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第7章『エッグ』と名乗る男(2)
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スライはタカダの部屋のドアが少し開いているのに気づいた。
アイラが緊張した顔で頷く。
軽く身構えたアイラを後ろに、スライは勢いよくドアを蹴り、室内へ転がるようにして入り込んだ。
予想に反して、中は空だった。
「食事か?」
「違う……と思うわ。あたし達の前に済ませたらしくて、食堂のドアのところですれ違ったもの」
だから、タカダがサヨコの『草』を盗んだと判断したのだ、とアイラは言った。
「まあいい、室内をチェックするにば好都合だ」
立ち上がりながら呟いたスライは、ベッドカバーに隠れるように転がっているアクリルケースに気がついた。
「これは…」
「サヨコのもの?」
アイラが油断なく、廊下の方へ気を配りながら尋ねてくる。
スライは首を振った。
「11個、残っている。カージュの話を覚えているか?」
「じゃあ、『第二の草』……」
「おそらくはな」
スライはアクリルケースをアイラに渡しながら眉をひそめた。
「おかしい」
「え?」
証拠物件が手に入った喜びに眼を輝かせているアイラに、
「こんなところに飯の種を放っておくような人間なのか、ヴェルハラ、とかいうテロリストは? 何年も関わってきて、1度も尻尾をつかませていない奴なんだろう? なのに、こんな状況で…」
「あ」
はっとしたようにアイラが身を翻した。舌打ちをしたスライが続く。
「考えられることは1つ、ね」
タカダの部屋を出て、2人が目指しているのは中央ホールだった。モリと同じ場所が選ばれる、そんな予感があった。
「始末された……間に合うか?」
廊下を駆け抜け、エレベーターを使って中央ホールに辿り着く。エレベーターの扉が開くのがもどかしい。
扉が開くや否や、ホールの薄闇に顔を突き出した2人の耳に、どん、という振動音が聞こえた。
少し間をおいて、再び、とん、とやや小さくなった音がする。
無言で音の方向を透かし見るスライの目に、中央ホールの隅をぼろきれのように揺れて漂い、あちらこちら当たる影が1つ映った。
「スライ…」
「畜生…」
影はファイバーの明かりに、銀の髪を光らせていた。
サヨコは、一瞬、コンピューターに拒否されたのかと思ってひやりとした。
が、次の瞬間、画面は、機密事項を示す緑の徴を輝かせ、一連のデータを描き出した。
『GN』と『CN』を判断する心理チェックのデータが出されていく。
「これは…」
後々の必要性を考えてプリントアウトの指示を出したが、これはさすがに拒まれた。
サヨコはちらりと背後を見た。ファルプとクルドはまだ話し続けている。
サヨコはそっと服からメモとペンを取り出した。画面に映った内容の重要な部分を抜き書きしていく。端末からのプリントアウトではないので、事実の証明としては不十分だが、単なる記憶だけよりはましだろう。
心理チェックの最終項目に来て、サヨコは体を凍りつかせた。
そこには、このデータの最終チェックをした人間の名前が入っている。
カナン・D・ウラブロフの名前は当然としても、モリがステーションに入るときのチェックをした者の名前は、ファルプ・A・B・C・コントラになっているのだ。
(ファルプはこのデータを知っていた)
もちろん、その衝撃もあったが、サヨコの体を凍りつかせたのは、ステーションに来たときに、ファルプがした自己紹介の記憶だ。
『……私はファルプ。ファルプ・A・B・C・コントラ…』
本名なのか、と尋ねたサヨコに、ファルプは笑いながらこう言ったはずだ。
『本名だとも……おやじが夜も寝ずに考えた……アルト・ビスタス・セルジ。コントラ、ではくてデニトル、ならAからFまでそろったんだが…』
