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94.『宿縁を結ぶなかれ』(2)
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「オウライカさん」
顔を上げて呼んだ。
鋭い蹴りの一閃を目の前の枝に叩きつける。
『もう少し待てば助けが来るはず』『この峰を登れば頂上だ』『誰か一人でも生きててくれ』
ばきばきばきっ。
『イヤアア、シンジャウ!』『アトスコシデ、タドリツケタノニ!』『ナンテ、ヒドイコトガ、オコッタンダ!』
「大好き」
囁きながら、素早く薙いだ手刀が脆い枝を次々破砕する。
『難しい仕事だけど成功しますよきっと』『新しい薬が使えるかもしれません』『万に一つでも奇跡は起こるものだから』
ばさばさっ、ざざざっ。
『イタイイタイイタイ!』『ドウシテ、クスリガキカナカッタノ!』『ヤメテトメテエエエエ!』
枝はカザルに刺さりもしない。それほど強いものは、どこにもない。
駆け寄る、飛ぶ、振り回す脚閃く手、高く伸びた枯れ枝が衝撃に崩れてくるのを好機と叩き折り続けていく。
それに呼応するように緑は燃え上がり、煌めく雫を竜に落とす。
『ユメダッタノネ』『アリエナカッタ』『フカノウダヨ、ソレハ』『イタミナシニハ、ナニモエラレナイ』『インボウダ』『ダレカガ、ウラデヨロコンデル』
甘美な雫だ。
竜は満足そうに唸る。
みしり、とその体の下で岩の網が撓む。
「…はっ……はっ………く、はっ」
カザルは破壊を止めない。飛び散った枝の破片が眼を掠め、視界を眩ませ、幾度も転がり全身を打った。
今まで培って磨き上げた技を駆使して、見つける限りの希望の枝を砕いていく。
落ちろ、落ちろ、堕ちろ。
人の形を保たなくていい。
人の心を守らなくていい。
あの人から遠く離れていく一方だから、こんな体など粉々になってしまっていい。
表情が消えていく。感覚が消えていく。乾いた頬に風が心地いい。
「ちょっと、ごめん」
竜の体を蹴って駆け上がっていく。高みに突き刺さる枝を一本残らず蹴り砕いていく。
「かなりすっきりしてきたよね」
尋ねる声はもう揺れない。懐かしい感覚が戻ってきた。
「やれるときに一掃しとかなくちゃ、後々面倒だし」
アンタ、傷の場所とかわかんないの?
足元の竜に尋ねる。
「俺の見えないところに刺さってる枝、見逃しちゃったら困るしさ」
痛いところはどんどん教えて。この分だと、枝が抜けるとそこに緑が這い寄ってくれるみたいだし、そのうちアンタ緑に覆われちゃうんじゃない?
くすくすと笑った。
笑った瞬間、もっと懐かしい光景が意識を掠めた気がした。
緑の網にぶら下がる幾人もの男達。呼びかけてくる声、煌めく銀色のタグの光。
「…綺麗じゃん」
呟いて微笑む。
「綺麗なものは壊したいよね」
さあ、この光景の願いはどこに突き刺さっているのかな。
そこだよ、坊や。
竜が囁いた。
その足元だ。
「足元? 大抵は蹴り潰したはずだけど、まだ残ってた?」
覗き込む爪先に、今まで蹴り潰したのとは比較にならないほど、小さくて細い、まるで指先に刺さる棘のような小枝が見えた。
「えええ、これえ?」
思わず吹き出す。
「こんな細っこいのが、あの綺麗な光景の源? すげえな!」
けらけらと嗤った。
「じゃあ、今まで蹴り潰したのって、もっともっと綺麗な光景だったってことだよね?」
しまったなあ。
カザルは笑顔で振り返った。
「もっとじっくり見てから潰すんだった」
岩籠は今や大きく撓み端の方がびしびしと音をたてて崩れ始めている。
「…あれ? アンタ、このまま行くとここから落ちるんじゃない?」
ああそうだ、それを望んで、それをお前が満たしてくれているんだよ、覚えていないのかい?
