ」
 もう一度、少しだけ唇を触れる。
「忘れないで」
「カザル…」
 胸が詰まる。オウライカの中の左半身がカザルを求めてうねって疼く。引き寄せて暴いて身動きできないようにしてしまえと囁きかける。けれど右半身は、一つの可能性を示唆してきて、オウライカを凍らせた。
「まさか、お前」
 伽京の竜を。
「んっ…」
 言いかけたことばはもう一度口づけられてカザルの唇に呑み込まれた。
「じゃ」
 いきます。
 くるりと翻って振り向かないまま出ていく緑のコート姿を、とどめる術はオウライカにはなかった。
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