そのファルプのことばを、サヨコは心の中で繰り返した。
AからFまでそろった。
考えてみれば、ファルプの名前だけでは、どう考えてもAからFまではそろわない。
たった1つ、Eが抜ける。
では、なぜ、ファルプは『そろった』と言ったのか。
『エッグ、かEのつく名前』
アイラは、カナンと内密に連絡を取っている人間をそう表現した。
サヨコは唇を噛んだ。
ふと気づくと、背後の会話が途切れていた。
あわててサヨコが振り向こうとした矢先、ファルプののんびりした声が真後ろで響いた。
「どうだ、何かわかったかね?」
振り返ったサヨコの視界一杯に、いつのまに近づいたのか、ファルプの白衣姿があった。 相変わらずのにこやかなファニー・フェイスが、今はたとえようもなく恐ろしい。その体の向こうに見えているクルドは、ベッドに横たわったまま身動きもしない。
サヨコはファルプを見た。乾いた喉に唾を飲み込んで答える。
「少し手掛かりになりそうなものが……クルドはどう?」
ファルプは目を細め、初めて見せる奇妙な表情になった。踏みつぶそうとした小さな虫が、なぜか足元に寄ってきた、そんな感じの、サヨコの意図を計りかねたような顔で、
「大丈夫だ、今は眠っている。疲れたんだろう」
緊張していたクルドが、サヨコを放って眠るはずがない。
(薬を使ったのね)
サヨコは端末を操作し、画面を消した。メモもポケットに滑り込ませる。
「もう、いいのかね?」
ファルプが興味深そうに尋ねる。まるで、逃げないのかね、と聞かれているような気がして、サヨコは曖昧に首を振った。声が震えないことだけを祈りながら、
「ええ、今は」
「モリの心理チェックを見ていたね」
「少し気になって」
ファルプはもっと目を細めた。陽気で明るい青の目が奥の方で揺らめいた。
「何が、だね?」
「心理療法士として…あのデータから『CN』と判断するのは難しいわ、ファルプ」
「ほう」
ファルプの目は細い糸のようになった。その目の奥で光るものが爆発するのをできるだけ引き伸ばそうとして、サヨコはことばを継いだ。
「あのデータなら、わたしは、モリを『GN』と判断します』
「……君は、若い」
ファルプは静かな口調で言った。
「経験も不足だ。データの読み違いもあるかもしれない」
「……いいえ…それを言うなら…」
サヨコは無意識に竦み、後ずさりしかける体を引き止めながら、反論した。
「わたしは、カナンに認められて派遣された、心理療法士です。そう…あえて言います。モリは『GN』、それも『草』なしでは『宇宙不適応症候群』を起こしていたはずの『GN』……」
「サヨコ」
すう、とファルプがサヨコに近づいた。手を伸ばせば、サヨコの腕でも首でも掴めそうな近さ、なおじわじわと近づきながら声をかける。
「君は…何か…誤解しているよ…」
(もう、だめだ)
サヨコが諦めかけたとき、ドアが叫び声とともに開いた。
「サヨコ! 大丈夫だった?」
焦りを浮かべて飛び込んできたアイラに、ファルプの気が殺がれる。
その場からすぐにサヨコを奪い去りそうだったアイラの勢いは、サヨコを認めるところりと変わった。
「ああ、大丈夫だったのね、サヨコ! あなたの『草』が盗まれたと聞いて、心配で心配で慌てちゃった!」
派手に手を振り回して訴えたアイラは、次には呆気に取られているファルプの手を取らんばかりにサヨコとファルプの間に割って入った。にこにこと満面に笑みをたたえてファルプに話しかける。
「ファルプ、ありがとう、サヨコをきちんと診てくださったのね!」
立ち直るのはファルプの方が早かった。
「とんでもない、アイラ。災難だったね、サヨコ」
さっきまでの薄気味悪い表情はどこへやら、にっこりと笑ってアイラとサヨコを等分に見る。