「ふぅん?」
ふと、何かに引っ掛かった。
「それがアンタの望み、なんだ?」
ああそうだ。
「……じゃあさあ」
わくわくした気持ちが突き上げる。
「そのために、これだけの大騒ぎやったほどだからさあ、アンタの望みはずいぶん大きくて綺麗なもんだろうね?」
…待て。
竜が察したように体を強張らせるのがわかって、カザルは興奮した。
「そんなに大事な望み……壊したらどれだけ楽しいかなあ」
内側から溢れ出す快感にめまいがする。
「……アンタの望みはどこにあるの?」
…ここにはない。
「く、くくくっっ!」
カザルはまたも吹き出し手を振る。
「ないない、それはないって!」
大笑いしつつ指摘する。
「ここにはないって言う時には『ここにある』もんだよ、ああ、そうか」
竜の瞳がきょろりと動いた気がしてそちらへ視線を走らせた。
「見ぃつけたっ」
待て!
弾む足取りで竜の体を駆けていく。制止しようとしたのか、ほとんど回復した竜が体をくねらせ大きな顎でカザルを追うのに、一層喜びが溢れた。
「そこかそこか、そこだったんだ!」
なぜだろう。
ふいに視界が涙で溢れた。
忘れかけていた名前が脳裏一杯に広がる。
オウライカ。
「戻れない」
ぼたぼたと大粒の涙を零しながら、カザルは竜の引き延ばされ細くなった尾の先へ駆け続ける。
「もう、俺、あんたのところへ戻れない」
こんなにたくさん人の願いを壊したから。
こんなにたくさん酷いことを重ねたから。
待てえええ!
辿り着いた尾は両手で握り込めるほど細くなり、干涸び乾燥し、まるで人の願いの一番細い枝のように見えた。一瞬のためらいもなく握り締めて手刀を振り下ろす。手首が非ぬ方向へ歪み折れた激痛、同時に竜の尾がガラス細工のように割れ砕けて飛び散る。
咆哮が響いた。
がぶりと背後から噛みつかれ、口に溢れた血に笑う。
ざまあみろ。
俺と一緒に天に堕ちるがいい、人の願いを弄ぶ竜よ。
血飛沫に煙る視界に岩籠が砕け、引き剥がされるようにカザルと竜は空中へ舞った。
顔を上げて呼んだ。
鋭い蹴りの一閃を目の前の枝に叩きつける。
『もう少し待てば助けが来るはず』『この峰を登れば頂上だ』『誰か一人でも生きててくれ』
ばきばきばきっ。
『イヤアア、シンジャウ!』『アトスコシデ、タドリツケタノニ!』『ナンテ、ヒドイコトガ、オコッタンダ!』
「大好き」
囁きながら、素早く薙いだ手刀が脆い枝を次々破砕する。
『難しい仕事だけど成功しますよきっと』『新しい薬が使えるかもしれません』『万に一つでも奇跡は起こるものだから』
ばさばさっ、ざざざっ。
『イタイイタイイタイ!』『ドウシテ、クスリガキカナカッタノ!』『ヤメテトメテエエエエ!』
枝はカザルに刺さりもしない。それほど強いものは、どこにもない。
駆け寄る、飛ぶ、振り回す脚閃く手、高く伸びた枯れ枝が衝撃に崩れてくるのを好機と叩き折り続けていく。
それに呼応するように緑は燃え上がり、煌めく雫を竜に落とす。
『ユメダッタノネ』『アリエナカッタ』『フカノウダヨ、ソレハ』『イタミナシニハ、ナニモエラレナイ』『インボウダ』『ダレカガ、ウラデヨロコンデル』
甘美な雫だ。
竜は満足そうに唸る。
みしり、とその体の下で岩の網が撓む。
「…はっ……はっ………く、はっ」
カザルは破壊を止めない。飛び散った枝の破片が眼を掠め、視界を眩ませ、幾度も転がり全身を打った。
今まで培って磨き上げた技を駆使して、見つける限りの希望の枝を砕いていく。
落ちろ、落ちろ、堕ちろ。
人の形を保たなくていい。
人の心を守らなくていい。
あの人から遠く離れていく一方だから、こんな体など粉々になってしまっていい。
表情が消えていく。感覚が消えていく。乾いた頬に風が心地いい。
「ちょっと、ごめん」
竜の体を蹴って駆け上がっていく。高みに突き刺さる枝を一本残らず蹴り砕いていく。
「かなりすっきりしてきたよね」
尋ねる声はもう揺れない。懐かしい感覚が戻ってきた。
「やれるときに一掃しとかなくちゃ、後々面倒だし」
アンタ、傷の場所とかわかんないの?