どうやらファルプは、アイラが単にサヨコの『草』の盗難を知って、医務室に駆け込んできたと思ったらしい。
「地球へも緊急の連絡をいれておいたから、明日には『草』が届くよ」
ファルプはサヨコに言った。アイラが大仰に驚いて見せる。
「明日? よかった。じゃあ、サヨコ、今日はあたしのところに来なさいよ。万が一のときに、あたしがついていた方がいいわ、ね、そうでしょ、ファルプ」
「あ…ああ、それはそうだね]
アイラの勢いに押されて、ファルプが不承不承頷く。
そこへ、スライが厳しい顔でやってきた。
「スライ…何だ?」
警戒を浮かべてファルプが尋ねる。
「カナンが捕まらん。サヨコの『草』が盗まれたというのに…」
一瞬緊張したファルプの顔が緩んだ。丸い肩を竦めて、
「クルドから聞いたよ。こっちの緊急回線で『草』の要請もした。明日には着くだろう」
「そうか。助かったよ。クルドは?」
スライはひょい、とベッドを見やり、訝しそうにファルプを振り返った。
「眠っているのか?」
「ああ、たいした傷じゃなかったが、疲れてたんだろう」
「ふうん」
スライがクルドを覗き込み、アイラはついで、といった顔で状態を確認した。
「まあ、一晩任せよう…と言いたいところだが…」
スライはちらっとアイラを見た。それを合図にしたように、ぼんやりしているサヨコをそっと抱えるようにして、アイラが促す。
「じゃあ、サヨコ、あたし達は行きましょ。お休みなさい」
「ああ、おやすみ」
「おやすみ」
スライにつられた形でファルプが答えて、アイラは医務室のドアを閉めた。
閉めかけたドアの向こうで、スライが、『たまたま出掛けた中央ホール』で、ソーン・K・タカダの死体が見つかったとして、ファルプに検死の指示を出すのが聞こえた。
アイラが深い溜め息をつき、サヨコの肩を抱えた手に力をこめる。
廊下をゆっくり歩きエレベーターに乗り込み、下の階層で降りて部屋へ向かっていると、サヨコもようやく助かったらしいと感じ始めた。
「助かった…の?」
「そう。危なかったわね」
アイラは微笑んだ。
「よく頑張ったわね。あなたは……本当に強い」
感嘆のこもったアイラのことばにも、悪夢から完全に抜け出せていないような気がした。
「サヨコ?」
「アイラ……ひょっとしたら、とんでもないことが行われてたんじゃないかしら、ここで」
モリのデータを見つめていたとき、そこに『第二の草』を絡めていくと、1つの構造が見えてくるのに、サヨコは気づいたのだ。
(でも、そんなことってあるかしら)
その構造を細部まで見極めようとサヨコの頭は必死に働いている。だが、情報が足りない。まだ、肝心な部分が見えてこない。
「サヨコ…」
深々と溜め息をついたアイラが、自分の部屋にサヨコを招き入れながら、思い切ったように言った。
「もう、いいんじゃない? 後はあたし達がやるわ。あなたは十分頑張ったわ。もう地球へ降りるべきだと思う」
「アイラ」
思ってもいなかった提案に、サヨコは思わずアイラを見た。口調の抵抗を感じたのだろう、アイラが首を振って、
「限界だわ、サヨコ。確かに、あたしは連邦警察へ緊急の応援要請を出した。でも、スムーズにいって、彼らが来られるのは明日以降、悪くすれば2、3日かかるでしょう。スライも手配をしてみたけど、やっぱりカナンが捕まらないの。ファルプが本当に緊急連絡をしたかどうかもわからないわ……このままじゃ、あなたの『草』が切れてしまう」
サヨコは黙ったまま、アイラを見つめた。
アイラはなおも言い募った。
「クルドがファルプのところに引き入れられたのはこっちの計算違いだったわね。もう少し用心しておくべきだった……それに…」
アイラは少しためらってから、
「タカダが殺されたわ」
さすがにサヨコはどきりとした。
「え?」
「部屋にいないから嫌な予感がして、中央ホールに行ったら、モリと同じように浮いていたの。換気が止められていて…血液検査をすれば、睡眠薬が出るかもしれない」
アイラは苦々しい顔になった。
「部屋には何もなかったわ…そうそう、たぶん、カージュが持っていたものだと思うけど、11個『草』が入っているアクリルケースだけがあった。だから、妙だと思ったのよ。モリのケースとそっくりだけど、今度は紛れもなく、他殺ね」
サヨコはにこにこ顔の医師を思い出した。
「ファルプ?」
「おそらくは……でも、証拠がない」
悩んだアイラに、サヨコはそっと口を開いた。
(できるかぎり、話してみよう、何かわかるかもしれない)
「前に、カナンと連絡を取っている人間がいて、それがエッグ、かEの名前を持つ人間だって言ってたでしょう?」
「ええ」
「ファルプ、だと思うわ、たぶん。心理チェックのデータを調べたの。あのデータでは、モリは『GN』だったはずよ。なのに、カナンとファルプが『CN』だと判断している。間違ったとは思えないわ」
サヨコは眉をしかめた。
「もう少し情報がほしいんだけど。モリが『GN』なのに『CN』と評価されていたことと、『第二の草』がなぜここに運び込まれていたのかの理由はつながっているような気がするの。それに、タカダ…の死も何か引っ掛かっている……どこか…辻褄が合わないような……変な感じ……]
サヨコは話しながら首を傾げた。
その印象はすべてのことに共通している。
たとえば、なぜ、モリは急に死ななくてはならなかったのだろう。
なぜ、カナンはサヨコをここへ派遣したのだろう。
今回のタカダの役割は何だったのか。
サヨコの『草』が奪われたのはなぜだろう。
クルドが襲われたのはなぜだろう。
『第二の草』はなぜここへ運び込まれたのだろう。
そして、ファルプはカナンとどうつながり、何をしていたのか。
タカダの死にはどんな意味があったのか。
考えてみれば、謎は何1つ解けていないような気がする。
「そうね」
座ろうともしないサヨコに合わせるように立ったまま、アイラが目を細めた。
「これは仮説だけど。モリは『第二の草』を投与されていたの。ファルプはその管理をしていた。だけど、モリは『宇宙不適応症候群』を起こして死亡した。『CN』だった彼が『宇宙不適応症候群』を起こしたということは問題を引き起こすから、ファルプはその死を自殺に見せかけようとした。ところが、スライ達が騒ぎだしたので、裏で噛んでいたカナンとしては、保身のためにも何かの手を打つ必要があった」
腕を組み、ことばを継ぐ。
「あなたには悪いけど、解決できそうにない人材、それも『GN』を形ばかりで派遣して、スライと揉めさせ、事実をうやむやにすませようとした、というところかもしれない。タカダは状況の監視役として選ばれた。ひょっとすると、今回も『第二の草』を運んでいたかも知れないけど……今となっては確かめようもないわね」
少し考え込んで、アイラは溜め息をついた。
「カナンの誤算はカージュの発作だったわね。あれで、あなたは予想以上の有能さを発揮して、スライに認められたばかりか、モリの事件解明まで力を及ぼそうとした。そこで、監視役のタカダは、あなたを強制的にステーションから追い出すつもりで『草』を盗んだり、ファルプと協力してあなたを襲ったのじゃないかしら。クルドを襲ったのはファルプで、理由はタカダに追及の手が伸びたから。同じ理由でタカダも口封じに殺してしまう。悪者はタカダ、で済むところだった、あなたがモリの情報を手に入れなければ。でも、あなたは真実を知ってしまった」
アイラは激しく首を振った。
「だめ。やっぱり、サヨコ、あなたはとても危険な状況にいる。さっきみたいに、助けに行けるとは限らないのよ、できるだけ早く地球に戻るべきだわ」
サヨコは目を閉じた。
(確かに、さっきはもうだめだと思っていた)
アイラの言うとおり、このままここを離れた方が、安全には違いない。