足元の竜に尋ねる。
「俺の見えないところに刺さってる枝、見逃しちゃったら困るしさ」
痛いところはどんどん教えて。この分だと、枝が抜けるとそこに緑が這い寄ってくれるみたいだし、そのうちアンタ緑に覆われちゃうんじゃない?
くすくすと笑った。
笑った瞬間、もっと懐かしい光景が意識を掠めた気がした。
緑の網にぶら下がる幾人もの男達。呼びかけてくる声、煌めく銀色のタグの光。
「…綺麗じゃん」
呟いて微笑む。
「綺麗なものは壊したいよね」
さあ、この光景の願いはどこに突き刺さっているのかな。
そこだよ、坊や。
竜が囁いた。
その足元だ。
「足元? 大抵は蹴り潰したはずだけど、まだ残ってた?」
覗き込む爪先に、今まで蹴り潰したのとは比較にならないほど、小さくて細い、まるで指先に刺さる棘のような小枝が見えた。
「えええ、これえ?」
思わず吹き出す。
「こんな細っこいのが、あの綺麗な光景の源? すげえな!」
けらけらと嗤った。
「じゃあ、今まで蹴り潰したのって、もっともっと綺麗な光景だったってことだよね?」
しまったなあ。
カザルは笑顔で振り返った。
「もっとじっくり見てから潰すんだった」
岩籠は今や大きく撓み端の方がびしびしと音をたてて崩れ始めている。
「…あれ? アンタ、このまま行くとここから落ちるんじゃない?」
ああそうだ、それを望んで、それをお前が満たしてくれているんだよ、覚えていないのかい?
「ふぅん?」
ふと、何かに引っ掛かった。
「それがアンタの望み、なんだ?」
ああそうだ。
「……じゃあさあ」
わくわくした気持ちが突き上げる。
「そのために、これだけの大騒ぎやったほどだからさあ、アンタの望みはずいぶん大きくて綺麗なもんだろうね?」
…待て。
竜が察したように体を強張らせるのがわかって、カザルは興奮した。
「そんなに大事な望み……壊したらどれだけ楽しいかなあ」
内側から溢れ出す快感にめまいがする。
「……アンタの望みはどこにあるの?」
…ここにはない。
「く、くくくっっ!」
カザルはまたも吹き出し手を振る。
「ないない、それはないって!」
大笑いしつつ指摘する。
「ここにはないって言う時には『ここにある』もんだよ、ああ、そうか」
竜の瞳がきょろりと動いた気がしてそちらへ視線を走らせた。
「見ぃつけたっ」
待て!
弾む足取りで竜の体を駆けていく。制止しようとしたのか、ほとんど回復した竜が体をくねらせ大きな顎でカザルを追うのに、一層喜びが溢れた。
「そこかそこか、そこだったんだ!」
なぜだろう。
ふいに視界が涙で溢れた。
忘れかけていた名前が脳裏一杯に広がる。
オウライカ。
「戻れない」
ぼたぼたと大粒の涙を零しながら、カザルは竜の引き延ばされ細くなった尾の先へ駆け続ける。
「もう、俺、あんたのところへ戻れない」
こんなにたくさん人の願いを壊したから。
こんなにたくさん酷いことを重ねたから。
待てえええ!
辿り着いた尾は両手で握り込めるほど細くなり、干涸び乾燥し、まるで人の願いの一番細い枝のように見えた。一瞬のためらいもなく握り締めて手刀を振り下ろす。手首が非ぬ方向へ歪み折れた激痛、同時に竜の尾がガラス細工のように割れ砕けて飛び散る。
咆哮が響いた。
がぶりと背後から噛みつかれ、口に溢れた血に笑う。
ざまあみろ。
俺と一緒に天に堕ちるがいい、人の願いを弄ぶ竜よ。
血飛沫に煙る視界に岩籠が砕け、引き剥がされるようにカザルと竜は空中へ舞った。
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