(でも、それはきっと、間違ってる)
「ううん、降りない」
「サヨコ!」
アイラが緊張した顔で頷く。
軽く身構えたアイラを後ろに、スライは勢いよくドアを蹴り、室内へ転がるようにして入り込んだ。
予想に反して、中は空だった。
「食事か?」
「違う……と思うわ。あたし達の前に済ませたらしくて、食堂のドアのところですれ違ったもの」
だから、タカダがサヨコの『草』を盗んだと判断したのだ、とアイラは言った。
「まあいい、室内をチェックするにば好都合だ」
立ち上がりながら呟いたスライは、ベッドカバーに隠れるように転がっているアクリルケースに気がついた。
「これは…」
「サヨコのもの?」
アイラが油断なく、廊下の方へ気を配りながら尋ねてくる。
スライは首を振った。
「11個、残っている。カージュの話を覚えているか?」
「じゃあ、『第二の草』……」
「おそらくはな」
スライはアクリルケースをアイラに渡しながら眉をひそめた。
「おかしい」
「え?」
証拠物件が手に入った喜びに眼を輝かせているアイラに、
「こんなところに飯の種を放っておくような人間なのか、ヴェルハラ、とかいうテロリストは? 何年も関わってきて、1度も尻尾をつかませていない奴なんだろう? なのに、こんな状況で…」
「あ」
はっとしたようにアイラが身を翻した。舌打ちをしたスライが続く。
「考えられることは1つ、ね」
タカダの部屋を出て、2人が目指しているのは中央ホールだった。モリと同じ場所が選ばれる、そんな予感があった。
「始末された……間に合うか?」
廊下を駆け抜け、エレベーターを使って中央ホールに辿り着く。エレベーターの扉が開くのがもどかしい。
扉が開くや否や、ホールの薄闇に顔を突き出した2人の耳に、どん、という振動音が聞こえた。
少し間をおいて、再び、とん、とやや小さくなった音がする。
無言で音の方向を透かし見るスライの目に、中央ホールの隅をぼろきれのように揺れて漂い、あちらこちら当たる影が1つ映った。
「スライ…」
「畜生…」
影はファイバーの明かりに、銀の髪を光らせていた。
サヨコは、一瞬、コンピューターに拒否されたのかと思ってひやりとした。
が、次の瞬間、画面は、機密事項を示す緑の徴を輝かせ、一連のデータを描き出した。
『GN』と『CN』を判断する心理チェックのデータが出されていく。
「これは…」
後々の必要性を考えてプリントアウトの指示を出したが、これはさすがに拒まれた。
サヨコはちらりと背後を見た。ファルプとクルドはまだ話し続けている。
サヨコはそっと服からメモとペンを取り出した。画面に映った内容の重要な部分を抜き書きしていく。端末からのプリントアウトではないので、事実の証明としては不十分だが、単なる記憶だけよりはましだろう。
心理チェックの最終項目に来て、サヨコは体を凍りつかせた。
そこには、このデータの最終チェックをした人間の名前が入っている。
カナン・D・ウラブロフの名前は当然としても、モリがステーションに入るときのチェックをした者の名前は、ファルプ・A・B・C・コントラになっているのだ。
(ファルプはこのデータを知っていた)
もちろん、その衝撃もあったが、サヨコの体を凍りつかせたのは、ステーションに来たときに、ファルプがした自己紹介の記憶だ。
『……私はファルプ。ファルプ・A・B・C・コントラ…』
本名なのか、と尋ねたサヨコに、ファルプは笑いながらこう言ったはずだ。
『本名だとも……おやじが夜も寝ずに考えた……アルト・ビスタス・セルジ。コントラ、ではくてデニトル、ならAからFまでそろったんだが…』
そのファルプのことばを、サヨコは心の中で繰り返した。
AからFまでそろった。
考えてみれば、ファルプの名前だけでは、どう考えてもAからFまではそろわない。
たった1つ、Eが抜ける。
では、なぜ、ファルプは『そろった』と言ったのか。
『エッグ、かEのつく名前』
アイラは、カナンと内密に連絡を取っている人間をそう表現した。
サヨコは唇を噛んだ。
ふと気づくと、背後の会話が途切れていた。
あわててサヨコが振り向こうとした矢先、ファルプののんびりした声が真後ろで響いた。
「どうだ、何かわかったかね?」
振り返ったサヨコの視界一杯に、いつのまに近づいたのか、ファルプの白衣姿があった。 相変わらずのにこやかなファニー・フェイスが、今はたとえようもなく恐ろしい。その体の向こうに見えているクルドは、ベッドに横たわったまま身動きもしない。
サヨコはファルプを見た。乾いた喉に唾を飲み込んで答える。
「少し手掛かりになりそうなものが……クルドはどう?」
ファルプは目を細め、初めて見せる奇妙な表情になった。踏みつぶそうとした小さな虫が、なぜか足元に寄ってきた、そんな感じの、サヨコの意図を計りかねたような顔で、
「大丈夫だ、今は眠っている。疲れたんだろう」
緊張していたクルドが、サヨコを放って眠るはずがない。
(薬を使ったのね)
サヨコは端末を操作し、画面を消した。メモもポケットに滑り込ませる。
「もう、いいのかね?」
ファルプが興味深そうに尋ねる。まるで、逃げないのかね、と聞かれているような気がして、サヨコは曖昧に首を振った。声が震えないことだけを祈りながら、
「ええ、今は」
「モリの心理チェックを見ていたね」
「少し気になって」
ファルプはもっと目を細めた。陽気で明るい青の目が奥の方で揺らめいた。
「何が、だね?」
「心理療法士として…あのデータから『CN』と判断するのは難しいわ、ファルプ」
「ほう」
ファルプの目は細い糸のようになった。その目の奥で光るものが爆発するのをできるだけ引き伸ばそうとして、サヨコはことばを継いだ。
「あのデータなら、わたしは、モリを『GN』と判断します』
「……君は、若い」
ファルプは静かな口調で言った。
「経験も不足だ。データの読み違いもあるかもしれない」
「……いいえ…それを言うなら…」
サヨコは無意識に竦み、後ずさりしかける体を引き止めながら、反論した。
「わたしは、カナンに認められて派遣された、心理療法士です。そう…あえて言います。モリは『GN』、それも『草』なしでは『宇宙不適応症候群』を起こしていたはずの『GN』……」
「サヨコ」
すう、とファルプがサヨコに近づいた。手を伸ばせば、サヨコの腕でも首でも掴めそうな近さ、なおじわじわと近づきながら声をかける。
「君は…何か…誤解しているよ…」
(もう、だめだ)
サヨコが諦めかけたとき、ドアが叫び声とともに開いた。
「サヨコ! 大丈夫だった?」
焦りを浮かべて飛び込んできたアイラに、ファルプの気が殺がれる。
その場からすぐにサヨコを奪い去りそうだったアイラの勢いは、サヨコを認めるところりと変わった。
「ああ、大丈夫だったのね、サヨコ! あなたの『草』が盗まれたと聞いて、心配で心配で慌てちゃった!」
派手に手を振り回して訴えたアイラは、次には呆気に取られているファルプの手を取らんばかりにサヨコとファルプの間に割って入った。にこにこと満面に笑みをたたえてファルプに話しかける。
「ファルプ、ありがとう、サヨコをきちんと診てくださったのね!」
立ち直るのはファルプの方が早かった。
「とんでもない、アイラ。災難だったね、サヨコ」
さっきまでの薄気味悪い表情はどこへやら、にっこりと笑ってアイラとサヨコを等分に見る。
どうやらファルプは、アイラが単にサヨコの『草』の盗難を知って、医務室に駆け込んできたと思ったらしい。
「地球へも緊急の連絡をいれておいたから、明日には『草』が届くよ」
ファルプはサヨコに言った。アイラが大仰に驚いて見せる。
「明日? よかった。じゃあ、サヨコ、今日はあたしのところに来なさいよ。万が一のときに、あたしがついていた方がいいわ、ね、そうでしょ、ファルプ」
「あ…ああ、それはそうだね]
アイラの勢いに押されて、ファルプが不承不承頷く。
そこへ、スライが厳しい顔でやってきた。
「スライ…何だ?」
警戒を浮かべてファルプが尋ねる。
「カナンが捕まらん。サヨコの『草』が盗まれたというのに…」
一瞬緊張したファルプの顔が緩んだ。丸い肩を竦めて、
「クルドから聞いたよ。こっちの緊急回線で『草』の要請もした。明日には着くだろう」
「そうか。助かったよ。クルドは?」
スライはひょい、とベッドを見やり、訝しそうにファルプを振り返った。
「眠っているのか?」
「ああ、たいした傷じゃなかったが、疲れてたんだろう」
「ふうん」
スライがクルドを覗き込み、アイラはついで、といった顔で状態を確認した。
「まあ、一晩任せよう…と言いたいところだが…」
スライはちらっとアイラを見た。それを合図にしたように、ぼんやりしているサヨコをそっと抱えるようにして、アイラが促す。
「じゃあ、サヨコ、あたし達は行きましょ。お休みなさい」
「ああ、おやすみ」
「おやすみ」
スライにつられた形でファルプが答えて、アイラは医務室のドアを閉めた。
閉めかけたドアの向こうで、スライが、『たまたま出掛けた中央ホール』で、ソーン・K・タカダの死体が見つかったとして、ファルプに検死の指示を出すのが聞こえた。
アイラが深い溜め息をつき、サヨコの肩を抱えた手に力をこめる。
廊下をゆっくり歩きエレベーターに乗り込み、下の階層で降りて部屋へ向かっていると、サヨコもようやく助かったらしいと感じ始めた。
「助かった…の?」
「そう。危なかったわね」
アイラは微笑んだ。
「よく頑張ったわね。あなたは……本当に強い」
感嘆のこもったアイラのことばにも、悪夢から完全に抜け出せていないような気がした。
「サヨコ?」
「アイラ……ひょっとしたら、とんでもないことが行われてたんじゃないかしら、ここで」
モリのデータを見つめていたとき、そこに『第二の草』を絡めていくと、1つの構造が見えてくるのに、サヨコは気づいたのだ。
(でも、そんなことってあるかしら)
その構造を細部まで見極めようとサヨコの頭は必死に働いている。だが、情報が足りない。まだ、肝心な部分が見えてこない。
「サヨコ…」
深々と溜め息をついたアイラが、自分の部屋にサヨコを招き入れながら、思い切ったように言った。
「もう、いいんじゃない? 後はあたし達がやるわ。あなたは十分頑張ったわ。もう地球へ降りるべきだと思う」
「アイラ」
思ってもいなかった提案に、サヨコは思わずアイラを見た。口調の抵抗を感じたのだろう、アイラが首を振って、
「限界だわ、サヨコ。確かに、あたしは連邦警察へ緊急の応援要請を出した。でも、スムーズにいって、彼らが来られるのは明日以降、悪くすれば2、3日かかるでしょう。スライも手配をしてみたけど、やっぱりカナンが捕まらないの。ファルプが本当に緊急連絡をしたかどうかもわからないわ……このままじゃ、あなたの『草』が切れてしまう」
サヨコは黙ったまま、アイラを見つめた。
アイラはなおも言い募った。
「クルドがファルプのところに引き入れられたのはこっちの計算違いだったわね。もう少し用心しておくべきだった……それに…」
アイラは少しためらってから、
「タカダが殺されたわ」
さすがにサヨコはどきりとした。
「え?」
「部屋にいないから嫌な予感がして、中央ホールに行ったら、モリと同じように浮いていたの。換気が止められていて…血液検査をすれば、睡眠薬が出るかもしれない」
アイラは苦々しい顔になった。
「部屋には何もなかったわ…そうそう、たぶん、カージュが持っていたものだと思うけど、11個『草』が入っているアクリルケースだけがあった。だから、妙だと思ったのよ。モリのケースとそっくりだけど、今度は紛れもなく、他殺ね」
サヨコはにこにこ顔の医師を思い出した。
「ファルプ?」
「おそらくは……でも、証拠がない」
悩んだアイラに、サヨコはそっと口を開いた。
(できるかぎり、話してみよう、何かわかるかもしれない)
「前に、カナンと連絡を取っている人間がいて、それがエッグ、かEの名前を持つ人間だって言ってたでしょう?」
「ええ」
「ファルプ、だと思うわ、たぶん。心理チェックのデータを調べたの。あのデータでは、モリは『GN』だったはずよ。なのに、カナンとファルプが『CN』だと判断している。間違ったとは思えないわ」
サヨコは眉をしかめた。
「もう少し情報がほしいんだけど。モリが『GN』なのに『CN』と評価されていたことと、『第二の草』がなぜここに運び込まれていたのかの理由はつながっているような気がするの。それに、タカダ…の死も何か引っ掛かっている……どこか…辻褄が合わないような……変な感じ……]
サヨコは話しながら首を傾げた。
その印象はすべてのことに共通している。
たとえば、なぜ、モリは急に死ななくてはならなかったのだろう。
なぜ、カナンはサヨコをここへ派遣したのだろう。
今回のタカダの役割は何だったのか。
サヨコの『草』が奪われたのはなぜだろう。
クルドが襲われたのはなぜだろう。
『第二の草』はなぜここへ運び込まれたのだろう。
そして、ファルプはカナンとどうつながり、何をしていたのか。
タカダの死にはどんな意味があったのか。
考えてみれば、謎は何1つ解けていないような気がする。
「そうね」
座ろうともしないサヨコに合わせるように立ったまま、アイラが目を細めた。
「これは仮説だけど。モリは『第二の草』を投与されていたの。ファルプはその管理をしていた。だけど、モリは『宇宙不適応症候群』を起こして死亡した。『CN』だった彼が『宇宙不適応症候群』を起こしたということは問題を引き起こすから、ファルプはその死を自殺に見せかけようとした。ところが、スライ達が騒ぎだしたので、裏で噛んでいたカナンとしては、保身のためにも何かの手を打つ必要があった」
腕を組み、ことばを継ぐ。
「あなたには悪いけど、解決できそうにない人材、それも『GN』を形ばかりで派遣して、スライと揉めさせ、事実をうやむやにすませようとした、というところかもしれない。タカダは状況の監視役として選ばれた。ひょっとすると、今回も『第二の草』を運んでいたかも知れないけど……今となっては確かめようもないわね」
少し考え込んで、アイラは溜め息をついた。
「カナンの誤算はカージュの発作だったわね。あれで、あなたは予想以上の有能さを発揮して、スライに認められたばかりか、モリの事件解明まで力を及ぼそうとした。そこで、監視役のタカダは、あなたを強制的にステーションから追い出すつもりで『草』を盗んだり、ファルプと協力してあなたを襲ったのじゃないかしら。クルドを襲ったのはファルプで、理由はタカダに追及の手が伸びたから。同じ理由でタカダも口封じに殺してしまう。悪者はタカダ、で済むところだった、あなたがモリの情報を手に入れなければ。でも、あなたは真実を知ってしまった」
アイラは激しく首を振った。
「だめ。やっぱり、サヨコ、あなたはとても危険な状況にいる。さっきみたいに、助けに行けるとは限らないのよ、できるだけ早く地球に戻るべきだわ」
サヨコは目を閉じた。
(確かに、さっきはもうだめだと思っていた)
アイラの言うとおり、このままここを離れた方が、安全には違いない。
(でも、それはきっと、間違ってる)
「ううん、降りない」
「サヨコ!」
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